雲隠逃去の推理
長亥は立っていた。
ここはどこだろう?
どこかの団地の、どこかの部屋だ。
雨戸は開き、青白い光が室内を照らしている。
長亥の前には開いた押入れ。
押入れの壁には、落書き。
柱には、身長を記した傷。
扉の開く音。
玄関に、繋架と、逃去が立っていた。
長亥は、押入れを指さした。
「ここ、僕の家だったんです」
押入れは、がらんどうだった。
「長亥ちゃん、お姉さんに見覚えないかい?」逃去はあえて軽薄に呼びかけた。
長亥は逃去を見て、そして繋架を見た。
「……失礼ですが?」
「雲隠逃去さん、探偵です」繋架が答えた。
「雲隠逃去ってのは屋号でね。それにしても……、よく遊んであげたんだけどなぁ」逃去は、土足のまま部屋に入り、長亥の手を掴んだ。
「出よう。ここは良くない」
棟を出ると花壇があった。長亥はそこに腰を掛けた。繋架は、写真を撮った花壇だと気付いた。
「あの部屋」逃去が棟を指した。
繋架はその方向を見た。昼に調べた部屋のあたりだろうか?
「父と母の三人暮らしだった。すぐに父は出て行ったけど」
繋架は再び逃去を見た。
「先週、父の手記が送られてきてね」逃去は古びた手帳を取り出した。「私は、これを手掛かりに、行方を追っていたんだ」
黒い革張りの手帳。
「父は名前や経歴を変えながら全国を転々としていてね、難儀したよ。旅の終着点がここ」逃去は地面を指した。「灯台下暗し。巡りに巡って、『きぼう』に帰ってきたって訳」
「あなたの父が、30人の中に?」長亥が訪ねた。
「正確には違います」逃去は肩をすくめた。
「失踪した30人すべて、父によって演じられていた。それがこの事件の、身も蓋もない真相です」
繋架は、その意味を考えた。
だが、それでは……
「……ひとりの人間が、30の人生を演じていた?」長亥が尋ねた。
「えぇ」
「何のために?」
「『きぼう』を守るために」
団地を見上げた。
高い。
この一つ一つに、人が住んでいた。
「再開発計画か……」長亥が呟いた。
反対派の集合写真。
住人達は、亡くなった後も、「きぼう」を失いたくなかったのだろうか。
「遺体は?」
「恐らく、この島のどこかに」
「あぁ……」
繋架の中で、何かが繋がった。
長亥の座っている花壇へ近づく。
逃去の父が住んでいた棟。
掘り返された土の跡。
「ここ……」
繋架は手で掘った。
長亥も立ち上がり、手伝った。
「まさか……」逃去も加わった。
30センチほど掘ると、固い何かに触れた。注意して土を払う。両手で抱えられる程の、木の箱。
「この花壇は、全部……」長亥は呟いた。
花壇は、団地に沿って、ずっと続いていた。
長亥は、力が抜けたように、花壇に腰を下ろした。
「あなたの父上は、どこに?」長亥は煙草に火を付けた。
今日初めての煙草だった。
「この屋号は、父から引き継いだものだからね」逃去は、手に付いた土を払った「見つけるのは難しいと思う」
逃去は長亥に手帳を投げた。
長亥は手帳をパラパラと見た。
「何が書かれていたんですか?」繋架が尋ねた。
「ただの妄想だよ」逃去が笑った。
その笑いが、何を意味するのか、繋架には分からなかった。
だけど、どこか寂しい気持ちがした。