25.遠い兄……
カイリは、言葉を噛みしめているようだった。
ナナカは、パンを口に入れながら、こっそりカイリを観察した。
思い切って、カイリにどうしたのか聞いてみたいと思った。でも、具体的に何を聞いたらいいのか、どう言葉にしたらいいのかわからなかった。
「帰って来いって」
スマホを後ろポケットにしまいながら、ヒイロが言った。
「今、2人の間で、俺のスマホの着信をこっそり変更するのが流行ってるんだ……」
「桜子達、なんだって?」
「トモダチが何人か来るんだって。
片付けの手伝いと、コンビニでお菓子とジュースを買ってくるように、命じられたよ」
2人の姉に、ヒイロは本当に弱い。
「命令か」
ふっと笑い、カイリは、目玉焼きを突っついた。
こういう仕草も含めて、何をやっても、カイリは大人びて様になっている。
「俺には自由がないんだよ。呼び出されたら、予定は全てキャンセル……」
「あの二人が相手じゃな……。あんまり無茶を言うようなら、俺から言うぞ?」
「この程度なら、俺も耐えられるよ。
でも、限度を超えた難題を押し付けられた時には、カイリ兄に頼むかもしれないよ」
「その時は、言ってくれ」
ヒイロは父から体術を習っていて、すごく強い。なのになんで姉達が弱点なのか。小さい頃は、2人のお姉さん達もやっていたというので、その辺のことも、関係あるのかもしれない。
昨日、サトの家の庭で、すらりとしたヒイロの肢体が、軽々と空中で一回転したのには驚いた。平気な顔して、あんなことが出来ちゃうなんて。
ヒイロは、カイリとも久しぶりに会えたし、一旦帰ることよ、と家の片付けに向かう事になった。ナナカの母は、残念がっていた。
「ナナカ、ちょっと話があるんだ」
カイリと共に、玄関でヒイロを見送った後、出掛ける準備をしようと、2階へ上がりかけたナナカをカイリが呼んだ。
「何?」
「ばあちゃんのことなんだけど」
「どうかした?」
ナナカは、階段から足を戻し、カイリの前に立った。
「昨日、父さんや母さんにも話したんだけど、そろそろこっちのうちで暮らした方がいいと思う。そういうつもりでいてくれ」
「え? おばあちゃんが、琉河に来たいって言ってるの?」
「ばあちゃんにはまだ、話してないよ」
ナナカには、どうして急にそんな話が出て来るのかわからなかった。
「まだ、話してない? それって、勝手に決めようとしてるってこと?」
「勝手にって……。
考えてもみろ、大分耳も遠くなってきてるみたいだし、膝も前より痛そうだった。一人じゃ大変だろ。
それに、もし何かあったらって考えると、誰もいないあそこは心配だよ。この家の方がいいんじゃないかと思うんだ」
だからって、サトの気持ちも聞かないで、カイリ達だけで決めてしまうのは違う、ナナカはそう思った。考えるまでもなく、サトには、荒来の生活が合っていた。琉河では、今までのようにはいかないことも増えるだろう。
それが、なぜカイリには、わからないのか。そんなの、サトに対する思いやりでも、やさしさでも何でもない。
「おばあちゃんに、来たいかどうか、ちゃんと聞いてみようよ。
私、今日これからおばあちゃんちに行く所なの、直接聞いてみようか?」
「聞くのは好きにすればいいけど、何かあってからじゃ面倒だろ。
その方が、絶対楽だって」
「面倒とか、楽とかって、誰が? カイちゃんがってこと?」
随分とひどい言いようだ。
「そう取ってくれて構わないけど」
皺が深く刻まれた、慈愛に満ちたサトの笑顔が浮かんだ。
あの笑顔を奪うことになるかもしれない。
そんなことを、本人の知らない所で決めてしまうなんて、あんまりだ。
両親もどうかしてる。サトには、サトの生活があるのに。
これでは、物か何かみたいな扱いだ。
「反対、私、大反対!」
ナナカは、大声を上げ、カイリに背を向け階段を駆け上り、部屋のドアをバタンと閉め、そのままドアに寄りかかった。
カイリは、冷たくなってしまった。あんな言い方をするなんて……。
変わってしまったのだろうか。
東京へ行ってまだ、数カ月なのに、今までとは違う人みたいだった。
都会という所は、優しかったカイリを変貌させてしまったのか。
宝珠の話だって、本気で聞いてくれなかった。
ナナカには、カイリが遠い存在になってしまったように感じられた。さっきも、向かい合って話しても、何を考えているのかわからなかった。




