39.裏切り者だからこそ
国王陛下の容態は急変し、安定した日の夜。
雲一つない綺麗な月夜だった。
みんなが寝静まり、静かになった王城の一室に、小さな足音が聞こえる。
歩幅は大きく、急いでいるようにも聞こえた。
使用人の少ない王城では、人の目も少ない。
不審な人物が紛れ込んでいても、きっと誰も気づかない。
杜撰な警備体制をあざ笑うかのように、その足音が向かったのは、国王陛下の寝室だった。
ガチャリ、と扉が開く。
「――こんな夜更けにどうしたのかしら? カリブさん」
「――!」
「待っていたわよ」
月の灯りをバックに、私は笑みを浮かべて彼を見る。
部屋に入ってきたのはカリブ医師だった。
私に声をかけられたじろぎ、動揺を感じている。
「アリスティア宮廷魔法使い? 君こそ何をしているんだ? こんな時間に、陛下の寝室で」
「あなたを待っていたのよ」
「私を?」
「ええ、来ると思っていたわよ。不安だったでしょう? 魔法使いである私が陛下の身体に触れて……せっかく完成する呪いが解けてしまうんじゃないかって」
「――!」
カリブ医師は大きく目を見開く。
今さら、医師かどうかも怪しいこの男は、険しい表情で私を睨む。
「何を言っているんだい? 呪い? それは君の専売特許じゃないのか?」
「ええ、だから気づけたのよ。陛下の身体を蝕んでいるのは病じゃない。魔法……呪いの力だって」
ずっと感じていた不信感。
この男は信用ならないという直感は、どうやら当たっていたらしい。
心のどこかでホッとしている。
私の人を見る目は間違っていなかったらしい。
「そろそろ医者のフリはやめたら?」
「……ふっ、フリではなく、私は医者だよ。ただ少し、呪いの技術を持っているだけだ」
「認めたわね。自分がやったって」
「ここまで至れば言い逃れはできない。君がこの国へ来るのがもう少し遅ければ、私も任務を終えて帰還することができたんだが、とんだ誤算だった」
任務……帰還?
まさかこの男……。
「この国の人間じゃなかったのね」
「なんだい? てっきりそこまで気づいているものと思ったけど?」
「どこの国の刺客かしら? 随分と長く潜り込んでいるみたいだけど、よほど価値のある……そういうこと」
「気づいたか? 君と私は同郷だよ」
カリブ医師は言い放つ。
この瞬間、私は理解した。
なぜこの男が信用ならないと感じていたのか。
違和感の正体、それは……私と似ている気がしたからだ。
シクロ殿下の正体に気付いた時と似ている。
まるで、鏡に映った自分を見ているような気がした。
彼の時と明確に違うのは、違和感すら抱いたこと。
きっとそれは、よりこの男がスパイとして三年間活動してた頃の自分に……そっくりだからだ。
人を疑い、人を恨み、人を羨ましがっていた自分に。
私はこの世で一番、私自身を信じていない。
「納得したわ。つまりあなたが、レイニグラン王国を完全に終わらせる最後の一手だったわけね」
「そういうことだ。私が王を消し、この国を終わらせる予定だった。呪いの効きが遅く、随分とかかってしまったが、ようやく達成される。だから、邪魔をされては困るんだよ、小娘」
カリブ医師は寝ている陛下の枕元へと駆ける。
「そこを動くな。動けば今すぐに陛下を呪い殺す」
「不可能よ」
「確かに、いきなり死なれては不自然だ。だがここまで弱れば関係ない。殺そうと思えば今すぐに殺せる。ついでに君も殺してしまえばハッピーエンドだ」
「だから、無理だと言っているのよ」
私はゆっくりと指をさす。
「もうそこに呪いはないわ」
「……は?」
「解呪してあるわよ。あなたがかけた粗末な呪いは」
「なっ、馬鹿な! あそこまで進行した呪いを他人が解呪しただと?」
驚愕するカリブ医師に、私は侮蔑の笑みを返す。
「滑稽ね。確かにあなたは医者だわ。魔法使いとしては二流以下だもの」
「っ……」
「進行度合いなんて関係ないわ。私とあなたには、天と地ほどの差がある」
「くっ、ならば直接手を――ぐっ!」
動かした手は冷気を纏い、一瞬にして凍結してしまう。
動けなくなったカリブ医師はもがく。
「く、くそ!」
「私が見ている前で殺せるはずないでしょう?」
パキパキと彼の身体が凍っていく。
手と足、胴体まで徐々に。
「や、やめろ! やめてくれ! 私も好きでやっているんじゃない! 命令されて仕方なくやっていただけなんだ!」
「だから何? あなたは味方じゃない。何より、あなたのせいで失ったものは二度と戻らないわ」
「い、嫌だ! 死にたくない! こんなところでぇ!」
「安心しなさい。殺したりなんてしないわ。あなたはレオル君の前に差し出す。彼の前で、声がかれるほど懺悔しなさい」
処遇を決めるのは私じゃない。
苦しんでいた本人と、それを見続けてきた家族だ。
氷の像になったカリブ医師に、私は呟く。
「あなたが言った通り、呪いは魔法使いの専売特許よ? わかっているなら安易に、こっちの領域に踏み込むべきじゃなかったわね」
魔法で私を欺こうなんて、百年早いわ。






