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コトワザツカイ  作者: 満都日々
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第一章 コトワザツカイ


 重い瞼をゆっくりと持ち上げ目を開ける。 しかし、光は差してこず、目の前は真っ暗のままだった。ほんの一瞬だけ動揺したが、すぐに顔に僅かな重量感を感じることに気づく。右腕をゆっくり動かし重量感の原因を顔から取り除く。

 瞬間、まばゆい光が目に差し込んできた。目を細めながら、慌ててそれをまた顔に被せる。再び訪れた暗闇に今度は怯えることもなく、逆に安堵感を覚えた。するとほのかに紙の香りがした。そこでようやく取り除いたり被せたりしていたものが一冊の文庫本であることに気づいた。文面は真っ暗で全く見えない。仮に明るかったとしても目との距離がちかすぎてぼやけて見えるだろう。

 軽く深呼吸して、また本を取り除くと顔から重量感がさっと消え、パッと眩しい光が目を襲う。

 ゆっくりと上半身を上げる。腹筋が少し痛かった。周りを軽く見回す。

 天井で輝くLEDのシーリングライトに白色の壁紙。黒を基調としたデスクと椅子。知り合いからもらった黒いスライド式の本棚。

どれも見たことあるものばかりだ。それもそうだろうと、心の中で呟く。

 ここは椿町3-5432-20にある二階だて4LDKの一軒家の中の僕、狼谷   誠の部屋なのだから。

 どうやら僕は本を読んでいる途中に眠ってしまったらしい。開きっ放しのページをまんべんなく見る。どうやら涎などは付着してないみたいだ。僕には今回みたく本を読みながら寝てしまう癖がある。涎で汚してしまうこともたまにある。

 嘘だけど。

僕にはそんな癖はない今回はたまたまだ。一週間で溜まりに溜まった疲労感が今日、金曜日に睡魔へと変わり僕を襲っただけだ。

 そんなことを考えていたらふと、口から涎が垂れた。それはそのまま僕の手にある物---ページを開きっ放しにしてある文庫本に落ちていく。

「あっ…」と声を出す間も与えずに涎と文庫本が接触し、どんどん文字を滲ませていった。

慌ててテイッシュを取ってこすったけど、文字がかすれただけだった。

「あーあ」

 一人残念そうにぼやく。新しいのを買ったほうがいいかと考えたが、大した本じゃなかったのでそのまま本棚に戻した。

腕を上に伸ばし、踵を上げて大きく背伸びする。ふくらはぎが徐々に痛んできたのですぐにやめた。

 ふと、窓のほうを見る。カーテンが開け放たれた窓からは満ち足りた満月が見えた。

 嘘だけど。

とても微妙な形だった。昨日の月が下弦の月に近い形をしていたので、次の日の今日に満月になるわけな---

「え?」

 再びみた窓の向こうにあったのは、どこも全く欠けていない、光り輝く円だった。

 普通の人ならばここで驚愕するだろう。見間違いなんてものじゃない。ついさっき見たものと形が全く違うのだから。そしてそれは普通はありえないことなのだから。

 しかし、僕は違った。

「また、か…」

 ぼそっと静かに呟いた。

今回みたいな現象はこれが初めてではない。というか今までに何回もある。


 僕が「嘘」と言ったことは「本当」になる。

 さっきの本もそうだ。僕が「涎を垂らして本を汚すことがある」という嘘をついたとき、実際に涎が垂れて、文字が滲み本が汚れた。窓から見える月もそう。『満ち足りた満月』と「嘘」をついたことにより、それが『本当』になった。

