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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

『ストーカーを捕まえにくいのはなぜか?』〜法と狙われた人間におきる心の変化〜

作者: ぽぴ
掲載日:2026/04/01


※感想は受け付けていません。


まぁ……無いとは思いますが、被害者たちへの中傷があったら嫌なので。





「ストーカーが捕まらないのは、なぜか?」


 答えは単純だ。警察の権力が、日本国憲法によって制限されているからだ。


 憲法によって、国民の自由は保障され、()()()()()は、国家権力からの不当な扱い(身体の拘束、自白の強要など)から守られている。


 それゆえに、国家権力である警察は、ストーカーのような「グレーな行動」を繰り返す人間をすぐに拘束する手段を持たない。


(グレーな行動……例えば、家の前で待つ、プレゼントを贈る、電話をかける、何度も好きだと伝えるなど。これらの行動は、恋愛感情からくる行動なのか、あるいは、悪意のある付きまといなのか判別しにくい。権力を持つ警察ならなおさらだ。)


 もし警察がストーカーを拘束するならば、その拘束の根拠として、明確な「証拠」が必要になる。


しかし、ストーカーはグレーな行動を繰り返す。

決定的な証拠が、なかなか集まらない。


 つまり、「証拠が集まるスピード」と、「ストーカーが激情するまでのスピード」に、致命的な齟齬そごがあるということだ。


この齟齬ゆえに、悲劇が起きる。



 さて、法律の話はこのくらいにして、ここからは「なぜ逃げないのか?」といった心理的な話もしようと思う。極々、軽度な付きまといを経験をした者として。


軽度だとしても、「狙われる」という経験が、人の精神にどんな影響を与えるのか。


それを知って、問題を考えるときの参考にしてほしい。



私は道を歩いていた。ただ、普通に。


向かいから、バレッタをつけた女性が歩いてくる。


サングラスを掛け、スカーフを首に巻いている。

年齢は四十代くらいだろうか。


その女性が鳴らすヒールの音が、私の横を通り過ぎて5秒ほどたった時だった。


背後でヒールの音が止まった。


私は気にせず歩き続けた。


だが、背中越しに「カツ、カツ、カツカツカツカツ……」と足速なヒールの音が聞こえてくる。


気がつくと、通り過ぎたはずの女性は私の左側を歩いていた。少し離れた位置から、私の顔を覗きこむように首を伸ばしてくる。


私は角を曲がった、急ぎ足で。

背後からヒールの音もついてくる。


さらに角を曲がり、私はコインパーキングの物陰に隠れた。


ヒールの音が近づき、どこかで止まった。


位置が分からない。


10分くらい経っても、歩き出す音は聞こえなかった。


「(……バレてる?)」


そんな不安が頭に浮かぶ。


握っている傘の持ち手には手汗がついている。


さらに5分後。


私は意を決して、物陰から顔を出した。


周囲に女の姿はなかった。


(※ここからだ。付きまといから逃げられない理由がここにあると私は思う)


そう、()()()()()のだ。


あいつがどこにいるのか。

何をしているのか。全く分からない。


家に戻るまで、ずっと誰かに見られている気がした。


どんな回り道をしても、「あの女に見られているかもしれない」という不安が頭に浮かび、無駄なように思えた。


だって、「全て見られているから」。


姿が見えない不安は、安心を生むどころか、私の心に「全知全能のストーカーの影」を作り出していた。





 この心理状態は、付けられた経験のある女性や、厳しく監視される環境(過度な教育、ブラック企業など)にいた人間は、共感できるのではないのだろうか?


 「見れているかもしれない」という不安は、人の意思や行動を大きく縛る。それがもし、同じ人間から、数十回、数百回に及ぶなら精神的な負担は計り知れない。


 ストーカーから逃げられないのは、こうした『不安』がストーカーの影を必要以上に大きく見せ、恐怖に怯えているのに、「自分ではどうすることもできない」という無力感が、危険な状況への抵抗力を奪っていくからだ、と私は思う。


 そこに、警察の制度上の遅延が加わるならば、ただ死に向かって流されゆく日々に浮かぶのは、絶望だ。


 そして――、その絶望を加速させる要因がもう1つある。


それは、不運な体験した被害者に「ありえない」「考えすぎ」「もっとやり方があっただろう」と言う社会の風潮が、当事者を孤立させ、社会への期待を損なわせる。


 社会に、自分の不運な体験を「無きもの」とされたとき、当事者もまた、亡き者へとなるのだろう。



これは個人的な分析だ。


信じる信じないは、貴方に任せる。


でも、「自分以外への誠実性は知性を作る。誠実性を完全に捨てさらない限り、何度でも知性を向上させるチャンスが訪れる」という言葉も、ここに置いておく。






【あとがき】


 このエッセイは、憲法と心理の観点から簡易な解説を行った。実際の問題はこんなに単純ではない(法の複雑さ、警察の不足、加害者の精神状態など)。


しかし、ストーカー問題を考える上で、このような法と心理の知識があれば、自分の心のモヤモヤや憤りの解消に役立つだろう、と思い、このエッセイを書いた。


そして何より、身近で被害を受けている人の心を理解する助けになるだろう。


 法に興味が出た方は、『入門法学読本 著:木原敦』をオススメする。大学生、頑張れば高校生も読める内容だと思う。読破すれば、素人に産毛が生えた程度の知識が得られる。


ただ、「法学」の範囲や量を考えると、その産毛は相対的に″ごんぶとな産毛″と言える。


 ストーカーに狙われた人の心理「見られている」に興味がある人は、「パノプティコン」を調べると、より詳しく人間の心を知れると思う。


あくまで、参考までに。


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