20.約束
ナナカはサトから、そんな話は聞いたことがなかった。
「そうだよ。それに、ナナカお姉ちゃんにも助けてもらッたことがあッたよ」
「私が、助けた?」
ナナカには全く覚えのない話だった。
ナミ小僧に会うのは、初めてのはず……。
「おいらね、この辺の海流が危ないから、夏の間はここにいるんだよ。
いつもは、人を助けたら、浜辺まで運んでおいらは海に潜ッちゃうけど、ナナカお姉ちゃんにはあの時のお礼が言いたかッたんだ」
ナナカは記憶の糸を手繰ってみたが、少しも思い出せなかった。
「う~ん」
ナナカは難しい顔をして、なおも考えようとした。
「お姉ちゃんが思い出せなくても、しょうがないよ。おいら、この姿じゃなかッたんだ。
そのうち思い出すさ。
おいらね、サトおばあちゃんにも、ナナカお姉ちゃんにも助けてもらッたんだもん。
あん時助けてもらッたお礼を、いつかしたいと思ッてたんだ。おばあちゃんはね、膝が痛いんでしょ、海に来るのは難しいよね。だからナナカお姉ちゃんにちゃんとお礼をしたかッたの。
あん時はほんとにありがとう」
「え~と、やっぱわかんないや……。ごめんね」
「ううん、それにね、ナナカお姉ちゃんは、潮が引いた時に、岩場に取り残されたお魚を助けてくれたり、海岸の花火の燃えカスを、よく捨ててくれたりするから、海の生き物達も、ナナカお姉ちゃんのこと、だ~い好きなんだよ。
ナナカお姉ちゃんが溺れそうだから、助けてッて、海のみんながおいらに教えてくれたんだ」
「ええ~!?」
ナナカは、驚きで再び目を丸くした。
海の生物達が、自分を知っている。
そして好きだと思ってくれている。
しかも、実は独自のネットワークで繋がっているとは! 海にも、ナナカの知らない世界が広がっているのだ。
魚達は、テレパシーでやりとりをするのだろうか。
また、ナナカの中で、想像の翼が大きく広がる。
サトの昔話に出てきた竜宮城。鯛やひらめの舞い踊り……。
不思議な世界が海底にあるに違いない。あれこれと考えが思い浮かび、心がいっぱいになる。
それに、助けた魚達も、元気にしているというのだ。とても嬉しいことだった。
空想は尽きなかったが、さっきから感じていた寒気が急にひどくなってきた。
ナナカはぶるっと震えた。
体が冷えきっていた。
溺れたので、体力も相当奪われている。体が重い。このままごつごつの岩の中に沈みこんでしまいそうだった。
もう、辺りは真っ暗なので、きっとサトも心配しているだろう。
「ナミ小僧、助けてくれてありがとう。溺れて、体が冷えちゃったみたいよ。そろそろ、おばあちゃんちに帰るね」
せっかくナミ小僧と会えたのだ。本当は、まだ話していたかった。でも、寒くてたまらなかった。
ナナカは、よろりと立ち上がった。
去ろうとすると、ナミ小僧は、名残惜しそうな顔付きだった。もっともっとナナカと話したそうだった。
(こんな小さな男の子だもの)
海にもトモダチはいるだろうけど、人間の女の子のナナカとも、もっともっと話したいのだろう。
「また来るよ。今度、一緒に泳ごう。
海のトモダチも、紹介して」
ナミ小僧は、ぱっと顔を輝かせた。
「ほんと?
冬は寒いから、おいら他の場所に行ッちゃうけど、夏はいつもここらへんにいるからね。遊んでね! 名前を呼んでくれたら、すぐ来るよ、絶対だよ。
あッ、でも、大人は連れて来ないでね。昔、怖い大人に捕まりそうになッたんだ」
ナミ小僧は、思い出したかのように、ぶるりと震えた。
「うん、約束だね」
ナミ小僧は、満面の笑みを浮かべた。
「わ~い、やったあ! お姉ちゃん、おいらのこと、怖がらないでくれてありがとう」
ナナカは、そういえばもう、ナミ小僧のことが、全然怖くなくなっていた。