 『嘘から出たまこと』

 まさにそんな現象だ。

 さっき眠っていたベッドに戻り、寝転がる。マットレスがそこまで厚くないからだろう、下にある木の硬さを微妙に感じた。

 さて、この『嘘から出たまこと現象』。僕にもよく分からないがどうやら何かしらの制限があるらしい。

 そっと目を閉じて軽く集中する。

 僕は世界を滅ぼした。嘘だけど。

 思考をパッと変えて、突拍子もないことを頭の中で考え、即座に否定する。

 目をゆっくり開けて、周りを見る。しかし、世界は何も変わらない。家具の位置も窓から見える月も。

 嘘からまことは出てこない。

この検証をしたのはこれで五回目だ。やっぱり全部何も変化がなかった。

 軽くむしゃくしゃしたので、頭をわしゃわしゃと掻きむしった。普段からぼさぼさの髪の毛がボリュームを増した気がする。

 体を起こして、ベッドから降りる。服装を見ると制服のままだった。学校指定ではない、スポーツメーカーのくるぶしソックス。紺色のズボンに白いワイシャツ。パチンと留めるだけの簡易な縞模様のネクタイ。赤がベースで真ん中に白のラインが入った黒縞が斜めに引かれている。ズボンと同じ紺色のセーターは脱いでいたようだ。証拠として寝転がっていたベッドに雑に脱ぎ捨ててある。どうせならネクタイと一番上のボタンも外しといてくれたらよかったのに。そしたら首が苦しくない。              

頭の中で過去の自分に愚痴を吐きながら、部屋着に着替える。グレーの半袖に青いラインが縦に一本はいっている黒のジャージ。この格好が動きやすくて一番楽だ。

 ズボン、セーター、ネクタイをハンガーにかけて、クローゼットに戻す。服の匂いをすごく鼻に感じた。

 脱いだワイシャツと靴下を持って部屋を出て下に向かう。電気を消し忘れずに。

階段を降りて、洗面所へと向かう。持っていた衣類(といっても2つだけだけど)を白いプラスチックで出来た籠に投げ入れる。

 ワイシャツの袖が微妙に籠から飛び出した。

 部屋に戻ろうとしたが、その場で立ち止まった。鏡に自分の姿が映っている。

いや、当たり前だ。鏡なのだから。

まじまじと見つめる。

「………よく分からないよな」

鏡の中の自分に呟く。はたから見るとただの痛いやつ。しかし今は僕一人。イエーイ。よし、落ちつこうか。

 自分のパーツをよく確認する。髪はさっきも言ったとおりボサボサ。目は二重、鼻筋は通っている……鼻筋は通っているっておかしくないか? 

 自分の顔を説明するのは難しい。今度、友人に聞いてみよう。

 洗面所を出て、自室に戻る。

 さっき読んでいたものとは違う本を取り、ベッドに寝転がった。

 そして、再び眠ってしまった。


「………と…」

 ん?

「…ことー…」

 ん……

「誠ー!」

 パチッ。

 三度目の呼びかけではっきりと目が覚めた。いつの間にか帰ってきていた母、ミチコの声だった。

「んーーー……はあっ」

 寝転がりながら伸びをして、起き上がる。壁に掛けてある時計は、午後8時を指していた。

「………風呂に入るか」

 下着を持ち、ふらふらと下に降りる。ちょうど母が階段の下に居た。

 肩の長さぐらいまでの、黒髪ストレート。格好は仕事用のスーツ。

 帰ってきてからまず、僕のことを呼んだのだろう。


「寝てたの?10回以上呼んだんだけど」

「ん……そんなに呼んだの…?」

 

 母の問いかけに、眠そうに答える。

 10回以上……つまり僕が聞いたのは最後の3回だったのか。


「早くお風呂入っちゃって」

「分かってるよ…」

 目をこすりながら洗面所へと向かった。


 ブオー!

