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10.風のように

「平気。……助けてくれて、ありがとうね」

 ナナカは、ひりひりとする自分の手首を見た。真っ赤になって、少し腫れていた。

 さっとヒイロの眼差しが、険しくなった。


「痛そうだ。全然大丈夫じゃないじゃないか」

 ナナカ達が話している内に、伝海はのろのろと起き上がった。まだ、頭に血が上っているのか、真っ赤な顔で突進してくる。


 伝海は、両腕を広げて、大きな熊のように、再度ヒイロに襲い掛かった!


「ナナカ、下がってて」

 ヒイロは品のある穏やかな笑みを浮かべ、静かにそう言った。余裕綽々である。

「うん」

 ナナカは、後方へ大きく下がった。


 ヒイロは、楽しんでいる。

 その目には、好戦的な光が宿っていた。戦いには自信がある。

 普段、双子の我がまま勝手な姉達から、ひどく虐げられて(?)いるので、こういう戦いは、うっ憤を晴らすのには最適。大歓迎だった。


 右手で殴りかかってくる伝海を、ヒイロは寸前で、軽快にぱっと左に身を引いてかわした。両手で伝海の熊のような右前腕を掴んだ。そして、伝海が突き出した右腕の勢いを利用して、前へ、くいっと軽く引っ張る。


 ナナカからは、ヒイロの一連の動きは、流れるように軽やかで、事も無げに見えた。

 思い切り殴りかかっていた伝海は、空振りの上、勢いがついていたので、再び前につんのめって転倒しそうになったが、今度は踏み止まった。

 そこに、ヒイロの長い右足が、鋭く入った。伝海の腰に、衝撃が走る。


「うぎゃっ!」


 蹴られた勢いで、結局伝海は、べしゃっと情けなくすっ転んでしまった。

 伝海は、う~んと小声でうなり、やっとの思いでよろめきながら立ち上がった。そして、痛そうに腰をさする。

 息一つ乱していないヒイロは、涼しい顔で余裕の笑みを浮かべ腕組みをした。


「まだやるのか?」

 ヒイロは、好戦的な笑みを浮かべている。


 風が吹き、陽に透けて、ヒイロの髪を、さっと揺らした。白いワイシャツは、暑いためか第2ボタンまで開けられていて、風を受け襟元をひらりと揺らした。

 太陽はまだ高く、辺りは、もあっと暑かったが、ヒイロの周りだけ、涼風が吹き過ぎていくようだ。


 その時。

「和尚」

 1人の青年が、素早く伝海に駆け寄って行った。


 男は、身のこなしに隙がない。


 その男は、伝海の袈裟けさを、さっさっと払い土を落とした。

 ナナカはおろか、ヒイロでさえ、寺の方から降りて近付いてくる気配に気付かなかった。ヒイロが、気配に気付かないことなんて、滅多なことではありえないので、ヒイロ自身信じられなかった。

 真っ赤に沸騰している伝海の気を静めるように、衣についた草も、払い落とした。伝海はまだ、ヒイロを睨んでいる。


 男はそれから、子どもを諭すように話し始めた。

「また、お勤めの後、タクシー代をけちって、蒼田さんの家の庭を通って戻ろうとしましたね。

 確かに今月はお金がないので、無駄遣いはやめて下さいってしつこく言いましたけれど、今日は、施主さんのご好意でお車代を頂いているはずでしたよね」

 伝海は、我に返って、うっとつまった。


 ヒイロから目を逸らし、見る間にしょぼんとしてしまった。

 さっきまでの、タコ入道は、どこへいってしまったのやら、肩をすぼめて小さくなっている。

「そ、それは……」


 ヒイロにさえ、察知させずに現れた男は、20代後半で、色が白く、姿勢が良い。そして、上品な顔立ちをしていた。

 でも。

 笑顔に違和感がある。

 表面に張り付いているだけで、本当には笑っていないのだ。


 目が、冷たい。

 笑ったお面のようにも見え、気味が悪かった。


 ナナカ達の間には、この奇妙な笑みを浮かべている見知らぬ人物の登場に、緊張感が走った。特にヒイロは、この青年から、普通じゃないものを感じていた。


ヒイロ、9話から登場しました!爽やかくんです。


そして、謎の青年も登場。


まだまだ物語は始まったばかりです。

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