§.24【全知法廷①】
そこは球形の大法廷だった。
傍聴席の真ん中に通路があり、そこをクロノたちは歩いていく。
中央に見えてきたのは、巨大な天秤である。宙に浮いていた。
「ここが全知法廷でいいんだよね?」
辺りを見回しながら、シャルは言う。
「まあ、見るからに法廷だし、そうなんじゃないか」
そう口にした瞬間、カルロははっとした。
「待て!」
クロノたちを制止して、彼は大法廷の奥に視線を向けた。
豪奢な法卓が設けられており、そこに黒の法服を纏った不気味な骸骨が座っていた。
「……なに、あれ……? 死んでる……?」
シャルは周囲を警戒する。人の気配はない。骸骨も目の前にある一体だけだ。
「我はこの全知法廷の執行者なり。扉を開いたのは汝だな、シャル・アーリアン」
執行者はシャルを指さす。
「……アタシの名前……」
「ここには全ての知識がある」
シャルの名前を始めから知っていたという意味だろう。
「扉を開きし者よ。汝はこの法廷になにを求める?」
執行者が問う。
迷わず、シャルは言った。
「アタシは一年前、冤罪で死刑になったリュカ・エンディミオンの無実を証明したい!」
「魂の審判を受けるか?」
「本当に真実を教えてくれるんだったら、審判でもなんでも受けるよ」
「いいだろう」
すると、執行者は指先を伸ばし、中央の天秤に魔法陣を描いた。
「真実の天秤よ。扉を開きし者に答えを与えたまえ」
天秤から、膨大な魔力の光が立ち上る。次第にそこから分離して、一塊の光が複数できる。合計で九つの光だ。
瞬間、それらの光はぱっと弾ける。その中から何かが床に降ってきた。
「な、なにっ?」
「死体だ」
「えっ?」
クロノの言葉に、シャルは目を丸くする。
確かに大法廷には、九体の遺体が横たわっていた。
「ちょっと待って。こんなの別に頼んでないっ」
「血の臭いを嗅いでみるがいい」
執行者は言った。
「なんでそんなことを。意味わかんないっ」
「真実が不要ならば、好きにすればいい」
「…………」
それ以上、執行者は説明する気もないようだ。口を閉ざしたまま、ただ虚ろな瞳で宙を眺めるばかりである。
「……わかったよ。嗅げばいいんでしょ」
シャルは遺体の方へ足を踏み出し、すーっと鼻で匂いを嗅ぐ。顔色が変わった。
「嘘……そんな……そんなはずないっ……」
血相を変えて、彼女は遺体に駆け寄った。
遺体の腕に不着した血液を指先で拭い、それを舐めた。
カルロが驚きをあらわにした。
「シャルちゃんっ? なにして――」
「……眷属だよ……」
「……は?」
「九体とも、同じ。リュカの眷属だよ……」
自ら口にしながら、それでも信じがたいといったようにシャルは半ば呆然としていた。
リュカは眷属を作らなかったはずなのだ。コルンツェルの法律がそれを禁じている。彼女は法を守るために、死刑すらも受け入れた。
だが、目の前の遺体は紛れもなく、リュカが作った眷属に他ならない。同じ眷属であるシャルが間違えるはずもなかった。
「なぜゆえに、法に殉じて死んだはずのリュカ・エンディミオンが、眷属を作るという矛盾を犯しているのか。それこそ、汝が知りたかった真実なのだ、扉を開きし者よ」
厳かに、執行者が説明する。
「リュカ・エンディミオンは眷属を増やし、コルンツェルを皮切りに、人間の国ハレスティアを支配しようとしていた」
「嘘っ!」
「真実だ。汝を眷属にし、自らを信用させたのもそれが理由なのだ」
「……そんな……だって、そんなはず……ない……」
弱々しくシャルが呟く。
「汝の知るリュカ・エンディミオンは法を破って眷属を作る者だったのか?」
「…………」
力なく、シャルは首を左右に振った。
「作るはずない……リュカは、絶対にそんなことしない……」
「つまり、この遺体は、汝の前でリュカ・エンディミオンが偽りを演じていた証明だ。彼女は国家転覆を企み、虎視眈々と眷属を増やしていた。汝にしたように、眷属の信頼を勝ち取る巧妙な嘘をついて」
淡々と語る執行者の言葉が、シャルには殆ど耳に入らなかった。これまで信じてきたものが、唐突に目の前で崩れ落ちたのだ。
「それゆえに魔導裁判所にて死刑の判決が下された。国家の存亡に関わる陰謀だったため、公には情報が秘匿された。しかし、彼女は決して冤罪などではなかった」
