表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

⑧ヒキニートのサトル

 ◆


「探索者でもアルバイトでも何でもいいから働きなさい! お母さんもう67だよ!? もうすぐ70才になっちゃうんだよ! 年金だってそんなに貰えないし、さとちゃんがおうちでずっとゴロゴロしてたら生活できなくなっちゃうよ!」


 都内郊外のとある一軒家からそんな大声が飛び出してきた。


 窓が開いているのだ。


「いやですう!!! 働きたくないのですう──!!!」


 居間のソファに一人の男がクッションを抱きながら横になって喚いている。


 男の名前はサトル。


 年は今年で35になる。


 しかしその面持ちは幼い。


 童顔ではなく "幼い" のだ。


 キッズのマインドのまま大人になってしまった者特有の幼さであった。


「馬鹿者ぉ!! 年金はさとちゃんのお金じゃないんだよ!」


 サトルの母、クミが怒鳴りつける。老いた女とは思えないほどの迫力。怒りの念の外にも様々な感情が滲んだ声であった。クミは眼鏡をはずして目を拭う。余りに情けない思いで思わず涙してしまったのだ。


 しかしそんな思いも不肖の息子には届かない


「年金は俺のものだぁ──ー!! それと窓を閉めてよ、寒いよ!」


「換気だよ! さとちゃん……あんたみたいなごく潰しが家にいると空気が悪くなっちゃうからね! それと年金はあんたのものじゃない!!! お母さんもう限界だ!! 今日と言う今日は……」


 クミがそこまで言った所で、彼女の端末の音が鳴り響いた。


 クミはキッとサトルを睨みつけて、音声通信のアイコンをタップする。


『あ、お世話様です~、小田ですが~、約束のお時間となりましたが息子さんの様子はどうですか~? 一応今、ご自宅の外に待機しているのですが~』


 端末から妙に間延びした女の声が響く。


「おはようございます小田さん、息子は……サトルは駄目です。お願いします! 息子を家から連れ出して頂けませんか! 頑張っても面接がうまくいかないとかそういうことなら応援だってしますし協力だってします! でもそもそも働こうとしないし、そればかりかパチンコやスロットのお金をせびってくるようになってしまって……」


『わかりました~、大丈夫ですよ~、息子さんはウチがしっかり面倒をみますからね~、ご自宅に帰ってくる頃には立派な大人の男性として、心身成長していることを請け合いますからね~』


 小田と名乗る女はそういって通話を切り、はりつけたような笑みを浮かべたまま一軒家の方へと歩いていく。


 ・

 ・

 ・


「な、なんだよお! どこに連絡したんだよお!」


 サトルが不安そうに叫ぶがクミは取り合わない。


 やがてインターホンが鳴り、クミが眼鏡の弦の部分に触れて脳波解錠の操作をすると、「どうも~! 専心会の小田です~」という声が玄関から聞こえてきた。


 力こそ正義というようなこんな時代であっても落伍者はいる。


 認定NPO法人『専心会』は社会不良債権となってしまった人材を人財へと変える事を旨とした団体である。"社会不良債権"とはまたキツいワードだが、当の専心会がホームページでその様にぶちあげているのだ。


 彼らは引きこもり、ニートの類を捕縛し、厳しい訓練と規律正しい生活を強制してダンジョン探索者へ仕立て上げる。それはこの世界、この時代においては強い公益性のある活動内容ではあった。


 ちなみに国営であるダンジョン探索者協会とは(少なくとも名目上は)別組織で、協会はこのような団体のように強制的に人を捕まえるという事はできない。


 また国の方針としてはこういった団体の活動を黙認している。国としてもそういった層が減ってくれることはありがたいからだ。


 というより、国もまた率先して弱者排撃の動きを見せている。現在、国内の無職&ニートの数は数万人といった所だが、その数は年々激減していっている。国がこういった著しく生産性が低い者の基本的人権をどんどん縮小・制限していっているせいだ。これに対して抗議の声をあげる者もいるが、ほとんどが黙殺されている。


 ただし、国もそういった団体が無職&ニートの類を減らす為に何をしてもいいとしているわけではない。人材をあたら損耗する事があれば武力行使をも辞さないというスタンスだった。


 武力行使を辞さないというのは字面そのままの意味である。


 過去、捕縛した不良債権達に十分な教練を施さず、ダンジョンへぶち込んで全員未帰還という不祥事を起こした団体を国は物理的に潰した事もある。団体の運営、計14名の職員は全員が殺されてしまった。


『専心会』はこの手の団体にしては非常に健全であった。


 ダンジョン探索に必要な基礎身体能力や精神論を集中して学べるし、戦闘技能を身につけさせないままダンジョンにぶちこむという事もしない。


 寮生活となるが、寮生一人一人に個室が与えられ、食事も手間暇かかった美食が三食出てくる。


 殆ど殺し合いのような実戦訓練もあるため "教育" 中の死人が0とは言わないが、それでも戌級探索者の未帰還率よりは大分良い。


 そして低難度ダンジョンを多少なり潜れるようになったら、ダンジョン探索者協会への推薦状を貰って卒業出来るという寸法であった。卒業時には満了金というちょっとした報奨金も出る。ちなみに卒業生はそのまま協会へ入ってもいいし、入らなくても良い。


