勇者×魔王×魔術師の三角関係
来年四月の電撃大賞(短編)に応募するかもしれない短編です。
短編といいつつ長い話ですが、読了の際には一言でも感想をいただければ感謝感激です。
それでは、勇者×魔王×魔術師の三角関係、開幕です。
ごゆっくりお楽しみください。
/Prologue
決戦前夜にして、絶体絶命のピンチだった。
そもそもの原因が何であるかというならば、それは三年前に遡る。
戦争が始まったのだ。
魔族と人類との生き残りをかけた生存戦争。そんなテンプレートに載せたみたいな戦争だ。
そしてやっぱり、テンプレート戦争は人類の圧倒的劣勢で、戦争が始まってからの王国はまさに地獄。人類は為す術もなく蹂躙され、滅亡の危機にまで追い遣られていた。世界が魔王の手に堕ちるのも時間の問題。誰もが絶望に打ちひしがれていた。そんな時代。
一人の勇者が、立ち上がった。
剣を翻し、魔の軍隊を切り裂くその姿は、征服されるばかりだった人類の運命を百八十度方向転換し勝利を諦めた王国騎士達の瞳には新たな希望が宿った。
彼が戦乱の世に現れてから二年が経ち、時系列は今に至る。
勇者の率いる一行は、今まさに魔族を滅ぼさんとする最後の戦いを明日に控えていた。
わたしこと、魔術師リリンは今や世界の英雄と持て囃される勇者と共に最前線で戦っている。
勇者が魔族を脅かす脅威となりえた理由は兵力の出所の違いだろう。
まず勇者は手始めにわたしを含む、魔術師の協力を得ようとした。魔術師の一族は数十年前に魔族狩猟と称する虐殺で迫害され、途絶えたといわれていた一族だ。どこで居場所を知ったのか、彼は王国外の森でひっそりと暮らしていたわたし達の許に現れた。
用件は単純。魔族を倒すのに協力して欲しい。
勿論反対するべきだ。自分たちを人外扱いして迫害した王国の人間どもに協力なんて……
することになってしまった。
王国が提示した報奨金に目が眩み、一族はあろうことか当時まだ齢十四だったわたしを勇者に明け渡したのだ。
なんなんだコンチクショー、と思わないでもなかったが一族の決定には逆らえない。嫌々ながらわたしは勇者と旅をすることになる。
当時魔族の拠点王国周辺各地に点在していたが、騎士軍の中でも優秀な兵士と勇者が各地から連れてきたパーティーによって構成された一団は二年の内にその悉くを壊滅されることに成功した。
……さて、ここからが重要なところなんだけど。
時系列は現在。わたし達は最終決戦、つまり魔王との戦いに赴いている。
魔王との最終決戦に臨むのは少数精鋭の勇者パーティーだけである。
戦力的には今や伝説と語られる勇者がいるのだ。問題はない。首尾よくダンジョンを攻略し、後は森を抜けるのみとなったわたし達は、最終決戦を前に夜を明かすことにした。
周囲の魔物が寄ってこないようにわたしが結界を張っての野宿。最終ダンジョンだけに、魔物のレベルも高い。欺くにはそれなりの結界が必要である。
こんなの楽勝! と思ってたんだけど。
連戦による疲労は、わたし自身の認識の及ばぬところまで肉体を蝕んでいたらしい。
つい……本当に、つい。ちょーーーっとだけ、ウトウトしちゃって――
薄くなった結界の内側に、一匹の魔物が侵入してしまった。
はい。回想終わり。
わたしは額に冷や汗が滲むのを感じながら、己の未熟さを呪う。
「…………」
いや、呪うべきは自分よりも目の前の魔物だ。
ギラリと輝くルビー色の澱んだ瞳に、剥き出しの牙と熱気を伴う吐息。頭には禍々しい二本の角――竜の姿を模した怨嗟や呪詛の集合体は、このダンジョンでも最上位クラスのドラゴンとか呼ばれる種類の魔物だ。
勿論、わたしなら簡単に退治できる! ……だけど、結界を万全の状態に保って、このクラスの魔物を倒す魔術を発動するのは至難の業。魔術とは人智を超えた神秘の顕現と使役。それを片手間にするなんて……。
結界を解けば、一撃でこのドラゴンを消し去ることが出来る。でもそうなれば、結界のない状態で巨大な魔力を行使することになり、ダンジョン中の魔物が群れをなして襲ってくるだろう。戦闘を避けたのに、それでは元の木阿弥だ。
必然、わたしは結界を解くわけにはいかない。この状態で使える魔術があるとするならそれは……
耳を、大きくする。でっかくなっちゃったっ。
わたしは全力で苦笑した。
「あ……えっと……」
そしてわたしは、一つの四字熟語を思い浮かべるのだ。
絶体絶命。
「ダメじゃん!」
悲痛な叫びは、ドラゴンの咆哮に掻き消された。
ああ、もう! なんで、どうしてよ!
初期から最前線を戦い抜いてきたわたしが、あろうことか中ボスでもなんでもない雑魚キャラに倒されるなんて!
「うぅぅ…………」
泣き言をいっても、仕方ない。
グルグルと脅しみたいに喉を鳴らしているドラゴンの、悪意に満ちた巨大な瞳を睨み返す。牙の隙間から零れだす白い吐息。収束する魔力。――間違いなく、攻撃の予兆だ。
ドラゴンは長い首をしならせ、木々に覆われる混沌の空を仰ぐ。一瞬の内に辺りを光が照らし出し、赤黒い邪悪な炎がドラゴンの口から溢れ出す。巨大な破滅の咆哮。
……黙って、やられるもんですか。結界の制御と保存に割いていた精神に意識を篭める。発動中の魔術へ流れる己の魔力をイメージし、回路の形をした世界との繋がりを脳裏に浮かべる。後は世界へ向かう魔力の流れを塞き止めるだけ。
ドラゴンの口から炎が吐き出される。弾丸のような速度で向かってくる高密度の魔力に一瞬意識を奪われる。でも間に合う。刹那の瞬間はわたしの内側では永遠に等しい。炎がこの身を焼き払う前に結界を解除し、防御魔術を発動する――!
「――――ッ!?」
だけど、遅かった。
わたしはいつも通りにやったはず。無詠唱の呪文は脳内で確かに再生され、神秘を呼び起こすはずだった。だというのに。薄く凝縮された盾の結界はしかし、敵の魔力に触れることも無く霧散して消滅した。
自分でもバカだなぁ、なんて思ったけれど、後悔先に立たず。
最後の最後まで、わたしは――結界を解くことを躊躇っていたのだ。
結果、結界は解かれず防御魔術も発動しない。正確には発動しながらも一瞬で消滅した。
わたしはわたしの命よりも、旅路を共にした仲間達を優先してしまったのだ。
口元は、小さく笑っていると自覚できた。目頭が熱くなって、抑えきれずなにかが零れ出そうとしているのがわかる。堤防の決壊。感情が涙になって瞳から頬を伝う。
全ては一瞬。散り行く儚い少女の命に、誰も気付かない。
最期を覚悟したわたしは、静かに目を閉じた。
…………あれ?
