繰返されるBURSTとまわれ地球
「9月20日」っていうのはね···高校の時のはなし。朝ね、地元の駅からN駅への行くの。そこからバスに乗ること20分、わが母校に到着。家からはかなりの距離。その日はN駅でに乗り換えた。上りM行き。自分だけの考える時間が欲しくて。前日から行くことに決めていて、どきどきしていた。···このあたしが、学校サボるなんて本気で思ってないでしょ?!だったらやってやろうじゃんか!···もうほとんどやけっぱち、こんなこと、つまり学校をサボることくらいできなきゃ、あたしは、一生だめになる···それくらいの勢いはあったね。自分を試した、そんな意味もあったけど、違う。逃げたかった。9月12日にライブがあった。それから一週間、頭がどうかなりそうだった。ライブから一週間後、夏休み総仕上げテストがあった。教室の壁はしばらく見慣れていなかったせいか白すぎてあたしの目に映った。白い箱に閉ざされた窓。空からは具合悪そうな空の色。滅入っていた。このテスト、何か意味とかあるかな。やらないと、この意味のないテストにまで見放され、あたしも意味なくなるから、やらなきゃいけない?あたしはBURSTした。
朝7時30分、上り電車は空いていた。あたしは4人がけのボックスシートの窓側に座った。通路を挟んだ隣には、K高の制服を着た女が座っていた。膝の上に単語帳、にらみながら口に固形の栄養食をほおばっていた。なんだかかわいそうな気がした。ひがんだのだ。県内で一番の進学校、入学してからが大変なアメリカの大学みたいな高校。あんたよりましなあたし。わたしは彼女と向かい合うような向きが気に入らなかったのもあって、向かいの席に座り直した。彼女はわたしに目もくれない。わたしは、手に取ったかばんを開けて朝ごはんを探した。ぐちゃぐちゃに折れたポッキーは、わたしをまた緊張へ押し戻した。使うはずがない辞書にめっためたに折られたのは、わたしだった。だるかった。なんだかかわいそうな気がした。ひがんでいたから。またどきどきしだしてきた。えらいことをしたような気分に、やってしまったという気分に、充実感はあまりなかった。ばらばらなポッキーをほおばった。口を動かし、目を覚まそうとする。イヤホンを耳に押し当て、窓を見た。とっくに動き出していた電車の窓から、グレイな空をみた。自分が初めてした無断欠席が恐ろしい、暗い雲を連れてきたようだった。黒い雲が空から垂れている、いや、しがみついているように見えた。こわい。学校のことが気になった。このレールの長く緒をひいたわたしの足跡。学校へ行っていたはずだと責めるように続く長い足跡。学校のことが気になって気になって、心がいっこうにしずまらない。ひどい冷や汗で体温がなくなりそうだ。おぼれて死んでしまえ。死んでしまってもかまわない、早くしずまってください。後悔しないように、ただそれだけを思っていた。電車はボリュームを上げた。雲からは解放されたが、窓に映ったわたしの顔に、「ガラス玉」が散らばっている。わたしは、泣き出しそうだったが、せっかく空が泣き出したのだから譲ってあげることにして、イヤホンから流れ出す『ガラス玉』に意識を傾けた。
――はい、プリント行き渡ったかしら?
先生はそう言いながらきょろきょろ見渡している。プリントには英語の質問。自己紹介する欄があった。名前、住所、家族構成、趣味、他にも3つくらいあった。
――あら、そんな単語知ってるの?すごいじゃない。
バカにしてんのか?先週習った単語を使っただけ。教えながらわたしたちのこと、そんなふうに見てたんだ。わたしはイラついていた。いちばん最初の質問に答えられないことがそれに拍車をかける。
――地軸ですか、先生。
――なに言ってるの!見えないでしょ、そんなの。
本当にわからないの?
