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灯猫いくみん

キロ ~スキーに行った時の話~ (灯猫いくみん)

「おねがーい。私の代わりにさ、ほのちゃんとスキー行ってきてよ」

 珍しく隣人が話しかけてきたかと思えば、いきなりそんなことを頼み込んできた。僕は状況がイマイチ理解できず、とりあえず瞬きをした。

「……えっと、とりあえずその、ほのちゃんって言うのは……?」

「話した事なかったっけ? 私の友達。富山の大学に通ってんの」

「なるほど」

 友達いたんだ。という素朴な疑問は、しかし下手に聞いてしまうとこの隣人のトラウマを刺激しかねないので、代わりに僕は適当に相槌を打った。

「……で、何でその人と僕がスキーに行かねばならないのです?」

「それは……私さ、スキーできるほど元気じゃないって言うか……」

「まあ、それは何となく分かりますけど……え、他に頼める友達とかいないんすか」

「いないよ?」

 即答だった。


「……ってワケです」

「どういうワケだかよく分かんなかったんだけど?」

「あいにくそれは僕もです」

 というわけで訪れてしまった三月の第一月曜日。新宿駅から二百キロ以上バスに揺られて、長野駅のバスターミナルに降り立つと、そこには僕の一つ上くらいの女性がいた。突然現れた見知らぬ男子大学生を訝しむその人が、先輩が言うところのほのちゃんだった。

「じゃあ改めまして、海老名英輔です、よろしく」

「あ、ども……あたしは星川穂香。で……」

「先輩と僕がどういう仲か、ですか? 残念ながらただの隣人ですよ」

「いや、あたしそう言うの期待してるわけじゃないんだけど」

「……? ああ、アレが僕の隣室に居座ってることに対しての『残念ながら』です」

「ひょっとしてあんた口が悪いな?」

「よく言われます」

 長野駅から本日僕らが向かう戸隠スキー場までは三十キロくらいで、路線バスでざっと一時間ほど。

 初対面のしかも年上と言う事で、これは相当気まずい一時間だぞ……と不安が止まらない僕だったが、意外にも会話は弾んだ。

 話題はもちろん、年明けくらいから動いてた企画を一週間前に僕に押し付けてきたどこかの誰かさんについてだ。

「奏のやつ、一体どうしたんだよ。あたしが『一緒にスキー行かない?』ってラインしたら滅茶苦茶楽しそうに返事してきた癖にさ、前日になって代役送るとか言い始めてさ」

「嘘でしょあの人。多分僕、その時間にはもう高速バス乗ってましたよ」

「えー、今まであいつそんなんじゃなかったんだけどなぁ……何か変な事でもあったの?」

「変な事、ですか……」

 僕は思い当たる節しかなかったし、年明けの彼女が人とコミュニケーションを取れていたということにまず驚いていた。

 が。

「……特に、思い当たりませんね」

「……そっか」

 とりあえず、僕は否定しておいた。

「ところであんた、スキーしたことって……」

「ないですね」

「えっマジ? 学校で行ったりしなかった?」

「学校でスキー……? 星川さんが長野民だからでは?」

「それもそうか……言っとくけど、あたしにコーチとかそういうのは期待すんなよ。奏の方が百倍は上手いから」

「へぇ……」

 それはまた、残念ですね。

 と、口にするのは、何となく控えておいた。


 スキー場は曇りだった。僕らはバスを降り、レンタルを行っているゲストハウスに向かった。

「そういやあんた、小物とかって」

「先輩から借りてきました。ウェアとかはレンタルですけど……レンタル代は先輩が払ってくれるそうなので」

「そっか、二割増しで吹っ掛けときな」

 スキーウェアを着て、随分と重くて頑丈な専用の靴を履く。板とストックをレンタルし、ゲストハウスの出口から雪原へと踏み出すと、そこは一面真っ白で、凄まじく眩しかった。

「なるほど、道理でゴーグルが必要なわけだ」

「あんた、そんなことも知らずにここまで来たって言うの?」

 僕より少し遅れて出てきた星川さんは、信じられないものを見るような声で僕を見た。

「そりゃまあ、こちとら生まれも育ちも関東なもので」

「ふーん。都会っ子め」

 僕はそれなりに早くスキーができるようになった。スキー板を履いたままで坂を上る方法、リフトの乗り方、そして肝心要の滑り方——スピードを出すなら足は真っ直ぐ、緩めるなら八の字に——さえ教われば、もう僕は結構スムーズに滑れるようになっていた。

