第二話 ユーリア
前世ではそこそこ人気を博した乙女ゲーム、氷の幻想郷。メインヒーローは将来の聖騎士エドアルト・バルトス。ヒロインは公爵令嬢のユーリア・アダーシェク。学園の三年生から開始するこのゲームは、二年年上のエドアルトが卒業するまでの期間に攻略対象とどれだけ仲良くなれるかがカギとなってる。攻略対象はエドアルト、その弟で同い年のヨゼフィルド、エドアルトの友人で身分を隠した第二王子のスティアート、保健医のアルヴィエの四人だ。結構、はまった。私の推しはヨゼフ様だ。エド様も悪くないけど、あんまり可愛くないしなぁ。
そして、なんの因果か、私はその氷の幻想郷の世界にきてしまったらしい。転生モノだ。しかも、ヒロインになるとか、誰得か。しかもしかも、私のお姉がアリシアとか、本当に勘弁してほしい。アリシアってユーリアの姉で、まあ早い話が悪役だ。私、ユーリアがどのルートに入ろうと、私のことを虐めてくる。
私が攻略対象者のルートに成功してしまった場合、アリシアは最後、断罪され、婚約破棄されて、しかも家からも追い出されてしまう。アリシアがお姉じゃなければ、……ううん、お姉じゃなくても、姉を追い出すのは嫌だ。
どうすればいい、どうしたら、アリシアは幸せに過ごせるのだろうか。
前世を思い出してお姉に介抱されている間、私は必死に考えた。アリシアがお姉なら、私を虐めてくることはない。絶対に。むしろ、エド様ルートに行きたいなら身を引くとか言い出しそうだ。私を甘やかすことに余念がないお姉は、生まれ変わったってブレない。アリシアになったって、お姉はお姉だ。
いっそ、アリシアがエド様のルートに乗るのはどうだろう。お姉は、氷の幻想郷をプレイしてない。私がおススメする前に、お姉は…………。うん、だから、私がアドバイスをして、エド様と結ばれてもらおう。エド様なら、天然お姉を任せられる。
うん、そうしよう。お姉が中身に入ってるアリシアなら、きっと、エド様も気に入る。お姉は天然だし、可愛いし。前世だって、お父さんが邪魔しなければ、お姉は結婚できただろうに。今度は、お姉に幸せな結婚をしてもらうんだ。
そうと決まれば、と思って、一晩かけてお姉にエド様の基礎知識を叩き込んだ。お姉は頭の上にヒヨコがぴよぴよしてそうな顔をしてたけど、まあ、大丈夫だろう。
「おはよう、アリシア」
学園の校門で会ったエド様に、アリシアお姉は早速、冷徹なアリシアにあるまじきおどおどとした態度で挨拶を返した。うんうん、お姉、男の人の免疫ないもんねぇ。可愛い。うん、お姉、可愛い。
「……?アリシア、顔色が悪いようだが」
普段とあまりにも違うアリシアお姉に、エド様は少し不審そうに眉を寄せた。ちらりと私を見る。まあ、アリシアとユーリアの仲の悪さは有名だしね。一緒にいるのも不審なんだろう。
「えっ?!あ、いや、ええ、大丈夫ですわ。ええと、昨夜、ユーリアと夜更かししてしまって……」
馬鹿正直に、アリシアお姉が答えた。エド様だけじゃない、周りにいた生徒も驚いたようにざわついているけれど、アリシアお姉は気付かない。私は、アリシアお姉の言葉が嘘じゃないと証明するようにアリシアお姉のスカートの裾を摘まむ。
「いえ、な、何でもありませんわ」
何事か判断するためだろう、じっとアリシアお姉を見つめるエド様に、アリシアお姉は言葉だけは悪役令嬢アリシアっぽく声を上げた。声、ちょっと上擦ってて全くアリシアっぽくないけど。そこもいい。いや、そこがいい。
ずっと見てたいけど、後はエド様にお任せしよう。悪役令嬢アリシアには似ても似つかないというのが、この短いやり取りだけで分かった。大丈夫だ。きっと、エド様は気に入る。
