竜の涙と魂の番
ドラグニア城の地下深く、忘れられた大書庫は、まるで時間の墓場のように静まり返っていた。ゲオルグに案内されたその場所は、アウレリアのそれとは比べ物にならないほど広大で、天井まで届く書架が迷宮のように入り組んでいる。空気はひんやりと冷たく、古い紙とインクの匂いが、濃密に漂っていた。
「ここが、建国以前の文献を保管する『始原の書庫』です。エリアーナ様、ご無理はなさらないでください」「ありがとうございます、ゲオルグ様。……私は、大丈夫です」
一人残された書庫で、私は松明の灯りを頼りに、書架の間をゆっくりと歩いた。埃をかぶった背表紙に並ぶのは、見たこともない古代の文字。けれど、不思議なことに、その一つ一つが、まるで旧知の友人のように、私に語りかけてくるのが分かった。読める。アウレリアの書庫と同じように、ここに書かれている言葉の意味が、頭の中に流れ込んでくる。
『魔力なき王族は、竜の国に大いなる厄災をもたらす』兄が口にした、あの忌まわしい言い伝え。私は、その記述の原典を探し求めて、膨大な文献の海を泳ぎ始めた。
どれくらいの時間が経っただろう。何時間も、あるいは何日も、私は食事も忘れて書物を読み耽った。侍女が時折運んでくる食事には、ほとんど手を付けなかった。ただ、焦燥感だけが、私を突き動かしていた。早く見つけなければ。カイゼル様が、私を信じてくれているうちに。
そして、ついに私は、その一冊を見つけ出した。それは、他のどの本よりも古く、装丁もぼろぼろになった、竜の皮で綴じられた書物だった。
ページを開くと、そこには、震えるような筆致で、ある神話が記されていた。
――世界がまだ若かった頃、竜族と人間は、手を取り合って生きていた。竜族は強大な魔力を持ち、人間は豊かな知恵を持っていた。しかし、ある時、悪しき神が竜族に嫉妬し、その強大すぎる魔力を暴走させる『血の呪い』をかけた。理性を失い、破壊の化身と化した竜族を見て、人間は彼らを恐れ、袂を分かった。
そこまでは、私が知っている歴史と同じだった。けれど、物語は、そこでは終わっていなかった。
――ただ一人、竜の悲しみを知る人間の女王がいた。彼女は、魔力を持たなかった。けれど、その魂は、誰よりも清らかで、竜の呪いを鎮める不思議な力を持っていた。女王は、呪いに苦しむ竜王の元へ、たった一人で赴いた。そして、竜王の流した灼熱の涙を、その身に受け止めたという。その時、奇跡が起きた。女王の魂と竜王の魂は一つに結ばれ、呪いは完全に浄化された。彼らは、最初の『魂の番』となったのだ、と。
私は、息を呑んだ。これは、私が知っている話と、全く違う。魔力のない王族は、災いなどではない。むしろ、その逆。竜の呪いを癒すことができる、唯一の希望。
ページをめくると、そこには、こう記されていた。
『悪しき神は、竜と人間の絆を恐れた。そして、真実を歪め、偽りの言い伝えを人々の間に流布したのだ。「魔力なき魂は、竜を滅ぼす災いなり」と。真実を知る者は、時の流れと共に、誰一人いなくなった』
――兄は、これを知っていたのだろうか。いや、彼が知っていたのは、きっと偽りの言い伝えの方だけだ。そして、それを最大限に利用した。
震える手で、私はその書物を抱きしめた。これだ。これが、私たちが探していた「別の真実」。これをカイゼル様に見せれば、きっと……!
私は、松明を手に、興奮した足取りで書庫の出口へと向かった。早く、彼に知らせなければ。一刻も早く。
書庫の重い扉を開け、薄暗い地下通路を走り抜ける。地上へと続く階段を駆け上がった、その時だった。
目の前に、複数の人影が立ちはだかった。城の兵士たちだ。けれど、その手には、むき出しの剣が握られている。そして、その目は、憎悪と恐怖に燃え盛っていた。
「……何をしているのですか? 道を開けてください」「そうはいかん、呪われた女め!」
兵士の一人が、唾を吐き捨てるように言った。「我らが皇帝陛下を誑かし、この国を滅ぼすつもりだろう! これ以上、好きにはさせん!」
まずい。彼らは、嘆願書を握り潰されたことに逆上し、実力行使に出るつもりなのだ。ゲオルグ様の目も、掻い潜ってきたのだろう。
「待ってください! 話を聞いて! 全ては誤解なのです!」私は、抱えた本を見せようとする。けれど、彼らは聞く耳を持たなかった。
「問答無用! 神の名において、災いの元凶に天誅を下す!」
一人の兵士が、剣を振りかざし、私に向かって突進してきた。鋭い切っ先が、松明の光を反射して、きらりと光る。
ああ、ここまでなのか。真実を、やっと見つけたというのに。
目を固く閉じた、その瞬間。
――ゴウッ!!
灼熱の風が、私の目の前を吹き荒れた。目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
私の前に立ちはだかる、巨大な黒い影。その背中には、巨大な竜の翼が生えていた。そして、その手には、赤々と燃え盛る炎の剣が握られている。
兵士の剣は、その炎に触れることなく、一瞬で溶け落ちていた。
「――俺の女に、指一本でも触れてみろ」
地の底から響くような、怒りに満ちた声。ゆっくりと振り返ったその顔は、紛れもなく、カイゼルのものだった。
けれど、その姿は、いつもとは全く違っていた。額からは二本の角が突き出し、瞳は、まるで溶岩のように赤く輝いている。それは、竜人族が、その真の力を解放した姿。
「……その汚れた命、一つ残らず、ここで消し炭にしてやろう」
彼は、私を背中に庇いながら、絶対的な絶望を、反逆者たちに宣告した。




