冷血の竜帝
どれくらいの時間が経ったのだろう。揺れる馬車の中で、私は何度も浅い眠りと覚醒を繰り返した。窓のない闇の中で、昼も夜も分からない。ただ、時折届けられる食事だけが、私がまだ生きているという事実を無感情に告げていた。
故郷を離れた悲しみよりも、これから訪れるであろう死への恐怖よりも、不思議と心は凪いでいた。それは諦観という名の、感情の死だったのかもしれない。
やがて、馬車の揺れが次第に緩やかになり、それまでとは明らかに違う、硬質で規則的な響きに変わった。整備された石畳の上を走っているのだと分かる。そして、遠くから聞こえていた喧騒が、ぴたりと止んだ。まるで、時間が止まったかのように。
静寂。
不意に、馬車の扉が外から開け放たれた。差し込んできた光に、私は思わず腕で顔を覆う。指の隙間から見えたのは、天を突くかのような巨大な黒い城と、そこに整然と並ぶ、人ならざる者たちの姿だった。
彼らは皆、人間によく似た姿をしている。けれど、その頭部には硬質な角が生え、背中には翼の痕跡のような突起が見えた。鋭い眼光は、狩人が獲物を見定めるそれだ。竜の血を引く民、竜人族。彼らが支配する国、ドラグニア帝国に、私は到着したのだ。
「……降りよ」
低く、地の底から響くような声がかけられる。促されるままに馬車を降りると、そこには深紅の絨毯が敷かれていた。その絨毯は、巨大な城の玉座の間まで、まっすぐに続いている。
両脇に並ぶ竜人族の兵士たちは、一様に険しい表情で私を見ていた。好奇、侮蔑、そして敵意。彼らが発する無言の圧力が、見えない壁となって私にのしかかる。息が苦しい。まるで、蛇に睨まれた蛙だ。
私は、ただ俯いて、絨毯の赤い色だけを見つめながら歩いた。一歩、また一歩と、自分の処刑台へと近づいていく。
やがて、巨大な両開きの扉が開かれ、途方もなく広大な空間が現れた。高い天井、磨き上げられた黒大理石の床、そして、その最も奥。幾段もの階段の上に、一つの玉座が鎮座していた。
そこに、男が一人、座っていた。
肘掛けに片頬を預け、まるで退屈な芝居でも見るかのように、こちらを見下ろしている。陽光を弾く、美しい銀の髪。彫刻のように整った顔立ち。けれど、その全てを無に帰すほどに、彼の瞳は凍てついていた。感情というものが、まるで存在しないかのような、絶対的な虚無。
あの瞳を知っている。本の中で見た、悲しい目をした竜。いや、違う。あれは悲しみだった。けれど、この男の瞳にあるのは、悲しみすら燃え尽きた後に残る、冷たい灰だけだ。
彼こそが、このドラグニア帝国の支配者。『冷血の竜帝』カイゼル・ドラグニウス。
私の足が、玉座の前で止まる。心臓が、喉から飛び出してしまいそうなほど激しく脈打っていた。
カイゼルは、ゆっくりと立ち上がった。その巨躯が動くだけで、空気が震えるような錯覚を覚える。彼は階段を一段ずつ、音もなく降りてくる。その姿は、獲物の前に降り立った、獲物を前にした竜そのものだった。
私の目の前で、彼の足が止まる。見上げるほどの長身。その影に、私は完全に飲み込まれてしまった。
「……お前が、アウレリアの生贄か」
声は、冬の夜空のように静かで、底冷えがするほど冷たかった。
「我が名はカイゼル・ドラグニウス。お前の新たな主となる男だ」
彼はそう言うと、私の顎に指をかけた。乱暴に顔を上向かされ、凍てついた紅い瞳と視線が絡み合う。その瞳の奥を覗き込もうとした瞬間、私の全身を、経験したことのないほどの悪寒が駆け抜けた。
「覚えておけ」
彼の唇が、残酷な言葉を紡ぎ出す。
「お前は、我が呪いを和らげるための道具に過ぎない。それ以上でも、それ以下でもない。――勘違いするなよ、人間の女」




