12.ケダモノ
その場には、ナナカとヒイロだけ取り残された。
いつもは涼やかな切れ長の目を厳しくさせ、ナギラ達の消え去った方向を睨んでいたヒイロが振り返った。
「ナナカ、大丈夫だったか。手、痛かったんだろ?」
心配そうに、ナナカの顔を覗き込んだ。
その時には、好戦的な目つきから、いつもの優しいヒイロの顔に戻っていた。
2人は、サトの家に入った。
「おばあちゃん、ヒイロが来たのよ」
ナナカは、大きな声でサトに呼びかけながら上がって、居間へ行った。
「ばあちゃん、こんにちは」
ヒイロも慣れたもので、ナナカに続きサトのいる居間へと入った。
居間は、先程ナナカがテレビを付けてそのままになっていたが、付いているだけで、サトは見てはいないようだった。
扇風機が小さな機械音を上げて首を振り、風を起こしている。
「ナナカ、ヒイロと話してたのか?
……急に表に出て行ったから、どうしたのかと思ったよ。
よく来たなあ、ヒイロ」
サトは、眩しそうに目を細めてヒイロを見上げた。
「うん、ばあちゃんも元気そうだね」
ヒイロは、品よくほほ笑んだ。
難聴のサトには、庭での出来事は聞こえていなかったようだ。
ナナカが座り、ヒイロも座ろうとした。
しかし、サトが、なぜかヒイロをじいっと見て、もう一度目を細めた。
「ばあちゃん、どうかした?」
サトが、あまりにじろじろ見るので、座りかけたヒイロだったが、座るに座れなくなってしまったようだ。
サトは、目を閉じた。
そして、ぼそりと言った。
「ヒイロ、飢えているな」
「え」
ヒイロは、サトを見た。
「飢えて、いる?」
ヒイロは、意味が分からず問い返した。
「ああ、血に飢えた……獣だ」
『ギクリ』とした。
ヒイロの心になぜかその言葉は突き刺さった。
先程の、ナギラとの戦いの空気を、家の中まで引き摺ってきてしまったのだろうか。
ヒイロは、ゆっくりと端座し、サトの次の言葉を待った。
静かな時間が流れた……。
テレビからは空々しい賑やかな音が聞こえている。風がすうっと窓の外から流れて来ていた。
サトは、目を閉じたまま、口はいつまでも開かれなかった。
「ばあちゃん、一体?」
しかし、サトはそれきりだった。サトは黙して語らなかった。
「う~ん、困ったね」
ナナカがヒイロを覗き込んだ。
ナナカからは、いつも通りの涼しげな澄んだ眼差しのヒイロにしか見えない。サトの言った事の意味は、わからなかった。
「おばあちゃん、これ以上話してくれないみたいだね」
ナナカが、小声でそう言った。
サトは、これ以上何も答えてはくれないようだ。
サトは、今外で起こったことも、実は知っていそうな気がした。いつだって、何でもお見通しのサトなのだから。
でも、何も言わないのには、何か理由があるのかもしれない。
それに、ナナカにはサトが、とっても眠そうに見えた。
もしかしたら、ナナカ達が庭にいる間、心地良い風を感じながら、うつらうつらしていたのかもしれない。
「2階に行こう。さっきから眠そうだったの」
ここで、しゃべっていたらサトの居眠りの妨げになりそうだった。
ナナカは、さっき冷蔵庫を開けた時に目を付けていたカルピスを出して、作り、
「おばあちゃん、2階を借りるね」
起こさないよう小さな声でそう言って、まだ首をひねってサトの言葉の意図を考えているヒイロを促し、2階へ上がって行った。
2階には6畳の部屋が1間ある。
ナナカは、週末になるとサトの家に泊まることが時々あった。
泊まる時は、ここに布団を敷いて寝ていた。一人暮らしのサトを、ナナカの家族は皆心配していて、出来るだけ会いに来るようにしていた。
ナナカの兄カイリも、以前はサトの家によく泊まりに来ていた。
そのカイリも、この春から大学生になり、今は東京で一人暮らしをしている。
最近は、2階に上がって来るのはナナカだけなので、荷物も減り、がらんとしていた。サトもひざが痛むので、滅多に2階へは上がらなかった。




