89.黄泉からのいざない
ナナカはかぶりを振った。
ありえない、絶対にそんなことは。
でも、万が一ということも……。
それに、『いざな』という名前――イザナギ、イザナミに似ている。
(何か、関係あるの?)
ナナカは、つい、振り向きそうになって、焦った。
意識するから、後ろが気になってしまうのだ。
気を取られないように、全然関係のないことを考えながら、銀の川に沿ってただ歩き続けよう。
(そうだ、もうすぐ星祭りだとナミ小僧が言ってたっけ)
確か、最初に聞いたのは、高校の登校日に、学校の大好きな担任の先生からだった。
(あの時、進路の調査表ももらったっけ……)
引き出しにしまったままだ。
進路なんて、考えるだけで気が重かった。
でもヒイロは、高校を卒業したら、武術の腕を磨くために、美浦から出ていくかもしれなかった。
タカラも、湖から解放されたのだ。どこへでも好きな場所へ行くことができるだろう。
兄カイリも、美浦を出て、どこか変わった。
自分だけ、何も変わらない。取り残されて、みんなから置いて行かれるのではないか……。
実は、ナナカはずっとそのことを考えないようにしていた。先へ先へ延ばして、見ないふりをし続けていた。
みんな、どこかへ行ってしまう。
急に大きな不安が身に迫ってきた。
「ナナカを置いてはいかないよ、俺もここに残る」
ふいに、ヒイロのやさしい声が聞こえた。
「ヒイロ?」
ヒイロは、居てくれる。留まってくれる……。
ナナカは、声のした方を振り向こうとした。
『騙されるな! それは、俺じゃない』
りんと鈴が鳴り、涼風が過ぎて行った気がした。
はっと、体が硬直する。
いつのまにか、ナナカは立ち止まっていた。
今、ナナカは洞穴の中にいたのだった。
危なく、後ろを振り向きかけていた。
あのヒイロの声は、一体……。
ずっと、今のままでいたい。このまま、家族や学校のみんな、トモダチと、今のままで、いつまでもいつまでも、変わらないままでいたい。
最初に聞こえたヒイロの声は、ナナカの心の奥底にあった願いを、狙い澄まして釣り上げる、魅力的な甘い誘惑のように聞こえた。
次に聞こえた声は、耳で聞いたのではなかった。
(機織姫の櫛が助けてくれたんだ)
ナナカはずっと櫛を握り締めていた。
櫛を通し、暖かなものが、自分の内側に流れ込んできたと思った瞬間、ヒイロの『騙されるな! それは、俺じゃない』という厳しい声が頭に思い浮かんだ。
ナナカには、もう分かっていた。
確かに、今のまま変わらずにいられたらいいのにという気持ちもある。
でも、未来には、不安なことだけではなく、もっと楽しいことが待っているに違いなかった。
機織姫に夢の中で会って、この冒険を始めて、ナミ小僧と出会った。
タカラと出会った。
伍の一族とも出会った。
足踏みしていては、けして、出会うことはなかった貴重な出会いだった。
未来には、輝かしい明るい未来だけではなく、つらく悲しい出来事もあるだろう。でも、そんな未来も含めて全て、これから先待っているのは、希望に溢れた未知の世界なのだ。
ナナカは、永遠に今のような毎日が続けばいいのにと思っていた。
でも、それは、違っていた。
機織姫のように、時を止め、恨みに身を任せていることは、不幸だ。
ナナカが、いくら踏み止まろうとしても、ナナカの時間はこの洞穴とは違い、刻まれていく。時に残酷なほど、確実に全ての人に刻まれていく。
いや、この洞穴も、時は刻まれているのではないだろうか。機織姫は、大好きな人が生まれ変わって現れるのをずっと待っていた。でも、その人は、とっくに生まれ変わってどこかで新しい生を生きているかもしれない。
時は、ある面では無情でもあるのだ。
運命は、ナナカが何もしなくても、扉をノックするように向こうからどんどん、そして突然やってくる。
だったら、じっと待っているより、こちらから向かって行こう。
今、ナナカは、強くそう思えた。
心が清々しかった。
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