プロローグ 【聖女と全知全能】
そこは薄暗い樹海である。
マントを羽織った少女が歩いていた。
金に輝くウエーブヘアが特徴的で、瞳は碧い。活発さの滲む、可愛らしい顔立ちだ。
彼女の名はシャル・アーリアン。
「えーと、この辺りだよね? 違う?」
シャルは呟き、手にした書物に視線を落とす。かなり古いものだ。表紙には『魔術師オウルの館』という題がついている。
「ま、いっか。やってみよー」
軽い調子で言うと、シャルはマントの内ポケットに手を入れた。
取り出したのは、青いガラス玉である。ぱっちりとした目で覗き込み、彼女はガラス玉越しに樹海を見た。
「浄化」
青いガラス玉が魔力に満ちていくと、次の瞬間、樹海一帯が光に包まれた。
すると、徐々に建物の姿が浮かびあがってきた。
鬱蒼とした草木に溶け込んだ、それは古びた魔術師の館である。
「やばくない? やばいよね。てゆーか、やばいよ」
誰かと会話でもしているかのように楽しげに独り言を口にしながら、シャルはその館の前まで歩いていく。
扉に手をかけ、押した。
ぎい、と木の軋む音が鳴り響き、扉は開かれた。
「見えなくなるぐらいの封印魔法がかけられてたんだから、絶対普通じゃないし」
館の中をまっすぐ見据え、シャルは言った。
「きっと、ここにある」
決意を固め、彼女はその館に足を踏み入れた。
扉を閉めても、中は明るい。古びた館にもかかわらず、壁や天井にかけられたランプの火は消えていなかった。
広いエントランスをシャルは奥へ歩いていく。
そのときだ。館全体がガタガタと激しく揺れ始めたのだ。
「なにこれっ!? 地震っ!?」
シャルの目の前で、床が爆ぜた。
地中から床を突き破って現れたのは、真紅の鎖を体に巻きつけた魔族である。両手両足は鎖でつながっていた。あれでは最小限の動きしかできないだろう。
あたかも自らを封じているようなその風体を見て、シャルは驚愕した。
「……紅の鎖……!? 嘘でしょ、なんで封印のガムラが……?」
「この館に入った者の運命は一つ」
鎖の魔族――ガムラが言葉を発した。
「死です」
シャルは咄嗟に黒いガラス玉を取り出した。
それよりも早く、目にもとまらぬ速度でガムラが迫り、彼女の胸を両手で抉った。
血がどっとあふれ出し、シャルはその場に倒れ込む。
「…………」」
一瞥して、ガムラは踵を返す。
しかし、カタッと彼の背後で物音がした。振り向けば、そこにあるのは血だまりと黒のガラス玉だけだ。シャルの姿がない。
「心臓を握り潰したはずですが……?」
困惑しながらも、ガムラは広いエントランスをぐるりと見回す。
シャルは身を低くしながら中二階を走っていた。
(逃げなきゃ! ガムラの封印が解かれる前に……!!)
そう考えるシャルの目の前に、扉が見えてきた。
(あそこに……!)
そのときだ。
「やぁぁぁぁぁぁめぇぇぇろぉぉぉっっっ!!!!!!!」
まさに館を揺るがさんばかりの大絶叫だった。
先ほどまで、余裕綽々だったガムラが、シャルが扉に近づくだけで焦っている。
いや、それは恐怖といっても過言ではない。
「女ぁ! そこは……! その御部屋にだけは、入ってはならないっ!!!」
威嚇するように、ガムラの全身から異常なまでの魔力が立ち上る。
シャルは扉を開き、勢いよくその部屋に飛び込んだ。
すぐさまバタンッと扉を閉めて、鍵をかける。
彼女は黒いガラス玉を手にし、身構えるように扉を見た。
一秒、二秒……三秒……五秒が経過した。
未だ沈黙している。
「……追ってこない……?」
そのまま十数秒が経過したが、ガムラはなんのアクションも起こさない。
彼の力ならば、扉を破壊してシャルを殺すのに一秒もあればお釣りが来るはずだ。
すなわち、入ってはこられない理由がある。
「やっぱり、アレがここにあるんだ」
シャルはゆっくりと室内に視線を向けた。
草花に覆われている。元々は普通の部屋だったようだが、長い年月の末、伸びた草花で埋め尽くされてしまったのだ。
黄色のガラス玉を取り出し、彼女は覗き込む。
「探知」
ガラス玉越しの視界に、一点だけ小さな光があった。部屋の真ん中に、大量の草花が天井から床まで垂れ下がっている。その中だ。