 濡れている髪を雑にドライヤーで乾かす。ボサボサだ。相変わらず。

 洗面所を出て、リビングへと向かう。

 家のリビングにはあまり物がない。テレビ、ソファ、テーブル、椅子などの必要なものだけだ。

 テーブルの上には、夕飯が用意されていた。今日は、メンチカツと野菜。骨付き肉とご飯だ。

 椅子を引いて、座る。

「父さんは?」

 食卓にいない父のことを、前に座っている母に尋ねる。

「もうすぐ帰ってくるって。先にたべちゃおう」

「ん、分かった」

 静かに手を合わせる。

「「いただきます」」

 それぞれのタイミングで言ったはずなのに、見事にハモった。

ガチャ…と玄関のドアが開く音がする。父さんが帰ってきたようだ。

 リビングに父さんが入ってきた。汚れた作業服が、仕事での疲労を物語っていた。

「おかえり」

 作業服のボタンを外している最中の父さんに僕は言った。

「ただいま。おっ、今日はメンチカツか」

「早く着替えちゃいなよ」

「おう」

 父さんはそのまま洗面所に向かっていった。

 ちょっと経ってから、スウェット姿の父さんが戻ってきた。

「あー今日も疲れた」

 そう言いながら父さんがビールを開ける。

 プシュッと炭酸の抜ける音がした。

 父さんはゴクゴクと喉を鳴らしながら、気持ちよさそうにビールを飲んでいく。

「ぷはぁっー! やっぱビールは美味い!」

「典型的な親父のセリフ言うのやめろよな」

「ん、いいじゃないか。美味いんだし」

 父さんはニカッと歯を剥き出しにして笑った。

 この笑い合っている父さんたちと僕を見ると、幸せで仲良しな家族だとまわりは思うだろう。

 ふと目を閉じる。視界から全てのものがなくなり、無限の虚空が見える。

 今度はゆっくり目を開ける。LEDの光が目にさしこんできて眩しくなった。

「はぁ…」

 小さくため息をついて、前を見る。そこにはもう父さんも母さんも美味しい夕食も存在しなかった。

 父さんと母さんは僕が小5の時に事故で死んだ。

 あれはGW終盤の時だった。旅行の帰り道、高速道路を走っていた僕たちの車に逆走する大型トラックが突っ込んできた。

 父さんがかけた急ブレーキの音がした後、僕らの車は吹っ飛んだ。そのまま転がって、逆さまの状態で停止した。

 僕はぶつかった時、開いていた窓から放りだされ、アスファルトの上を転がった。シートベルトをしていた父さんと母さんはそのまま車と一緒に転がっていった。

 これで終わっていたら、父さんと母さんは生きていたかもしれない。けど、漏れたガソリンに火花が引火して、車は轟音をたて爆発し、両親の命を奪った。

 薄れゆく意識の中で見た、豪火の如く燃えている車と父さんと母さんの最期を僕は一生忘れないだろう。

 なにも無くなったテーブルを見て、またため息をつく。

 もういないって分かっているのに、この能力を使って毎日、父さんと母さんの幻を作っている。イメージするだけで、現れるんだ。優しい笑顔を浮かべている父さんたちが。

 ぽたっ…と、涙がこぼれ、なにもないテーブルに染みをつくる。一度こぼれたらもう止まらない。叫びたくなる声を押し殺して、ただただ、涙を流した。

 わかってる。もういないんだ。いつも僕に笑いかけてくれて、一緒に感動して、時には厳しく叱ってくれた、父さんと母さんは。小5のあの日にいなくなったんだ。幻をつくったって無駄なんだ。昨日もこうやって泣いた。でもまた、今日も幻をつくった。父さんと母さんは生きているという嘘をまことにして。

 目を腕でこすり、涙を無理やり拭いた。まだ涙は止まらない。止まらないけどずっと泣いてはいられない。

「よーし! 弁当買いにいくか!」   

わざと大きな声を出し叫んだ。小さく呟くだけだと、気は紛れないから。

 フード付きのパーカーを羽織って、外に出た。

 ここから近くのコンビニには3分もかからない。でもちょっと歩かなきゃいけないからめんどくさい。

「コンビニが今すぐ目の前に現れる………なーんてな」

 寂しく独り言を呟きながら歩く。もう着いてしまった。明るい店内にドアを引いて入る。

「いらっしゃいませー」

 店員からの挨拶。バイトでも社員でも、大抵無視されるこの挨拶をする意味があるのかな。ま、無かったら無かったでなんか嫌だが。そんなことを考えながら弁当コーナーに向かった。