「結構やるじゃん。初心者コースはそろそろ卒業かもね」

「そうですかね? 山のてっぺんとか行くのは、さすがに怖いですけど」

「そんなに急じゃない道とか選べばいいんでないの? お昼食べたら向かってみてもいいかも」

「……楽しみですね」

 リフトに乗っている間は、星川さんと他愛もない話をする。

 ひょっとすると傍から見たら恋人にでも見えているのかもしれないという懸念が頭をよぎったりもしたが、僕はなるべく気に留めずにいた。

 意識的に、意識しないようにしていた。


「スキー場の昼はね、カレーに限るよ」

「そんなことはないと思います」

 時計の針が正午を回り、食堂は大賑わいだ。星川さんは一切の迷いもなくカレーを選び、僕は少し考えた末、結局カレーにした。

「いただきまーす!」

「……いただきます」

 厚着していたとはいえ、外は寒い。ほどほどに辛いカレーのおかげで、体が温まっていくのを感じた。

「食べ終わったらさぁ、山頂まで行くリフトあるしさ、それ乗んない?」

「えぇ? 僕にはまだ早いですって」

「んなこたないだろ。一応初級者コースだぜあそこ」

「そうなんすか? ……じゃ滑ってみようかな」

「いいじゃん、あたしも行くわ。山の上から写真撮ってさ、奏に送り付けてやろ」

「……ですね」

いきなり先輩に言及してくるから、僕は少し言葉に詰まってしまった。

そんな僕を見た星川さんの顔に、僕はどこか陰りを感じた。


「あのさあ」

「……なんですか」

 第三クワッドリフト。四人乗りだが、たまたま前後に誰もおらず、乗っているのは僕ら二人だけ。

 リフトに乗り込んで少し経ち、星川さんが口を開いた。

「ホントはさ、何か知ってるでしょ。奏に何があったのか、とか」

「……さすがにバレてましたか」

「当たり前だろ、見え見えだったぞ」

「ですよねぇ……」

 リフトは山の中腹あたりまで進んでいる。二人の間を風が吹き抜ける。

 僕は、少しずつ話し始めた。

「先輩にね、彼氏ができたんですよ。去年の、夏休みくらいだったかな」

「あー、それは聞いたわ本人から。で、その彼氏さんと何かあったの?」

 嫌な記憶を僕は思い出してしまう。そもそも忘れようもないのだから、この言い方は不適切だろうが。

「……二人はね、クリスマスデートを企んでいたようなんです」

「へぇ……え、それって……えええ!?」

「あっ多分違います」

 ゴーグルの向こうの彼女の顔は見えないが、何となくその表情は察しが付く。そして、その期待は現実と大きく異なるものだという事にも。

「……彼氏が、バスの事故で」

「……えっ」

 リフト降り場に僕らが着いたのは、ちょうどその直後の事だった。


 戸隠スキー場のゲレンデがあるのは、怪無山とめのう山という二つの山。僕が今着いたのは怪無山で、標高はめのう山の方が二百メートルほど高いようだ。

 その山に向かうための第六クワッドリフトに向かうまで、僕たちは少し滑る必要があった。

「……」

「……」

 当然というか何というか、僕らの間に会話なんか起こらなかった。


「あたしにも、心配させろっての」

「……え」

 二つ目のリフトに乗って少し経った頃、突然星川さんが口を開いた。

 反応に困っていた僕を無視して、星川さんは堰を切るように話し始めた。

「コレがさ、まさかあいつなりの気遣いだとか、そういう事をまさか思ってんじゃないだろうな……成人式んとき来なかったし気になってはいたけど、あの時こそまさにって事かよ。あたしだけずっと愚痴言いっぱでさ、たまにはこっちを頼れってのっ……そんな事になってんならさ、何かさ……あたしにだって、できることくらいあんだろ……なんであんたまでさ、あたしに教えてくれないんだよっ! 奏のバカッ!」

