§.10【過去への問い】
(これが最後、か。奇妙な台詞だ)
リュカとの出会いの話をシャルから聞いていたクロノは、その言葉が無性に引っかかっていた。
リュカとシャルは七年間の付き合いがある。しかし、結局、その時の言葉がなんだったのかはわからないのだそうだ。
リュカに直接聞こうにも、彼女はすでに亡くなっている。確かめる術はなかった。
そう、クロノが全知全能でなければ――
「――これが最後というのは、どういう意味だ?」
臨戦態勢を取りながら、リュカが振り向いた。
さっきまで、高台には誰もいなかった。何者かが近づく気配さえなかった。しかし、その男――クロノがいきなり現れたのだ。
真祖のヴァンパイアである彼女が、こんなにも容易く背後をとられたのは生まれて初めてのことだった。
「その胸」
クロノは彼女を指さした。
「自らの心臓に小さな杭を打ち込んだ。先程、シャルを眷属にした直後に」
シャルの話には出て来なかった。直接過去に介入し、実際のリュカを見たことで初めてわかったことである。
「ヴァンパイアの力を制限するものだ。なぜ、そんなことをする必要があるのだ?」
リュカの行動は不可解だった。ゆえに、クロノは彼女の心を知りたいと思った。
「お兄さんは、どこから来たんですか?」
質問には答えず、逆にリュカは聞き返した。
クロノが何者なのか、計りかねているようだ。
「未来だ」
リュカは目を丸くする。その後、くすくすと笑った。
彼女は自らの左胸にそっと触れる。
「この胸のこと、どうして知りたいんですか?」
「正確に言えば、好奇心だ」
「おかしなお兄さん。教えてあげません」
柔らかい物言いで、リュカは断ってきた。
「どうしてもか?」
「明日、遊んでくれたら考えてもいいですよ」
「どこでだ?」
ふんわりとリュカは微笑んだ。
「どこかで」
彼女の体が赤い霧に変わっていき、あっという間に高台から消え去ったのだった。
月はゆっくりと沈んでいき、代わりに太陽が空に昇った。
ノワール学院の屋上に、日の光が降り注ぐ。
中央にある大きな噴水が照らされ、水がキラキラと輝いていた。
噴水の縁に、制服を纏った女子生徒が座っていた。外見年齢は一五歳ほどか。長い黒髪と赤い瞳が印象的だった。
「リュカ」
声の方向に彼女は振り向く。そこにクロノが立っていた。
「遊びに来た」
迷いもせずそう口にするので、リュカは驚いてしまった。
「どうして、わたしだってわかったんですか?」
昨日は幼女で、今日は少女の姿だ。服装も違う。居場所すら伝えていない。にもかかわらず、クロノはいとも容易くリュカのもとへやってきた。それが不思議でならないのだろう。
「俺は全知全能だ」
真面目な顔でクロノが説明すると、くすくすとリュカは笑った。
「やっぱり、面白いことを言う人ですね」
「最近は似たようなことを言われる」
「でしょうね」
と、またリュカはくすくすと笑声をこぼす。
「お兄さん、お名前はなんというんですか?」
「クロノ・グランベフィウス」
「それじゃ、お兄さん、学院を案内してくれますか?」
クロノはノワール学院の制服を着ている。それで生徒だとわかったのだろう。
「なぜ名を聞いた?」
「呼ぶとは言っていません」
ふんわりと彼女は微笑んだ。
「リュカはノワール学院の生徒ではないのだな」
「この姿は変装ですから。でも、いつか入学しようと思っています」
「どこが見たいのだ?」
「大きな図書館があると聞きました」
そう言われ、クロノは図書館に案内した。
六角形の建物に、本棚がぎっしりと敷き詰められ、大量の書物で溢れていた。
中に人はいない。今日は休日なのだ。
「沢山ありますね」
嬉しそうにリュカは本棚をぐるりと見回した。
そうして、一冊の書物を手に取る。
「お兄さん、お勉強を教えてくれますか?」
書物を両手で見せながら、リュカが聞く。
「遊ぶのではなかったのか?」
にっこりとリュカは笑う。
「学生ごっこです」
「理解した」
クロノとリュカは近くにあった机の前に椅子を並べて座る。
書物を開く。題名は魔導裁判である。
「魔導裁判の判例でわからないことがあったので、調べたいんですよ」
「なんだ?」
「永遠天秤ってわかりますか?」
すると、クロノは書物のページをめくっていく。
「これだ」
「んー」
目を凝らしながら、リュカはそのページの文字を追っていく。
「あ、ここです。ここに書いてある、永遠天秤によりもたらされた刑罰は、その効果を永遠のものとする。この判決は、魔導裁判によってのみ覆すことができる――」
リュカは文字を読み上げ、クロノに尋ねた。
「これって、どういうことですか?」
「その通りの意味だ。罪人に与えられた刑罰が右腕の切断ならば、その右腕は永遠に戻ることはない」