いつまで経っても痛みがない。禍々しく燃えていた炎が身を焼く痛みも熱も、ない。代わりに聞こえたのは、
「あー、もう。しっかり結界張っててくれなきゃダメじゃん」
英雄の、声だった。
普段は背にしている大剣を鞘から抜き、不敵に口元を微笑ました青年の顔。鋭く意志の強そうな目はしかし見るものを威圧することはなく、優しさで抱擁するかのような安心感を与える。大きな背中。黒いマントは剣を振り抜いた風圧ではためいていて、大剣は光のない闇の中で怪しく輝く。
人類の救世主は、子供の背丈ほどもある巨大な剣を振り抜いた姿勢でわたしを見ていた。
「まあ、でも、最後までよく我慢してくれたな。――助かったよ、魔術師」
わたしの逡巡を知っている風な口ぶりだった。
「ふ、ふんだ! 別にアンタの為にやってるんじゃないんだから!」
寸前で自分が裏切ろうとしたことなど、わたしは忘れることにした。
ドラゴンを見ると、長く太い首の上部から白煙が昇っていた。自分が放った火炎弾を跳ね返され、避けることが叶わず直撃で受けてしまったらしい。苦悶の声が憎悪の感情を宿す。
「■■、■■■■――――ッ!」
大気を揺らす激昂が、もはや人間の言葉で表現できない咆哮に変わる。爆発染みた叫びに勇者は微動だにしない。
「あー、うるせえな」
どころか、軽口を叩く余裕すらも窺える。巨大な剣を片手に持ち、勇者は欠伸をして余裕の態度。
再度、ドラゴンが口内に魔力を収集する。さっきよりもより強大で明らかな殺気を伴った魔力が集合し、その姿を炎と変える。地獄に吹く獄炎の風。目に映るすべてを焼き払う邪悪な炎。
「よっと」
その巨大過ぎる力を前にして、勇者は跳躍した――否、跳躍と呼ぶには常軌を逸した移動。踏切も見えなければ、いつどのタイミングで動いたのかもわからない。
気が付けば青年の体はドラゴンの頭部、その存在を象徴する二本の角の間で剣を振りかぶっていた。
剣が光を放つ。幾多の戦場を越え、常勝の聖剣として語り継がれる英雄の剣。僅かな希望を信じよと世界に叫し、絶望の闇を幾度も凪ぎ払ってきた奇跡の具現。――英雄の一撃が、災悪の顕現を切り裂いた。
「■■……■■、■■■■…………ッ!」
その、数千の破滅を切り捨てた一撃の下に、憎悪の竜は消滅した。
一方、ただの一撃で上級の魔物を消滅させた勇者はというと、
「ふあ……」
眠そうだった。
勇者はあっさりとわたしを絶体絶命の危機から救い、再びテントに戻っていく。その背中に、双肩に世界の運命が課せられているというのに暢気な足取り。いつだってどんな困難にも動じることなく窮地を脱してきた英雄。
わたしは、明日の決戦も絶対に勝利できると信じて疑わなかった。
/勇者×魔王×魔術師
ここで一度この戦争について振り返っておくと、発端は何度もいうように三年前に遡ることになる。
王国を震撼させる事件が起きたのが、その三年前である。唐突に起きたその事件の内容は端的にいって誘拐。そして誘拐されたのは一般市民ではない。――王女が、忽然と消息を絶った。
国は全勢力を挙げて王女を探し求めたが、その姿はどこにもなく、目撃者もいなかったという。だが国を挙げた捜索活動が無駄に終わったわけではない。戦争の根元的真相は、その王女の捜索により発覚したのだ。
古より、王国にはこの世の災厄を封じ込めた箱が保管されていた。王族のみにしか知られない王宮の地下深く。ダンジョンと化して複雑にいりくんだ迷宮の奥に封印されている禁忌の箱。俗に、パンドラの箱と呼ばれる神具が消えていた。
このことから、王国は自分達に対して反乱を企てる何者かが王女を誘拐しパンドラの箱を持ち去ったと断定。案の定その考えは間違いではなく、事件から数ヵ月後には箱から解き放たれた魔の災厄が形をなして王国を襲撃。人類と魔族との生存争いが全てを巻き込んで始まった。
……というのが、この戦争のあらすじである。
そして今、その戦争も最終局面を迎えようとしていた。場所は魔王城。王室の扉の前。
「よし、じゃあ……行くか」
「……うん」
勇者の緊張した声。この人でもやはり最終決戦を前にすると緊張してしまうらしい。軽薄な感情などおくびにも出さず、勇者は真剣な眼差しで扉に掌を当てた。
と、そこでわたしを振り返る。
なんだろう様子が可笑しいぞ。勇者の額には若干の汗が滲んでいる。それもなんというか、これから死地に赴くことへの緊張とは別のなにかが、彼からは窺える。
「魔術師。……その、おまえはここで待っていてはくれないか?」
「はあ……?」
「いや、だから、ちょーっとここで待機しててくれやしないかなと」
「なに言ってんのよ、最終決戦を前に怖じ気付いたりするもんかっ」
拗ねた風にいってみると、勇者はますます顔色を悪くする。わたしはやっと、彼の表情の真意に気付く。勇者は、なんていうか、困っていた。
「い、いや、違うんだよ。相手は魔王なんだ。戦闘にはかなりの危険が伴う……だから」
「なによ、それ。わたしの力が信用ならないっての?」
「違う違う違う! 違うんだよ、魔術師!」
「あのねえ、わたしだってこのくらいの覚悟は出来てる。魔術師として生きる決意をした日から、いつ死んでも後悔はないと自分に言い聞かせてきたわっ!」
「……」
「だから今更、危険がどうだなんて――」
知ったことじゃない。と言おうとして口を塞ぐ。……正確には開いた口が塞がらず、次の言葉が出なかったのだけど。勇者の手が、わたしの肩を掴んでいた。
「おまえには、生きてて欲しいんだよ!」
「…………」
「傷付いて欲しくないんだ……危険な目に遭って欲しくない。……だから、ここで待っててくれ」
……な、なんてことを、いうんだ、コイツは!?
わたしはブンブンと頭を振るう。いいや、なんといわれてもわたしは戦うと決めたんだ。
「あ、ありがと……でも」
勇者の腕を払って、掌を扉に押し付ける。
「わたしは、戦う。――アンタといっしょに戦うんだから」
果たして、重く閉ざされた扉が開く。瞬間、開放と同時に溢れ出す魔力の奔流を肌で感じた。これまでにないほど上質な、丁寧に編まれた――呪詛を主とした魔力。
肌を焼くような魔力の流れの出所はすぐに見付かった。開け放した扉の位置から見て正面。赤い絨毯の敷かれた部屋の奥。祭壇の形を模した石の造形物、その上に置かれた一つの箱。……見たことはないけど、間違いない。あれが、パンドラの箱だ。
そして祭壇の前、巨大な石の王座に座る黒いローブを纏った姿。
三年間の時を経て、今、ようやく英雄と魔王が邂逅を果たした。
「あれが……パンドラの箱、か」
ぐっ、と拳に力を籠めて、わたしは勇者へ振り返った。
「さあ、最後の戦いよマスター! とっとと世界平和を取り戻してやりま――って、なにしてんのよ……」
勇者は、頭痛を堪えるように額に手を当てて俯いていた。
が、すぐに顔を上げる。
「いや、なんでもない。なんでもないよ、多分」
「多分ってなに?」
「いいや、なんでもない! あははは!」
「不自然な笑いね」
「あっははは! いや、これで平和を取り戻せると思うと嬉しくてな! はははははは!」
「不自然よ」
「時に魔術師、今日はいい天気だと思わねえか!?」
「ここ、屋内よ」
ていうか、明らかに話を逸らそうとしてるのがバレバレだ。
「よし! じゃあ外に出よう!」
「最終決戦はどうすんのよ!」
「今度にしよう! 来週の日曜くらいでいいよな!?」
「なにそのピクニック感覚は!?」
明らかにテンションが可笑しくなった勇者は、一向に臨戦態勢を解こうとしないわたしに痺れを切らした。強力な英雄の握力を以てわたしの手首を掴み、無理矢理に引っ張ってくる。
「なによ、もう! 離しなさいよ!」
グイグイ引っ張る勇者の背中を睨み付けながら叫ぶ。いうまでもなく、止まらない。わたしは扉にしがみついて食い下がった。
ええい、この! かくなる上は一発ショックを与える魔術をお見舞いしてやろうか――!