「お姉様、頑張って」
ちょいちょいとスカートの裾を引いて、私はアリシアお姉に耳打ちした。振り向いたアリシアお姉は、全身で待って置いていかないでと私に訴えてくる。うう、可哀想……。けど、心を鬼にするのよ、ユーリア。
「ヨゼフィルド様、よろしければ、教室までご一緒しませんか?」
「ええ、是非」
アリシアお姉の変化に気付いてはいるだろうけれど、婚約者である兄に任せることにしたようだ。ヨゼフ様は私の誘いににっこりと微笑んで、私の手を取った。ああ、可愛い。ヨゼフ様、尊い。ほっこりするわぁ。
教室までヨゼフ様とほのぼの会話しながら向かって、一時限目の授業を受ける。魔術、私も使ってみたいな。エド様は氷系の魔術が得意でいらっしゃるけど、ヨゼフ様は風系の魔術の方が得意なのよね。私は、主人公なだけあって、上げるパラメータと攻略対象によって得意になる魔術が変わる。アリシアお姉は何だったかな。私の邪魔をするときに魔術を使うこともあったんだけど、ルートによって様々な妨害してくるから、もしかしたらアリシアお姉も私と同じようにパラメータとルートによって得意な魔術が変わるのかもしれない。
「まあ、アリシア様が?」
「ええ、顔色がよろしくなかったようよ。お疲れだったのかしら」
「あれだけご自身を律していらっしゃる方が、珍しいわね」
移動教室の途中、上級生の会話が聞こえてきた。アリシアお姉、どうかしたのだろうか。上級生の令嬢たちは、特に非難がましい顔をしていない。純粋に心配してる、という感じだ。
「お倒れになるだなんて……」
「!」
え、アリシアお姉が?!
気付いたら、私は医務室へ向かって走っていた。公爵令嬢として、走るだなんてはしたないけれど、今はそれどころじゃない。お姉が倒れた。きっと、昨日、無理をしてゲームの知識を詰め込んで、寝不足になったせいだ。私の、せいだ。
息を切らせて医務室のドアを開けると、ベットに座るアリシアお姉とそのそばの椅子に腰かけるエド様がいた。
「ユーリア?」
「お姉様!」
微笑んで私を呼ぶ。まだ、アリシアお姉の顔色は青い。私は駆け寄って、アリシアお姉の腰に抱き着いた。
「お姉様、ごめんなさい、私が昨日、わがままを言ったから……!」
「そんなことないわ、ユーリア。昨夜は私もはしゃぎすぎてしまったのよ。心配かけてごめんなさいね」
アリシアお姉は、私の頭をやさしく撫でてくれる。ううう、お姉、ごめんね。
「でも……!」
アリシアお姉の胸元から顔を上げると、彼女はやさしく微笑んでいた。青い顔をしているのに、心配かけまいとしてる。お姉は、いつもそうだ。
「……私、家の者に連絡をしてきます。お姉様、今日はお休みになって?」
「けれど……」
「そうしたほうがいい。君はまだ、ろくに顔色も戻っていないんだ」
エド様も、私の提案に頷く。アリシアお姉は、困ったように微笑んだ。私は、アリシアお姉の頬っぺたに手を添える。
「お姉様、無理はいけないわ」
しょんぼりとうなだれてしまったアリシアお姉に、心が痛む。エド様も、ぐっと息を飲んでいた。
「もう少し、寝ていらして。こちらへ迎えに来るように言っておくから」
「ごめんなさい……」
「謝らないで、お姉様。元気になったら、また一緒にお話ししましょうね」
アリシアお姉の体を解放して微笑むと、お姉も少しだけ微笑んでくれる。エド様も、私と同じように立ち上がった。
「ほら、アリィ。横になるんだ」
「エド様……」
おや?おやおや?もう、愛称で呼び合うまで進展してるの?さすが、お姉!天然人タラシ!