なんだろう一体。神様の力?まさかね。
――地球がなにを中心に回っているかなんて、そりゃ、
自分を中心に回っているに決まってるじゃない。
受験と向き合いたくなかった。誰かの言いなりでやるような勉強は、つまらない。でもかといって就職するのはどうだろう。お父さんもお母さんも、わたしが進学すると思ってる。わたしもそう思うようにしてきた。してきただけだったのかもしれない。だからこそ、破綻しそうなのだろう。わたしは、どうしたいのだろう。わたしはただ、年末にライブへ、東京へ行かせてほしいと思う。ただそれだけだった。
電車が止まった。銃で撃たれたように体が前後に揺れた。
あれは中学二年生の英語の時間をだった。自分を犠牲に生きてきたわけじゃない。なのに、どうして気がつけなかったんだろう。
雲の見えないトンネルに入ると、窓にわたしを映さないほどの雨の水玉が散らばっていた。
イヤホンから流れ出てくる曲も『ガラス玉』になっていた。
実は年末に行くライブのことをずっと考えていたのだ。受験生だし、暮れも押し迫ったそんな時期にはたして、親はわたしを東京へ逃がしてくれるだろうか?それを考えるための時間だった。「ゆるし」が必要だから。東京へ行くことは、そのまま受験を放棄するぐらいの覚悟があった。意味ない覚悟。ある駅で降りた。母親の実家があった。改札を出て、キップを買った。祖母には会わずに、下りの電車へ乗り込んだ。
まだ気持ちが楽だった。まだ間に合う、そんな気がした。でも、問題は解決されたわけではなく、まだ、空も具合悪そうな色でただれていた。
学校へ行かず、真っ直ぐ家へ帰った。母は驚いた顔をしたが、わたしを責めたりしなかった。母はもう、わたしを叱ったりする気力にかけた、小さな、小さな魚のような目をしていた。あれから1年間も生きれない人の目を、そう、していた。
白い箱の中に、人形といる。夏休み明けのテストは、まだまだ暑い始業式後のみんなの意識が朦朧とした中で行われる恒例行事だ。誰一人逆らわない。鉛筆を忙しく動かしている。わたしは止まっていた。頭がどんどん机にすいよせられていく。眠かった。10日後に迫ったライブのことを考えながら目を閉じた。都合のいい現実逃避にわたしは、睡眠を選んだ。まぶたと頭が落ちていくそのわずかな間に、氏名の欄に視線をやった。いつの間に名前なんか書いたんだろう。わたしの意識は、それとは反対の世界に引き寄せられていった。無条件に楽しいこと、それは、眠ることかもしれない。白紙のまま提出する勇気は、どこから生まれてくるのか。誰かに与えてもらうものなのか。何も書かないで提出したら、どうなるのかな。わたしの未来も真っ白けになるらしい。じゃあ、もう人生おしまいだね。
9月20日、わたしはBURSTした。「なにか」もぶっ壊れたんだ。
大事なこと、すべて忘れたかった。何も考えたくなかった。だからといって改札を出ずにむかいの番線の電車に飛び乗っていい理由にならないのは、わかっていたんだ。
学校を休む正当な理由じゃない。学校へは行きたかった。友達もいるし、話がしたい。でも、どんな話をしたら笑えるかもう知っていたし、難しく考えすぎだよ、と言われることも予想できた。誰も聞いてくれやしない。でも学校へは行かなきゃならない。ついていけず、毎回うんざりするほど退屈な数学のクラスでも、遅れをとるのは、不安だった。
ただ逃げ出したかった。今日しか生きないつもりで逃げ出したかった。
おれを信じろ、みたいな安っぽいのは嫌いだ。数学には、そういう意味の魔法があった。
目的は一体なんだったのか。
さんざん逃げ出したいと言っておきながら、本当はわからない。何をしに、何の目的で?見失う前から、喪失していた。
誰かにわたしの勇気を認めてほしいと思った。何でも好きなことができる時間を作ったのに、落ち着かない。協調性が染みついたこの身体。はん···こうしたから?
1996年
桜はもう散った。緑の若い葉がぐんぐんのびている。それでも桜並木のこもれびの数は、いっこうに減る気配がなかった。川沿いの桜は全部で何本あるかをかぞえていくと通りにでた。通りのむかいに病院の正面玄関がある。予備校からの徒歩10分、わたしはいつもの病院へいくさくらコースを歩いていた。5月ももう終わろうとしていた。
6月に入ったある日、その日は朝テストが終わるとさくらコースへは行かず、そのまま駅にむかった。ホームにでて電車を待つ。冷たい風が行ったり来たり、吹き抜けてはホームで粉々になるように音もなく消えたりした。
梅雨入りして間もない、晴れ渡った青い空に視線を投げた。陽射しは痛いくらいに強く、暑いくらいだったが、わたしをあたためるにはいたらなかった。わたしは、冷たく冷え切っていたから。あの日も冷たい日だった。
1995年
9月20日、彼女はBURSTした。みしみしときしみながら音をたてて崩れそうだったから。その年の暮れに武道館でライブをする、彼女の好きなアーティストの曲を引き連れて、彼女はあてのない旅をした。かっこよく名前をつけた。〈家出〉にしよう。一大決心という意味をこめて。高三になって彼女はますます勉強が嫌いになった。なぜだかは、たくさん理由がある。数学のS先生が「必要悪」という言葉で彼女を締め上げたことも、その一つらしい。その中でもいちばん際立っているのは、勉強がこの将来本当の本当に必要なのかどうかという疑問を解決できなかったから。勝手に「なし」のこたえをほしがっただけのことなのだが。誰も彼女に教えてくれない。彼女は気がつけなかった、自力では。その今がおしまいだってことに。
彼女は、ライブへ出かけるべきか否かを悩み、そしてどうしていいかわからなくなってなにもかもをやめてみることにした。じっくり考えよう。まだ親には言っていない。この段階でじっくり考えてみよう、彼女は自分自身に迫っていた。
①進学→ライブに行けない
②浪人→ライブに行けない
③フリーター→ライブに行ける?