わたしは脳内に回路図を描き、心象で呪文を紡ぐ。それと同時に。
『ふ……ふはははははははははははははははははははははは』
狂ったような大爆笑が広間に響き渡った。
声は波長も振幅も一定せず、フィルターを通したように歪んでいる。
それが、ローブの奥から聞こえてくる魔王の声だった。魔王の爆笑に際して被ったフードは揺れ、大気は振動するというよりも跳ね上がっているようだ。空間を満たす魔力が、魔王の笑い声に反応している。
『ははははははははははははははは――――久しいな、勇者よ』
「…………」
ようやく笑いが治まった魔王が相変わらず補正掛かった声で呼び掛ける。なんらかの声帯模写魔術か、あるいはあのローブに施された魔術的効果か、はたまた魔王の地声があんなのなのかもしれない。
と、不意に勇者がわたしの腕を解放する。
釣り合いが取れなくなった運動エネルギーがそのベクトルに作用して、わたしはよろめきながら数歩前進した。前のめりに倒れこむことだけは回避する。文句の一つでもいってやろうかと勇者を振り向き、
「……?」
戦う前から既に敗戦を味わったような表情で、勇者は棒立ちしていた。
『どうした勇者よ。よもや、そなたに我の正体が看破出来ていないとはいわせんぞ』
飄々とした口調で魔王は続ける。
『ふむ。――ならば、よかろう。我が全貌をそなたに拝ませてやろう』
言うが早いか、魔王は自分の顔を隠すローブのフードを取り払う。
黒いローブの中はそれまで窺えず、ただ底なしに深い闇が満ちているように見えていた。それが今、真の姿をわたし達の前に現す。ふわりと、いやに優雅な手付きでフードを捲し上げた魔王は、風も吹いていないのに宙を流れる金色の長髪を露にした。手入れの行き届いている様が一目にわかるきめ細やかな髪質は、暗い空間の中でわずかな光を残さず集めているかの如く輝きを放つ。鋭い目付きに、その瞳はサファイアブルーの灯りを宿して怪しく輝いていた。
陽の光を浴びたことなどないのではないか、と思うほどに白く美しい肌。玲瓏な面持ちでわたし達を見据える魔王の相貌は――三年前に王国から消失した王女のそれと酷似していた。
ていうか、まんま王女そのものだった。
「これならば、もはや誰だかわからないなどと言わせんぞ。勇者よ、改めて再会を祝そう」
「ちょ、ちょっと!」
さっきからわたしのことなど眼中にない魔王……王女の姿をしたそれに、わたしは叫ぶ。
「……なんだ、小娘。我に質問しようなどと、随分と傲慢ではないか?」
「いや、質問どころかわたし、アンタを倒しに来たんだけど……」
助けに来た、というべきか一瞬迷う。
「えっと、魔王、さん。アンタは、その……何者なのでしょうか?」
「我が何者か、だと? ふむ。貴公はここになにをしに来たのだ? よもや、目的を見失ったというわけではあるまい。……しかし、理を示すのは王の努めであるか。よかろう」
黒いローブ姿が立ち上がる。
舞踏会にでも出ているつもりなのか、魔王は右手を胸の前に持って来、
「我は魔王なり――同時に、貴公らをこの城に送った国王の嫡子、王女である!」
毅然として、そんなわけのわからないことを言い放った。
「そして」
そして、魔王は白魚のような指を宙に這わせ、恭しい動作で立ち尽くす勇者を示し、
「そこな勇者の、元カノだ」
爆弾発言というには、十分過ぎるほどの威力を伴った事実の告白が投下された。
「えええええええぇぇぇ――――!?」
堪えきれずわたしは絶叫する。
なにを、いっているんだ、こいつは!?
わたしは勇者を見る。勇者は扉を開いたときのように額に手を当てて俯いていた。
「……ちょっと待ちなさいよ。どういうことなのよマスター!?」
驚愕は糾弾となって勇者へと向かう。
わたしは抑えきれない感情に流されるまま、怒号に似た奇声を発した。
「……あ、紹介遅れました。俺の元カノっす」
勇者は、滅茶苦茶軽かった。
「いや、否定しなさいよッ!」
こ、こいつ! そうか、確信犯なんだ!
扉を開ける前、勇者がわたしにいったことを思い出す。そしてあの、謎の焦りや挙動不審。こいつは、この勇者様は、魔王が自分の元彼女であることを知っていてわたしに待っていろといったのだ。甘い言葉も、優しい気遣いも、全部嘘の虚言だったんだ!
ジト目で勇者を見、人類はこんな奴に世界の希望を託していたのかと思っていると、勇者はわたしの視線を逃れるように、
「だ、だが――聞け魔王! 俺は、おまえとの繋がりを絶つ為にここへ来たんだ!」
魔王に啖呵を切った。
「おまえだなんて。いやですわ、勇者様。昔のようにハニーと呼んで下さい」
「ぶはッ!」
一瞬で玉砕した。
勇者の膝が崩れる。がっくりとうな垂れ、四肢を地に付け俯いていた。
急いでわたしは勇者に駆け寄る。外傷なら治癒魔術ですぐに修復することが出来るけれど、メンタルへのダメージはどうすることも出来ない。勇者はヒットポイントもマジックポイントも削られていないのに、既に満身創痍の状態だった。
「ちょっとしっかりしなさいよ! アンタ勇者でしょ、この程度で倒れてどうすんのよ!」
「……」
「い、いいじゃないのよ! ハニーって、なんかいい感じじゃない!」
「……ほんとに?」
「うん! わたし、ちょートキメイちゃったわよ!」
無論、全ては嘘である。勇者復活のための言動でしかない。
それにしてもハニーとは……現実に口にする人間が存在しているなんて、信じられない。
わたしの虚言は、どうやら勇者の心を癒すことに成功したらしい。震える膝に手を突いて、勇者がフラフラと立ち上がる。体に傷は無いのに、大袈裟じゃないだろうか、こいつ。
「ところで勇者様」
「……な、なんだよ」
「あの約束を覚えていらっしゃいますか?」
「……約束?」
「ええ。私達の婚約の儀では、勇者様がピアノを演奏して歌ってくださるという、約束ですわ」
「ぐはあ…………!」
ドスッ、と乾いた音。勇者は今度こそ立ち上がれそうにない。
付き合ってた頃の恥ずかしいエピソード、というのは旅行のバスの中くらいでしか効果なしだと思っていたけれど……まさか、世界を賭けた一世一代の大一番にこれほどの威力を発揮するとは……。
わたしは跪く勇者から目を離し、魔王を睨みつける。魔王といってもその実体は王女だ。ということは、彼女自身に戦闘能力はないはず。事実、魔術師であるわたしが彼女からは魔力を感じられない。普通の戦闘になれば負けるはずが無い。
ここは勇者を頼りにするより、わたしが決着を付けてしまう方がよっぽど効率的だ。
「あら?」
魔王がその視界にわたしを認める。惚けたように声を出しているが、わたしの発する敵意は感じ取れているだろう。
「貴女は……ああ、魔術師ですね。また、勇者様も奇異な者を仲間にしたものですわね」
「減らず口はよして下さい。残念ながらわたしは、そこの勇者のように言葉で無力化は出来ないわよ」
「あらそう。それは残念ね」
魔王は表面上だけ残念な風に装い、肩を竦めて見せる。
さて。戦闘開始だ。
戦力の確認。こちらの主戦力だった勇者は肉体的ダメージはゼロで、瀕死状態。正直このままでは足手纏い以外の何者でもない。敵である魔王は王女であり、単体での戦闘能力は……おそらくない。低級の魔術を一発でもヒットさせれば意識を飛ばすことも簡単だろう。
問題は背後にあるあの箱、パンドラの箱だ。
神話に登場するパンドラの箱は、その中に世界全ての災厄を詰め込んだ決して開けてはいけない禁忌の箱。これはそんなものじゃない。王国に伝わる秘中の秘。まだ魔術師が王国に認められていた太古の代物。そして、あれを生成したのは他ならぬ魔術師の一族。空間と空間を繋げて絶つ最上級の結界の中で、無限に呪いを練成し続ける――あらゆる魔を封じ込めた呪いの箱。
それ故に『パンドラの箱』。名前なき呪いに与えられた、忌名。
強度はどの程度の物だかわからないけれど、あれが結界なら壊すわけにはいかない。そんなことをしたら中からなにが出てくるか、わかったもんじゃない。まずは魔王を無力化して、それから箱自体を新しい結界で封印する。
「ところで魔術師さん、貴女、勇者様のパーティですわよね?」
「それがなにか?」
「でしたら、貴女の役目は私を無事に連れて帰ることではなくて?」
ふん、とわたしは不敵に笑う。
「残念ながら、ここにはわたしと貴女と勇者しかいない。――アンタを葬っても、誰が事の真相に気付くっていうのよ?」
それに王族には恨みがある。
わたし達は、魔術師は王国を追放されて暗黒の時代を生きてきたんだ。これは復讐には絶好の機会ではないか。遠慮するどころか、フルパワーでコテンパンにしてやるんだから!