 到着するやいなや、カルボナーラの弁当を取って、レジに向かう。

「いらっしゃいませー。お客さん常連ですね」

「まあ、毎晩だからね」

 ピッ、という電子音がして値段が表示される。378円。

「温めますかー?」

「お願いします」

「かしこまりましたー」

 どんどん温められていく僕のカルボナーラ。家につく頃がちょうどいいだろ。

「お待たせしましたー。400円お預かりしまーす。」ピッピッピッ、ガシャーン「22円のおつりでーす」

 レシートとともに、おつりを渡される。レシートはすぐ捨てて、おつりは2円だけ募金した。

「いつも一円玉は募金しますよねー」

「少ないかな?」

「いや、こういうのは気持ちじゃないですかー?」

「まあ、そうだよね。じゃ」

「ありがとうございましたー」

 店員と軽い会話をした後、コンビニを出て、家に帰った。



「ただいま」

 おかえりの四文字はどこからも返ってこない。まあ、当たり前だ。誰もいないんだから。

 うるっと目が潤む。駄目だ、考えるな。思考を振り払うように、少し乱暴に袋をテーブルに置いた。

「ふぅ……」

 息をつき、椅子に座った。ガサゴソと音をたてながら弁当を取りだす。音はなにもないリビングに余計に響いた。

「いただきます」

 コンビニのフォークを袋から出して、カルボナーラに突き刺す。巻かずにそのままスズッとすすった。濃厚なクリームが口の中を支配している。そのまま麺を半分ほどすすり続けたところで、停止する。しまった、重い。胃がもたれる。この時間にカルボナーラはアウトだった。一度そう考えると、食べることが苦痛でしかなくなった。その後はペースが落ちて、やっとの思いで食べおわした。

「ご、ごちそうさま…」

 少し吐きそうになりながら、空になった容器をゴミ箱に捨てる。

「………二度と晩飯にカルボナーラは食べないぞ」

 そう堅く決心した僕だった。

「うっぷ……」

 口を手で抑え吐きそうになる衝動を防ぐ。手を離したら溢れてしまいそうだ。洗面所に向かう足取りも遅くなってしまっている。

「もう吐いたほうが楽かな……」

 そう呟いた瞬間だった。不意に手が口から離れ、喉の奥にもの凄い逆流を感じた。僕は咄嗟に叫んだ。

「僕は全く吐かない! 嘘だけどっ!!」

 叫んだ声が狭い洗面所に響いた。すると、喉の奥にあった不快なものがなくなった。

「治った……はあ……」

 安堵のため息を吐く。そして感嘆する。本当に便利な能力だな、これは。

 すっかり気分が良くなった僕は、流行りの曲を鼻歌しながら歯磨きを開始した。口に残っていた、クリームと歯磨き粉が混ざりなんともいえない味を生みだす。

「おえっ」

 思わず歯磨き粉を吐いてしまった。もう歯を磨くのも嫌になって口をゆすぎ、洗面所を後にして、自室に戻った。

「おやすみなさい」

 部屋の電気をつけずにベッドにダイブして、僕はそのままノンレム睡眠とレム睡眠を80~110分の周期で交互に始めた。要するに寝たということだ。



 2


目覚ましが鳴る。鳴り続ける、僕が止めるまで。

「………朝か」

 三回音がなると、電池が切れるまでなり続けるようになる目覚まし時計を、苛立ちながら乱暴に止めた。

 朝だ。僕があまり好きではない朝。気持ちよく寝ているのを、けたたましい電子音で邪魔される。そう、朝は邪魔から始まる。夜は自由だ。僕は一人だし。邪魔に始まり、自由で終わる。終わりよければ全てよし。

 よろめきながらキッチンに降りて、食パンをトースターにセットする。焼けるまでに牛乳を準備する。

 カシャン!と音をたてパンが勢いよく飛び出した。

「いただきます」

マーガリンを塗って、角から食べ始める。牛乳で飲み込んで、トーストを食べおわした。

「ごちそうさま」

 そのままコップを洗って、洗面所へと向かう。

 寝ぼけ眼で洗面所の鏡を見て、頭の爆発具合を確認する。……今日はそんなにしてないな。2割増しぐらいか。わしゃわしゃと頭をかきながら、歯磨きを開始する。………辛い。明らかに歯磨き粉をつけすぎた。口の中であちこちが痛くなり、目にも涙が浮かんだ。

「ぺえっ!」

 勢いよく吐きだして、口をゆすぐ。冷たい水が口の中の辛味を消していく。

「ぺっ!」

 何故僕はいつも歯磨きの時に苦しい思いをするのだろうか。昨日の夜もだ。あと毎回血がでるし。

 うんざりしながら出しっ放しの水を頭に浴びる。冷たい冷たい冷たい冷たい。急いでタオルで頭を拭いて、ドライヤーを丁寧にかける。うん、少しはマシになっただろう。

 その後僕は自室に戻り、制服に着替えて、下に降りた。少しサイズの大きいローファーを履いてガチャっとドアを開ける。

「いってきます」

 誰もいない家にそう言い残し、僕は学校へ

と向かった。


■ ■


いつもと変わらぬ学校生活を終え、家へと向かう帰り道。夕焼け色の空の下、なんの変哲もないアスファルトの上を僕は歩いていた。

 昨日よだれで汚してしまったあの本……やっぱ新しいの買おうかな。本屋にも行きたいし。よし、帰ったら本屋に行こう。汚した本の題名を確認しなきゃ。

 そんなことを考えていた時だった。

「おい」

 ふと後ろから声をかけられた。

「はい?」

 声のしたほうに振り向く。そこには灰色のパーカーをきた坊主頭の男がいた。背は僕より少し小さい。170センチぐらいだろうか。切れ長の細い眼でじっとこっちを睨んでいる。