「それです、わからないのは。たとえば、わたしの右腕が切り落とされても、治りますよ」
リュカは真祖のヴァンパイアだ。その再生能力はどんな種族よりも強く、細切れの肉片にしても、時間をかければ元通りになるだろう。
「永遠天秤というのは魔法の一種なのだ」
クロノが説明した。
「魔導裁判という儀式を経て、初めて発動する。ゆえにその効果は絶大であり、永遠だ」
「……裁判自体が、魔法になっているってことですか?」
「そういうことだ」
「初めて知りました。でも、この書物にも、載っていないですね」
リュカが書物の文字に視線を落とす。確かに、永遠天秤が魔法であることはどこにも記されていない。
「学生には詳しく教えていないということだろう」
「お兄さんって、ちゃんと勉強してるんですね。意外です」
感心したようにリュカが言った。
「でも、魔導裁判って良いですよね」
「そうなのか?」
「そうですよ。この中立都市コルンツェルは、王でも神でもなくて、法に治められた唯一の場所です。人間も魔族も竜族も、神様を信じる人もそうでない人も、みんなが仲良く暮らしていくための答えが、魔導裁判所と法律なんだと思います」
夢を見ているようなまっすぐな瞳で、リュカはそんなことを語った。
「だから、わたし、コルンツェルに憧れてやってきたんですよ。将来は魔導裁判所で働く法賢者になって、もっともっと多くの人に優しい法律を作りたいんです」
「変わり者なのだな、リュカは」
「そうですか?」
「多くの魔族はルールに縛られるのを嫌う。特に長く生きる種族ほどそうだ」
「長く生きると、しがらみが多くなります。わたしの故郷は争いばっかりで、勝っても負けても悲惨です。そういうのはもう、疲れてしまいました」
そう口にした後、リュカは困ったような顔で目を伏せた。
「でも、わたしは結局、お兄さんのいう普通の魔族ですよ」
クロノが視線で問いかければ、リュカはこう言った。
「ヴァンパイアが眷属を増やす行為は、コルンツェルでは違法なんです」
「シャルを助けるためでもか?」
こくりとリュカはうなずいた。
「どんな事情があっても、許されません。だから、わたし、実のところ、少し迷ったんです。あの子を眷属にするか、見殺しにするか」
「だが、助けた」
「真祖のヴァンパイアって親がいないんですよ。ひとりぼっちなんです」
指で文字をなぞりながら、リュカは言う。
「だから、なんでしょうか? 小さい頃、誰かがそばにいて、助けてくれたらよかったのにって思ったんですよね。簡単に言えば、そう、気まぐれです」
「そうか?」
「はい。だから、本当は魔導裁判所に申し出なきゃいけないんですよね。でも、そうしたら、もう法賢者にはなれなくなります」
法賢者を目指して、コルンツェルにやってきたリュカとしては、受け入れられないところだろう。
「黙っていればいい」
クロノが率直な見解を告げれば、リュカは目を丸くする。
「魔導裁判も完全ではない。人を助け、裁かれる方が間違っているのだ」
「お兄さんの方こそ、変わり者ですね。多くの人間はルールを守るのが好きだと聞きました」
そう口にして、リュカはふと気がついたようにクロノの首筋に顔を近づけ、匂いを嗅いだ。
「人間ですよね? 匂いがします」
ヴァンパイアは吸血対象の匂いを嗅ぎ分けるのに長けている。
「ルールは守る方だが、確かにリュカほど頑固者ではない」
「それ、どういう意味ですか?」
ほんの少しムッとしたようにリュカが言う
クロノは彼女の左胸を指さす。
「その心臓の杭は、法を破った自らへの罰なのだろう?」
「……はい」
「黙っていることが許せなかったのならば、頑固者に違いない」
「月みたいな人ですね、お兄さんは」
「顔がか?」
くすくすっとリュカはおかしそうに笑った。
「丸顔とは言ってません。なんでいきなり悪口なんですか」
「唐突だとは思ったのだ」
「ヴァンパイアは、月はいつでも自分たちをよく見ているっていうんです」
「理解した」
すると、リュカは書物を閉じる。それから、クロノの方にまっすぐ向き直ると、背筋をピンと伸ばした。
「お兄さんに誓ってもいいですか?」
「なにをだ?」
「許可をすると言ってください。本当は月に誓いますが、しばらく月が出ないので、月みたいなお兄さんに誓います」
クロノはうなずく。
「許可する」
「わたしは一度、法を犯しました。それを魔導裁判所に申し出ることはありません。けれども、それは幼いあの子を救うため。わたしは自ら、この胸に罰を刻みました。これが最初で最後。リュカ・エンディミオンは二度とこの都市の法を破ることはありません」
まっすぐクロノの瞳を見つめながら、リュカはそう誓いを示したのだった。




