娘のカレシ
夕食を食べている時、最近突然勇者候補を辞めた少年に関するニュースが流れていた。
「あらこの子、相当優秀だって噂なのに勇者候補辞めちゃうのね」
勇者候補なんて自分の人生になんら関わりもないけれど、娘と同い年なので昔からなんとなくその少年のことは知っていた。
随分と優秀らしいし、おまけに美少年なので一時期テレビに何度か出ていた気がする。
「あ」
冷製パスタをフォークでくるくる巻いていた娘が何かを思い出したような顔で手を止めた。
「母さん、父さん。次の定休日……じゃなくて良いけど近いうちに時間取れる? 三十分もかからないと思うけど」
「どうかしたの? 面談とかじゃないよね?」
もしかして例の研究所関連で何かあるのだろうかと思って軽い気持ちで聞いてみたら、とんでもない回答が返ってきた。
「いや。なんかカレシが挨拶したいって」
咽せた。
夫の方はちょうど口に含んでいたお茶を噴いていた、汚い。
「うわ、大丈夫か?」
娘はティッシュボックスからティッシュを何枚も引き抜きながらキョトンとした顔で言う。
しばらく息を整えて、なんとか喋れるようになったところでやっと口を開いた。
「どういうこと!!?」
「どういうもこういうも、言ったままなんだが……」
「いやそれがどういうこと? なんで彼氏? なんであんたに彼氏? いつのまに??」
昏夏バカのこの子が一般的な女子のように彼氏ができるとは思えない、というかそもそも友達すらいないのである。
ひょっとして『カレシ』は彼氏ではなくて『カレシ』というなんかの固有名詞だったりするのだろうか。
もしくは詐欺か何かに……いや、この子の限ってそれはないだろう。
詐欺られてる時間があれば本を読んでる子だ。
いや、どっちにしろ彼氏作ってる時間があれば本読んでる子だからどっちもどっちだ。
「付き合い始めたのは今年の四月から。交流自体は六年くらい前からあるんだっけな。図書館の常連なんだ、そいつ」
「聞いてない、そんな話一個も聞いてない!」
「別にわざわざ言うようなことでもないと思って。そもそもはただの図書館常連仲間ってだけだったから」
そうだった、こういう子だったうちの子は。
「……わかった、わかったもういい。次の定休日なら時間取れるから。……というか、四月から付き合ってたのならなんで今更挨拶に?」
「あー……ちょっとあっちが今かなりゴタゴタしててな、万が一こっちに火の粉が降ってきたら申し訳ないから先に謝っときたいらしい」
「ゴタゴタって?」
「あいつの父親、殺人未遂で逮捕されたらしくて」
「は?」
「あいつの弟と妹を半殺しにしたらしくてな。元から虐待してたのも芋づる式でバレて今結構大変らしい」
「は??????」
なんかとんでもなく物騒な話をされた。
父親が逮捕? 殺人未遂? 虐待?
「とはいえ、親がそんなでもあいつは別に悪い奴じゃないから安心してほしい。いやまあ猫被りで食い意地張ってるし割と我儘だけど……悪いことを進んでやるような奴じゃない」
「そ、そう……」
安心できる要素があんまりない親がアレだからその子供も、という偏見はしたくないけど、それでもやっぱりそういう親に育てられたのならそういった歪みは必ずあるだろう。
だからなんというかその、娘には悪いけど不安しかない。
数日後、約束の日が来た。
一体どんなのが来るのだろうかと思っていたら、やってきたのは随分と誠実で真面目そうな雰囲気の少年だった。
父親が逮捕されたからなのか、家に入るまで外さなかったパーカーのフードとマスクを取った少年は頭を下げてから名乗った。
「はじめまして。桜さんとお付き合いをさせていただいています。鎖倉劍と申します」
「こちらこそはじめまして、桜の母です」
苗字がサクラなのか、万が一うちの子がこの少年に嫁入りするのならうちの子の名前はサクラサクラになってしまうのか。
というか、この美少年どっかで見たことある気がする。
というか、名前も聞いたことがある気がする。
「あっ……え? ちょっと待って……あの勘違いだと思うんだけど、ちょっと前に勇者候補辞めた……?」
「はい。その『元』勇者候補です」
元、をやたらと強調しつつ美少年はにこり、と笑った。
「は、はあ!!? え、ちょまって桜、どういうこと?」
「……桜さんからは、何も?」
「なんにも聞いてない!!」
「言ったら流石に詐欺られてると勘違いされると思って」
娘は飄々と答えた。
言われてみれば確かにその通りではある。
そういえばと思い出す、彼氏が挨拶したいどうこうという話をこの子が私達に振ってきたのは、確かニュースで彼のことが取り上げられていた時だった。
このアホ娘、あのニュース見るまで挨拶云々の話をすっかり忘れてたんじゃあるまいな?