「お前、コトワザツカイだろ」

「は?」

 聞いたことのない言葉が坊主頭の口から発せられる。

 コトワザツカイ。

 確かにそう言っていた。一体なんのことだろうか。

「なんだそれ?」

 僕は思ったことをそのまま口にした。すると坊主頭は、足を前後に開き、右手を前にし、左手を頭の横にして構え、口を開いた。

「しらばっくれんじゃねえ!」

 坊主頭はそのまま勢いよく駆け出した。握り拳が僕の体めがけてとんでくる。僕は呆気にとられた。これ、簡単によけれるぞ。

 スーツと体を右に引く。それだけで坊主頭の攻撃はあっけなくかわせた。

「ほう、やるじゃねえか」

 坊主頭は関心したように僕に言った。いや、こんなのよく見れば誰でもかわせる大振りのテレフォンパンチだ。

「はあっ!」

 坊主頭が声を上げてまた殴りかかってきた。今度は左によける。坊主頭は体ごと僕の横を通過していった。

「ちっ、またよけられたか」

 悔しそうに坊主頭は呟いた。何がしたいんだろうかこの男は。正直何回殴られても当たる気がしない。

「次は当たるぜ?」

 三度、坊主頭が殴りかかってきた。

 当たる?

 当てるではなく当たる?

 男の拳が飛んでくる。さて、今度はど……

 瞬間、僕は確信した。

 この拳は絶対によけられない。

 何をしても、当たる。

 思った通り、坊主頭の拳は僕の腹に入った。僕はそのまま2メートルほど後ろに吹っ飛んだ。口から吐いた血がオレンジ色の空を汚した。地面についたあとも、何メートルか無様に転がった。

「どうだ。いてえだろ。俺が磨きに磨きあげた一撃だからな」

 確かに重い一撃だった。だがそんなことはどうでもいい。何故僕はよけれないと確信したのか。あのパンチは前のパンチとなんら変わってなかった。独特の構えからのテレフォンパンチ。何故だ。

「どうしてよけれなかったのか。とでも言いたそうな顔してんなぁ?」

「……ああ、そうだ」

「ヒントを教えてやるよ。二回失敗しても三回目は必ず当たんだよ、俺の拳は」

 二回失敗しても三回目は必ず当たる? まさか。

「三度目の、正直か?」

 三度目の正直。二回失敗しても三度目は成功するという意味の……コトワザ。

 僕は目を見開いて男を見た。男はニヤリと笑って口を開いた。

「どうやらわかったみてえだな?」

 口元に笑みを浮かべ、目の前の坊主頭は話し出した。

「そう、俺はコトワザ、サンドメノショウジキの使い手、三昏(みくら) (ただし)だ」

 三昏 正。それがこの坊主頭の名前。そしてコトワザ、サンドメノショウジキの使い手。僕だけじゃなかったのか、能力を持っているのは。

「お前もコトワザツカイなんだろう? 何故コトワザを使ってこない。コトワザツカイ同士の戦いでコトワザを使わないのは命取りだぜ」

「僕は、戦ったことなんてない。そんなこと知るもんか」

 僕は強く言い放った。すると三昏は顔をしかめて、こう言った。

「そうか。だったら教えてやるよ」

 先程の独特な構えをして、こちらを睨んでくる。どうする。二回かわせばまた三回目に喰らってしまう。しかし、一度当たっただけでこのダメージ。当たる訳には行かない。僕も使うしかないのか。でも、どうやって? まず僕のこの能力はコトワザなのだろうか。違っていたらどうなる。

 そうこう考えている内に、三昏が殴りかかってきた。やはり大振りのテレフォンパンチ。喰らうわけにはいかないので、サッとよける。刹那、左の拳が飛んできた。連続ーー!? 焦ってそれをかわしてしまう。しまった。

