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第一話 アリシア

 私の名はアリシア・アダーシェク。アダーシェク公爵家の長女で……、今、まさに、前世を思い出したところだ。


 自宅の廊下で妹とすれ違いざま、しとしとと雨粒を落とす空から不意打ちの落雷。


 かなり近いところに落ちたのだろう。凄まじい光と音と、地震のような衝撃に私は思わず妹を庇った。妹も、悲鳴を上げながらぎゅっと私に抱き着いてくる。


 その瞬間だった。


 妹の頭を胸元に庇うように抱き締める。そう、小さい頃こうして、よく泣く妹を抱き締めていた。いつ?だって、わたくしはユーリアとは仲が良くないわ。そんなことない、私は、妹とは仲良しだ。妹がはまったアニメとか、ゲームとか、聞いてもないのに布教してくるくらいには……。え?あにめ?げぇむ?アニメ、ゲーム。聞いたことが、ない、ううん、ある。あるよ。どこで?どこに?私は、……わたくしは。


 再度の落雷、その音が、私の意識を引き戻した。


 大量の、前世の記憶を引き連れて。


 ぐらぐらする。脳味噌が、掻き混ぜられたようだ。というか、え、私は、アリシア?このドレスも、私に縋りついて震えてる金髪巻き毛の女の子も、知ってる。知ってる、というか、ああ、駄目だ。考えがぐちゃぐちゃになってる。


「お嬢様!お怪我はございませんか?!」


 私についていた侍女のヘレナが、慌てて駆け寄ってきた。妹のユーリアについていたエマも、青い顔で私たちを見ている。


「ええ……、ええ、大丈夫よ。……ユーリア、あなたは?」


 胸元に顔を埋めているユーリアの顔を覗き込むと、真っ青な顔で彼女が私を見上げた。確かに、私の記憶ではアリシアとユーリアの仲は最悪だった。けれど、今、私の腕の中にいる彼女は、縋るように私を見ている。


「お、ねえ……」


 お姉。それはよく、前世で私の妹が私を呼ぶときの呼称だった。いやまさか。え、でも、ユーリアは私を、アリシアお姉様、って呼んでたよね?お姉様、と省略した記憶はない。お互いに、できるだけ会うのを避けていたし。


「ユーリア、顔色が良くないわ。わたくしの部屋で休んでいきなさい」


「あ、アリシアお嬢様っ……」


「ヘレナ、申し訳ないけれど、暖かい飲み物を用意してもらえる?エマ、わたくしの部屋の扉を開けて頂戴。……早く」


 普段とは絶対に違う私の指示に、けれど、優秀な侍女である彼女たちは従って動いてくれた。ふらつくユーリアを支えて、すぐ近くにある私の部屋へ連れていく。とりあえず、私のベッドにユーリアを座らせた。私は彼女の顔を覗き込むと、汗で張り付く金色の髪を軽く指で退ける。


「大丈夫?少し、腰元を緩めるわね。気分はどう?吐きそうなら、そのまま吐いてしまいなさい」


 私は、ユーリアのドレスの紐を緩めながら、その背中をさすった。ユーリアは、青い顔のまま私のドレスを掴んで、私を見上げてくる。じっと私の顔を見て、小さく掠れた声で、お姉、と私を呼んだ。私は、その声に頷いてみせる。頷いた私に、ユーリアはその大きなアイスブルーの瞳を見開いた。


「お姉……さま」


「エマ、ユーリアの部屋着を用意してもらえるかしら。このまま、今日はわたくしの部屋で休ませるわ」


 私の指示に、エマはユーリアを見たようだった。背後にいて、私には分からなかったけれど。私に縋りついたままのユーリアが、ようやく私から視線を外して頷いてみせると、エマは静かに部屋を出ていった。入れ替わるように紅茶を用意して戻ってきたヘレナを、後は私がやるからと少々強引に退室させる。