いや、多分それであってるだってうちの子だもの。
「確かにそう思うけど、そう思っただろうけど……どこでどうしてそうなった?」
「この前言ったけど、こいつも図書館の常連で……それでたまに話すようになっていつの間にか、って感じ」
「ええ……?」
この子が通っている図書館は昏夏関係の資料がやたらと充実している以外はどこにでもある普通の図書館だったはずだけど、なんでそんなところに勇者候補が?
「まあ普通は驚くよな。私も流石に少し驚いた。頭いいのとすごい強いのは知ってたけど、勇者候補だったのを知ったのは結構最近のことだし」
「え? いやまああんた昏夏以外に興味ないから気付かなくてもおかしくないけど……何も聞いてなかったの?」
「うん、何も。そもそもたまに話すだけの他人の関係だった時間が長いから、名前知ったのもつい最近だし」
「は???」
どういうことだと美少年の顔を見ると、彼はは困ったような笑顔で「名乗ったら詐欺師だと思われそうでしたし、それで名乗るタイミングを逃し続けてしまいそのままずるずると……」と言ってきた。
「実際どっかしらで勇者候補とか名乗られても冗談か何かだと思ってたと思う。というか今もちょっと疑ってる」
「そっかあ……」
確かに現実味はない、そもそも娘に彼氏がいる時点で現実味が一切ない。
実はこれ、夢だったりする?
「とはいえ勇者候補だろうがなんだろうが昔馴染みなのは変わらないから、それはどうでもいいんだがな」
「どうでもよくはないと思う」
本当にどうでもよさそうな顔で言った娘に思わずツッコミを入れた。
「そうか?」
「そうなの。……うちの子こんなだけど、本当にいいの?」
「…………そういうところも、好きなので」
美少年に問いかけると、彼は少し困ったような曖昧な笑顔でそう答えた。
「そ、そう……」
「挨拶はこの辺りで……その、何があったのかをお話しさせていただきたいのですが……」
「え、ええ……娘からええとその……お父様が弟さん達にその、虐待していて逮捕された、という話は聞いていたのだけど」
そう言うと、何故か美少年は一瞬だけ虚をつかれたような顔をした。
「桜さんからは、それだけしか?」
「え、ええ……それ以外は特に……」
それ以外に何かあるのだろうか、そう思っていたら美少年は小さく溜息を吐いて、娘に視線をやった。
「……ひょっとして、あの日のこと、ご両親にもなにも言ってないのですか?」
「私相手に敬語やめろよ気色悪い」
美少年の質問には答えずに、娘は嫌そうな顔でそう言った。
「で?」
「……言ってないよ、特に実害なかったし。手を上げられてたら流石に話したけど、そういうのはなんもなかったし。公園の人達にも今はまだ大丈夫だっていうことにしてる。通報した方がいいとは言われてるんだが……その辺りはまずお前と相談した方がいいかと思って」
娘は至極どうでもよさそうな顔でそんなことを言った。
数秒、意味がのみこめなかった。
一方美少年は娘の言い分を聞いて、深々と溜息を吐いた。
「ま、待って? ねえ待ってなんの話!? あんた何を黙ってたの!!?」
「公園で休憩してたら突然こいつの父親がやってきて、別れろとかなんとか色々言われただけだよ。……それが事件当日、ってか事件直後のことだったらしくて、色々話してたら急にやってきたこいつが父親を蹴っ飛ばして、殺人未遂犯だからってとっ捕まえて強制連行して、それで終わり」
「……随分と酷いことを言われていたって聞きましたけど?」
頭痛を堪えるような、苦虫を噛むような顔で美少年は娘にそう問うた。
「ああ、うん。なんか色々言われた。……だが初対面かつ敵意ある人間からなに言われても特に響かない。……なんならよく見かける公園のママさんにすごく自然におちびちゃん呼ばわりされた方が響いたぞ……いや確かにちびだし自分でも自称はしてるけど……ああもナチュラルにおちびちゃん呼ばわりされるとその……ああ、私の認識ってそうだよなと思ってちょっと悲しかったというか」
娘としてはおちびちゃん呼ばわりされた方がよほどショックだったらしく、前半はとてもどうでもよさそうだったのに後半は哀愁漂うようなもの悲しげな顔になった。
「こ、このバカ娘……!! なんで何も言わなかったの!! ふし、不審者に絡まれたとかその不審者が殺人未遂犯だったとか……!! あんたがちびなことなんてずっとずっと前からだし、この先伸びることもないんだからその程度でしょぼくれるな、その前に然るべき報告をしなさい!!」
「伸びない、か……まあ、そうだよな……」
バカ娘は私と夫の顔を交互に見て、本当に悲しそうな顔をした。
