§.23【彼女の友達】
翌日。
そこは濃霧に覆われたロウディ山脈。コルンツェルの街外れにある人が寄りつかない秘境である。
一寸先さえ白く染まったその山道を三つの人影が歩いていた。クロノ、シャル、カルロだ。
「だけど、本当にこんなところに人が住んでるのかねぇ?」
進んでも進んでも途切れる気配のない一面の霧を見ながら、カルロがぼやく。
「他に手がかりはないし。行くしかないじゃん」
元気よく言って、シャルはどんどん先へ進んでいく。
「おいおい、あんまり一人で先に行くなよ。危ないだろ」
「わかってるけど、こんな霧の中を捜すんだから、早くしないと今日中に見つけられないし」
振り返りながら、そう口にした瞬間、シャルはなにかに足をとられ、派手に転んだ。
「痛ったぁ……」
「言ったそばから、気をつけろ」
「大丈夫か?」
転んだシャルにクロノが手を伸ばす。
「ありがと、クロノ君。いくら霧がすごいからって、なんにもないところで転ぶとは思わなかったよ」
「なにもないところ?」
クロノは先程、シャルが足をとられた地面に視線を向ける。石やくぼみなど、つまづきそうな物はなにもなく、ほぼ平地に近い。
「どうしたの?」
「空間が歪んでいる」
クロノはその場にしゃがみ込み、空間をつかみ、引っ張った。
すると、立ちこめていた霧の奥に影が現れた。大きな館の形をしている。
「見つけたようだ」
クロノを先頭に、三人は霧の奥へ歩いていく。やがて、古びた屋敷が姿を現した。
シャルがその扉に手をかける。開かない。鍵がかかっているようだ。
「立ち去れ」
「……!?」
どこからともなく声が響き、シャルは辺りを見回した。
だが、人の姿はない。
「ここは儂の屋敷じゃ。今すぐ立ち去れ」
再び声が聞こえた。
クロノが扉のそばに置いてあった石像に視線を向ける。
「ここからだ」
「あなたはミシェル・クライトン法賢者なの?」
石像に向かって、シャルが問いかける。
だが、返事は帰ってこない。
「アタシたちは全知法廷を捜して、ここまで来たの。ミシェルさんは、全知法廷の在処を知っているんでしょ?」
「……話すことはなにもない。立ち去れ」
にべもなく、声はそう告げた。
「お願い。話を――」
「魔轟雷」
空が激しく光り、轟音とともに雷が落ちた。それはかろうじて、シャルの頭をかすめ、地面を穿つ。
深い穴が空いていた。当たっていれば、ただでは済まなかっただろう。
「何度も言わせるな。次はお主の頭に落とす」
冷たい声だった。脅しではないだろう。
素早くカルロが、シャルに駆け寄った。
「残念だけど、一旦、出直した方がよさそうだ。なんの情報もないんじゃ、交渉にならない」
「一つ、アタシに作戦がある」
「……どうするつもりだよ?」
半信半疑でカルロは問うた。
「誠意っ!」
(はあっ!? それは作戦じゃねえっ!!)
カルロの心の叫びも空しく、シャルはその場に跪き、地面に額をこすりつけるようにして、頭を下げた。
「お願いっ、ミシェルさんっ! アタシ、死んだ友達の冤罪を晴らしたいのっ! 全知法廷に行ければ、真実がわかるって聞いたか――」
シャルの言葉を打ち消すように、雷鳴が鳴った。空を一色に染め上げるほどの光とともに、雷がシャルの頭に落とされる。
それを――
「な、に……?」
クロノが伸ばした手で、わしづかみにした。バチバチと彼の手の中で、雷が荒れ狂っている。そのままぐっと力を入れ、クロノは雷を握りつぶした。
「儂の魔轟雷を素手でつかむとは。その力、見覚えがあるのう」
ガゴンッと重たい物が動く音がした。
シャルが顔を上げれば、石像がゆっくりと横へ動いていく。その下にあったのは階段である。
「上がってくる」
警戒するようにカルロが言った。
やがて、コツ、コツ、と石の階段を上る音が聞こえてくる。姿を見せたのは長い髭の老人であった。
「あ!」
と、すぐに気がついたようにシャルが老人を指さした。
「お髭のおじーちゃんじゃんっ!」
「ほっほっほ。奇遇じゃのう、お嬢ちゃん」
朗らかに笑いながら、老人が言った。コルンツェルの商店街で暴漢に襲われていた彼を助けたのがクロノとシャルである。
「えっと、じゃ、おじーちゃんが、法賢者ミシェルなの?」
「左様。元法賢者じゃがのう」
「元?」
「コルンツェルを追放されての。法賢者の職位も失ったのじゃ」
「あれ? でも、こないだはコルンツェルにいたよね?」
「こっそり入ったのじゃ。魔法を使えば、たちまちバレるからのう。暴漢から身を守ることもできんかったわい」
ほっほっほ、とミシェルは穏やかに笑う。
「あの。どうして、コルンツェルを追放に?」
カルロがそう問う。彼はそれが核心に迫る問いだと予想していた。
「全知法廷じゃ。儂はその在処を突き止めたが、魔導裁判所に教えなかった。ゆえに処分が下ったのじゃ」
「どうして教えなかったの?」
シャルが聞く。