「三回目!!」

 上がった声と共に、重く響く一撃が体に入る。再び後ろに吹っ飛んだ。さっきよりも長く。パンチの威力が上がっている。そしてまたアスファルトを転がる。

「おい、まだ半分だぜ?」

 肩を回しながら三昏が言った。

 半分。

 これで半分だと。本気の一撃を喰らったら、僕は死んでしまうかもしれない。絶対に喰らうわけにはいかない。だけどこのままじゃ駄目だ。

 ゆっくりと立ち上がり息を吸う。どうすれば僕は勝てる? 使うしかない、僕も。能力を。

「僕は目の前の男、三昏 正の攻撃でダメージを受けない。嘘だけど」

「あ?」

 三昏は僕の言葉を聞いて、不思議そうな顔をしていた。

 ゆっくり息を吸って、三昏を睨む。不恰好な握り拳をつくり、三昏めがけて一気に駆け出した。風を切り、大振りのパンチを繰り出す。だがあっけなくかわされ、カウンターのテレフォンパンチが胸に飛んでくる。だが平気だ。今の僕なら……

「がはっ!」

 僕は最初、その言葉が自分の口から出たと認識できなかった。徐々に感じる痛みがようやく僕の言葉だと確信させた。三度、後ろに吹っ飛ぶ最中、僕の頭では一つの言葉が繰り返されていた。何故、ダメージを受けた。

 ズサァ…と、音を立てて地面を滑る。思考は相変わらず一つの言葉。  何故、ダメージ を受けた。

何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故。

「おい」

 何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故。

「おい」

 何故何故何故何故何故何故何故何故何故。

「聞いてんのかっ!!!」

 思考が、止められた。

「お前俺の攻撃でダメージを受けねえとかほざいてたよな? 受けてんじゃねえか。確実に骨を殺った感触が拳にきたぜ」

 三昏は誇らしげに言った。だが僕の思考はそれどころではない。何故、ダメージを……

「お前、コトワザを使いこなせてねえんだな」

 その答えとも言うべき言葉が、三昏の口から放たれた。

 僕はコトワザを使いこなせてない。

「…………だろ」

「あ? なんつった?」

「そんなわけないだろ!!! 僕は寝てる時に涎を垂らして本を汚す癖なんかない!! でも僕は涎で本を汚した!! そう嘘つくことで!! 月だってそうだ!! 昨日の月を覚えてるか!? 満月だっただろう!! 有り得ないんだよ!! 一昨日の月は下弦の月に近い形だった!! 一日で満月になるわけない!! じゃあなんで満月だったか!? 僕がそう嘘をついたからだ!!! なんで毎晩父さんと母さんが現れる!? いないはずの2人が!! 僕がいると嘘をつくからだ!!!」

 早口で思いをぶつけるように叫んだ。全ての言葉を聞いた三昏はなにかを確信したような顔で口を開いた。

「嘘をつくことで本当になる……。そうか。お前のコトワザは、ウソカラデタマコトだな」

「だったらなんだ!!」

 僕は苛立ち混じりの声で叫んだ。胸の奥が熱い。なぜ僕はこんなに怒っているのだろう。いや、もう分かってる。コトワザを使いこなせてないと言われたからだ。 使いこなせてないんなら毎晩現れる父さんと母さんはなんだ? 僕にしか見えない幻か? いや違う。僕が目を閉じる前までは父さんと母さんは存在している! 僕は三昏の切れ長の目を思いきり睨んだ。

「お前が使いこなせてなくてよかったよ。そのコトワザはその気になりゃ簡単に世界を滅ぼせるからな。嘘が本当になる。これほどヤバいことはねえ」

 三昏は安心しきった顔で呟いた。その気になれば世界を滅ぼせる。いや、僕はやろうとした。五回もだ。でも出来なかったのは僕が使いこなせていなかったから? いや、使いこなせてないわけない! じゃあなんでダメージを受けた。なにが違う。いつもと今で。涎をこぼした時、月を満月に変えた時、吐き気を止めた時、父さんと母さんの幻をつくる時となにがちがう。

 冷静になって頭をフル回転させる。汚れた本、満月、止まった吐き気、父さんと母さん。

 瞬間、頭の中でピリッ……と、なにかが走った。そして確信した。そうか、そういうことだったのか…!