 二人きりになった部屋で、ユーリアはまた、私をじっと見つめた。私はベッドの淵、ユーリアの隣に腰を下ろして、彼女の顔を覗き込む。


「違ったら、ただの世迷言と笑って頂戴ね。私は有紗で、あなた、友里?」


「やっぱり!お姉!」


 がっ、と音がするくらいに勢いよく突進されて抱き締められて、私はカエルの潰れたような声を上げた。


「ちょ、いたいいたい、加減して、友里!」


「おねえ!だってー!」


 わあわあと声を上げて泣き始めたユーリアに、私は苦笑いを浮かべて彼女の背を撫でる。ああもう、全く、よく泣くんだから、この子は。金色の髪の毛に頬を寄せて、落ち着くように背中を撫で続けた。


「ほらもう、泣き止むの。もうすぐエマがあなたの服持って来るわよ?」


「ううう、お、お姉、ってば、順応早すぎ……」


 しゃくりを上げながらも、ユーリアが笑った。そりゃそうよ。妹が泣いてるんだもの。私がしっかりしなくてどうするの。


「当たり前でしょ。私はあなたのお姉ちゃんなんだから」


 笑いながらハンカチを渡すと、ユーリアは涙に濡れた目元を拭った。それから、真剣な表情で私を見る。


「お姉、これからどうするの」


「これから?」


 これからって言ったって、まあ、アリシア・アダーシェクとしての記憶もしっかりあるし、私は無難に生活していこうと思ってるけど……。ユーリアの表情からして、そういうことじゃないらしい。


「だってお姉、悪役令嬢だよ?」


「ん?…………え?」


 アクヤクレージョー?


「ほら!前に話したじゃない、『氷の幻想郷』って乙女ゲー!アリシアって、あれのライバル令嬢だよ、お姉!」


「え……、まじか」


 ちょっと、それは、お姉ちゃんも泣きそうだ。 



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 エマとヘレナに今日は姉妹で一緒に寝るからと伝えて、夕食も部屋に運んでもらった。普段、交流もない姉妹が一緒の部屋に籠ってるなんて、父様と母様どころか家の者皆が不審がるだろうけれど背に腹は代えられない。


「つまり、ユーリアがヒロインで……」


「そうなの、お姉が私を苛め抜く悪役令嬢なのよ。ああ、でも、一番酷いのは私がエド様を狙った場合だけど」


「エド様……、エドアルト様ね」


 エドアルト・バルトス様。バルトス公爵家の嫡男であり、私の婚約者でもある。数年前に親同士で決められた婚約者様とは、学園で顔を合わせる程度の事務的なお付き合いが続いていた。アリシアである私も、特別な感情は抱いていない。


「ううん、別にユーリアがエドアルト様をお慕いしてるなら、私は辞退するけど?」


「今のお姉ならそうなんでしょ。アリシアお姉様は、私に横取りされたのが何よりも屈辱だったようだから」


「それで、あなたを苛め抜く、と」


 デザートのケーキをぱくりと食べて、ユーリアがしたり顔で頷いた。前世の記憶もあるけれど、アリシアとしての記憶も勿論ある。黒髪に暗い青の瞳を持つ、いうなればきつい見た目の私と違って、華やかな見た目のユーリアは両親に可愛がられていた。それを面白くないと思ってもいる。でもそれは、この世界で十五年しか生きていないアリシアの感情だ。前世で三十路まで生きた私からしたら、鼻で笑えてしまう。

 可愛い妹が愛されているなら、それでいいじゃないの。むしろ、もっとユーリアを愛せと思う。私の妹よ。愛されて当然だ。可愛いもの。生まれ変わっても、この子は可愛い。


「それで、ユーリアはどうなの?エドアルト様と結婚したい?」


 結婚したいというなら、今すぐにでも婚約を破棄してこよう。いや、ここが乙女ゲーの世界だというなら、ストーリー通りに楽しみたいかしらね。それならお姉ちゃん、悪役令嬢頑張っちゃうぞ。


「もうっ、ダメだからね、お姉!いくつになっても私を甘やかすんだから!」


 頬を膨らませて、ユーリアが私を睨む。


「それに、私の推しはエド様じゃなくて、その弟のヨゼフ様よ。ほんわか可愛い系イケメンだもの」


「ああ、あなたも好きねぇ」


 確かに、私の婚約者のエドアルト様は、将来聖騎士になるんじゃないかっていわれてる武闘派の男性だ。弟のヨゼフィルド様とは随分と違う。ヨゼフィルド様は、可愛らしい癒し系だわ。


