第六章 葛藤(2)
求人活動の最中、理恵の誕生日がやってきた。
彼女を喜ばせようと、少し奮発して高級なレストランを予約し、理恵も上機嫌だったため、そのまま歌舞伎町のバーへと足を運んだ。
バーは雑居ビルの最上階にあり、静かな雰囲気の漂う落ち着いた店だった。薄暗い店内にはジャズが流れ、ほとんどの客はカップルで占められていた。バーテンダーはカクテルを作りながら、カウンター越しに一人で来ている女性客と楽しげに会話していた。彼女が常連であるかのように、店内の空気が和んでいた。
「昔、中学の時に読んだ漫画でね、無口なバーテンダーがカウンター越しに客にそっとカクテルを差し出して、そのカクテルが心を癒すって話があったんだ。そんな仕事もいいなって、ふと思ったことがあったな。」と、私は何気なく口にした。
その瞬間、理恵の表情が少し変わった。
「バーテンなんてやめて。」
どうやら私が就職活動でバーテンダーになりたいと言い出したと誤解したらしい。私はただの思い出話のつもりだったが、理恵には不安を感じさせたようだ。
「いや、そんなつもりじゃ…」と弁解しようとしたが、彼女はさらに畳み掛けるように、「バーテンって、いくらもらえるの?」と問い詰めた。
誕生日の祝うためのレストランや、雰囲気のいいバーが、すべて私がバーテンダーになることを伝えるための布石だと勘違いしたらしい。
「水商売なんて嫌よ。」と、理恵はさらに強く言った。
その言葉は、私のこれまでの行動をすべて否定するかのように感じた。
その夜は、私は理恵の言葉に対して何も言い返さずに家に戻ったが、心の中で何かがはじける音がした。
翌日、理恵の反対を振り切るように、私は歌舞伎町のバーの求人誌を手に取り、即座に電話をかけた。運良く、その日のうちに面接が決まり、私はすぐに行動に移した。
そのバーは都内に三店舗を構える急成長中の会社で、バーテンダーたちはみな元気が良く、サービスも徹底していると評判だった。社長は四十代前半だが、見た目は三十代半ばに見えるほど若々しく、独立心を持つスタッフを育てることに力を注いでいた。実際に、社長のもとから独立して成功したバーテンダーたちが数多くいるという。
社長の信念は、「独立心のない人間は、どこかで人に頼ろうとするため、大きな成長は望めない」というものだった。そのため、見習いバーテンダーも多く抱えており、全員が将来の独立を目指して日々努力しているという。
私は、翌週からそのバーで働き始めることになった。
定食屋の仲間たちも、私の就職が決まったことを喜んでくれた。
送別会を開くという話もあったが、同じ新宿で働くことになるため、いつでも会えるからと断った。家に戻り、理恵に新しい仕事が決まったことを伝えると、彼女は不満を口にしたが、私がすでに決断したことだと知ると、それ以上は何も言わなかった。