呆然とするしかないシャルに、執行者は言葉を突きつける。
「これが、汝が求めた真実だ」
シャルの体がガタガタと震えている。歯の根の合わない音が響き、寒気を訴えるように彼女は自らの体を抱く。
「更なる問いがあるのならば、その全てに答えよう。証拠が必要ならば、その全てを提示しよう」
そう執行者は言った。
だが、どれだけ待ってもシャルは口を開かない。
「おい、シャルちゃん。いいのか? 他にも知りたいことがあるんじゃないのか?」
心配そうにカルロがそう声をかけた。
「……どうしよう?」
途切れそうなほど、か細い声で、彼女は言う。
「……なにを聞けばいいんだっけ……?」
「馬鹿っ。しっかりしろって! ここまで来たんだから、後悔がないようにしろよ」
「後悔が……ないように……」
彼女は虚ろな瞳で、自らの手についた血を見つめている。
リュカが嘘をついたその証を。
「……アタシは……リュカを…………」
「時間切れだ」
執行者の言葉と同時に、床から大きな杭が五本伸びて、シャルの体を串刺しにした。
「あっ……! きゃあっ……!」
血が杭を伝って滴り落ちる。みるみる、そこに血の池が作られた。
「どう……して……?」
苦痛に顔を歪めながら、シャルが声を絞り出す。
「汝の魂に不純が生まれた。全知法廷は汝の魂を拒絶したのだ。ゆえに、死刑の判決が下される」
「……待って……アタシは、まだ……!」
「執行は遅滞なく行われる」
執行者が指先をシャルに向けた瞬間、黒い人影が背後に現れた。カルロだ。彼は目にも止まらぬ速度で執行者の背後を取ると、短剣を疾走させる。執行者の首が刎ねられた。
「化けて出るなよ」
「残念だが、我への攻撃は無意味だ」
カルロは目を見張った。
首を失った執行者がなおも動き、彼の体に魔法陣を描く。
瞬間、派手な爆発が巻き起こり、カルロは吹っ飛ばされた。
「がっ……!」
激しく壁に衝突し、カルロはその場に崩れ落ちる。
なんとか身を起こそうとするが、腕に力が入らない様子だ。
執行者の胴体に魔法陣が描かれ、失った首が復元された。彼は指先をシャルへ向けると、魔力を集中する。
「今度こそ、執行す――」
執行者は魔法を使おうとしたが、できなかった。
クロノが真正面から、その腕をつかんでいたのだ。
「なんだ? 貴様は……なにをしている?」
疑問を覚えたように、執行者は問う。彼の放とうとした魔法を、クロノは右手一つで完全に押さえ込んでいた。
「シャル。今初めて、俺はお前に、二つの選択を与えることができるようになった」
執行者を押さえながら、クロノは後ろのシャルに言った。
「一つ。お前が望むならば、俺が今すぐこいつを倒す。二つ。もしも、魂を捧げる覚悟があるのならば、真実と正しい裁きが手に入る。だが、リュカが冤罪でなかったのなら、お前に永遠の死が訪れる」
「……クロノ君……? なにを、言って……?」
シャルが困惑の声を上げた。
「俺には力がある。選ぶのはお前だ」
「……アタシが……選ぶ……」
「……だめだ、クロノッ!」
最後の力を振り絞るようにして身を起こしながら、カルロが叫んだ。
「今はそんな悠長なことを言っている場合じゃないっ! シャルちゃんの傷を見るんだっ!」
シャルの体からは血がどくどくと溢れ、杭を伝って流れ落ちている。彼女の目はすでに焦点があっていなかった。
「アタシが……選……アタシ……が……?」
「シャルちゃんは限界だ! あの出血じゃ、意識を保つことさえ難しい。帰って出直そうっ! 今すぐ、そいつを倒すんだっ!」
杭に刺されていれば、ヴァンパイアの再生力は働かない。このままでは、シャルは命を失うだろう。
だが、クロノは言った。
「黙っていろ、カルロ」
カルロは目を大きく見開いた。
「い、いや、だが、シャルちゃんが……!」
「シャルの命をお前が選ぶのか? それは傲慢だ」
その一言に、カルロは気圧された。身が竦み、体が自ずと震え出す。十分に理解していたつもりだった。しかし、この時、彼はようやく身をもって体感したのだ。
クロノ・グランベフィウスは全知全能の虐殺王、生物としての格が違う。
(……ふざけるなっ! なにがしたい……!? これだけの力がありながら、なぜシャルをすぐに助けない? この御方にとって、こんなことは戯れにすぎないというのか……!?)