「勇者?」
果たして、魔王はきょとん、と惚けた風に首を傾げている。
「それは誰のことかしら、魔術師さん? ……ああ、もしかしてそこの人を指しているのかしら」
「だったらなによ」
自分だって散々勇者勇者いってたじゃないか。
「いいえ違うわ」
断固として否定する。魔王はゆっくりと首を左右に振って、
「そこにいるのは哀れな盗人よ」
「はあ?」
「だって、彼はとんでもない物を盗んだのだから」
「……なにいってんのよ」
魔王は、わたしと勇者の間にその視線を二三度行き来させる。
そしてわたしを正面から見据えると、揺ぎ無い眼差しで瞬きせずに言い放つ。
「貴女の心よ……」
「ここはカリオストロの城か!」
いや、なんとなく予想は出来てたけどね!
「そして、かつてわたしの心を盗んだの……」
「知らないわよそんなこと!」
「永遠に、共によ……」
「永遠に、黙りなさい!」
勇者が小さく呻く声が聞こえた。
というか、最後に余韻を持たせるその喋り方は何なのだろう。
これ以上魔王の戯言に付き合うつもりはない。相手は言葉でわたしを翻弄し、あわゆくば勇者のように戦闘不能に追い込もうとしているのかもしれない。けれど残念。わたしは王族に恨みを持つ者、復讐者なんだ。形勢は、わたしに傾いていた。
戦力で上回るわたしが、温室育ちのお姫様に負けるわけなんてないんだから。
「時に魔術師さん、貴女、平和という概念をどのように定義して?」
「……なによ、それ」
耳を貸さないつもりだったけれど、その質問が妙に気になった。
似たような話を、わたしは一族の長であり魔道の師から聞かされたことがある。あれは……確か、わたしがまだ小さかった頃だ。魔術とは万能の神秘であり、叶えられないことはなにもないと信じていた無知の頃。これから魔術の修行に入ろうというわたしに対して、初めに師が教えてくれたことだ。師の言葉を思い出す。
“リリンよ、おまえはこれより魔術を学び、魔法とよばれる神秘の域を目指すことになる”
白髪に白い髭。深い皺の刻まれた顔は本来の年齢を隠さない。今まで一族の長として優しく接してくれた彼しか知らなかったわたしは、師の真剣な顔をこのときはじめて目にした。
“おまえは奇跡を手にすることが出来たなら、その神秘になにを願う?”
それは、単純にして深い質問だ。子供のわたしはそれを難しいとも思わず、当時の夢を誇るように口にする。
“みんなを、幸せにします。わたしは、セカイヘイワを願います”
子供の夢は日々と共に風化し、磨耗しては汚れていくもの。
人智を超えた超常を得られるとしたら、誰だって願うだろう単純な理想。
師は優しく微笑み、わたしの頭に手を載せた。その表情はどこか儚げで、消えてしまいそうで。いつか見た夢を思い出しているような――まさに、思い出していたのだろう。彼もまた、同じ様に夢を見て、そして叶わぬと知ったのだ。
師はわたしの頭を一度撫でて、
“残念だがな、リリンよ。人を幸せにするのは、魔法じゃないんだよ”
“……では、なにが人を幸せにするのですか?”
師はわたしと目を合わせ、その奥を覗くようにマジマジと見詰めた後、
“――お金じゃよ”
純粋な子供の幻想を、ぶち壊した。
「ぐはッ!」
さ、最悪なことを思い出してしまった。
思い出さないようにと気を付けていた始まりの記憶、そのトラウマが見事に蘇ってしまった。あれ以来わたしはどこか醒めてしまい、妙にお金に執着するようになってしまったんだ……。
「ちなみに私は、幸せとはお金により齎されると信じております」
「……ッ!」
ま、魔王と考えが一致してしまってる! 邪悪の権化と同じ考えを持ってしまっている!
「お金で買えない価値なんてない。私はプライスレスをお金で買いますわ」
「アンタ最低ね!」
気付けば息が上がっていた。心なし、体が重い。それにこれは……なんというか、戦闘意識を削がれているような気分だ。早めに戦いを終わらせないと、続きはまた来週、みたいな気分になりかねない。
深く息を吸い込み動悸を抑え、再び臨戦態勢に移って眼前の敵をしっかりと見据える。自身の内を流れる魔力の感触と、世界との繋がりを再度確認。状況から、使用できる魔術の検索。
「魔術師さん」
呪文詠唱を開始しようとして、不意に魔王の声が聞こえてくる。……精神は魔力行使に集中しているから、本来なら無自覚的に無視するはずなのに。
腑に落ちない点はあるけれど、無視し切れないものを無視するのは逆に意識が削がれる。わたしは虚ろだった視界を魔王に合わせ直した。
「ものは相談ですが、貴女、私に下る気はなくて?」
「……は?」
「ですから……端的にいいましょう。魔術師よ、我と共に世界を征服しよう」
冗談のようなことを、魔王は大真面目に提案してきた。
「ふふ、考えてご覧なさい。『まおう』と『まほう』、古典的仮名遣いではどちらも『魔王』ではないですか」
「現代を生きなさい!」
「それで、どうなのですか?」
そんなの、断るに決まってる。わたしは勇者の仲間として世界を救うために戦ってきたんだ。ここで目的を見失うのは愚か過ぎる。
「王国は貴女方魔術師を迫害し、追放したのですよ? 神秘を学び、途方もなき奇跡を追い求める貴女達を、あろうことが人外と定めて突き放した。――その復讐をしたくはありませんこと?」
復讐。その言葉が小さく波紋を作って、脳内に落ちていった。魔王の言葉が深く深く心の奥に沈む。魔王――王女。わたしは魔王の正体が王女だとわかったその瞬間、復讐を思った。
魔術師の一族が追放されたのはもう随分昔になる。わたし自身は一族に行われた迫害の残酷さを知らない。磔にされて火に掛けられたとも、断頭台で無実の罪の為に首を落とされたとも聞いていたけど、その全てを現実と認識するにはどうしても現実感に欠けていた。
だけど、わたしは魔術師なんだ。その血の中に、一切王国を憎む思いが刻まれていないといえば嘘になる。
もしも同じ様に。王国を憎む存在があったとしたら。
わたしはその存在をどう思うだろうか。王国を脅かす、その存在を。
そしてその存在が、魔術師であるわたしに協力を求めてきたら。憎むべき対象であるはずの王国にさえ力を化しているわたしは、その誘いを断ることが出来るだろうか。
そう、思った瞬間。
――わたしは、自分でもわかるくらいにどうしようもなく戦意をなくしていた。
パンドラの箱があれば無限に魔を生成することが出来る。組み込まれた術式は古より刻まれた神秘の回路。魔術師にしてみれば、それは何千年もの時を掛けて用意された儀式場とも変わらない。わたしなら、一万の軍隊を瞬きほどの間に破滅させる魔術だって発動できるだろう。
わたしと、魔王が手を組む。そうなれば、今度こそ王国は破滅だ。その後にわたし達魔術師は大手を振って生きていける。身を隠すこともなく、誉れと共に神秘を学ぶことが出来る。誰の目も気にせずに。目指してきた場所にもう一度手を伸ばすことが出来る。
それを、どうして拒絶出来ただろう。
魔王――王女の誘いに乗れば、わたしは悲願だった復讐と雪辱を果たし、一族では英雄として扱われるだろう。それは……そのことは、幸せなのではないか。
幼い頃に思ったことがある。自分達はどうしてこんな、暗い世界に生きているのだろうかと。太陽の光を浴びて生きている王国の人間と自分達とは何が違うのだろうかと。
その理不尽な世界の在り方に憤慨していたのではなかったか。同時に……怒りよりも勝る憧憬があったのではないか。
幼い日。師がわたしに尋ねた問い。
――おまえは何を望む。魔術で、世界をどうしたい?
