38.対決!2
「うぎゃあ!」
先程の人気のない林の中とは違い、人の行き来している通路に合流する辺りだった。
行楽帰りの通行人もいる中、ナナカが痴漢! と叫んでいたので、人々は驚いて振り返った。
そんな中、伝海は、叫び声を上げ、道の上に尻餅をつきひいひいと言っている。
ナナカは、警戒しつつ、呼吸を整えながら近付いていった。
「どうしたの?」
伝海が振り返った。
その、ピカピカと光る額の真ん中には、ニイニイゼミが止まっている。
「こんな所に、セミがっセミがっ…!」
伝海は、取ってくれえ、と涙目でナナカを見た。
「こんなのが怖いの?」
「子どもの頃、近所でクマゼミが大量発生して、えらい目に会ったことがあるんじゃ。そっそれ以来、わしはセミが駄目なんじゃ……、ひいいいっ」
伝海は、取ってくれ、としつこくナナカに哀願した。ナナカは、その哀れっぽい姿がおかしくて、笑ってしまった。
「助けてあげてもいいのよ」
伝海は、ナナカをまじまじと見た。
「ほ、本当か」
「うん、ただし」
ナナカは、右手を出した。
「はい、櫛返して」
「返してくれたら、取ってあげる」
ナナカは、ナギラのように、にいいっと笑った。
「うぬぬっ、卑怯な」
「卑怯はどっちよ」
そして、手を引っ込めると、ひと際大きな声で言った。
「ち~か~ん~! 変態の泥棒がここにいます!!!!」
「おい、なんてことを! 嘘言うな! みみみんな、見てるじゃないかっ」
伝海はきょろきょろした。
「何よ! お巡りさ~ん、どこかにいませんかあ、変態の泥棒がここにいま~」
「わ、わかった、悪かった、謝る、ごめん。
とにかく、助けてくれ、頼む!」
伝海は、セミが本当に怖いらしく、顔色は真っ青で、ガタガタ震えがきている。
さっき、ナナカがタコと言った時、ソワソワしていたのも、周りでセミが鳴いていたかららしかった。
それにしても、普通、セミは危険を察知したら敏感に飛んでいくものなのに、さっきから額の真中に張り付いたまま、鳴きもしなければ、飛びもしない。
まるで、伝海の反応を面白がっているように。
ナナカはもう一度、伝海の前に手を出した。
「櫛! 早く!!」
「うぬぬぬっ、背に腹は代えられぬぅぅ」
周りには人だかりが出来、騒ぎが大きくなってきていた。
伝海は、持っていたナナカの櫛を差し出した。
「よし、確かに返してもらったよ。
じゃあね」
「ひ、卑怯な! 取ってくれると言ったではないか」
「私が取るなんて言ってない。
今セミを取ったら、絶対また櫛を盗ろうとするでしょ。離れてから、あっちのお店の人に頼むから。
あ、観光客に頼もうと思っても、多分無理よ。今、変態の泥棒がここにいるって、大声で言っちゃったからね。みんな、きっと変質者だと思って、助けてくれないから。
……だいたい、この暑いのに、そのお坊さんファッションで観光地をうろうろしてたら、怪しすぎて誰も近づかないわよ。
じゃあね」
ナナカは、悠々とその場を離れようとした。
その時、女の人のきんきん声が聞こえた。
「あのお坊さん、林の奥で、女の子に痴漢を働いたみたいなんですっ」
それは、モデルのお姉さんだった。後ろには、カメラマンの男の人も立っている。
「可哀そうに、大丈夫だった?」
「あ、はいいい」
モデルさんは、完全に怒っている。
周りの人達も、伝海を取り囲み、大騒ぎが始まっていた。
収集がつかない位、騒ぎが大きくなっている。大勢の人に取り囲まれて、伝海の姿は見えなくなってしまった。
困ったことになった……。もうナナカは蚊帳の外だった。
そこへ、ナギラが走って来て、輪の中に入って行った。また、ざわめきが起きた。
遅れてヒイロも走って来た。
ナナカを見つけると、ヒイロは駆け寄った。
「ナナカ、大丈夫だった?」
「取り返したの」
ナナカは櫛を見せた。
「ナナカ達の行った方から、騒ぎ声が聞こえてきて、あいつはそっちが気になったみたいで、駆け出したんだ」
ヒイロの頬には、傷が出来ていた。
「ヒイロ、怪我してる!」
よく見ると、Tシャツは泥で汚れ、右腕には擦れたような傷があり、うっすら血が滲んでいた。
ヒイロは、振り絞るように言った。
「あいつ、俺をなぶりながらずっと笑ってた。……強かった」
ナギラがどんな顔をしていたか、ナナカにも想像がつく。ヒイロは、そして、悔しそうに唇を噛んで、人の輪の方を見た。
その中に、ナギラがいる。
伝海が、何か喚く声が聞こえた。
ここまでの騒ぎになってしまうとは、ちょっぴり伝海達が可哀想な気もするナナカだった。
「行こうか」
ヒイロがナナカの腕をとった。
引っ張られ、ナナカも歩き出した。
「さっき、俺が離れてろって言ったのに、逆にナギラの腕を掴んで引っ張っただろ、なんで、ああいうことをするかなあ」
ヒイロがひとり言のように言った。
「ごめん。ヒイロの腕が痛そうで、思わず体が動いちゃったの」
「ナナカらしいといえば、らしいけど。でも、時には、守らせてくれよな」
ヒイロが、軽く睨み、それから笑った。涼しげな眼差しに似合わず、頬の傷は痛々しかった。
『時には』と、ヒイロは言うけれど、いつも、いつも、ヒイロはナナカのことを守ってくれていた。




