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第四話 アリシア・エドアルト

【アリシア】


 前世を思い出してから半年。私、アリシア・アダーシェクの日常は一変した。元々のアリシアとは性格も変わったけれど、それだけでは済まされない。特に……。


「アリィ、こちらも食べてごらん」


 目の前で甘く微笑むこの人、私の婚約者のエドアルト様だ。この人、前世を思い出す前のアリシアの記憶にあるエドアルト様とは別人じゃないかと思うくらいに変わった。こんなに甘々で、私のことを可愛がってくれるなんて思わなかった。


「ほら、口を開けて。あーん」


 学園の中庭。木陰のベンチで、エドアルト様が一口大のサンドウィッチを差し出してくる。ここ半年、天気がいい日は中庭で昼食をとるようになっていた。もちろん、エドアルト様と、だ。そのせいなのか、心地いいはずの中庭には、私たち以外の人影がない。


「アリィ?」


 助けを呼びようがない状況で、エドアルト様が迫ってきていた。口を開けないと、いつまで経っても許してくれないのだ、この人は。


「うう……、あーん……」


 口を開けて、エドアルト様の差し出すサンドウィッチを迎え入れる。むぐむぐと咀嚼している間、エドアルト様は指先で私の唇をなぞるのだ。く、くすぐったい……!


「んんんっ」


「ああ、すまない。君の唇があまりにも私を誘うものだから、つい、な」


 そして、こう、恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく吐くのだ。照れて縮こまる私を、楽しそうに見ている。性格悪い!エド様は紳士だから、ってユーリアは言ってたけど、どこが紳士なのかと思う。睨んでも、エドアルト様にはちっとも効かない。というか、たまに睨むアリィも可愛いと抱き締められる始末だ。くやしい。どうにかしてエドアルト様に一泡吹かせたい。あ、そうだ。


「お返しですわ。はい、エド様、あーん」


 仕返しに、私もランチボックスからサンドウィッチを摘まんで、エドアルト様の口元に近付けてみる。エドアルト様はきょとんと私を見た後に、とろけるように微笑んで口を開けた。ん?あんまり効いてない?

 ぱくりと私の手からサンドウィッチを食べたエドアルト様は、差し出していた私の手を掴んだ。え、あら?


「こちらも美味しそうだ」


 ぺろり、とエドアルト様の赤い舌が、私の指先を舐める。暖かく濡れた感触に、全身が震えた。勢いよく手を引っ込めた私に、エドアルト様はおかしそうに肩を揺らして笑っている。


「もうっ!もう、エド様の意地悪!」


「ああ、私の姫君が可愛らしくてたまらない」


 抗議の意味も込めてエドアルト様の腕を軽く叩いても、聖騎士を目指して日夜鍛錬している彼はちっとも堪えた様子がない。むしろ、もっとどうぞとばかりに微笑んで私を見ていた。


「アリィ、次の休みの予定はあるか?」


 じゃれ合いながら昼食をとってお腹いっぱいになったところで、エドアルト様が尋ねてくる。次のお休みは特に予定もないから、私は首を振ってみせた。


「特にありませんわ」


「では、また私と出かけよう」


「ええ、是非」


 エドアルト様とのデートも、半年前から何度も繰り返されている。エドアルト様がおススメする歌劇を見に行ったり、美味しいと評判のレストランに連れて行ってもらったり、近くの湖へピクニックに行ったりと、とても楽しいのだ。


「どこへ行こうか。アリィはどこへ行きたい?」


「でしたらこの前通りかかった、喫茶店に行ってみませんか?ケーキが美味しいと友人が言っていましたの。エド様のお口に合うといいのですが……」


「……本当に、君は私をどうしたいのだろうか。駄目な男には、もうなっている気もするが」


 エドアルト様は、参った降参だ、と言いながらベンチに深く背を預けて天を仰いでしまう。降参?私、何かしたかしら。


「エド様?」


 私が呼ぶと、エドアルト様は照れたように微笑んで私の頬に手を伸ばしてきた。愛しむように撫でてから、大きな手で私の頬を包むように添える。


「早く卒業したいな」


「?」


「いや、学生のうちに、というのもありか。もう少し頑張ってみよう」


 何だろう。何かを決心したらしいエドアルト様がうんうん頷いた。頑張るらしいから、応援しておこう。無理はしないで頑張ってくださいましね、と。


「……ああ。頑張るとも、私の可愛いアリィ」


 ちゅ、とおでこにキスをされて、私は恥ずかしくなって俯いた。強引ではないけれど、でも有無を言わせない力で肩を抱き寄せられて、私はそのままエドアルト様の胸に顔を埋める。もう何度も抱き締められているけれど、ドキドキして胸が苦しいのに落ち着くような、不思議な気分になる。エドアルト様は私を片腕で抱き締めて、もう片方の手で髪を撫でてくれていた。エドアルト様に撫でられるのは、とても心地いい。もっと、と思ってエドアルト様の胸に頬を擦り寄せると、くっ、とエドアルト様が息を飲んだ。