わたしは答えたはずだ。世界の平和を。誰もが笑っていられる、幸せな世界を望む。それが時を重ねて叶わぬと知った、儚くも尊い夢の始まり。
そうだ。いつか憧れた、誰もが幸福である夢。
その理想が、わたしの決断により現実に変わるんだ。
魔法では人を幸せに出来ない。
魔法では誰も救えない。
けれど、特定の誰かを幸せにする方法は、今、わたしの目の前にある。
誰かを救うなら、誰かを犠牲にするしかない。わたし達はずっと、幸せの影を担ってきた。――だったら、そろそろ立ち居地が変わってもいい頃ではないか。
わたしは勇者を見た。
戦意などとうに失せ、項垂れるだけの青年の姿。そこには英雄と持て囃され、国のために命を削ってきた勇者の姿はない。戦場で鮮血を散らし、一心不乱に仲間や国の為に剣を振っていた彼を始末することも、今なら赤子の手を捻るよりも簡単だろう。
思い出すのは、共に駆け抜けたほんの僅かな時間。
その中で。
――暗闇しか知らなかった魔術師の少女は、泥だらけになって笑っていた。
嗚呼……そうだ。わたしは何度彼に助けられただろう。何度、彼を頼りにしただろう。思えば昨日もそうだ。わたしは昨日も彼に救われている。今のわたしが笑えるのは、きっと彼のお陰なんだ。過酷だった戦いの日々も、けれど振り返れば、彼と過ごした時間を楽しかったと笑って答えられる。
確かに王国は憎い。心から滅ぼしてしまいたいと思う。
だけど。
息を殺して過ごしたあの日々も、遠い平穏に憧れたあの日々も全て、
この瞬間まで、彼と共に過ごした日々が洗い流してくれるから、
わたしは、これまで共に戦ってきた青年を、裏切ることは出来ない。
彼が国を救いたいと思うのなら――わたしは彼に従う。わたしは、彼と共に戦う。
その契りなき誓いを果たす。
誰もが幸せであって欲しいと願うから。だからこそ――わたしは誰かの悲しみの上に、自らの幸せを築いたりはしたくない。
「……るわ」
わたしの声は、驚くほど低かった。
遠く霞む夕焼けの丘。共に傷つきながら笑いあった青年から視線を逸らし、わたしは、僅かに潤んだ視界に倒すべき敵を捉える。
「――断るわ。アンタみたいな悪女、信用できるもんですか!」
大丈夫。わたしはまだ大丈夫。
これから先もきっと、耐えていける。
一族には申し訳ないけれど、わたしは綺麗な明日を、まずは勝ち取って見せるから。
戦うと決めた。小さな心の中で、二度と挫けてしまわないように誓いを繰り返す。
「……そう。残念ですことよ、魔術師さん。私、貴女には期待したのに」
「ご期待に添えなくて申し訳ないわね。でもこれで、アンタは戦いを避けられない。なんの戦闘能力も持たないアンタが、果してわたしに勝てるかしら?」
「それは早計ですことよ」
魔王が腕を掲げる。その動作で、乱れていた魔力の流れがピタリと静止した。
空間を満たす呪詛が光を捻じ曲げ、黒いローブの姿が歪む。閉じた瞳を細く開いて魔王が言った。
「……一つだけ、生まれ持った呪いがありまして、私の言葉は聞く者の精神に負荷を掛けるようなのです。お分かり? 私はなんの意味もなく戯言を連ねていたわけではなくってよ」
言霊、という概念がある。その特性が、パンドラのバックアップで呪いになっているとうことか。
だとしたら勇者の姿にも納得がいく。
「それにもう一つ」
魔王の言葉と同時に、箱が揺れた。渦巻くように黒い魔力の奔流が輝き、やがて八つの黒い蛇が這い出て、静かに蠢き出す。魔力の集合体が八つ。発する魔力は……ダンジョンの魔物とは桁が違う……!
「このように、箱の力を自在に操れるのです」
魔王の背後から、黒い霧のようなものが立ち込める。それは、遠目にもわかる明らかな負の感情の顕現。淀みきった怨嗟が大気を濁らし、歪ませている。
やっとわかった。こいつは王女なんかじゃない。箱に取り付かれた、ただの亡霊だ。
「さあ、始めましょうか魔術師さん。――第二次、魔法族大狩猟の始まりです」
くすり、と赤い唇が笑った。
*
蛇は言葉なき指令を受けて突撃を開始した。
弾丸に等しい速度で向かってくる蛇を、横に飛び退いて回避する。
「…………ッ!」
完全に躱して――ローブの端が千切れる音を聞いた。空気圧だけで、魔術抵抗の施されたローブの布を塵に変えてしまうほどの勢いを伴って蛇は放たれたということの事実に息を呑む。もしも直撃を喰らったら。……なんて、想像もしたくない。
「いい動きですわね魔術師さん」
「ったり前でしょ! アンタみたいなお嬢様とは、鍛え方が違うのよ!」
「そうですか。といいますと、貴女のその薄い胸は……胸筋ということですね?」
「そ、その通りよ!」
ばれないように自分の胸を見下ろす。……確かに、魔王に比べたら小さいけど、でもそんなに――
「ふふ、余所見をしていて、よろしいのですか?」
「ッ!!」
気付いたのは一瞬だった。
脳の理解よりも先に、体が反応する。
視界に入ったのは複数の黒い蛇。さっきの一匹と同じ速度で向かってくる。
間に合わない。躱せない。このまま止まっていれば――否、動いたところで躱せるタイミングじゃない。わたしの体は一瞬で挽肉に変えられて、暗いこの部屋の中でバラバラに弾け飛ぶ。
だけど、わたしだってそれを黙って見過ごすようなバカじゃない。
躱す必要なんて無い。
だってわたしは――魔術師なんだから。
「回路接続――!」
思い浮かべるのは何本もの線。細い細い回路。
視界が暗転する。回路は世界との繋がり。魔術とはこの回路に魔力を流し、自身と世界とを繋ぐ行為。
昨日は出来なかった。でも今度は。
イメージは盾。巨大な円形の盾を脳裏に描く。回路に流す魔力の量を増やす。
ぷつん、と音が聞こえた。蛇の突進による風圧で髪が切れてしまったのだろう。すぐに、ざくり、と音がする。今度は痛みを伴っていることから、肩口が斬られたのだと実感した。――でも、今はそれら全てを意識の外へ。
わたしは脳内で呪文を詠唱する。
繋がっていない回路は後三本。
痛みが、今度は脚から上がっくる。左右両方の足に生まれた強烈な痛み。痛覚神経を刺激して自重しないそれも意識の外へ。
回路の残りは二本。
轟、と風が巻き上がる。はためくローブの各所が切り裂かれているのを理解できるくらいに、意識には余白が生まれた。そして蛇の黒い姿が視界に映る。一秒前より確実に接近している黒い影。その数は十。
コンマ数秒の後に蛇はわたしの体を貫き、大理石の床を穿つ。
でも遅い。
制約解除。魔力開放。
魔方陣を模した半透明の盾が顕現し、蛇の突撃を受け止めた。
「やった…………っ!」
だけど喜んだのも束の間。
ずきり、と頭が痛む。手の甲に切り傷が走り、鮮血が吹き出した。
限界を超えた速度での魔術展開、加えて尋常でない量の魔力の使用が、蛇との衝突も相俟って体に予想以上の負担を掛けたらしい。血管は様々な場所で破裂寸前の痛みを発しているし、関節は砕けてしまいそうな悲鳴を上げている。
「よろしくてよ、魔術師さん。ですが……どこまでもちますか?」
「う、る……さい……!」
「おや? まだ声が出せるのですか。素晴らしい気力です」
蛇が数を減らしていく。比例して、わたしの血液が帯びる熱も上がる。
脳が……沸騰してるみたいだ。
「ところで魔術師さん。気付いておられましたか?」
「……?」
「ローブが破れてさっきから中に着ている服が見えているのですが……見えてますよ?」
「ん、な……ッ!?」
「随分短いスカートを穿いておられるようで。ふふ、それにしても可愛らしい縞々ですわね」
「だ、黙りなさいよー!」
「オレンジと白のコントラストが素晴らしい」
「な、アンタね――」
――声を上げようとして、がくりと膝が落ちる。
気付くのが遅かった。完全に失念していた、魔王の能力を。
全身から力が抜けていくのを感じて、どうにか立っていた足が崩れる。してやられた。魔王が意味もなく戯言を連ねていたわけではないと言った通り、今度もこいつはこれが狙いだったわけか……!
