Ⅱ
「それでは失礼します」
「……」
アリスティアが部屋から去り、一人になったルガルド王子。
彼はテーブルに視線を下げる。
「くくっ……馬鹿な奴だな」
不敵な笑みを浮かべていた。
彼は今、呪いによって縛られている。
彼女の命令に逆らうことができない。
先ほども、彼女の命令に従順に従う姿勢を見せた。
が、一つ大きな賭けを仕掛けていた。
「頭の回転が遅い女で助かった。おかげで僕も動ける」
何もするな、と言われている。
しかし彼は明言させた。
彼自身は何もしない、それで構わないなと。
この言葉には、やり取りには大きな抜け穴が存在する。
彼はあえて指摘しなかった。
「僕は何もしない。そう……僕が直接ことを起こさなくたってやれることは山ほどある」
彼は曲がりなりにも王子という立場にある。
その発言力、影響力は計り知れない。
彼を支持する者たちは、彼の命令を疑わない。
たとえ抽象的な説明になろうとも、漠然とした危機だろうと、彼の一声で多くの者たちが動き、備える。
加えて彼は気づいていた。
気づいた上でほくそ笑んでいた。
アリスティアが呪いの発動に設定した条件の中に、彼女の願いを無視する項目は存在しない。
呪いの発動条件はあくまで二つだけ。
呪いを口外すること。
アリスティアの正体をばらすこと。
そして彼女自身が呪いを直接発動させるのは、一定距離まで近づく必要があることも、独自で調べて知っている。
つまり、ここで仮に彼が勝手な行動をしても、バレなければ死なないのだ。
「見ていろ……アリスティア、僕をコケにしたこと後悔させてやる」
彼は復讐に燃えていた。
自身を陥れた彼女を引きずり下ろすことを妄想する。
ここまでコケにされたことなど、彼の人生においてはじめての経験だった。
故に憎しみの炎は王都を燃やし尽くすほど強く、大きく膨れ上がっている。
呪いに対する恐怖より、彼女の対する怒りが勝る心境。
バレる前に策を組み立て、アリスティアを殺すことができれば、もはや呪いを解呪したも同然である。
暗闇の中に光明を見つけた彼は生来の図太さを取り戻していた。
まだ自分のほうが優勢であると。
頭脳で勝っているならば、彼女を出し抜くことなど造作もないと考えていた。
そう、彼はまだ侮っている。
自分ならこの状況すら簡単にひっくり返せると思い込んでいる。
一度謀られた程度では考えを改めない。
痛い目を見ても、怒りで全てを忘れるほど単純だった。
故に気付かない。
自身が相手にしている若き魔法使いが、その程度の策を見抜けぬはずがないことに。
所詮王子など、彼女の前では赤子同然。
すべて彼女の掌の上で滑稽なダンスを踊っているだけだということに。
◇◇◇
やることを済ませた私はレイニグラン王国に戻る。
本来ならセイレスト王国の宮廷で働いていないといけない時間だけど、その辺りも含めて愚かな王子様が上手く誤魔化しているはずだ。
多少強引な理由も、王子である彼の言葉ならまかり通る。
「便利なものね。王子って」
傀儡になった王子は嘆くしかないだろう。
今まで見下していた相手に命令され、その命令に従うしかない。
屈辱以外の何ものでもない。
ただ、あの愚かな王子のことだ。
もしかすると、今頃悪だくみをしている最中かもしれないけど……。
「楽しみね」
私は不敵な笑みをこぼす。
その全部を含めて、彼に最大の屈辱を味わわせてあげる。
生きていることを後悔するほどの。
王子に生まれてきたこと、これまでの横暴を悔いるといいわ。
「相変わらず悪い顔をしているね」
「――! あなたも戻っていたのね。シクロ殿下」
突然声をかけられ少し驚く。
振り返るといつものように、胡散臭い笑みを浮かべていた。
私はムスッと顔をしかめる。
「露骨に嫌そうな顔をしないでくれないかな? 一応傷つくんだよ?」
「あらごめんなさい。気を付けるわ」
私がそう言うと、やれやれとシクロ殿下は首を横に振る。
この人も一応王子様だけど、ルガルド殿下とは違った意味で、今さら礼を尽くす必要はないと思っている。
現にこの態度をしても気にしていない様子だ。
これはこれで気楽でやりやすい。
あとは同族嫌悪か。
王子という立場でありながら単身敵国に乗り込み、復讐の機会をうかがっていた彼に、少なからず近いものを感じている。
認めたくはないけれど、彼と私は似ている部分がある。
「そっちは順調なの?」
「ああ、昨日話した通りだよ。順調に交渉は進んでる。君が人質を助けたことがかなり好印象だった」
「そう、いいことはするものね」
「まったくその通り。というわけで、もう一つくらい、いいことをする気はないかな?」
シクロ殿下は胡散臭い笑みを浮かべて私に尋ねてきた。
正直面倒だなと思ったし、それが顔に出てしまった自覚もある。
彼は期待の眼差しでじっと見つめてくる。
「……何をさせる気?」
「ちょっとした技術提供だよ。君がセイレスト王国で作った生活のための魔法技術を、こちらにも教えてほしいんだ」
「ああ、そういうこと。確かあれも勝手にセイレストが自国で独占していたわね」
「そうなんだよ。我々には一切教えてくれない。君の意思でそうしているわけじゃないことは、こうして関わってわかった。だからこうしてお願いしている」
テキトーに話しているように見えて彼は真剣だった。
私が考える以上に、セイレスト以外の国では深刻な問題なのかもしれない。
数秒考える。
今回の件で味方になってくれるのなら、提供することに躊躇いはない。
ただ一点、時期が問題だ。
「それ、今すぐじゃないとダメかしら?」
「別に構わないよ。君も忙しいのは知っているから」
「そうじゃないけど。そうね、作戦が終わった後でいいなら提供するわ」
「……なるほど。何か仕掛けているんだね」
シクロ殿下はニヤリと笑みを浮かべる。
私が何を言う前に、企みを察してしまえる彼の聡明さには素直に驚かされる。
「ええ。今教えてしまうと後々大変よ」
「だったら後で構わないよ。君が何を仕掛けたのかも、見ておきたいしね」
「そうね。見てもらった後にまた聞くわ。もしかしたら、やっぱりいらないって思うかもしれないわね」
「へぇ、そのくらいか。楽しみだなぁ」
そう言って彼は笑う。
私が三年かけて積み重ね、張り巡らせた大仕掛け。
特大の花火はもうすぐ打ち上がる。
私も楽しみにしている。
彼らが一体、どんな風に絶望するのか。






