36.姉として
「嫌あああ! こないでぇ!」
彼女は必死に叫んでいた。
信じていた婚約者の後姿が消えるまで、涙を流しながら声を上げた。
意味不明な発言と会話による混乱も、この状況による恐怖と絶望が上書きする。
男たちがいやらしい目つきで迫る。
頼りの魔法は使えず、手足もまったく動かせない。
されるがままに、これから男たちに弄ばれるだろう。
「お願い……誰か……」
――助けて。
「はははっ、その面たまんぇうぇ!?」
「だ、誰だてめぇ、ぶえっ!」
「ごあ!」
「うっ!」
恐怖から目を瞑り視界を閉ざし、聞こえる音すら意識的に遮断してしまっていた彼女は、いつまで経っても触れられないことに気付く。
そしてようやく、恐怖が薄れて声が聞こえる。
「なんなんだごら!」
「悪いわね。これでも一応……姉妹なのよ」
「――え」
彼女は恐怖で閉じていた瞳を開く。
そこに立っていたのは男たちではなく、よく知る一人の女性であることに驚いただろう。
涙でぐしゃぐしゃになった表情で私を見つめる。
「お姉……様?」
「……久しぶりね、システィーナ」
私たちは再会した。
薄暗い王都のどこかもわからないような場所で。
彼女は拘束され、私は男たちをボコすかと倒しながら。
「アリスティア・ミレーヌ!」
男たちが次々と剣をとる。
どこかに隠していたらしい。
それ以前から、彼らの正体には気づいていた。
「なぜ追放された貴様がここにいる!」
「そっちこそ、誇り高き王国の騎士様が、こんな非道なことをしていいのかしら?」
「はっ! 殿下がいいとおっしゃったんだ。俺たちはただ命令に従っているだけだ」
「そう。なら本心で襲おうとしていたわけじゃないの?」
私はわかりきった質問を投げかける。
すると男たちは笑みを浮かべる。
ゲスな笑みを。
「そんなこと、言わなくてもわかるんじゃないか?」
「……そうね。聞いた私が馬鹿だったわ」
私は小さくため息をこぼす。
幻覚魔法を施したのはルガルド殿下のみ。
つまり、ここにいるほとんどの騎士たちには彼女はシスティーナの姿のままだ。
ルガルド殿下の発言の矛盾に気づけば、彼がまやかしを見ていることにだって気づけていたかもしれない。
だけど、彼らは何も言わなかった。
相手がシスティーナでも、私でも関係ない。
好き勝手に遊ぶ相手がいれば、それでよかったのだろう。
正真正銘のゲス男たち。
こんな男たちに守護されている王国なんて、滅びてしまえばいいと思わない?
残った男たちが私とシスティーナを囲みこむ。
「僥倖だ。二人まとめて遊んでもらうぞ」
「残念だけど、もう終わってるわ」
「は? 何をざれごとを。貴様は所詮魔法使い、距離さえつめれ……ば……?」
「悠長にしゃべりすぎたわね」
彼らの脚がすでに凍結を始めていた。
すでに魔法は発動済み。
この場にいる男たち全員、氷漬けにして保存してあげる。
「なっ、くそ! いつの間にこんな……」
「忘れていたの? 私はこの国を支えていた魔法使いよ」
「ぐ、うあああああああああああああああああ」
叫んでも、誰にも届かない。
そういう場所を自らが選んだのだから自業自得だ。
今はもう誰も声をあげない。
カチコチの氷になって、ピクリとも動かなくなった。
「お姉様……」
私は振り返り、彼女の拘束を解放する。
魔力を乱す魔導具も、鍵さえあれば簡単に開けられる。
鍵はそこらへんに落ちていた。
彼女を解放した私は立ち去ろうとする。
「ま、待って! お姉様……どうして私を……」
「言ったでしょう? 一応これでも姉妹だからよ」
私は彼女に背を向けたままそう答えた。
好きか嫌いかで言えば、彼女のことは嫌いだ。
常に優遇され、誰かに守られ、選ばれ続けてきた彼女が嫌いだった。
いいや、羨ましいと思っていた。
大した努力もせず認められ、期待される彼女が。
それでも、殺したいほど憎かったわけじゃない。
だからこれが、最初で最後の姉としての優しさになるだろう。
「もうわかったでしょう? あの男の本性はクズよ」
「……ルガルド殿下に何か魔法をかけていたんですね?」
「ただの幻覚よ。聞こえてきた言葉はあの男自身が考えていること。私を見下していたことも、あなたを……どうするつもりだったのかも」
「――私は……」
ポロポロと涙を流す。
信じていた人の汚い本性を知った悲しみか。
それとも無事だったことを喜ぶ涙か。
どちらにしろ私には関係ない。
私がこの国を、家を追われた時点で、とっくの昔に他人になっている。
それ故に、ここから先は他人同士の会話、交渉だ。
「私はこれから、ルガルド殿下を断罪するわ」
「――! 手にかける……おつもりですか?」
「それはあの男次第ね。メインの計画では生かして利用するつもりだけど」
「……私は、どうされるのですか?」
顔を見なくてもわかるほど、不安そうな声がする。
声がわずかに震えていた。
怖いのだろう。
復讐の対象に、自分も入っていることには気づいているから。
「どうもしないわ」
「……え?」
「殺されるとでも思った? だったら助けたりしないわ。まぁでも、私の邪魔をするようなら手を出すかもしれないわね」
「……どう、して……お姉様は私を……」
「恨んでいるわよ」
ハッキリと答える。
後ろを振り向き、冷たい視線で震える彼女を睨む。
「だから罰は受けてもらう。この先も永遠に、私が味わってきた忙しさに耐え続けなさい。今の仕事が楽に感じられるころには、私の苦労も理解しているでしょう?」
彼女はすでに、罰を受けている。
私に代わって宮廷に入った時点で、彼女の運命は決まっていた。
ロクな実力もないくせに、私と同じことができると思いあがった故の天罰だ。
私が直接手を下さずとも、彼女はこれからも苦しみ続ける。
重すぎる期待という……私にはなかった辛さも相まって。
もっともそれは、そう長くは続かない。
「せいぜい頑張りなさい。この国が今のままであるうちに」
「……はい」
彼女は泣きながら答えた。
まさか普通に返事をするとは思わなかったけど、私は構わず背を向け歩き出す。
こうして話す機会は二度とないかもしれない。
私たちはもう、他人なのだから。