 いけない。嫌だったかしら。甘えすぎたかもしれないと頬を放そうとしたら、髪を撫でていたエドアルト様の手が抑えるように私の頭を抱える。


「まだ、だ。まだ、私のそばにいてくれ、アリィ」


「……はい、エド様」


 私はエドアルト様の胸に改めて頬を寄せて、そっと瞼を伏せた。聞こえるエドアルト様の心臓の音が、私の心臓の音と重なって聞こえて、私はとてもとても、幸せな気分になった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



【エドアルト】


「エド様、お待たせしてしまいましたか?」


 秋らしいマロンブラウンのワンピースをひらひらと揺らして、アリシアが私の元へ駆けてくる。ここは、アダーシェク公爵家の玄関だ。急がずともいいと言ってやればいいのに、早く私へ会いたいとばかりに駆け寄ってくるアリシアが愛らしすぎて、いつも伝えることができない。


「いや、丁度到着したところだ」


 頬を上気させて私を見上げてくるアリシアを待ちきれないとばかりに抱き寄せて、私はアリシアの顔を覗き込んだ。アリシアは私へ駆け寄ってきたというのに、恥じらって私から視線を外す。照れて私の腕の中で身を固くするアリシアも堪らなく可愛いが、最近、アリシアはとても控えめに私に寄り添ってくるようになった。

 最初は、恐る恐るといった風に、私の胸に頬を寄せてきたのだ。少しでも動いたらアリシアが驚いて離れてしまうのではないかと、私は大木にでもなったかのように微動だにしなかった。今なら分かる。私もアリシアに擦り寄られて緊張していたのだ。


 だが、あの時の私の判断は間違っていなかった。微動だにしない私に、アリシアは拒否されていないと思ったらしい。それから、段々とアリシアは私が抱き締めると体を寄せてくるようになった。僥倖だ。


「エド様……」


「早くデートに行ってらっしゃいませ、お姉様、エドアルト様」


 玄関先で抱き合っていると、妹のユーリア嬢が呆れたように声をかけてくる。そうか。このところヨゼフが父と母を丸め込むために忙しくこちらへ顔を見せていないから、ユーリア嬢の機嫌がよろしくないのか。今日帰ったら、ヨゼフに言っておこう。


「ああ、そうだな。行こうか」


 華奢な腰に腕を回して、私はアリシアを馬車までエスコートした。アリシアに手を貸して馬車に乗り込むと、向かい合わせではなく寄り添って座る。アリシアの表情がよく見える向かい合わせもいいのだが、直接手を出せる方がなおいい。


「今日も可愛いな、アリィ。このワンピースも、よく似合っている」


「エド様も、その……とてもかっこいい、ですわ……」


 滑らかな肌を赤く染めて、アリシアが小さな声で呟いた。ちらちらと恥ずかしげに私を見上げてくる。卒業まであと三年半、私は耐えられるだろうか。


「ありがとう。私の可愛い姫君」


 精一杯自制して、アリシアの額に口付ける。呆けたように私を見上げてくる、その淡い色の唇に目を奪われた。喰らいつきたい衝動を飲み込んで、親指で彼女のやわらかな唇をなぞる。


「あまり私を付け上がらせるな。君を喰らい尽くしてしまいたくなる」


「!」


 アリシアが、ひゅっと息を飲んだ。白く細い首が震える。悪戯に怖がらせたくはないが、無自覚に煽られては私も耐えられない。これでも、私も年頃の男なんだ。


「君の信頼に応えたくはある。私の理性が勝るうちは、な」


「え、エド様……」


「可愛いアリィ。私を悪い男にさせないでくれ」


 もう一度、アリシアの額に唇を落とす。アリシアは可愛らしく震えて、私を上目遣いに睨んできた。


「もう、エド様はひどいお方ですわ。わたくし、たくさんいじめられてますもの」


「ふふふ、確かに酷い男だ。アリィに嫌われてしまうかな?」


 わざとそう尋ねると、アリシアは顔を真っ赤にして私を更に睨みつける。私は素知らぬふりで眉尻を落とした。可愛い私の婚約者は、私の表情に慌てたように私の腕を掴んでくる。まだ、だ。まだ堪えなくては。