 ・

 ・

 ・


「あなたがサトルさんですね~、お母さまから依頼されてサトルさんを私たち"専心会"の同胞としてお迎えすることになりました、わたしは小田 ひろみといいます~、よろしくね~」


 サトルの前に立っているのは全体的にぽっちゃりとした、例えていうなら給食のおばちゃんという感じの中年女性だった。年の頃は50かそこらだろう。シルエットのまるみのせいか、人好きのする雰囲気がある。


「か、勝手に決めるな、よ?」


 サトルは言葉を全て言い終える前に意識を失った。


 滑る様にサトルの前に移動してきた小田が裏拳を放ち、拳の先をサトルの顎に掠めさせて脳を揺らしたからだ。見た目こそ給食のおばちゃんである小田だが、これでいて軽自動車程度なら10分もあれば素手でバラバラに解体できる程度には人間を辞めている。


 小田は力を失って崩れるサトルの体を軽々と抱え上げ、「それでは失礼します~」と去って行く。


 クミは小田の背を不安そうに眺めていたが、やがてため息を一つついて日常へと戻っていった。


 サトルはどうなってしまうのか。


 ◇


 変わりたいとは思っている。思っているけれどやり方が分からない。


 仕事をすればいいのだとママは言う。


 でもママは知ってるんだろうか? 


 俺が10分歩いただけで疲れるくらい体力がない事を。


 ママは知ってるんだろうか? 掛け算の九九もたまに間違えるくらい頭が悪い事を。


 家族以外とまともに話せない事を知ってるんだろうか? 


 出来ないのなら出来る様に努力すればいいのかもしれない。


 でも努力の仕方が分からない。


 俺には何も分からない。


 自分が何を知らないかもよく分からないのだ。


 普通になりたい、まともになりたい、でも何もわからないから今日も俺は部屋でテレビを見たりゲームをしたり、オナニーをしたりする。


 オナニーは二次元限定だ。


 三次元の女は糞だ。すぐ浮気して被害者面する。


 インターネットにそう書いてある。


 こんな日々は終わって欲しい変わって欲しいと思いながら、終わって欲しくない変わって欲しくないと思う俺がいる。


 毎日消えたいと思っている。「死にたい」じゃなくて「消えたい」だ。


 死ぬのは痛そうだし怖そうだからいやだ。


 それに死んだらママが悲しむだろう。


 消えるんだったらママの記憶からも無くなりそうで、それならセーフかななんて思ってる。


 ・

 ・

 ・


 そんな事を考えていたサトルの日々はある日突然終わりを告げた。


 小田を名乗る中年女が家を訪ねてきて、良く分からないままに意識を失い、気付いた時には知らない部屋にベッドに寝かされていた。


 目覚めたとき、サトルは「保健室みたいだな」などという感想を抱く。


 部屋の中には誰もいないが、まるでサトルが目覚めるのを見計らっていたかの様にドアがノックされた。


 ドアはサトルの返事を待たずに開かれ、見覚えのある相手が出てくる。


 ──たしか、小田、だっけ? 


「おはようございます~サトルさん~。気分はいかがです~?」


 小田の妙に間延びした声を聞いていると、サトルは何故か敵愾心とか警戒心とかが解けていくのを感じた。種も仕掛けもある話だ、一般人である彼には分からないが、小田は今微弱なPSI能力を使用している。


「こ、ここはどこですか?」


 サトルが聞くと、小田は柔和な笑みを浮かべながら答えた。


「ようこそ専心会へ~。ここは専心会の施設ですよ~。救護室です~、気を失っていたので連れてきたんです~。専心会ではあなたが社会で自立して生きていくためのサポートを行います~。学ぶべきこと、身につけるべき技術や知識がたくさんありますが、私たちはあなたを一人前のダンジョン探索者、あるいは社会で活躍できる人物へと育成することをお約束しますからね~」


「そ、そんなの……ひっ!? 


 サトルは悲鳴をあげかけた。


 小田の周囲に幾つもの眼球が浮かんでいたからだ。眼球はぎろりとサトルを睨みつけ、小便をチビってしまいそうになるほどの圧をかけてきている。


 サトルは慌てて目をこすり、ふたたび小田を見たが彼女の周囲に眼球は浮いていない。


 ──な、なんだ今の


 小田はニコニコ笑顔を崩さないが、サトルはそれ以上反抗的な言葉を口に出す事ができなかった。


 心臓の鼓動までも聞こえてきそうな沈黙が数秒続き、サトルの精神の柱が軋み始める。すると小田がウンと頷き、「何か見えましたか~? もしそれでつまらない御託を口に出す事を中断したのなら、それは英断でしたね~。もしかしたら素質があるのかもしれませんよ~」などと言う。