今思えばそこまで掘り下げて考える必要はなかった。だけども、そのときはすべてだった。
②はどうして行けないかというと、フリをしなければならないから。大学へ行く姿勢を、ライブへ行かないという姿勢で証明しなければ。けれど、彼女は浪人するくらいなら、いっそフリーターにでもなった方がいいと思うくらい、勉強にはうんざりしていた。脳みそのしわは、これ以上深く、増えたりしない。
互いに互いだけの地球が回っている。
他に与える害など考慮に入れないで、自分だけの地球を回している。
わたしにも地球があったが、それは停止してしまったらしい。ほんの些細なことだ。
中学の英語の授業でのことだった。配られたプリントのいちばん上の質問は、こういう内容だった。「地球は何を中心に回っているでしょう?」大半の生徒は、頭を理科モードにきりかえて、まったく頭の固い解答を書きこんだ。それをまわって見ていた先生は、いらいらして、「地軸なんてどこにあるのよ!目に見えるもの!わからんかねぇ!」わたしは、だんだんこわくなった。この抱えているこわいという気持ちが深刻になって行く気がした。心の中には、こわい、と思った瞬間から大きな穴が開き出した。だんだん見えなくなるように、真っ暗な、大きな穴が開いて、大きく。わたしの地球がそこへ吸いこまれていく。あきれた顔で話し出す先生の声に促され、地球はすっぽりその穴を塞いだ。
「中心は自分!わたし!」
それからずっと止まっている。
9月20日、わたしはBURSTした。ただ地球が回りはじめようとしていた。
わたしは自問しつづけた。わたしはただ東京に行きたいだけだった。でも行かせてもらえない気がしていた。今までのわたしからは、言えなかった。そんなことを言ったら、がっかりさせてしまいそうで、言うのをためらっていた。期待に応えなければ、いつもそう思う。喜びは、いつも周りから与えられる。満足感や達成感ではなく、周囲の喜びが、わたしの。東京に行かせてもらえないのは、受験のせいだと思っていた。だから受験をやめれば、いいと思った。ただ、それを言いだす勇気もなかった。悲しませたくないから?自分で惨めになるのが嫌だから?わたしにはわからない。みじめって、どういう意味かな。
こういう問題を抱えるのは、この時期だから?さまよう時期。
逃げれば、ライブに行ける、でもそれでいいのか、答えがほしかった。誰かに教えてほしい。その人の言った通りにする。それに従いたい自分もいたのだ。
自分を見直す。学校では広すぎた。家は狭すぎる。学校は突き放す。家は、閉じ込める。
何でも話せばよかった。もっと秘密を持ちたかった。いっこうに視界はひらけない。繭玉から飛び出した細い、細い繊維のように未来への岐路はいくつもあったのだ。
いよいよ空は泣き出した。まだ残暑厳しい季節であってほしいのに、だんだん寒くなってくる。わたしは暑い学校を思い出していた。あの「枠」から外れると、急に寒くなるのは、染みついた協調性が体温を奪うからなのかもしれない。無断欠席を初めてした。なんとも、守られている身分とは、窮屈でありがたいものだろうか。
母が退院して10日が経っていた。けれどわたしは家政婦生活から解放されたわけではなかった。それからも、逃げ出したかったのかも。でもズル休みのしかたも知らない。罪の意識、良心の呵責に耐える術を知らない。
わたしにとって、血のつながりのない人はひとりとしていなかった。
血がそうさせるのだと思う。みんなを幸せにできる、幸せにしなければならない。
繰り返されてゆく、すべてのことが。