「き、嫌うだなんて、そんなっ……」


「ならば、私を愛してくれるか?」


 アリシアの耳元に口を寄せて囁くと、彼女は驚いたように体を仰け反らせた。じわりと、アリシアの耳が赤く染まる。


「っ……、もうっ、エド様!」


「ははは、すまない」


 ぱしぱしとアリシアが私の腕を叩いてきた。可愛らしい抗議を、私は甘んじて受け入れる。そうやってじゃれ合っているうちに、今日の目的地である服屋に着いたようだ。


「もうすぐ学園主催の舞踏会があるだろう?君のドレスを見繕おうと思ってな」


「まあ、嬉しいですわ」


「気に入るものがあればいいが。ドレスを見たら、君の言っていた喫茶店に行こう」


「はい、エド様」


 アリシアの小さな手を引いて、馬車から降りる。予め訪れると連絡を入れていたから、待ち構えていた店主が私たちを迎え入れた。


 私が選んでおいたドレスをいくつか試着して、アリシアは鏡の前に立っている。どうやら、細身の臙脂のドレスを気に入ったらしい。くるりと鏡の前で軽やかに回転してから、頬を紅潮させていた。揺れる濡羽色の髪が、流れるようにドレスを彩る。抱き寄せたいところだが、さすがに男の私は近寄れないな。別の馬車でついてきていたアリシアの侍女のヘレナが、我慢しろとばかりにこちらを見て微笑んでいる。

 仕方ないとアリシアの観察を続けていたら、彼女は何故か鏡に向かってくいっと顎を上げて見せた。きりりと眉を寄せてみてもいるが、どうしてだろうか、以前のような冷徹な印象は全く醸し出せていない。威嚇する子猫、とでも言えばいいのだろうか。撫でてやりたくなる。


 あまりにも可愛らしくて笑い声を漏らすと、振り向いたアリシアに睨まれた。おいで、と手招きしても、アリシアはツンとそっぽを向いてしまう。


「嫌われてしまったかな」


「次期聖騎士と名高いエドアルト様も、可愛らしい婚約者様の前では形無しですな」


 私のそばに控えていた店主が、面白そうに声をかけてきた。馴染みの店主に、私は苦笑いを浮かべる。


「可愛がっているつもりなのだが、彼女には敵わない」


「男は妻に敷かれているぐらいが丁度良いのかもしれませんねぇ」


 確かに、と妙に納得してしまった。そのまま店主と言葉を交わしていると、先程のドレスを脱いでワンピースに着替えたアリシアが戻ってくる。


「あのドレスにするのか?」


「はい、エド様。わたくし、あのドレスがいいです」


 私の瞳の色と同じ色のドレスだと、アリシアは気付いているのだろうか。店主はにこにこと笑って私たちを見ていた。本当に、敵わないな。


 ドレスを仕上げるように店主に指示をして、私たちは店を出た。喫茶店まではさほど距離もないが、アリシアの安全のためには馬車に乗るべきか。


「おや?エドじゃないか」


 店の前で、我が家の侍従を呼ぼうとしていたら声をかけられた。スティアートか。また抜け出してきているのか、こいつは。


「それに、アリシア嬢も。ああ、デートだったかな?」


「分かっているなら、声をかけるな」


「御機嫌よう、スティアート様」


 からかい交じりのスティアートを睨みつける私とは真逆に、アリシアは綺麗に礼をしてみせた。スティアートは人好きのする笑みを浮かべてアリシアに頷いている。

 軽く視線を左右に流した。護衛は、三人か。随分と少ないな。また撒いてきたんじゃないだろうか。


「怖い顔するなよ、エド」


「怖い顔をされたくなければ、言動に気を付けろ」


 やれやれ、と肩を竦めるスティアートに、私は溜め息をついた。アリシアが不安そうに私を見ている。アリシアは、スティアートのことは知らされていない。あまり派手に動くべきではないな。

 私は侍従を呼んで、こちらへ付いていた護衛をスティアートへ振るよう、そしてこちらへ馬車を回すように指示をしておく。早速ふらふらと歩き出したスティアートを見送って、私はアリシアの腰を抱き寄せた。


「エド様……?」


 不安そうに私を見上げてくるアリシアに、私は微笑んで見せる。護衛はスティアートを優先させた。最善なのは、このままアリシアを家に送ることだが、それではきっとアリシアが不安がる。大丈夫だ。私が騎士として、アリシアを守ろう。


「君との時間に水を差されてしまったな。さあ、喫茶店に行こうか」


 アリシアをエスコートして、馬車に乗り込んだ。公爵家を襲うような輩はいないとは思うが、気を引き締めなければいけない。


 だから私は気が付かなかった。アリシアが未だ、不安そうに私を見ていたことに。

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