その頭を衝動的にべしんと叩きたくなったけど、美少年の前なので我慢した。
「だからなんでそっちを気にするの!!? そっちよりも大事なことがあるでしょうが!!」
「いやでも最終的に何もされてないからよくないか?」
「されてるでしょうが!! 前も言ったよね、少しでも不審な事件に巻き込まれたり変な人に話しかけられたら、すぐに報告しなさいって!!」
「だから大したことないんだって……ああ、もうわかった、その話は一旦後回し。先にこっちの話聞いてからにして」
娘がそう言いながら美少年を指差した、人を指差すな。
美少年と目が合う、彼は呆れたような顔をしていた。多分、自分も似たような顔をしていたのだろうと思う。
「……わかった、なら説教は後回しにする。……ごめんなさい、お話を聞かせてもらっても?」
「……。わかりました」
一瞬変な間があったけど、美少年はそう答えた。
そういえば、勇者候補の父親が殺人未遂と虐待その他で逮捕されたっていうのも大々的に放送されていたんだったか。
今思うと、なんで娘の彼氏の話と結びつけられなかったんだろうか。
だって聞いていた話がそのままだった。
いや気付くか、どう考えてもただの偶然だと思うだろう普通は。
それで、美少年に何があったのかを聞かされた。
美少年は娘との交際を誰にも黙っていたのだけど、偶然遭遇した弟妹に交際していることを知られ、それから数日後に弟妹経由で父親に交際していることがバレた。
どうも弟さんのお部屋で二人が兄とその交際相手のことを話していたのを、父親が盗み聞きしたらしい。
それで、激怒した父親に以前から虐待を受けていて限界を迎えつつあった弟妹が反抗したが、弟妹はそのせいで半殺しにされた。
妹さんの方がうちの子がよく図書館近くの公園に行っていることを言ってしまっていて、そのまま父親は息子である美少年にはなんの確認もせずに衝動的に公園に突撃。
一方で弟妹はボロボロの状態で美少年に連絡を取り、そのまま保護されて病院へ。その後美少年が慌てて公園に行ったらうちの子が美少年の父親に絡まれていた、というような状態だったらしい。
それで父親は現在裁判やらなんやらの準備中、おそらくしばらく刑務所に入ることになるだろうこと、ことがことなので父親には子供全員と子供の関係者全員に今後一切関わらないという誓願書を書かせるつもりであること。
また母親は今回の事件で完全に参ってしまい、衝動的に首を吊ってしまった、途中で縄が切れたからかろうじて生きているものの、植物状態になってしまった、と。
弟妹は重傷を負ったものの、医師の処置が適切だったため後遺症が残るようなこともなさそうで、順調に回復しているらしい。
父親が逮捕されたこと、それを機に勇者候補を辞めたことで美少年君は記者から追いかけられているらしい。
基本的にすぐに巻けるから今のところなんの問題はないけど、もし巻ききれずにうちの子との交際がバレたら娘だけでなく親である自分達にも迷惑をかけてしまうかもしれない、と頭を下げられた。
それで記者や世間が飽きるまで、飽きた後も娘やうちには誰からも危害を加えられないように力を尽くす、とも。
「と……とりあえず弟さんと妹さんが無事で、よかった、よかったって言っていいのか……」
「はい……父は、しばらく刑務所なのでしばらくは問題ないでしょう。出所後にひょっとしたら一悶着あるかもしれませんが……そうならないように手を尽します」
「お母様のことは……」
「医師の話によると、このまま目覚めない可能性の方が高いと言われてしまいました……お金はあるので入院費などには問題はないのですが……」
そう言って、美少年は暗い顔をした。
「それじゃお前の弟妹って今後どうなるんだ? 保護者二人ともいないんじゃ……お前、どうせ実家に戻るつもりないんだろう?」
娘がそう聞くと、美少年は少しだけ顔を俯かせた。
「その辺りに関してはまだ……」
「そうか……まあ、お前にとって一番生きやすい手段を取ればいい。無理すんなよ」
娘がそう言うと、美少年は少しだけ笑みを浮かべた。
「そういえばお前って勇者候補だったらしいけど、やめた理由って聞いておいた方がいい? 言いたくなきゃ言わなくていいけど」
「……前々から向いてないから辞めようとは思ってたんです。ただ、両親の期待が大きかったので、ひとまず十八歳くらいまでは頑張ってみよう、と……ただ今回こんなことになってしまったのでもうこれを機に、と思って」
「ふーん。辞めたくて辞めたんならいいや」
娘はあまり関心なさそうにそう言った、元々そんなに気にもしていなかったのだろう。
結局、その後はちょっとした質問や雑談をして、お開きになった。