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一、期待の春

挿絵(By みてみん)

絵師:早村友裕さま






 私の目の前に、突然現れたスイートピーの花束。

 そのあまりの現れ方に呆然としてしまう。

 だけど、じっくりと花束を見ているとむしろ心が落ち着いてきた。

 黄や青、そして薄いピンク色のスイートピーの花たちは、揺れ動いていた心を静かに抑えてくれる。

 どうしてだろう、こんなにもほっとできるのは。

 人が花に見とれてしまうのはよくあることかもしれないが、それとはまた少し違う気がした。

 見ていて安心でき、思わず笑みを浮かべて喜んでしまう。

 その時、ふと私は感じた。

 あの出会いは、不安だった私をやさしく包み込もうとしてくれたのかもしれない。

 そしてそれは思い出となって、しみじみと振り返りながら実感する日がいつか来るかもしれない――と何となくだが感じていた。






 * * *






 新緑の香りがしてくる季節。少しずつ上がる温度によって木々には葉が付き始めていた。視線を下げると、地面は桜の花びらで覆い尽くされている。

 寒かった冬も終わり、もう春だなと思える陽気にいつになく心が躍っていた。だがその躍る理由は、ただ暖かくなったからだけではない。

 これから始まる新しい生活のためだ。

 四月――、新しい年度の始まりはそれぞれの人にいつもと違う風を持ってくる。

 私、杉森晴香(すぎもりはるか)は明後日の入学式で大学生への一歩を踏み出す。

 ほんの一ヶ月前まで、不安になりながらも必死に勉強していた日々。模試を受けるたびに絶望を感じつつも、最後まで諦めずにペンを走らせていた。そしてその先に待っていたのは、第一志望の大学に合格するという、喜びに溢れた春だった。

 今はお母さんと買い物に行き、お昼ご飯を食べて帰る途中。そんな中、ふと足が止まった。いつも何気なく通り過ぎる小さな花屋に今日は何故か惹かれたのだ。

 花を買うとしたら、誕生日や母の日くらい。いつもは綺麗だなと思って、通り過ぎるのに――。

「あ、お花を買っていくのを忘れるところだったわ」

 お母さんが花を見て唐突に言う。そういえばお母さん、前に花が好きだって言っていたような。花瓶にはいつも花が挿してあるのを思い出した。

「ちょっと待っていてね」

 そう言うと、中に入って店員さんに花を包むよう頼み始める。私は店の外からその様子を眺めていた。

 あまり大きくない花屋なので、季節に沿った花がピンポイントに置いてある。水の入ったバケツの中に切り花が入っていたり、小さくブーケにされたもの、そして小さな植木用の花などがいくつかあった。

 花の種類は可愛らしいピンク色のチューリップやカーネーションなど、私でもよく知っているものもある。

 だけどそれよりも気になったのはスイートピーだ。聞いたことはあるが、こんなにじっくりと見るのは初めてだった。

 ふわふわとした感じのピンク色の花。花びらはカーネーションなどのように、横に並んで付いているのではなく、上に突き出している。そう――可愛らしい蝶という印象を受けた。

「お待たせ」

 お母さんが腕に色鮮やかな花束を抱えてきた。そして楽しそうに説明し始める。

「この黄色いのがフリージア、そしてピンクのがスイートピー。そして白い小さな花がカスミ草」

 それは見ているだけで、春が来たと感じられる花束だと思う。

 私はそれを見ながら自然と微笑を浮かべる。

 花たちは暖かな光を受けながら、人知れず煌めいていた。



 * * *



 買ったばかりの真新しいスーツのスカートを鏡の前で着た。少し動きづらいがスーツを着ることで、大学生になるのだとひしひしと実感できた。

 今日はいよいよ入学式。前日に持っていくものは用意したため、あとはそれを持って入学式会場へ向かうだけだ。

 最後に上着を着て、鏡から目を離すと、ふいに使い古されたバドミントンラケットが目に入った。思わず口をぎゅっと閉じながら、そのラケットから視線を逸らした。

 懐かしさと悔しさなど様々な思い出で溢れているラケット。これがなければ、私の中学、そして高校時代は語れないだろう。

 練習に汗を流し、勝った瞬間の嬉しさを求めて、ずっとやり続けたバドミントン。

 一生の友達とも言える仲間と出会うこととなった、バドミントン。

 もうこのラケットを使うことはないだろうと思いつつも、押入れに入れずに部屋の端の方で転がしていた。いつか片付けようと思っても、何だか気が進まない。それが何日も何か月も続き、とうとう大学の入学式となっている。

 結局、今日もそのまま転がして部屋を出た。

 急いで玄関に向かうと、お母さんが口を尖らせながら立っている。慌てて駆け寄って家を出ようとした。

 その時に改めて玄関に置いてある花瓶に目が付く。一昨日買ったばかりの花。それが嬉しさと不安でいっぱいの私の背中をより強く押してくれた。

 外に出れば、絶好のお出かけ日和である、どこまでも続く青空が迎えてくれる。

 その日、私は本当に些細な一歩だが、その後のキャンパスライフを送る上で大きな一歩を踏み出すことになると知るには……もう少し先であった。



 入学式自体はそこまで感動することはなかった。私と同じように新しいスーツを着た新入生たちが、大学ホールで学長の祝辞や、学生指導の先生がこれから大学生活を送る上での注意点、特に単位のことについてなどしつこく言っているのを聞いていた。毎年、ほんの些細なことで卒業できない人が何人もいるのですよと、今から釘を刺しているらしい。このざわめきの中で真面目に聞いている人が果たして何人いるのか……。

 すでに多くの人は友達を作っているようで、話が盛り上がっている所もある。

 そういえば、二千人以上入学するこの大学では七割以上が一人暮らしをしていると聞いていた。だからこの数日間で仲良くなった人と一緒に、入学式に来ているのだろうか。

 何だか少し羨ましい。

 一人暮らしは確かに寂しいだろう。でも友達と一緒にいる時間が長く取れるのは大きな利点だ。

 だけど家からできる限り通うと決めたのだから、こんな所で嘆いてはいけない。授業でも始まれば、学科の友達もすぐにできるだろう。

 そんなことをぼうっと考えていると、堅苦しい先生方の説明も終わり、先輩方による部活・サークルの簡単な紹介が行われていた。それと共に部活・サークル紹介の冊子をぱらぱら捲り始める。文化系や音楽系、そして運動系など大きく三つに分かれていた。どれも特色を出しているようだが、所詮紙の上での話。実際に見てみなければわからない。

 最後に眼鏡を掛けた一番偉いと思われるお兄さんがマイクをギュッと握りしめて、あらん限りの声で叫んだ。

「これからは部活・サークルによる新入生歓迎会です! 新入生の諸君、もみくちゃになりながらも思う存分楽しんで、驚いて下さい!」

 驚いて下さいね……? 一体、何を言っているんだろうと、聞いた瞬間はそう思った。だが、その理由の一つはすぐ分かることになる。





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