盾に大きな亀裂が走る。残る蛇は三匹。内二匹は既に半身を失って消えかけている。だが一匹はまるで無傷のまま、二匹とは距離を置いて盾の消失を待ち構えていた。なるほど、この蛇だってバカじゃないってことか……。
状況はどうみても詰んでいた。
この盾が消えるときが、わたしの最期。まさしく、空前の灯火だ。
「か……っはあ……!」
それが最後だった。言葉と共に残っていた全ての魔力が枯渇する。
盾はまた、形のない幻想に戻り霧散した。
肺に取り入れた空気をすぐに吐き出し、また吸い込む。呼吸をする度に喉が燃え上がるように痛い。異常な発汗が額を伝って瞼を滑り降りる。瞳が痛む。もう、全身のどこを探せば正常な部位が見付かるのか、自分でもわからなかった。
「素晴らしい。その年齢でそれだけの魔術行使。摘んでしまうには惜しい芽ですね。どうです? 気が変わったなら、今からでも私に下ることを許可して差し上げますことよ」
「……」
わたしは答えない。というよりも声が出せない。
ただ激痛を訴える瞳で告げるだけ。断じて否、と。
そしてわたしの意志を魔王が読み取ったか、軽薄に賞賛の拍手を送っていた手の動きを唐突に停止した。
「そうですか。では残念ですが――お別れです」
ゆっくりと白く細い腕が天を指し、
「穿ちなさい、この世の災厄よ」
殺戮命令をその指先に乗せて、振り下ろした。
蛇が迫る。
わたしにはそれを、受け入れることしか出来なかった。
*
死を覚悟して閉じた瞳の中は、当然だけど一面の闇色だった。
瞼を閉じてから既に十秒くらいが経過しているはずなのに、不思議と痛みはそれまでにあったものだけで、蛇の突進によるダメージはなかった。痛みを感じる間もなく体が死んだのか。それとも、痛覚が可笑しくなってしまったのか。
絶望的に暗い視界を開く。
すると、そこには。
「え…………?」
咄嗟に声が出る。
開け放した視界の先にわたしが見たものは、見覚えのある青年の後姿だった。
「嘘……なんで……」
勇者は巨大な剣の側面で蛇の体を受け止めて、そこにいた。
「話があるんだよ。まだ死んでもらっちゃ困るんだわ、魔術師」
わたしを振り向かないまま、軽い口調で勇者が呼びかけてくる。
だから死ぬな、と糾するように。
勇者の脚が振り上げられた。猛然と跳ね上がった爪先が蛇の顎に直撃し、黒い巨体が垂直に撥ね飛ばされる。蛇の向かう先には大理石の天井。勢いを殺しきれずに直撃した蛇はそれで消滅し、大量の瓦礫を広間に降らせた。
煙が巻き上がる中、わたしは自分の体が浮き上がるのを感じる。なにが起こっているかはわからないけど、痛い。今は触れられるだけで全身が痛むんだから、ちょっとは気を使ってよ……。わたしを抱える勇者に、内心で弱々しく毒づいた。
勇者は蛇を天井にぶつけることで壁を作ろうとして、実際その目的は達せられたようだ。彼はわたしの体を大きな瓦礫に凭れさせかけ、正面に立ってこちらを見下ろす姿勢を取る。
「話があるって……言ったわよね」
不思議だった。
いくらパンドラの箱が強力でも、この勇者なら魔王を倒すことは可能なはずだ。どうしてこんな顔をしているのか。全てを諦めたような、そんな表情をしているのか。
「端的に言うよ。魔術師――おまえはもう帰ってくれ」
「なによ……それ」
信じられない言葉を、聞いた気がした。
「この壁も長くもたない。おまえが逃げる時間は俺が稼ぐから、足止めしてる仲間と一緒に撤退してくれ」
「なんでよ、アンタならパンドラくらいどってこと……魔王を倒すくらい出来るはずじゃない!」
「いいんだよ、もう。俺には魔王は斬れない」
自嘲気味に口元を緩める。その笑顔が、どうしようもないくらいに優しかった。
「なんだかんだで、俺はまだアイツが好きなんだ。ホントは、初めから殺すつもりなんてなかった。話し合いで済ませられるなら、そうするつもりだったんだよ」
淡々と零す言葉が、弱い。
なのにそれは、どうしてかわたしの心の妙なところに突き刺さって気に入らなかった。何でだろう。考えるまでもない。勇者が、こいつが魔王を好きだと言ったことが気に入らないんだ。倒せないと言ったことも。そして、わたしに逃げろと告げたことがなにより。
「俺は責任を取らなくちゃいけない。パンドラの箱は何とかして破壊する。戦争は、俺が終わらせる」
「それで、アンタも死ぬつもりなんでしょ」
勇者は、答えなかった。
「……早く行けよ。巻き込んで悪かったな。そんで、今日まで俺に協力してくれてありがとう、リリン」
手を伸ばしてくる。それが、感謝の意を込めた握手でないことは容易に理解できた。
これが最後になる。わたしが差し伸べられた手を握ったその時が、この旅の終着点。
「……いん、だから」
涙が零れてしまわないように、器用に歯を食いしばって、
「そんなの、絶対に許さないんだから!」
勇者の手を撥ね退けて、その胸板に殴りかかる。慢心相違だということも忘れていて、立ち上がった瞬間に脚は体を支えきれなくなった。拳は力なく勇者の胸を小突く。
「アンタの責任ってなによ! なんで、そんな訳わかんないこと背負うのよ!」
「聞けよ、魔術師」
「なによ!」
きっ、と勇者を睨む。
勇者は躊躇うように唇を引き結み、頭を掻いて溜息を吐いた。
「その、な。俺らが別れた理由ってさ……実は、俺にあるんだよ」
「アンタが振った、てこと?」
「いや……なんつうか、な。うん。俗に言うアレだ……浮気、ってやつだ」
「……はあ?」
わたしはふらりと体を起こす。不思議と脚に力が入って、支えなしでも立つことが出来た。
「いやだから、ちょっとだけね、他の女の子と仲良くしてたわけなんだよ。でさ、それがアイツにばれて――」
「アンタ、ちょっと歯食いしばりなさい」
へらへら笑う勇者の頬に、わたしは思いっきり拳を振り下ろした。勿論パーじゃなくてグー。
「っざけんじゃないわよ! それじゃ、この戦争はそもそもアンタ達の痴情の縺れじゃないのよ!」
「お恥ずかしいながら……」
「ホントに恥ずかしいわね! 一回死になさい!」
叫び声が響き渡る。
「前言撤回よ! ちゃんと責任取りなさい! なによ浮気って! 男として最低ね!」
「いや、なにもそこまで――」
「言うわよ!」
「……ごめんなさい」
ふん、と鼻を鳴らして手を腰に当てる。
いつの間にか勇者は跪いて、なんだかどうしようもないくらいにみっともない姿になっていた。
そしてそれと同時に――空間が震撼した。
轟音と共に軋むバリケード。飛び散る小さな瓦礫の欠片。外部から蛇が体当たりで壁を破壊しようとしているのは自明。このままだと、壁はもって数秒。
直感で飛び退いた。刹那の間を置いて、それまでわたしが背にしていた瓦礫の壁が吹き飛ぶ。ほとんど爆発といっていい衝撃と轟音が大気を揺らす。そして、砂埃で曇った視界が晴れた先に広がっていたのはまさに地獄。
蠢く影は数えられるだけで十を超し、そのどれもがさっきまでとは比べ物にならない魔力を帯びていた。
「お話は済みましたか?」
禍々しい空間の歪みの中心で怪しく煌くパンドラの箱。その前に立ち、全ての災厄を統べる魔王が尋ねる。
――こんなもの、どうにも出来ない。
これまでこそ相手にしてみれば戯れ合いでしかなく、勇者が戦力として復帰したのを期にいよいよ本気を出してきたということか。だとしたら……と、わたしは静かに勇者の姿を探した。ほどなくして彼の姿を視界に認める。
目に映った勇者は、どう見ても戦力外としか思えない四肢を床に付き項垂れる青年に戻っていた。
「おや?」
魔王もまた、そんな勇者を発見して怪訝に表情を歪ませる。すると今度はわたしと勇者の間に視線を行き来させて、
「魔術師さん」
何かを納得した風な表情をこちらに向ける。
「な、なによ」