「星川さん……」

「……ごめん。変な事聞かせちゃった」

 力なく笑う彼女を見て、僕はどんな顔をすればいいか分からなかった。どんな顔をしようが向こうからは見えないのだが。

「……えっと、その、」

「どうしたんだよ英輔くん、そんな改まっちゃって」

「……その愚痴、僕でよければ」

 ……出過ぎたマネだったか。僕は即座に後悔した。

「あっ、いや何でもないです」

「……ありがとさん」

 さっきより、どこか安らかな声色だった。

「しかし、それなら気が付かないのも仕方ねぇか……はぁ」

 一転、今度は星川さん、目を背けていた悩みと改めて向き合い始めたような、そんな風にため息を吐く。

「えっと、どうしたんです?」

「ん? いや……あたしらさ、スキー終わったらどこか泊ってさ、明日は適当に長野を回ろうか、みたいなことを考えてたわけでさ」

 ……ふと、嫌な予感が頭をよぎる。

「あっちが何かしら考えてるもんだとばかり思ってたから気にしてなかったんだけどさ……ホテルの予約をさ、一室しか取ってないのよ」


 それからの事は記憶にない。

 山頂からの写真を撮り、二人がかりで先輩に送り付けるも既読は付かず、その後も山頂からと言う事で長いコースをひたすらに滑り降りていたというわけなのだが、僕の頭ではまださっきの爆弾発言の処理が終わっていなかった。

「やー、楽しかったなー」

 というわけで僕の脳が正常な機能を取り戻したのは、帰りのバスが長野駅に到着する、その瞬間の事だった。

 星川さんは呑気に笑っていたが、どこか気まずそうだった。


「……えっと、もう一度聞きます。マジなんですね?」

「マジだよ?」

 僕の口から今世紀最大級のため息が出た。

 そこはもう目的地、小さなホテル——というか、どちらかというとホステルってやつなのだろうか——の前だった。

「こういうとこって女子部屋ありそうなもんですけど、その場合僕は今すぐ別の場所に向かわねばならないですよね、どうなんです?」

 なるべくそうであって欲しいと、そういう雰囲気を全開にしている僕だったが、

「いや、なんか四人部屋取っちゃったから普通にそっち」

 僕の願いが届くことはなかった。

「……あの、防犯とかそういうのを考えたりしなかったんですか?」

「個室ならいいだろって話になってさ。あと、奏と色々話したかったし」

「そうですか……」

 逃げ場はもう無いようだった。


「英輔くんはまだ十九だよね」

「はい、先輩の一個下なんでね」

「そっかー。じゃお酒はあたしだけって事で」

 夕食はホテルに併設されていたレストランで済ませ、折角なので何か食べながら先輩について愚痴ろうぜという流れになり、僕たちは近所のスーパーに買い出しに出かけた。

 僕は小さめのシュークリームと大福、星川さんは缶ビールとじゃがりこ。

 それだけ買ってホテルに戻ると、部屋の中は飲食禁止だったので、上の階にあったキッチンラウンジに向かった。

「あ、ポットあんじゃん。明日の朝はカップラーメンだな」

「いいですね。僕もそうしようかな」

「……そういや思ったんだけどさ、別にあたしに敬語使わんでいいよ? 大学の先輩っつーわけでもないしさ」

「え? いや、先輩と同い年なら先輩ですよ」

「あたしが留年してたら両者ともに一年よ?」

「……ちなみに留年してるんです?」

「いや、フツーに春から三年生な二十歳だよ」

 そう言うと彼女、もうお酒を飲み始めた。

「……じゃあ、質問いいですか?」

「結局敬語なのかよ。何?」

「普段、先輩にどんな事を愚痴ってるんですか?」

 何となく、彼女が酔っ払ってしまわないうちに聞いておきたかった。

「どんな事って……そうだな、ちょっと変な話になるけどいい?」

「構いませんよ」

「……そっか」

 星川さんはじゃがりこの蓋を開け、一本だけ取り出し、食べた。

 僕はとりあえず大福の方から手を付けた。

「あたし、弟がいるんだけどさ」

「……ん。なんかそういう雰囲気あります」

 飲み込んで、一応反応を返した。相槌を打って損をすることはそうそうない。

「やっぱそんな分かるもんなの? ……でさ、そいつがカスの極みみたいな男で……でも、一昨年の夏休みが終わってから、なんか人が変わったみたいに真面目ないい人になっちゃったんだ」

