花火
葬式の主役って誰だろう。人生、いろんな式に出席して主役を務めることもある。葬式の主役って、やっぱり死んだ人になるのかなぁ。死んでいるのに主役ってどういうことなんだろう。それにしても主役なのに、人間扱いされてない。 葬式ねえちゃんとはわたしのこと。
誰かが言ったわけでもない。まひろちゃんがそう思っているからでもない。
ただ、自分のことをそう呼んでみただけ。
人が死んだ。それを目の当たりにしたのは、19の夏だった。
その人は、乳がんだった。しまいにがんはいろんな所に転移していた。モルヒネをいっぱい使って最期までがんばって息をしていた。でも、心臓が止まった。
わたしは、詳しいことはなにひとつ、聞いていなかった、と思う。先生の話も、一度も直接聞いたことがなかった。なにより、わたしは信じていなかった。このライフイベントはできればわたしが子供を持つその時まで、迎えたくなかったから。
わたしには、突然すぎた。他の人にはどうだったかわからない。先生は、宣告していた通りだった、という感想かもしれない。自分には起こらない出来事なんてもの、ひとつもないのだ。ドラマチックなことなんて、ないんだ、とわたしは思う。永久にカットの声もかからない。
わたしは昼食とも夕食ともつかない食事をしていた。病室でテレビをつけフライドチキンを食べながら、サッカーを見ている。白い壁の個室で、好き放題にチキンをむさぼるわたしと弟。ベッドの上の苦しそうな、か細い呼吸に背中をむけて、食べているわたしと弟。
なんだかいつもとちがう気がして、ベッドに目をやると、深い、深い息をしていた。おなかの鳴るような痰がからんだ音がした。ぜいぜいしながら3回も。わたしは、チキンを片手にそれを眺めていた。すべからく眺めるべし。わたしは、これを見届けるためにここにいるのだと。わたしは、はっとした。そこへ誰かが入ってきた。知・・らない人、いや、わたしにはわからない。私の名前を気軽に呼ぶが、誰だろう。私の顔をみるなりがっかりした声をあげ、急いで何か言っている。
「いやぁー、私ね、お母さんのいとこのが。うちの実家の父親がこの上に入院しててさぁ、それでお母さんのこときいててぇ、お見舞いに来たがぁてぇ。いややぁ、わたしのこと、呼んでくいたがぁろっかねぇ。知らせてくるてぇ。」
おばさんが出ていくと同時に先生が入ってきた。ナースステーションにいちばん近いこの部屋には、心電図がない。ナースステーションにモニターがあり、家族には見られないようになっているらしかった。
先生は見たに違いない。
油でぎとつく口、真っ赤な目と涙と鼻水まみれのわたしの顔を。わたしは泣きながら、それでもフライドチキンを持っていた。ベッドに近づいて肩を揺さぶり、激しく呼びかける、大声で何度も、何度も。そんなドラマみたいな瞬間はなかったし、実際はできないものなんだ。チキンのおいしいにおいが充満していたこの部屋には、先生の眉間のしわを解消するだけの、先生の知っているリアルはなかった。わたしの涙は、確実にリアルだったのに。失ったかわいそうなわたしのための涙ではなく、純粋に、命が消えた悲しみのための涙。
すみよしのおばさんが来た。母の叔母だ。わたしに言っている、
「連絡しれてぇ、今ごろもう、着いてるっけ。お父さんはぁ?いやらてぇ、こんげん時にいねぇがぁっけてぇ。」
わたしはもう、涙を流している場合じゃないと言われてるような気がした。テレフォンカードをもって部屋を出るとき、やっと弟を見た。目を手でこすっていた。開ける暇もないほどに。待合室に行き、片隅にある緑の受話器を持ちあげた。
わたしは報告するのに慣れていなかった。察してもらう人生を歩き気味だった。本当のこというのが生まれて初めてのような気がした。いつも嘘をついているから、ごまかしているから、そう思って後悔した。2時間前に病院を出たはずだから、今ごろは着いていると繰りかえし思った。でも、わたしの口から言いたくなかったから、着いてないといいと思った。
「ばあちゃん?・・うん、そう。・・はい。」
もう、だめらったかぁ。その一言がわたしの胸を締めつけた。泣きすぎて、呼吸困難に陥ってしまった小さい子みたいに、肩で息をしながら受話器を置いた。すぐに行く、とばあちゃんが電話で言っていたことを追いかけてきた弟に言った。
病室に戻ると、先生はいなかった。
本当に、先生は最後まで何も言わなかった。わたしには何も言わなかった。
看護師さんが、お待ちください、と声をかけて出ていった。すみよしのおばさんだけが残っていた。わたしと弟はベッドの横の座りなれた定位置に腰をかけた。おばさんにも座るようにすすめたが、戻る、と言って出ていってしまった。
廊下で声がした。タオルで汗を拭きながら、ドアを開けて入ってくる。
「はぁー、だめらったかぁ。」
お父さんは、額に当てたタオルで目をおさえ、ベッドの上の、久しぶりの素顔を眺めた。泣きながら、見えないくせに、眺めていた。タオルから声がもれていた。わたしたちには、言ってこなかった、知られたくなかった思いがこもっていた。ためていた気持ちが、あふれるかのように、しばらく眺めていた。酸素マスクに覆われた顔、さまざまな点滴の管を手の甲や腕に絡ませていた頃には忘れていた、懐かしい姿を、眺めていた。お父さんは、手を冷たいだろう額に乗せて、次に武装の解かれた手を握った。
わたしは恐ろしいと思った。わたしにはできない。死者に触れるなんて、恐くてできない。ふと、わたしは何を考えているんだと思ったが、わたしの感じた恐ろしさは消えなかった。
夏の夕闇がゆっくり迫っていた。遠くでぱーん、ぱーんと乾いた音がした。19時を回っていた。
白い病室が、夕闇に浮かび上がった。わたしは、電気をつけた。
わたしたち3人はベットのそばに並んで座った。わたしはこれをみられている気がした。だから、恐ろしかった。だから電気をつけたのかもしれない。
看護師さんがやってきて、わたしたちは追い出された。病棟の長い廊下の両端にあるスペースへ行った。そこは「広場」と呼ばれていて、リハビリの人が小休憩をし、お見舞いの人がお昼を食べたり、お母さんが散歩に行く、とよく言っていた場所だった。180度にひらけた全面ガラス窓で、新幹線が走る鉄橋が、50メートルの距離を隔てて真正面に見えた。わたしは民家の屋根を見下ろして、新幹線が通るのを眺めたりしながら過ごした2度目の手術後のことを思い出していた。管をいっぱい身にまとう前の、リハビリをがんばっていた頃のことを。死なないと信じていた頃のことを。
窓に映るわたしの姿、いつかは制服を、いつかはピアスをあけた耳を映した窓。
遠くでどーん、どーん、雷みたいな低い音がした。窓ガラスはびりびり鳴った。そう、花火大会があるのだ。その日はお祭りで、お母さんが毎年楽しみにしていたお祭りで、家族で毎年見ていた花火大会だった。ここからは見えない。「広場」は、河川敷とは違う方向を向いていたから。お母さんは、見られないと思っていたかな。お母さんは、花火になったんだ。花火に見送られながら、昇るのだ。わたしはそう思った。もう、忘れないよ、忘れたりしないよ、花火の日じゃなくても、忘れたりしなかったよ。わたしはそう思った。