「私は教室に戻るが……、いや、ついていた方がいいか?」
エド様がアリシアお姉をベッドに寝かせながら言う。やわらかく髪を撫でるエド様に、お姉は真っ赤になって首を振った。
「だ、大丈夫ですわ。大人しく寝ていますから」
「そうしてくれると助かる」
おお、いい感じ!ゲームスタートまではまだ二年あるけど、その前に攻略完了しちゃいそうな勢いだ。
アリシアお姉が大人しくベッドに横になったのを確認して、私はエド様と一緒に医務室を出た。
「ユーリア嬢、その……アリシアは普段、あのような?」
その道すがら、エド様が、どうやって尋ねたものかとばかりに聞いてくる。まあ、そうだよね。あの冷徹なアリシアが、天然ほやほや系アリシアになってるんだもの。
「あまり無理をするものではないと、昨夜、お姉様とお話ししましたの。お姉様は公爵令嬢として必死にご自身を律していたようですけれど、随分、苦しそうでしたから」
「そうか……」
思うところがあったのか、エド様は難しい顔をして考え込んでしまった。あのゲームで語られた過去話によると、エド様はアリシアと婚約してからもあまり興味はないとばかりにアリシアを放っていた。婚約者の暴走を止められなかったのは自身の落ち度だと、そうユーリアに話したことがある。もちろん、ゲーム内で、エド様のルートで、だ。
これからは、アリシアお姉を放っておかれては困る。アリシアお姉には、幸せな恋愛結婚をしてもらうのだ。断罪もされず、追放もされず、婚約破棄もされない。そのために、エド様はとても重要な人だ。
「お姉様は、強がってみせても寂しがりなのですわ。エドアルト様でしたら、もうお気づきかもしれませんけれど」
ちくり、とエド様を刺しておく。エド様は、難しい顔をして黙り込んだままだ。そうこうしてるうちに、教室に着いた。私の方の、だ。どうやら、エド様は私を送ってくれたらしい。ああ、でも、私は家に馬車を呼ぶために使用人を呼ばないとだから……。
「もうすぐベルが鳴る。君の家には、私から伝えておこう。婚約者である私からでも、構わんだろう?」
「え、ええ。そうですわね。お願いできますか?」
「ああ」
短く頷いて、エド様は去っていった。婚約者、ってわざわざ私に言ったのは、さっきの答えか。エド様って、案外過保護かも。
私は席について、次の授業の準備を始めた。今日、家に帰ったら、真っ先にアリシアお姉のお見舞いに行こう。うん、そうしよう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
家に帰ると、随分と顔色の戻ったアリシアお姉が出迎えてくれた。寝てないとだめ、と侍女のヘレナと一緒にアリシアお姉を部屋へ連行する。全くもう。
「でも、もう、本当に大丈夫なのよ」
「駄目よ、お姉様。今朝もそう言ってお倒れになったのでしょう?ほらもう、大人しく横になって」
「左様にございますわ、お嬢様。せめて、今日一日はお休みくださいませ」
むぐむぐと文句を言うアリシアお姉を、ヘレナと協力してベッドに押し込む。エマは、私がお願いしてホットミルクを作ってきてもらってるところだ。
ヘレナやエマにとっても、随分とアリシアお姉は変わったように思うけど、さすが、二人はすでに天然ほわほわ系アリシアに適応してる。前のアリシアにこんなお説教したら、うるさい口を出すな、と叱責されてただろう。
横になったアリシアお姉のそばに椅子を持ってきて、そこへ腰かける。昔、よくお姉がしてくれたように、布団の上からぽんぽんと軽く叩いた。
「ふふ、今日はユーリアがお姉様?」
「うふふ、そうよ。聞き分けのない妹の面倒を見なくちゃ」
「まあ。頼もしいお姉様」
笑いあってると、ヘレナもほっこりしたように見守ってくれている。しばしのんびりとしてたら、部屋の扉がノックされた。
「アリシアお嬢様、お客様です」
エマの声だ。え、アリシアお姉にお客様?
「あら、どなたがいらっしゃったの?」
アリシアお姉の代わりに私が答えると、エマが音もたてずに扉を開けて一礼した。
「お嬢様のご婚約者の、エドアルト様です」
「まあ……」
積極的だな、エド様!
エマから視線を外して振り向くと、アリシアお姉はベッドに座ったまま目を見開いて固まってる。ああ、うん、驚くよね。それから、私に助けを求めるように視線を向けてきた。うんうん、大丈夫だよ、アリシアお姉。
「お通ししてください。ヘレナ、少しお姉様の身だしなみを整えてあげて」
「はい、ユーリアお嬢様」
ええっ、と驚くアリシアお姉に、私はにっこりと微笑んで見せる。大丈夫、ネグリジェ姿も可愛いよ、お姉。殿方にはちょっと刺激的だから、ヘレナの持ってきたカーディガンも羽織っておこうね。
「ちゅーくらいはいいけど、押し倒されないようにだけ気を付けてね、お姉様」
こっそり耳打ちすると、アリシアお姉は沸騰するほど真っ赤になって硬直した。まあ、エド様は紳士だから、そんなことしないと思うけどね。
私は案内しに行ったエマを見送って、ヘレナと一緒にアリシアお姉の部屋を出る。気になるけど、これ以上はエド様にお任せしよう。頑張ってね、アリシアお姉!