「へぇ……いい事なのでは」

「……いい事なもんか」

 彼女の手にあったじゃがりこが、ぽきっと小気味いい音を立ててへし折れた。

「何か、凄く大変なことでも起こってたんじゃないかって、心配になったんだけどさ……何にも教えてくれなくてさ」

「……まあ、教えたくないような事だってあるんじゃないですか?」

「それは分かるんだよ。でもさ……あいつ毎回毎回、『何もないから、大丈夫ですから心配しないで』って調子でさ! 心配くらいさせろってのー!」

「うんうん、気持ちは分かりますよ」

 テンションが上がってきている。酔い始めてきたのだろうか。

「……と、こんな感じの事をだね、たまぁに奏に言ってたわけだけどさ」

「そういえば二人ってどういう関係なんです?」

「小中高と同じクラスだったってわけ……でさ! その奏もっ……あいつもここ最近さぁ、あたしに色々黙ってたわけじゃんか! もう、ホント……本当にいい加減にしろっての! 何! あたしはそこまで信用ならにゃい女かぁ!?」

 えげつなく噛んでいる。そろそろ寝た方がいいんじゃないかこの人。

「……別に、星川さんの事を信用してないわけじゃないでしょ。自分の事なんだし、心配してほしくないって事も」

「ソレが! あたしが必要じゃないみたいで嫌だっつってんのっ!」

 おっと。ヒートアップさせてしまった。酔っぱらいの処理というのは面倒だ……先輩が酒を飲んでいる様は見たことがないが、できればもうしばらく飲まないでいて欲しいなと、ふと僕はそう思った。

「星川さん、そろそろ寝た方がいいですよ……」

「というかそういうあんたもあんただ! いつまでも星川さんはどうなんだよ! タメ口嫌ならほのちゃんと呼べ!」

 うっわ。思ってたのと違う絡み方してくるぞこの人。

「えぇ……じゃ、じゃあ星川さん、そろそろ寝よ?」

「わーいタメ口だ」

 機嫌が直った。単純な人で何よりだ。


 客室は四人部屋なので、二段ベッドが二つある。僕と星川さんは、それぞれ別の二段ベッドの、どちらも下の段で寝ることにした。

「じゃ、シャワーと歯磨きだけ済ませたら僕も寝るから」

「りょ。あたし上か……めんどくさ……」

 このホテルでは男性用シャワールームが二階、女性用は三階だ。

 部屋を出たら割とすぐ傍にあったので、僕はパパっとシャワーを済ませ、パジャマに着替える気力はなかったので、そのままベッドに潜り込んでいた。

 ラインを確認する……先輩から返事が来ていた。

『山綺麗だねえ』

『ほのちゃんの愚痴でも聞いてあげてよ』

「……それで僕を、ね」

 ラインで『カウンセリング代はあなたから徴収するんでそのつもりで』とだけ送り、スマホを充電ケーブルに刺す。

 そして僕は仰向けになり、目を瞑る。

 ……足音が聞こえる。星川さんが戻ってきたようだ。

「……寝てる?」

 彼女の声がする。

「……目ェ閉じてるだけ。お望みとあらば起きるけど」

「そっか……愚痴ラウンド二、始めてもいい?」

「どーぞ。眠いんで相槌は控えめにするけど」

 足音が、少し近づいた。僕のベッドの傍まで来てるのだろうか。なんで? 

「……あんたはそれどころじゃなかっただろうし忘れてるかもな。山頂までリフトで行った時の事なんだけどさ……ほら、めのう山の」

 おっしゃる通り僕はそれどころではなかった。写真を撮ったことは覚えている。

「あの時さ、一瞬変な事思っちゃったんだ。あのまま滑らないでさ、ずっとあそこにいたいなって」

 ……本格的に酔っているのだろうか、この人。

「訳が分からないよね。何でそんな事が頭をよぎったのか、その後すぐに正気に戻っちゃったからマジで分かんなかったんだよ、あたし。でもさ、ちょっと、分かり始めてきたんだよね」