「私は私で頑張るよ、お姉。ヨゼフ様のルートの時にも、アリシアお姉様は何かと邪魔してきたけど、お姉ならしないもんね」


「あら、わたくしが邪魔をしないと出ないストーリーがあるなら、やぶさかではないわよ?」


 アリシアっぽく応答すると、ユーリアはからからと笑った。


「いいよ、大丈夫。大丈夫じゃないかもしれないけど、うん、折角だもん、頑張ってみる。だから、お姉も頑張って!」


「ん?うん」


 何を頑張れというのか。頷いては見たものの、顔に出てたのだろう。ユーリアは悪戯に笑って私の額をつついた。


「前の世界では結婚しなかったでしょ。この世界では、ちゃんと恋愛して、幸せな結婚してね」


 ちょっと待って、何でそんなに楽しそうなのよ、ユーリア。


「ぜ、善処するわ」


「エド様、お姉と合う気がするんだけどなぁ。うふふ、恋愛相談なら、いつでもウエルカムだからね!」


 可愛らしく満面の笑みを浮かべて、ユーリアが小首を傾げる。それから、私の淹れた紅茶を飲みながら、ユーリアによる『氷の幻想郷』レクチャーが始まった。


 曰く、エドアルト様は幼いころに誘拐された記憶から何者にも負けない力を求めているとか、氷系の魔法が得意で剣術にも取り入れているとか、ツンとしているようではあるけれど可愛いもの好きとか、実は辛いものが苦手で甘いものの方が好きとか、仲良くなっても紳士的で素敵な方だとか。


「ま、待って、脳味噌爆発しそう」


「頑張れ、お姉!」


 ぴよぴよと可愛らしく応援してくるユーリアを、ちょっとだけ憎たらしく思うのは、きっとアリシア・アダーシェクの感情なのだろう。


「エドアルト様と、明日どんな顔してお会いすればいいの……」


「お姉の笑顔でイチコロよ!」


 ちくしょうこの野郎。他人ごとだと思って。およそ、令嬢らしくない言葉は、どうにかこうにか飲み込んだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 翌日、私は重い気分で馬車に乗り込んだ。ユーリアは、隣でうつらうつらしてる。相変わらず、私の妹は朝に弱いようだ。まあ、今日は私も眠いけれど。昨夜、ユーリアと話し込んじゃったからねぇ。少し眩暈がするけれど、前世を思い出した上にゲームの知識を詰め込まれたせいだろう。脳味噌が大混乱してるんだ。


 私とユーリアの通う学園は、貴族の子女向けのものだった。この国での十公に数えられているアダーシェク公爵家、同じくエドアルト様やヨゼフィルド様のバルトス公爵家も例外ではない。六年通うこの学園で、私とエドアルト様は三年生、ユーリアとヨゼフィルド様は一年生だ。学生寮に住む生徒もいるけれど、私もユーリアも家から通っていた。馬車もあるし、近いしね。


「おはよう、アリシア」


 馬車から降りて学園の門をくぐると、ちょうどエドアルト様とヨゼフィルド様がいた。十五歳にしては随分とがっしりした体格のエドアルト様が、私に気付いて声をかけてくれる。


「お、おはよう、ございます」


 どう応えたものか、と逡巡して、どうにも無難に挨拶を返した……つもりだ。隣のユーリアの視線が痛い。しかし、アリシアもそうだったけど、私自身、恋愛が苦手だ。苦手、というか、どうしていいか分からない。アリシアにしてみれば、どうしたら殿方が気に入るような立ち居振る舞いが出来るのか分かっているけれど実行するにはプライドが許さないし、私的には羞恥心が邪魔をする。しかも、妹の前でなんて。


「……?アリシア、顔色が悪いようだが」


「えっ?!あ、いや、ええ、大丈夫ですわ。ええと、昨夜、ユーリアと夜更かししてしまって……」


 心配そうに顔を覗き込んでくるエドアルト様に、私はあわあわと首を振った。エドアルト様はきょとんと目を丸くした後、じっと私を見てくる。え、ちょ、何でそんな見てくるの。

