59.タカラ
「ナナカ、落ち着け」
ヒイロは、ナナカを座らせた。ヒイロの胸も、むかむかしていた。
「言い伝えよ。
でも、実際に、その3つの島が今はないのよ。だから、私は、本当のことだと思います」
タマシズメには、『主』の魂を鎮めるだけでなく、人の魂も、湖に沈めるという意味もあったということだ。
ナナカの前に置いてある氷が、溶けてきた。
でも、もう食べる気になれそうもなかった。ちっともおいしそうに見えない。氷を前にしての、さっきまでのウキウキとした気分は、消えていた。
昨日の公園での、タカラの表情を思い出す。あれは、何かを諦め、死を覚悟した人の表情だったのかもしれない。
「あの子が死ぬつもりかもしれないって思った時、私は、何も言えなかった。でも、まさかそんな訳ないって打ち消して、考えないようにした。
止める勇気がなかったの。
でも、今日、けろりとした顔で、あの子はみんなを迎えたわ。
生きててくれて、ほっとした」
ナナカは、女性の身勝手な話に、気分が悪くなってきた。
自分達のことしか考えていないのだ。
タカラがどうなろうと、結局の所、この人は何もする気がなかった。その自分を正当化するような言い訳を、ナナカとヒイロに聞かせているだけではないのか。
「随分、身勝手な言いようですね」
ナナカの声は、怒りで少し震えていた。女性は、気が付き、息を飲んだようだ。
「勝手……。そうね、その通りだと思う。
でもね、私達は、生まれた頃から二翠湖とあり、二翠湖を守るために生きてきた。
少し、普通の感覚と違うかもしれない。それは、タカラくんもそうなんじゃないかしら。
私達にとって、この湖を守ることが、全てに勝る重要事なの」
確かに、タカラも、一生湖と共に生きていこうとしていた。
「今まで、何もしてこなかった。タカラくんに、全てを負わせて、見ないふりをしてきた。
私達は、間違ってました。
タカラくんは、いつも無表情で、誰とも親しくしようとしなかった。私達の間には、超えることの出来ない壁があった。
見殺しにしようとする位だもの、当然ですね。
儀式が終わったことを聞いて、『主』の恐怖から解放された。
それで、やっと冷静に、タカラくんのことを考えてみたんです。そこで、とんでもない仕打ちをしてしまったことに気が付きました」
遅すぎる!
タカラの心には、消えない深い傷が残ってしまったに違いない。
「可哀そうなことをしてきたわ。でも、もう、私達と、タカラくんとの間の亀裂は深すぎる。修復なんて、出来ないと思ったの。タカラくんのことを考えていたわ。
いつも、公園に座っているから、今日も、なんとなくちらちら公園のタカラくんを見ていた。そしたら、あなた達がやって来たという訳」
からから、と引き戸が開いて、お客さんが入って来た。
「いらっしゃい」
女性は、立ち上がった。
早い夕食の客が入って来た。客は、まだまだ来るかもしれない。
女性は、客の案内に立った。
「ナナカ、そろそろ行こうか」
「うん」
ナナカは、ヒイロに促され、立ち上がった。もう、ここから、早く出たかった。
それに気付き女性が近寄って来た。
「話の途中で、ごめんなさいね」
「いえ、もう、話すことは、ありませんから」
ナナカは、憤然と答えた。
女性は、じっと、ナナカを見た。
「タカラくんは、本当に可哀そうなことをしてしまった。今は、そう思ってるわ。
でも、正直、儀式の前までは、そんなふうに思えなかった。今は、済まないことをしたと思ってる。タカラくんと仲良くしてくれて、ありがとう。
それが言いたかったの」
さらに、別の客が入って来た
「いらっしゃい」
「それじゃ、俺達はこれで」
女性は、頷いた。
「ありがとう。お客さんなので、ごめんなさいね」
女性は、忙しそうに、奥へ入って行った。
厨房が無人なので、人を呼びに行ったようだ。その間に、2人はお店を出た。
お店の外は、むっと暑かった。ナナカは、扉を閉め、公園の方を見た。相変わらず、タカラは昼寝中だった。