 多分分かんない方がいいよソレ。

「戻りたくなかったんだ、きっと。弟のことと奏のことでさ、疲れ果てちゃってたんだよ」

「……ダメでしょ、それは。そんなこと言ったら」

 思わず声に出してしまった。

「ふふっ、反応どうも。でも今は全然平気だよ。あんたに話して、ちょっと気が楽になった」

 そう言うと星川さんは少し沈黙した。

 ……もう、大丈夫かな。僕はさっきよりもっとちゃんと眠りに就こうと、掛け布団をより深く被り……

「あのさ、英輔くん」

 ぱしっ。腕が何かに掴まれた、そんな感触を感じた。

「……星川さん?」

「明日、何時に帰るの? 横浜に」

「……まあ、新幹線のつもり。流石に全額先輩から分捕るわけにも行かないけど、学割証は一応持ってきたから、それ使って適当な時間に帰ろうかと」

「あたしも連れてけよ」

「……うん?」

 この人は、いきなり何を言い出すのだ。

「……変わった弟のいる実家でさ、あたしはきっと安らげない。奏もあたしに心配させてくれない……でも、あんたは違うだろ。だから……えっと、その、つまり」

「……」

 かける言葉が、見当たらなかった。

 大学とかどうすんのさ。帰省中だろ、家族になんて説明するんだ。横浜でどこに住むっていうんだ。僕の部屋に来るとしても隣に先輩いるんだけど大丈夫か。

 言いたいことはいくつも浮かんで、そしてそのどれもが、この場においてはことごとく不正解だった。

「……あ、ははっ。冗談冗談」

 無理矢理に笑ってみせる、その声はいやに痛々しくて。

「やー、ちゃんと酔っちゃったっぽいな……おやすみ」

 その言葉を最後に、僕が眠るまで星川さんは何も言わなかった。

「……おやすみなさい」

 僕も、改めて眠りに就いた。


 この時、僕はなんて答えればよかったのだろう。

 あなたの人生はどうするんだと冷静に諭せばよかったのか? 

 一緒に来てよとセカイ系主人公を気取ればよかったのか? 

 それとも。

「僕は変わらないし……何かあったら、星川さんにも心配してもらうよ」

 とでも、ぬかせばよかったのだろうか。

 そもそも、何か言ったところで、結末は変わったのだろうか。

 あの会話は岐路ってほどに、大したものだったのか。

 ……結局はタイムオーバーだ、考えても仕方がない。


 翌朝、僕も星川さんも、目覚めたのは八時ごろだった。

 星川さんはちゃんと自分のベッドに戻っていた。

「……昨日お酒飲んでからさ、あたし変な事言わなかった?」

「……別に」

 覚えては、いないらしい。

 多分。


「じゃあ、僕はこれで」

 結局。

 その日はホテルをチェックアウトした後、歩いて善光寺を参拝し。

 参道にあった良い感じのそば屋さんで信州そばを堪能し。

 昼過ぎごろには、僕は帰りの新幹線に乗るべく、長野駅へと戻って来ていた。

「またどっかで遊ぼうな。今度は奏も巻き込んでさ」

「うん……あ、じゃあ連絡先でも」

「……いいね。ラインでいい?」

 そう言うと駅まで来てくれた星川さんは、スマホを開いてQRコードを見せる。

 ソレをぱぱっと読み込んで、どうでもいいスタンプを一つ送る。

「ふふ、ありがと」

「じゃあ、先輩元気そうなら教えるよ」

「うん、頼んだ」

 そして僕は、改札を通った。


 その日、長野はいい天気だった。雪は降っていなかった。

 だから、そういえば手を付けていなかったシュークリームを今更頬張りながら車窓の外を眺めると、見える道は解け残った氷混じりの灰色か、どす黒いアスファルト。

 ……でも星川さんの帰り道は、ほんの少しだけ、明るい色に見えていたりもしそうだな。

 なんて柄にもない事を、何となく思った。


 ちなみにレンタル代と新幹線のチケット代は、ちゃんと先輩が払ってくれた。

「あれ、なんか割高じゃない……?」

「カウンセリング代ですよ」

 きっかり二割ふんだくることに成功したので、とりあえず僕は幸せだ。

25年冬の批評会に提出した作品です。

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