「コトワザを使えねえんじゃお前は敵じゃねえ。大人しくやられろ」

 余裕を持った三昏が再び構える。僕は目を閉じて集中する。

「僕は目の前の男、三昏 正の攻撃でダメージを受けない。嘘だけどっ!」

 先ほどと同様の言葉を言い終わると同時に前に駆け出した。

「うおおおお!!!」

 拳を握り、三昏の顔面めがけて跳ぶ。

「馬鹿が!! もっかい吹っ飛べ!」

 僕の体めがけてカウンターパンチがとんでくる。勢いで分かる。あれは三昏の本気だ。だけど。

「そんなの関係ない!!」

 一昔前のギャグみたいな言葉を放った僕の拳が三昏の顔面に入る。同時に三昏の渾身の一撃も僕の体に入った。

「ぶっ……」

 潰れたうめき声を上げ、三昏が後ろに倒れた。僕はそのまま着地した。 

 体はどこも痛くない。成功だ。嘘からまことがあらわれた。

「ば、ばかな……」

 よろよろと立ち上がりながら、三昏が言った。

「ノーダメージ…だと……」

 その言葉は僕に対してと三昏自身に対してのものだった。え、三昏自身?

「お前……弱すぎるぞ…」

 拳に落下の勢いをのせて、僕は三昏の鼻っ柱を殴った。しかしやつはノーダメージ。鼻が赤く腫れてもないし、鼻血も出してない。マジか…弱すぎるだろ僕のパンチ。

「お前が無傷なのはコトワザを使ったからだろ」

 三昏は驚くまでもないというような顔で僕に言った。

 そう、成功したのだ。僕のコトワザは。嘘からまことを出すことができた。

「なにをした? なぜ急に使いこなせるようになった」

 三昏が鋭く睨み、僕に問いかけてきた。僕はゆっくり口を開いた。

「イメージさ。僕のコトワザが発動する条件。それは、発動した後の事をイメージすることだ。涎をこぼした時は汚れた本。月の形を変えた時は満月を。父さんと母さんは……笑い合ってる3人を。今は、お前に殴られても平気な僕を」

 少し誇らしげに言ってみた。こうも上手く発動するとは思ってなかった。確信はしてたけども、やっぱり少しだけ不安だった。本気のパンチが来ると分かった時は少し揺らいだけど、叫んで不安を払拭した。 結果、僕も……三昏も無傷だ。

 いや、本当僕は弱すぎるな。

 自分に対してここまで呆れたのは初めてだ。

 意識を三昏のほうへと向ける。その顔には少しの焦りが見えた。僕はそこをつつこうと口を開く。

「お前の本気のパンチを受けても、僕は無傷だ。お前にもう勝ち目はない」

「こっちもてめえのパンチをいくら喰らっても負ける気はしねえぞ」

 僕も痛いところをつかれてしまった。思わず表情にでてしまう。だけど、諦めるのはまだ早い。僕はニヤリと笑った。

「……いや、それはどうかな?」

「んだと?」

「僕のパンチが効かないなら、僕のパンチが効いてるお前をイメージすればいい」

 僕の言葉を聞いた瞬間、三昏の表情が変わった。その方法があったか、という驚きと、やばい、という焦りが混じった顔に見える。

「でも、お前が今すぐここから去るなら僕はそれをやらない」

 またも三昏の表情が変わる。単純な驚きだ。

 三昏はそのままずっと立っていたが、

「ちっ……」

 舌打ちを残して、走り去った。

 三昏が完全に見えなくなった瞬間、僕はガクリと膝を落とした。緊張が一気に解けて、力が抜けてしまったのだ。

「………上手くいった」

 僕は安堵のため息を漏らす。

 最後の僕の言葉、あれは賭けだった。

 僕は、僕の攻撃でダメージを受けてるあいつを完璧にイメージできるか分からなかった。だから、あの言葉を言った。三昏がそれでも向かってきたらイメージせざるをえなかった。危なかった。

 正直、三昏には聞きたいことが色々あった。あいつはコトワザについて知っているようだった。だけど、早く終わらせたいという気持ちのほうが強かった。

「………帰るか」

 辺りはもう太陽が沈み、長い夜が始まろうとしていた。


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