「危険すぎるからじゃ。全知法廷には、この世のあらゆる知識が収められ、真に正しき裁きを下すことができる。だが、開廷するには魂の審判を受けなければならん」
「……魂の審判って?」
「純粋な魂の持ち主だけが、全知法廷に受け入れられると言われている。だが、それ以外の者が扉をくぐれば、二度と帰ってはこられん。儂の知る限り、帰ってきた者は一人もおらん」
ミシェルはゆっくりとした口調で説明した。
「帰れなかった人はどうなったの?」
「わからん。だが、恐らくは死んだのじゃろう。魔導裁判所が全知法廷の場所を知れば、その謎を解き明かすため、多くの者を魂の審判にかけ続けるじゃろう。犠牲者がどれだけ増えるかわからん。ゆえに隠したのじゃ」
「確かに」
と、カルロがうなずいた。
「真に正しき裁きを下すことのできる魔法ってのが事実なら、魔導裁判所は喉から手が出るほどに欲しいだろうしな。もし他の誰かの手に渡ってしまえば、権威の失墜を招きかねない」
「えーと……? なんで?」
一割も理解していないといった調子でシャルが聞く。
「どんな裁判であれ、人が行う以上はミスもあれば、情も入る。冤罪をゼロにできないっていうのは、わかるだろ?」
「うん」
実際、リュカが冤罪だと信じているからこそ、シャルは行動を起こした。
「その冤罪を全て、全知法廷は明らかにできる。魔導裁判所ができてからの冤罪の数は、一〇や二〇じゃきかないだろ。そんなことが白日の下にさらされれば、誰も魔導裁判所の裁きを受け入れようと思わなくなる。全知法廷にかけてくれって言うだろうな」
「あ、そっか。そうだよね」
「全知法廷など人の手に余る魔法じゃ。強力な魔法には、必ずそれ以上の代償を伴う。確かに真実を知るのは重要じゃろう。しかし、命を犠牲にするほどの価値はない」
ミシェルは言った。ゆえに、ここに来た者は全て門前払いにしてきたのだろう。
「すまぬがのう、お嬢ちゃん。帰ってくれるか?」
シャルはうつむき、きゅっと唇を引き結ぶ。
「……でも」
ぽつりと呟き、彼女は再び顔を上げた。
「それでも、アタシは真実が知りたい」
「い、いや、ちょっと待てよ、シャルちゃん」
慌てて、カルロがシャルを引っ張っていく。
「聞いただろ。全知法廷を開廷するためには、魂の審判を受けなきゃいけないって」
「うん」
シャルは即答した。
「うんって……帰ってきた奴は一人もいないんだぞ」
「アタシは大丈夫かもしれないじゃん」
「絶対、そんな軽いノリで決めることじゃないって。なあ、クロノ、お前からもなにか言ってやってくれ」
シャルが頑固なのを知っているのだろう。カルロがお手上げといった調子で言う。
しかし、クロノはシャルに言葉をかけようとえず、おもむろに足を踏み出した。古い屋敷の前まで進み、それにコツンと拳で触れる。
「これが全知法廷か?」
「は……!?」
カルロが驚きの声を上げた後、ミシェルを振り向いた。
彼もまた目を丸くしていた。
「……なぜ、それを?」
クロノは答えない。
代わりに、カルロが言った。
「……そうか。よくよく考えれば、そうだよな。魔導裁判所から隠しきるのは難しい。なら、自分がそばで監視していた方が安心だ」
「じゃ、これが……」
シャルは目の前の屋敷をじっと見つめた。
ずっと探し続けていた真実がそこにあるのだ。
「ミシェルさん。アタシ、ずっとリュカの冤罪を晴らすために頑張ってきた。真実がわかるんだったら、命をかけたっていい!」
ミシェルは困ったようにため息をついた。
「……やれやれ。これ以上長居をされて、魔導裁判所に勘づかれても面倒じゃ。よかろう」
ミシェルは扉に魔法陣を描いた。
「お主の想いが、全知法廷のお眼鏡にかなうといいがのう」
魔法陣が光り輝く。それと共鳴するようにシャルの体に光が点った。
彼女が目配せをすると、ミシェルがこくりとうなずく。
手を伸ばし、シャルはそっと扉に触れた。
すると、音もなく扉が開かれていく。
中は真っ白な光に包まれ、なにも見えない。
「じゃ、行ってくるね」
屋敷の中へ足を踏み出す。その瞬間、彼女は手を引かれた。
クロノだった。
「えと……心配なのはわかるけど」
「俺も行こう。シャル一人では、帰ってこられないかもしれない」
「え……? でも、いいの……?」
戸惑いながらも、シャルは尋ねる。クロノは首肯した。
そんな二人の様子を見て、カルロは慌てた。
(……どうする? このままここで待ってていいのか? 全知法廷なんてとんでもない代物だ。帰れる保証はなにもない。だが……)
カルロはクロノの表情を見た。まるで物怖じしていない。
(虐殺王が行くならば……監視をしないわけにもいかない……!)
屋敷に入っていくシャルとクロノの後を、カルロは追った。
「待てよっ。俺も行くってっ!」
「……でも、さっきは……」
「二人だけ行かせられないだろ。俺にも格好つけさせろって」
「ありがとう、カルロ」
屈託なくシャルは笑った。
そうして、三人は屋敷の中に足を踏み入れる。その全身が光に包まれていった。




