13.『ギクリ』
「あっつううううい!」
ナナカはあまりの暑さに悲鳴を上げ、急いで窓を開けて風を入れた。
2階は、しっかり閉め切ってあったので、もわんとして蒸し暑く、不快だった。
だらだらと汗が流れてくる。
「暑……」
ヒイロも呻いた。
扇風機だけでは倒れてしまいそうな暑さだ。
二人で空気の入れ替えをしてから、クーラーのスイッチを入れて、また窓を閉めた。
「あああついいい、無理い」
徐々にクーラーがきいてくると、やっと落ち着いてきた。
「やっと涼しくなって来たわね」
ナナカは部屋の真ん中で、畳にカルピスのお盆を置いて、ぺちゃっと横座りした。ヒイロもお盆をはさんだ向かい側に胡坐をかいた。
「ヒイロ、何でさっき来てくれたの?」
まるで、困った時にどこからともなく現れる特撮ヒーローのようだった。
「姉貴の忘れ物を届けに、駅まで行って戻って来た所だったんだ。通りかかって、良かったよ」
ヒイロがナナカに、品の良い笑みを返した。
ヒイロはカルピスのグラスに手を伸ばした。
「それにしても、あいつらは何なんだったと思う?
裏山の寺の坊さんの方は、何回か見かけたことはあるにはあったけど……」
ヒイロはグラスに口を付け、一口飲んだ。それから少し目を伏せ、考え込んでいる。
「お寺のお坊さん、あんな人だったんだね。
知らなかったな」
ナナカも、カルピスに、おいしそうに口をつけながら答えた。
コップの中の氷が、からん、と音をたてた。
「台風がきたら飛んでいきそうなぼろさだよ。金に困ってるみたいだったし」
「だから、宝珠を探してるのよ。きっと、お金に換えて、お寺を建て直そうとしてるんじゃないかな」
「宝珠?」
「そ、きらりきらりと光り輝く玉なのよ」
ナナカは、その玉を想像した。高いんだろうなあ、売ったらお金になるんだろうなあと思っていた。
「ふうん、それを探してるってわけか。何なんだその玉って……。
でも、金のためなのかな。
本当にそれだけなんだろうか、タコ坊主の方は、普通のおっさんだったけど、ナギラって奴は」
ヒイロの瞳に、好戦的な光がかすかに浮かび上がった。
「相当の使い手だ。
近付いてくる気配に気付かなかったなんて。
あんな奴が、金のためだけに動くのか?」
ヒイロの野生の勘が、否、と言っている。
ヒイロは、先程の戦いを思い出した。
ナギラの突きは重かった。あんなのがきれいに入ったら、内臓を損傷してもおかしくない。
ヒイロの涼やかな目がきらりと光った。
(血に飢えた獣……)
あれは、どういうことだろうか。
先程、サトに言われた時には『ギクリ』とした。
でも、何故なのだろう。何に『ギクリ』としたのか。
……わからなかった。
自分の強さを試すのは好きだ。
日々の稽古ばかりではなく、更に実践を積みたい。もっともっと強くなりたかった。
負けるのは、悔しいし、怖かった。命のやり取りの場面では、すなわち『死』を意味している。
誰にも負けない強さが欲しい。
今日は、姉達のパシリの後だったので、伝海を相手にした時には気晴らし気分もあった。
ただ、ナギラにはヒヤリとした。
ナギラは、間違いなく手強そうだ。
あそこであいつが引いてなかったら、どうなっていたかわらない。
サトに言われたことに、先程『ギクリ』としたのは……。
あの時、あの言葉に、自分の何かが引っかかった。
「ヒイロってば、ねえどうしたの?」
ヒイロは、視線を上げた。
ナナカが、急に黙り込んだヒイロを覗きこんでいる。ナナカは整った眉と邪気のない美しい目で、心配そうにヒイロを見つめている。
「ああ、ごめん」
ヒイロは、自分の考えに集中し過ぎて、ナナカが話しかけられたことに気付かなかったようだ。
(また、考えよう)
ナナカは、ほっとしたように安心しきった笑みを浮かべると、カルピスのグラスを持った。
(ナナカ……)
さっき、ヒイロが現れると、心から嬉しそうな顔をしていた。幼い頃からヒイロを信頼してくれている。
ヒイロの中では、ありのままの犬河緋色を受け入れてくれる、数少ない存在、だった。
自分にとって、犬河の長男として『強い』というのはとても重要事だ。
姉達の果たせなかった夢、そして、父母の期待。それらに応えるために、そして自分の存在場所を確保するためには『強い』というのが最優先事項だった。
ナナカは、そんなヒイロの都合を十分過ぎるくらい知っていた。
その意味も。
でも、ナナカには、ヒイロが強いのか弱いのかなんて、どうでも良いことだった。
ただ、『トモダチ』として、子どもの頃から変わらず接してくれ、安心して気を許せる相手だった。