「いえ……。ふふ、なるほど、どうやら壁の向こう側は相当な修羅場だったようですわね」
「ええ、まあ。お陰様でね」
わたしの言葉に魔王は眉を寄せる。
「なにが仰りたくて?」
「別に何でも。アンタも随分未練がましいマネするんだなあ、って、そう思っただけよ」
空気の流れがピタリと止まる。澱んだ魔力の奔流がより一層濁った。
わたしは背中に流れる汗の存在を気取られぬよう、あくまで心中とは裏腹に毅然として言い放った。
「男に振られたくらいで戦争を起すなんて、王女様も人間が小さいんだなって思っただけよ」
魔王の表情が歪む。それを確認した後の行動はほとんど本能によるものだった。
空気の割れる音。びきり、と世界に罅が入ったような轟音がして、次の瞬間――数秒前までわたしのいた位置に巨大なクレーターが出現した。今なおも黒煙染みた呪詛の立ち込める様子から、なにが起こったかを想像するのは簡単だった。単純に視覚的には捉えられない速度で蛇が床を抉っただけ。それだけ。
しかも直撃は避けたが、横飛びで体の浮いていたわたしは爆風に呑まれて大きく吹き飛ばされる。固い大理石に背中から落ちて咳き込みながら、それでも魔王を睨み付ける。
魔王は、遠目に見ても明らかなほどに激昂していた。
「……魔術師さん、無礼が過ぎますわよ。貴女、ご自分の立場というものを弁えていらして?」
冷静に努める魔王だが、内面の憤怒は隠しきれていない。
「ええ。ちゃあんと弁えるわよ。覚悟しなさいよ失恋大魔王――アンタが王女だって言うなら、しっかり償って貰うんだから。わたし達にしたことを、泣きながらみっともなく悔いなさい」
意識を深層へ放つ。思い浮かべるのは一本の太い回路。
「咽び泣きながら跪いて懺悔しなさい――それでも、許してなんて上げないんだから――!」
わたしの啖呵を皮切りにして蛇が一斉に身を翻し、声にならない怨嗟の叫びが城を激震させた。重力が何十倍にもなったような破壊圧が、壁を、床を、天井を軋ませる。
その中でわたしは目を閉じる。
深層に沈めた意識をより深く。わたしは、わたし自身の始まりの場所を目指す。もっと深く、もっと遠く。全身を駆け回る痛みも無視してずっと遠い、自分の果てに――
「……壊しなさい」
静かな重い声。
「壊しなさい。殺しなさい。壊し尽くしなさい。殺し尽くしなさい。全て壊してしまいなさい。バラバラに砕け散りなさい。跡形もなく、断末魔さえも残させず、その生命の一片たりとも存在を許しません――全て、全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て――殺しなさい、この世の災厄よ――!」
ヒステリックな金切り声に従い、蛇の形をした黒い弾丸が放たれる。その弾丸によって、魔王の言葉は刹那の後に遂行されるだろう。箱から生み出された災厄は言葉通り、ここにある全てを壊し尽くし灰に変える。わたしも、勇者も。
「回路接続――!」
意識の最果て。
始まりの場所を越えて、遡るのは世界の記憶。そのさらに深層、全ての中心に意識を飛ばす。
脳が溶け出しそうな熱と、全身の血管が絶えず破裂しているような痛み。
「魔力充填……回路起動、幻想再生開始――!」
世界との繋がり。わたしという個人が持つ回路とは別の、永年一族の血に受け継がれてきた禁断の回路に意識を繋ぐ。今、わたしが勝つためにはそれしかない。
流れ込む一族の記憶。目を覆いたくなる過去の惨劇が瞼に焼きつく。拒絶しても意識を侵していく。鼓膜を打ち鳴らす断末魔。子供の泣き声。憤激の叫び。意識を打ち鳴らす全身を駆け巡る痛み。
視界が徐々に霞んでいく。白くまどろむ意識が、わたしという個人の破滅を予期させる。
痛い。この景色も、声も、何もかもが痛い。いっそ死んでしまった方が楽かもしれない。
それでもわたしはまだ、倒れるわけにはいかなかった。
誓ったのだから。戦うと。
夕暮れの丘が最後、視界に蘇る。少女と青年。その懐かしい笑顔。
そうだ。生きて勝ち取るんだ。
また、いつかのように笑える日々を――!
「憑依世界――! いいわ、来なさいよ。全部受け止めてやるんだから!」
世界と己を繋ぐのではなく、世界を己が内に取り込む。魔力切れのわたしが魔術を発動するにはもうこれしかなかった。そして、莫大過ぎる世界からの供給に耐えきるには、常に膨大な量の魔力を使用する必要がある。あえて魔王を挑発して全力を出させたのはその為だ。
色を持たない盾が呪詛の大蛇を受け止めることで、目の前は黒一色に染められていた。
一枚魔力の壁を隔てた向こうに広がる闇を見据えながら、わたしは距離を置いて踞る勇者に叫び掛ける。
「ちょっと、アンタ!」
勇者がゆっくりと振り向いた。
状況を打開するには腐っても勇者であるこいつの協力が必要だ。
箱を封じる結界の発動のため、これ以上の魔力行使は避けたい。魔力量ではなく、わたしの方がもたないのだ。魔王の相手は勇者に任せて、わたしは結界の発動に集中したい。その旨を伝えると、
「俺が、か……? 悪い、そんなテンションじゃねえ」
「黙れ浮気者勇者! 平和な世界を築くんでしょ!」
「平和な世界か……男女関係もまともに築けない奴が、そんなもん」
「もっともだけど!」
ていうか落ちぶれ過ぎ……。
「それに、さっきも言ったけど俺に魔王は斬れない。まだ好きなんだぜ? 別れてから気付いたんだよ」
「別れる前に気付きなさいよ!」
「知ってるか? 本当に大切なものは、失くしてから気がつくんだぜ?」
「アンタ滅茶苦茶格好悪いわね!」
「嫌だー! 一生童貞は嫌だー!」
「ええい黙れバカ勇者!」
苛立ちから罵倒を連呼する。
あるいはそれが原因だったのかもしれない。がくり、と膝が落ちた。遂に回路の重圧に耐え切れず、肉体が機能を強制停止してしまったのか。絶えず加速し続ける痛みを思い出す。内部から鉄槌を受けたように頭が痛み、脳が爆発しているような錯覚が意識を蹂躙する。
結果。わたしの意思は激痛に屈服し、もはや制御の利かなくなった魔術の発動を停止した。
「そん、な……」
絶望の呟き。災厄の蛇はその瞬間を勝機と見て見逃す筈がなかった。盾を失ったわたしへ速度を落とすことなく直進してくる。蛇の体当たりは、まさしく魔槍。大理石の床を穿ち、大地を突貫するであろう必殺の一撃。既に再び盾を作り上げるだけの猶予は残されていない。
魔方陣が浮かび上がる前に、蛇は懐を突き抜けていく。
残された希望は、一つだけだった。
「……った! ……わかったから! 全部終わったらわたしが何とかしてやるから! アンタ達の仲取り持ってあげるから!」
痛みを堪えて必死に呼びかける。
勇者は、その叫びに応じて顔を上げた。
「マジか……?」
「マジよ!」
「でもさ、俺の浮気が原因で別れたんだぜ? 今更また付き合おう何て……逆に振られる気がする」
「勇者がビビッてんじゃないわよッ! アンタが振られたらそん時は――」
蛇が迫る。固体となった魔力が風を切る音は、もう直ぐ傍まで来ている。どころか、轟然と巻き上げられた風が、それ自体に質量を持つかのように肌に当たる。回避なんて出来ない距離。終局は、既に射程範囲にわたし達を捉えている。
頭に過ぎるのは絶体絶命の四字熟語。
その中で、終わりの想像を断ち切るように、わたしは言葉を続けた。
アンタが振られたら、そん時は――
「――――わたしが面倒見てやるわよ……!」
瞬間、閃光が瞬いた。
目の前に迫った死が、遠退いて行く。瞬きさえも遅すぎる絶命の刹那は刹那さえも遅すぎる英雄の一閃に掻き消された。
「二言はないな、魔術師リリン」
いつ立ち上がったのか、大剣を一文字に凪いだ体勢で勇者がわたしに問いかける。
「な、ないわよ。……だから、ここからはアンタがわたしの脚になりなさい」
「脚線美?」
「関係ない!」