シャルは迷わず生い茂った草を両手でかき分けていく。
「あ!」
指先に温かな感触があった。
シャルは目の前を塞いでいる大量の草を、一気にかき分け、体ごと突っ込んだ。
「え……?」
目に映ったのは、草花を寝床にするように眠っている少年だった。
白髪で、端正な顔立ちをしている。
「生きてる……よね?」
確かめるため、シャルは少年に顔を近づける。
すると、彼は静かに目を開いた。
赤い瞳にじっと見つめられ、彼女は一瞬言葉が出てこなかった。
「お前は誰だ?」
「あ、あ……怪しい者じゃ全然なくてっ! アタシ、ノワール学院の生徒で、その――」
しどろもどろになりながら、シャルが弁解しようとしたその時、室内に真紅の粒子が渦を巻いた。
反射的に、シャルは入ってきた扉を振り向く。
部屋の外から、人知を超えるほどの強い魔力が発せられている。
「どうした?」
少年が問う。
至近距離で発せられている魔力に気がついていないのか、扉の方を見ようともしない。即座にシャルは茶色のガラス玉を六つ手にして、少年を庇うように扉の前に立つ。
切羽詰まったように彼女は叫んだ。
「すぐにここから逃げてっ! わけわかんないと思うけど、あの扉の向こうに、魔神王の側近、封印のガムラがいるのっ! 鎖の封印を全て解いた一分間は、史上最強っていわれている化け物がっ!!!」
シャルがガラス玉に魔力を集中する中、真紅の閃光がジグザグに走った。鎖の封印を解いたガムラである。シャルの視界に映らないほどの速さで駆け抜け、ガムラはその背後にいた少年に迫った。
手にした真紅の鎖が煌めく。彼を封印しようとしているのだ。
「ごぁっっっ……!!!」
微かな呻き声が漏れる。
少年はガムラの首をわしづかみにしていた。
「もう大丈夫だ」
少年が軽く力を入れると、ガムラの体が粉々に砕け散った。
史上最強といわれた魔族が、なす術もなく消滅したのだ。
「大丈夫って……?」
シャルが横目で、背後の少年に視線を向けた。
彼女は未だ扉の向こう側を警戒し続けている。封印のガムラがすでに敗れ去ったことにさえ、気がついていない。それほどの早業だった。
「もう誰もいない」
少年は扉に向かって歩いていく。
「ちょ、ちょっと待って。危な――」
彼は扉を開いた。
その向こう側にはエントランスが広がっている。
封印のガムラの姿はなかった。
「あ、あれ? どうして……?」
疑問に思うシャルをよそに、少年はスタスタと部屋の外へ出ていく。
「待って、待ってよ。ホントだってばっ。危ないよ?」
心配そうにシャルは彼を追いかけた。
周囲を警戒するが、人の気配はない。先程まで感じていた莫大な魔力も完全に消え去っていた。
ガムラがその最強の力を維持できるのは一分間といわれている。その時間も過ぎた。
「ホントにいないね」
キョロキョロと辺りを見回しながら、シャルは言う。
「ね。アタシ、シャル・アーリアン。君は?」
「クロノだ」
「この館って、クロノ君の家なの?」
素朴な疑問といった風にシャルは聞く。
「正確に言えば、違うな」
一瞬小首をかしげ、人懐っこく彼女は聞いた。
「正確に言えば、どーなの?」
「勝手に使っている」
クスッとシャルは笑ってしまう。
「クロノ君もアタシと同じ立場じゃん」
じっとクロノは彼女を見返した。
「シャルはなにをしに来たのだ?」
「捜し物をしてて……そーだ。ちょっと手伝ってくれる?」
「なにもないのだが?」
「いいからいいから。アタシ、こー見えて、勘の良さには自信があるんだ」
強引にシャルはクロノの手を取り、館を捜索し始めた。だが、本当にただの古びた館のようで、彼女の目当てのものはなにも見つからなかった。
「うーん。おかしいなぁ」
「なにもないと言ったのだ」
玄関の扉を開き、シャルが外へ出ていく。
その後ろをクロノが歩いていた。
「でもさ、クロノ君。ホントになんにもないところに、封印のガムラが見張りをしていたのって、おかしくない?」
「ああ、それは単純に」
シャルが振り向くと、クロノは言った。
「俺が全知全能だから」