「そ、素質って何の素質ですか」


 サトルは思わず尋ねてしまった。自身のポンコツぶりを一番知るのはほかならぬサトル自身である。


「ダンジョン探索者としての素質です~。サトルさんは変わる事ができるかもしれませんね~。日々、無為に糞を垂れるだけのゴミから人財に生まれ変わるかもしれませんね~。ぬるま湯に浸って暮らしていた人って案外あの手の感覚が鈍かったりするんですよ~。そういう人は半殺しにして一度目覚めさせてあげなければいけません~」


「く、くそって」


 小田の汚い言葉は勿論、どんどん不穏になっていく内容にサトルの冷や汗は止まらない。


「入会手続きは既におわっています~。それじゃあ起きてついてきてください~。サトルさんのお部屋へ案内しますね~。それと今この瞬間から質問を禁止します~。きりがないですからね~、でも確実に言える事はサトルさんは此処で変わる事ができるんだっていう事、そして」


 言葉を切った小田は500円玉を取り出して、両手の指でつまんでぎりぎりと力を込める。


 何をしようとしているのかは明白であった。


 指の力だけで500円玉を引き千切ろうとしているのだ。


 サトルは目を見開き、"それ" が為されていくのを見ていた。


 ──……死ぬか卒業するか以外で此処から逃げる事はできないんだという事です~


 小田がそんな事を言った時、サトルは無惨な姿となった500円玉に自身の未来を幻視した。


 ◇


「……と思ってたけど、案外なんてことないな!」


 レクリエーションルームでサトルは "同胞" のオジマに言った。


 レクリエーションルームは10階建ての寮の一階にある大きな広間で、同胞同士の交流を深める事を目的として設置されている。


 寮はマンションタイプなのだが、個人部屋間の行き来は禁止されているのだ。


 規則を破ったものは誇張抜きで半殺しにされる。


 例えば不同意性交渉を目論んだ者も過去にいたが、こういった重大な規則違反は自身の命を以て罪を贖う羽目となった。


「本当かよ? なんか夜とか泣いたりしてなかったっけ? おっさんの泣き声とか聞きたくなかったんだけど」


 オジマがナマ(生意気)な笑みを口元に浮かべながら答える。笑みだけではなく、実際の性格の結構生意気だ。


「そりゃ最初はしんどかったよ、めちゃくちゃ走らされてさ。もう走れないっていったらぶっ飛ばされて……」


 サトルは "教練" の日々を思い出す。


 ・

 ・

 ・


 小田に部屋へ案内され、そこで一日を過ごして翌日。翌朝午前5時にたたき起こされ、食事。食事の後は寮生全員で隣に併設されているグランドへ連れてこられたのだ。


 そこでいかにも体育教師という風情の中年男から「まずは失神するまで走れ」と言われた時には、その言葉だけでサトルは気を失いそうになった。


 しかし言葉だけという可能性もある。まさか本当に失神するまで走らせることはないだろうと思っていたサトルだが、どれ程走ろうとも終了の合図はない。


 言うまでもなくサトルの体力はすぐに尽きてしまい、足が前へ進まなくなる。


 するとその教官の男がすっ飛んできて、「まだやれる! 俺はお前がまだまだやれると信じている! 限界を超えて行こう!! 自分を変えるんだ!」などと耳元で叫びだし、あろうことか他の寮生もそれに便乗した。


「もう少し、もう少しだけ頑張ろう!」


「専心! 専心! 走りぬく気持ちに専心してこ!」


「みんな! 彼といっしょに走ろうぜ!」


 サトルはこの地獄みたいなノリに本当にうんざりしてしまったが、こんなのが何度も何度も何度も続くと、自然と心が専心会色に染まっていく。


 そしてついに "ちゃんと失神するまで走り続けられた" 際には、教官と寮生から盛大な拍手と承認、認知の嵐が送られた。


 よく頑張ったね、ナイスファイト、最初は辛いよね、こんなに早く達成できるなんて。


 そんなワードがどかどかと投げつけられると、サトルは不思議と満たされていくのを感じた。


 何で満たされていくのか? 


 それは安心感かもしれないし、承認欲求かもしれない。


 自分には居場所があるという奇妙な感覚にサトルは戸惑う。


 そしてそんな日々が続き、サトルの心も少しずつ変化していき。


 気付けば『専心会』へ来てから既に1年が経っていた。


 ・

 ・

 ・


「サトルは最初酷かったもんなぁ。10分くらい走ったら吐いたりしてなかったっけ?」


「うるさいな、それまで運動とか全然してなかったんだから仕方ないだろ。オジマだって最初は辛かったんじゃないか?」


「あたしはサトルよりずっと若いからすぐ慣れたよ」


 オジマはニヤリと唇の片側を意地悪く吊り上げた。


 どこかサディスティックなケのある笑みにサトルは一瞬どきりとしてしまう。


 ──落ち着け、専心だ。明日からの教練に響かないように……。一意専心、鍛錬充足……


 女慣れしていないチー牛という自覚があるサトルは、胸中で必死で寮訓を唱えて心を落ち着けようとした。


 そんなサトルの気持ちを知ってか知らずか、サトルを見つめるオジマの笑みが僅かに深くなる。


 サトルの胸がもう一度ドキリと高鳴った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