 あ、しまった。そうか、アリシアとして、今まであんな返事はしなかった。何でもありませんわ、とツンと顎を上げて答えるのが正解だったのか。


「いえ、な、何でもありませんわ」


 精一杯の虚勢を張って、私はエドアルト様に言う。けれど、エドアルト様は何か考えるように私を見ていた。


「お姉様、頑張って」


 ちょんちょん、と私のスカートの裾を引いて、ユーリアが耳打ちする。頑張るって、何を。というか、ちょっと、ユーリアどこ行くの。え、教室?ヨゼフィルド様の手を引いて、って、置いてかないで、ユーリア。どうしたらいいのよ、これ。


「アリシア」


「は……、はいっ?」


 呼びかけられて、思わず声が裏返ってしまった。情けない。けれど、エドアルト様は息を吐くように笑って、私へ手を伸ばしてきた。


「教室まで送ろう」


 え。


 今まで、そんなことされたことあった、っけ……?いやでも、これ、断るのもどう断ったらいいのか。どうしよう、こ、断れない。


「あ、の……」


「どうした?それとも、医務室へ向かおうか?」


「い、いえ、大丈夫ですわ」


 断るに断れない。ええい、腹をくくるんだ、アリシア。


 そっと、差し出された手に自分の手を重ねると、エドアルト様はまた息を吐くように笑った。あれ、こんなに笑う人だっけ?ちらりと隣に立つエドアルト様を見え上げると、彼も丁度私を見ていてばっちりと視線が合ってしまう。燃えるような臙脂の瞳が、やわらかく細められた。ひええ!

 慌てて視線を逸らして俯く。繋いだ手が、熱い。ど、どうしよう。手を放そうにもエドアルト様の大きな手に掴まれていて、……ああ、エドアルト様、結構手がごつごつしてるのね。剣術をしてるからかしら。私みたいにふにゃふにゃな手じゃない。


「アリシアの手はやわらかいな。壊してしまいそうだ」


 誰だコイツ。私の知ってるエドアルト様じゃない。もっとツンケンしてたじゃないか。そりゃ、私ももっとツンケンしてたけどね。何なの急に。エドアルト様も雷に打たれたの?それとも、私のせい?私が、普段のアリシアみたいにできてないから?そうだ。そうかもしれない。


「な、何をおっしゃいますの」


 なるべく前のアリシアを意識して、私はエドアルト様を睨みつけた。だというのに、エドアルト様はどこか楽しそうに口元を吊り上げただけだった。


 助けてユーリア!あなたの教えてくれたエドアルト様のお話、何にも役に立たなそうなんだけれど!


 頭の中が大混乱しつつも、エドアルト様は私を教室までエスコートしてくださった。さすが、公爵家の嫡男。席について、私はほっと息をつく。エドアルト様も同じクラスだけれど、今までこんな風にそばについていられたことなんてない。朝、顔を合わせたとしても挨拶を交わすだけで、エスコートなんて夜会へ参加するときにお願いするくらいだ。


「顔色が悪いな。体調が悪くなったら、すぐに言うんだぞ」


「お、お気遣いありがとうございますわ」


 さらりと頬を撫でられて、私は首を竦める。もう、早く席についてー!いつも、男子のお友達と一緒にいるじゃないの。何で、今日は私のそばに立ってるの。わ、私の友達は誰かいないのかしら。ああ、あちらにセシルさんがいる……。けれど、私に軽く会釈しただけでこちらに来る様子はない。

 ああ、どうすればいいの。アリシアとして生活するにしたって、昨日とは状況が違いすぎて、何も参考にならない。いけない、くらくらしてきた。


「やはり、医務室に向かえばよかったか」


「ん……、だいじょうぶ……」


 首を振ったら、くらりと視界が揺れた。さあ、と血の気が引く感覚がする。前世で一度経験したことがあった。貧血だわこれ。


「アリシア!」


 揺れた体を、がっしりと支えられた。暗くなる視界に、エドアルト様の焦る顔が見える。ああ、いけない。エドアルト様に迷惑をかけてしまう。しっかりしないと。


「…………エド……」


 けれど、私の意識は暗く沈んで、自分の体を支えることすらできなかった。

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