61.知らんぷり
三角波のナミ小僧の浜は、穏やかだった。
海の色はエメラルドグリーンで、いつ見ても、南国のリゾート地を思わせる。
波と波が内側へと、両側から向かって来ている。
目に眩しいきれいな色の海。でも、ナナカは、この沖で溺れかけた。
ここは、美しいだけじゃない、危険なポイントでもあった。
「ナナカ、一つ聞きたいんだけど。本っ当に、海に引きずり込まれたりしないだろうな」
ヒイロは、ふいに、子どもの頃サトから聞いた怖い話を思い出したようだ。ナナカは、意地悪く、上目使いでヒイロを見た。
「もしかして、怖いの?」
「まさかだろ」
ヒイロは、強がっているのがばれないように顔を背けた。幼少時の衝撃的な怖い話が、刷り込まれているのだ。
思い出すと、やはり多少は(本当にちょっぴりだけど)心配にもなる。
タカラは、笑い出しそうになるのを堪えた。
凶暴な赤牛に、自分を顧みず、果敢に体当たりしていったヒイロと、同一人物だと思うと、おかしかった。
こういう一面もあるんだ。人には、いろんな面があるということだ。
極端に人との関わりを持たないようにしていたタカラにとっては、新鮮だった。
「怖くないと言ったら、怖くないんだって! ナナカ、笑うのを我慢してないで、早くナミ小僧を呼んだら?」
ヒイロは、拗ねたようだった。
「ごめん、ヒイロに怖いものがある訳ないよねっ」
「ナナカ、その言い方、ますますヒイロに嫌味だよ」
「そんなつもりじゃなかったんだけど」
ナナカとタカラは目を見合わせて、肩をすくめた。タカラとも、いい感じに息が合って来た。ナナカは 大きく息を吸い込んで、海に向かって呼び掛けた。
「こんにちは、ナミ小僧~!
聞きたいことがあるの~。
出て来てよ~」
しばらく、海は静まり返っていたが……。
「お姉ちゃん!」
海の中から、ナミ小僧がざぶん、と頭を出し、水掻き付きの手を振った。
「ナミ小僧! また会えたわね」
ナナカが嬉しそうに、右手を大きく振ると、ナミ小僧も、満面の笑みを浮かべた。ヒイロは、実際にナミ小僧に会って、やはりちょっぴり腰が引けているようだ。その様子を見て、タカラがくすりと笑った。 ヒイロが、タカラを睨んだ。
ナミ小僧は、ぼたぼたと水を滴らせながら、浜へ上がってきた。
「お姉ちゃん」
ナミ小僧は、相変わらず、身体に藻を絡み付かせている。
「紹介するね。私の友達の、ヒイロとタカラよ」
「はじめまして。俺は犬河緋色。よろしく」
ヒイロの笑顔は、緊張でぎこちない。
「知ッてるよ、ヒイロお兄ちゃん。僕は、ずうッと昔から、夏はこの海にいるんだもん。おいら、みんなのことを知ッてるのさ」
ナミ小僧が得意げに言った。
「俺のことを!?」
ヒイロは、少し嬉しそうに言った。
「うん、へへッ」
ナミ小僧が、人懐っこい笑顔を向けたので、ヒイロの恐怖心は、ぱっと払拭された。
「僕も、はじめましてだね。斎城寶だよ」
「タカラお兄ちゃんだね、よろしく。
美浦の人? おいら、お兄ちゃんのこと、知らないや」
「美浦は美浦でも、山奥だからね。それに、あの一帯は特殊な地域でもあるから」
サトは、ナミ小僧の事を、信じていない者には、その姿が見えないと言っていた。
2人は、ナナカの話を信じてくれていたということだ。ヒイロは、怖がっていたのだから、今まではいなければいいのにと思っていただろう。でも、否定しないでナナカの話を信じてくれたのだ。
また、サトは、ナミ小僧が現れるのは、信頼できる人の前だけだと言っていた。ナミ小僧が、自分や自分のトモダチを信じてくれている。それも、嬉しかった。
「ねえ、ナミ小僧」
ナナカは、ずずいとナミ小僧に近付いた。
「な、なあに?」
「ナミ小僧は、昔からここにいて、色んな事を知ってるんだもん。
分からない訳ないよね、私達が知りたいこと」
ナミ小僧は、ぎくりとした。
ついつい大好きなナナカの声に誘われて、機嫌良く出て来てしまったけれど、話したくないことを問いただされていたのを思い出した。
「何の話かなあ? おいら、お姉ちゃんが呼ぶもんだから、つい上がッて来ちゃッたんだよね」
人の良いナミ小僧だけれど、このことには、しらを切り通すつもりのようだ。
「私、タカラから聞いちゃったんだ。
やっぱりナミ小僧は、『龍蛇穴』の場所を知ってるんでしょ? 二翠湖の赤牛がそう言ってるんだって」
「おいら、何のことか、さッぱりだもんねッ」
白々しくそう言って、ナミ小僧は後ずさりしようとした。ナナカは、濡れた青い着物の袖を、はっしと掴んだ。
「おっと、今度は逃っがさないよ~。教えてくれるまで、離さないもん」
「おおおおいら、本当にわッかんないなあ」
ナミ小僧は、そらとぼけている。
「いい加減に、白状せぬか」
その場に、重々しい女性の声が響いた。でも、この場にいるのは、ナナカとヒイロと……あれ?
タカラ!