こうしている間にも、刻一刻とシャルの命が消えていく。
「……シャルちゃん。クロノに言うんだっ! 執行者を倒せって!」
シャルに選べ、とクロノは言った。彼女の決断ならば、すぐに実行に移すだろう。
しかし、シャルはすぐには口を開かなかった。
「……シャルちゃん……頑張れっ!! 一言でいいんだっ!」
「……アタシ……」
今にも命の灯火が消えようする中、朦朧とする意識をかろうじてつなぎ止め、彼女は言った。
「……真実が……知りたい……」
カルロは信じられないといった表情を浮かべた。
(最悪……だ……! シャルちゃんは、もう自分が重傷だってことすら、わかってない……! くそっ!!)
うわごとのように、シャルは言う。
「……リュカの……冤罪を……アタシが……晴らさなきゃ……」
「違う! シャルちゃんっ! 違うんだっ!」
強く、強く、シャルの心に届くようにカルロが言った。
「友達の冤罪を晴らすことができたとしても、その友達はシャルちゃんの死を望んでいるのかっ?」
その言葉に、朦朧としていた彼女が僅かに反応を示した。
「真実に、命を捨てるほどの価値なんてないんだ。シャルちゃんの友達は、シャルちゃんが最後まで信じてくれて救われただろう」
諭すように彼は言った。
「……救われた……?」
「ああ、そうさっ! リュカちゃんはもう、とっくに救われてるんだ。シャルちゃんが命をかけることはなにもないんだよっ!」
「……て……ない……」
「なんだ……?」
静かに、シャルは言った。
うわごとのような、けれども彼女自身の想いに満ちた言葉を。
「……リュカは……救われてなんかない……そんなの、おかしいじゃんっ……!」
命を削るようにして叫んだシャルの口から、血がどっと溢れ出た。それでも構わず、彼女は続けた。
「……リュカは、法賢者になるのが夢だった……毎日、法学の勉強をしてて、いつも一番だった……色んな種族のみんなが、同じ場所で生きていくことができる……コルンツェルの法律はすごいって言ってた……」
最早、声を発することさえも苦痛だろう。死に瀕した彼女の言葉は、けれども、なにより強く響き渡った。
「……守らなきゃって言ってた……間違ってても、法には従わなきゃってリュカは言ってた……アタシが信じて、それで救われたんだったら逃げたってよかったじゃんっ……! 魔導裁判所の言うことなんて無視すればよかったじゃんっ……!!」
思いの丈をぶつけるようにシャルは叫んだ。
「でも、そうじゃない……! リュカは、コルンツェルの法の未来を守るために死んだの……いつか、もっと良くなるからって……! だったら、良くしないと! 間違いは間違いだって認めさせなきゃダメじゃんっ……!」
亡くなったリュカへの、ありったけの気持ちをシャルは魂を込めて訴える。
「……リュカは悔しくて、悲しくて、心細くて……怖くて……それでも死刑を受け入れたんじゃん……! 今、この街で生きているアタシが、冤罪だったけど、救われたなんて言っちゃったら、リュカがなんのために死んだかわかんないじゃんっ……!!」
ポロポロとシャルの瞳から涙の雫がこぼれ落ち、血の池に波紋を立てた。
「アタシ……真実が知りたいっ……! アタシが知らない眷属が何人いても、それでもリュカはやってないって絶対信じてるからっ……!!」
シャルの想いが、大法廷に響き渡る。
「開廷」
クロノがそう口にした瞬間、中央の天秤に亀裂が走った。いや、天秤だけではない、傍聴席も、法卓も壁も、シャルを串刺しにした杭も、天井も、建物の至るところに亀裂が入り、そして粉々に砕け散ったのだ。
大法廷が消えてなくなったが、そこはロウディ山脈ではない。
一面が真っ白な石畳だ。塔のように高い石板が、無数に立てられている。見上げても果てはなく、空さえ見えない。その石板は無限に続いていた。
「ここは、どこだ?」
執行者が困惑したように辺りを見回す。
クロノは言った。
「全知全能の力を持つ者は、なんでもできるがゆえに、世界の滅亡と朝の食事を比べてすら、違いを感じることができない。野放図に力を使い続ければ、心はやがてなにも感じなくなり、全知全能という現象そのものに成り果てる。枷が必要なのだ。ルールという名の枷が」
クロノの言葉を、その場の誰もが黙って聞いていた。彼以外に、この不可解な現象の理由を知る者はいないのだ。
「真実を追い求め、正しい裁きを願う者が、自らの魂を捧げる覚悟を決めた時にのみ、開廷する。それがルール化された全知全能の力――」
石板に刻まれた光の文字があらわになる。終わりが見えない高さを誇るその場所が、夥しい数の文字に埋め尽くされる。
「――全知法廷だ」