バシっ、と勇者の背中を叩く。全然ダメージなんて与えられないけれど。
「わたしを祭壇まで連れて行きなさい」
「どうやって?」
「えっと……その……おんぶ、とか」
「おっけい」
すっ、身を屈めた勇者がわたしの足を取る。体重が制御できずに流れ、次の瞬間には勇者の背中に身を任す形になった。
「ちょ、いきなりなにすんのよっ!」
「え? だってリリンがこうしろっていったんだろ」
「そうだけど、さ……」
「しっかり掴まってろよ。俺も片手には剣を持たなきゃいけねえからさ」
「わかってるわよ!」
そして言うが早いか、勇者の体が跳ね上がった。
しかし直進方向には蛇の槍。猛スピードの両者は一秒以内に衝突し、そうなれば強度で負けるのは勇者の体。
だが、一秒後の未来は勇者の敗北なんかじゃなかった。
いつ振り抜いたのか、下段に構えていた大剣の切っ先が穿たれた天井から覗く空に向いていた。
「勇者……様……!」
魔王が苛立った声を出す。
消えかけていた蛇の頭を踏み台にして、勇者がさらに加速して飛び上がる。
彼は真っ直ぐにただ、魔王の姿だけを見据えていた。
「ふふ……そうですか。やはり貴方は、私の敵。残念ですわ。私では貴方のパートナーになることも出来ないということなのですね」
勇者は答えない。
向かってくる次の一撃に白刃が煌いた。横薙ぎの一閃が黒い邪悪を引き裂く。
「貴方はまた私を切り捨てるおつもりのようですね。あの時のように、私以外の女を選んだあの時のように!」
再び蛇を踏み台にして加速を試みる勇者だが、その姿に異変が生じた。
背負われたわたしの体が沈む。つまり、勇者の体がバランスを崩したということだった。
ここにきての魔王の能力。防ぎようの無い言葉の呪いが勇者の力を殺ぎ取った。
「マスター!」
自重と着地の勢いに膝が耐え切れず、勇者の体が前方に傾く。
さらにそれだけではない。
切り裂いた蛇の踏み台が踏切よりも早く消失する。加えて、上方からは次の蛇が迫っていた。
「しっかり掴まってろよ……魔術師!」
前に傾く体を無理矢理起こして、蛇と正面から対峙する。
不意にわたしの脚を抱えていた腕が外れる。両手で大剣を握り――振り上げた。
そこからはまるで魔法みたいだった。
蛇の顎に突き刺さった剣を軸にして、勇者の体が円を描く。百八十度の半回転を果たしたところで剣が抜け、遠心力で以って天を仰いだ。
残りの百八十度。天空を射抜く切っ先が蛇を切り裂く。
「…………なッ!!」
驚愕に魔王が目を剥く。
蛇を蹴り、飛び上がった勇者の声が響く。
「王女、聞け!」
咆哮し、勇者は最後に向かってきた蛇を切り裂いた。
次の跳躍で勇者の体が魔王の頭上に達し、わたしは勇者の背中を蹴って飛び上がった。着地ポイントは、祭壇の上。禁忌の箱の正面に降り立つ。
結界発動の詠唱。口に出して呪文を紡ぐ、意識を現実から切り離す寸前に勇者の叫びが聞こえた。
「俺はまだ、おまえのことが好きだ――――!」
/Epilogue
場所は、王宮。
わたしは王座に腰を下ろす国王の前で膝を突いていた。
つまるところの、事後報告というやつである。
ことの顛末を話し終えると、国王は神妙な面持ちで頷いた。威圧的な風格が、いつもより華奢に感じる。国王にしては珍しい思案顔は、憂いや戸惑いを表していた。
「そうか……うむ、よもや王族内部による所業であったとは……」
いかにも深刻な問題の判明だった。国民に知られれば間違いなく王位剥奪だろうし、王族に戦争を仕掛ける者も出てくるかもしれない。そうなれば、王族側に付く者はいないだろう。戦う前から結果は見えている。
あくまで仮定だけど。そんな革命が起こるとすれば、事の真相が国民に知られた場合だ。
そして、その心配はない。なぜなら、
「王女様に今回の記憶はありません。パンドラの箱に意識を支配されていたので、箱の封印と同時に記憶は失われました」
「そうか……。しかし魔術師よ、原因は何なのだ? 我が娘は箱に取り憑かれ、此度の戦争を引き起こしたと申すが」
「……年月による結界の弱体化、綻びが出来てしまったものと思われます。王女様は漏れ出た呪詛に当てられて、正気を失い、意識を奪われたのでしょう」
「……このことを知る者は、そなたと勇者だけなのだな?」
はい、とわたしは頷く。すると国王は周囲を見回し、
「魔術師よ……そなたが一族の王国帰還を許可しよう。褒賞金とは別に、生活費の支給も致す」
上手すぎる話が提示された。勿論、わたしは国王の言葉を疑ったりしない。上手い話には、疑う余地などなく裏があって当然だからだ。
「そこでだが魔術師――」
「存じております。此度のことは、永劫我が内の秘め事とします」
自分らしくない言葉遣いは、わたしなりに皮肉をいったつもりだ。国王は気を悪くしたりせず数回頷いてから、
「ところで魔術師、勇者はどこにおるのだ?」
「あー……彼はその、まだダメージが回復していなくて」
「なに? そなたの治癒魔術でも癒せぬ傷だというのか?」
「ええ、まあ」
伝説の勇者に会えないのが残念なのか、国王は僅かに暗い顔をする。
「では、労いの言葉を伝えておいてくれ。此度の働き誠御苦労様であった、と」
「承りました。……では、わたしはこれで」
一度深く頭を下げて、わたしは国王に背を向けた。
赤絨毯が引かれたバカみたいに広い部屋の扉を開き、外に出る。そして。
横目に、体育座りしている青年を見下ろした。
「此度の働き誠……あー、面倒くさい」
溜息一つ、わたしは踞る勇者に目の高さを合わせた。
国王に伝えたことには一つだけ嘘がある。いうまでもなく、王女が箱を持ち出した経緯だ。けれどそれも、あながち間違いじゃないのかもしれないけど。王女と勇者。今でこそ英雄と持て囃されていても、当時は階級問題があっただろう。許されなかった恋。それでも、二人でなら乗り越えられると思っていたのに――なーんて、深く推測してみたりして。
真相は永遠に闇の中だ。
で、どうして勇者がこんな状態かだけど。国王に伝えた通り、王女は今回の記憶をなくしている。ざっと遡って、彼女が持つ最新の記憶はまだ勇者と付き合っていた頃。だったら勇者にしてみても万々歳なんだろうけど、残念ながら消えたのは記憶だけだったのだ。王女が勇者に抱いていた恨みはそのまま残留し、おまけに箱から流れ込んだ呪詛が全部その感情に同調したわけで。いうまでもなく、二人はあっさり破局。
セーブポイントに戻った勇者は、戻った瞬間に力尽きたのでした。
「俺、世界平和と引き換えに大切な物を失った気がするよ」
「それは残念ね」
「今年も海へ行くって、映画もいっぱい見るって……」
「会いたいのね。ビンタされてフラれたのに」
重症だった。
教会に行っても、不死鳥の羽を使っても、妖精卿の清水を飲ませても回復しない状態異常。
その名も失恋。
わたしはもう一つ溜息を吐く。
「一人で生きてくのって……寂しいよな」
「そうね。でも、心配しなくてもアンタは一人じゃないじゃないわよ」
涙で濡れた勇者の瞳が、わたしを見る。
目が合って、なんだか照れ臭くなって、目を逸らした。……わたしどうかしたのかな。
「いったでしょ。振られたら、面倒見るって……っ」
……うん。きっと沢山褒賞金を貰って浮かれてるんだ。人を幸せにするのは、お金だから。
「そっか……。なんか、悪いな」
「う、うっさいバカ!」
「よろしくな」
「もー! 黙りなさい!」
自分でも赤面してるってわかる。……だったら、あんな提案しなきゃよかったんだけど。
まあ、いいや。
世はなべてこともなし。
青い空も緑の大地も戦いの日々も。いつかの遠い幻想のように霞んで見える。
世界は、今日も平和だ。
読了お疲れ様でした。
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