雲隠逃去の手記
逃走とは、自由獲得のための、闘争行為である。
――雲隠 逃去、金言録より
はじめに言葉ありき。
逃走を定義するならば、解放、束縛が無い状態のFreedomより、自由への積極的行動を含むLibertyが適切であろう。逃避、逃亡がFreeであるなら、逃走はEscapeに換言できる。これらは厳密に分けて使用する必要がある。
時に自由は、欲望のままに行動する事と誤解されるが、これは逃避であり逃走ではない。それはむしろ、本能に支配された状態であるといえよう。
時に金銭や社会的地位は、自由を手にする手段であると誤解されるが、これは闘争であり逃走ではない。共同幻想。それを求める事は、システムに飼いならされた不自由な状態であるといえよう。
自らの意思と思い込んでいるものが、その実、本能や社会通念に支配されている。このような例は多々見受けられる。むしろ自ら喜んで、鎖の中に飛び込んでゆく傾向さえある。群れの中にいることは、安心や安全の面で、確かな便益があるからだ。
しかし逃走とは、かりそめの解放ではない。
自らの自由意志すら疑い続ける不断の努力。
理論ではなく実践。
これこそが逃走である。
本題に入ろう。
私には妻子がある。
妻は私を助け、善き妻、伴侶として、家族を支えている。
娘は私に似て利発な子で、かけがえの無い存在だ。
だが――それは本当に私の意思なのだろうか?
K・ローレンツによると、それは種の存続のための命令系である。幼児の特定のパターンが、子を育てるよう仕向けさせる。これは本能による支配に他ならない。
だからこそ、私は逃走しなければならない。
我が子を愛し、妻を愛するがゆえに、失踪しなければならない。
本能でなく、自由意志との証明。
実践にて完結する逃走。
あぁ、どうか私を許して欲しい。
否、許さないで欲しい。
私は、あなたがたを愛するがゆえに、姿を消すのだから……