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漢恵故事 ~半熟皇帝と幽霊少女~  作者: でこでこ
第2章:真夜中の出会い
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幽霊少女

 油灯に照らされてそこに立っていたのは、確かに声のとおりの少女だった。髪を背中まで垂らし、刺繍がはいった深衣を身に纏っている。歳は十六、七といった所だろうか。やはり宮女のようだが、思い当たる名前は出てこない……だが不思議な事に、どこか見覚えのある顔立ちをしていた。

 誰だったかな……。

 劉盈の僅かな記憶を引きずり出すかのように、彼女は言い放った。

「戚姫よ!」


「せきき…」

 劉盈はその言葉を反復すると、咄嗟に布団にくるまって身体を震わせた。戚姫……もとい戚夫人。実は生きていたのか、いやそんなはずはない。確かにこの目に焼き付けた、戚夫人の凄惨な死体。あれはたしかに戚夫人だった。……ということは。


「や、やめろ…」

 鮮烈な記憶が蘇り、吐き気を催しそうになる劉盈だったが、その記憶ほどこれを証明するものはない。戚夫人はこの世にいない。それはこの目に焼き付いた事実だ。ということは、そうだ! これは趣味の悪い悪ふざけにすぎないのだ。そうなのだ。


「お、俺を脅かそうっていうのか。皇帝の、この俺を…」

 そんな真似をする輩がいるのだろうか。皇帝に対する侮辱も甚だしい……そんな悪戯をすれば、ただでは済まないのが普通だ。一瞬、そういう考えも脳裏をよぎったが、手のほうは少女のえりに掴みかかっていた。

「ふ、ふざけるのもいい加減に……」

 その瞬間。


 するっ……と劉盈の身体は少女をすり抜け、寝室の床に転がり落ちた。

 硬い床に全身が打たれて、かなり痛い。

「な、なにするのよ!」

 少女の声が聞こえたが、劉盈は恐怖で立ち上がることもできない。なんとか少女の方を見上げるのが精一杯だ。

 こいつは只の人間ではない。それは劉盈も薄々感づいていた。恐ろしいので考えないようにしていただけだ。

「ゆ……幽霊?」


 言いたくなかった二文字を言ってしまった。

 少女はしばらく黙っていたが……。

「まあ、そんなもんね」

 やっぱりそうだった! 戚夫人は俺を呪い殺しに来たのだ! やっぱり俺はここで死ぬんだ……。などと考えて、劉盈は床の上から少女を見上げたまま、身体を震わせた。

「や……やめてくれ!」

 つい先程までの死を覚悟していたはずの劉盈は、この期に及んで命乞いを始める。死ぬのは怖くないけど、やっぱり幽霊は怖い。いや本当は死ぬのも怖い! 劉盈は目をつぶって叫んだ。

「俺に何の恨みがある!」

 次に返ってくる言葉はだいたい予想できる。

 お前は我が子、趙王如意を見殺しにしただろう。呂太后と共に私を惨殺し、共にその亡骸を貶めたであろう。その報いである。……と。

 そこまで考えてしまったので、まだ何も返ってこないうちに、

「し、知らなかったんだ……俺は何も、母上が何をなされたのかも……本当だ!」

 と弁解の言葉を続けてしまった。

 ところが、少女、もとい戚姫の口から出てきたのは、意外な言葉だった。

「別にあんたには、何の恨みもないけど」

 ナンノウラミモナイ。

 どういう意味だ、と思って頭のなかでその言葉を反復してみたが、頭が混乱してよく理解できない。


 目の前に幽霊がいる。しかしそんなわけはない。

 劉盈は必死になって、いちばん合理的な考えを探した。

 そうか、俺は幻覚を見ているんだ。

 ちゃんと魔除けの音楽もやったし、悪魔祓いもしたし、幽霊が来るわけがない。

 酒に酔って、おかしくなってしまっただけなんだ。

 よかった、幽霊はいなかったんだね。

「さよなら、幽霊さん……」

 劉盈は手を振った。さよなら、俺の幻覚。さよなら恐怖。


 戚姫はしばらく黙っていたが……ふと何を思ったのか、机の上に放置されていた、劉盈が呂太后に送るはずだった例の竹簡を手にとると、劉盈の肩にびしっと叩きつけた。

「いたっ」

 ただでさえ痛い身体に追加の一撃が走る。

「もっとちゃんと見てよ」

 痛みを堪えながら、劉盈は戚姫を見つめた。幽霊は俺の幻覚かもしれない……でも、この痛みは本物だ。痛みが本物なら、今その手に竹簡を握っている、この幽霊も本物……?

 目をこすり改めて見ると、確かにこの十六歳くらいの少女には、戚姫の面影がはっきりと見て取れた。きらりとした目は、まさに高祖を魅了した戚夫人の容貌そのものである。

 認めるしかないのか、目の前の戚姫を。


 そこまで考えると、劉盈はようやくまともに口がきけるようになった。

「ほ、本当に戚姫なのか? 確か二十代半ばくらいだったはずじゃ」

「別にいいじゃない、もう死んでるんだから」

 幽霊になると、容貌まで若返るのだろうか? そんな話は聞いたことがないが……たいてい、幽霊っていうのは死んだ時の姿で現れるものじゃないか。

 そう思ったが、目の前にいるのは確かに幽霊としか思えなかったし、自分で戚姫だと名乗っているので、そこはとりあえず納得することにした。変に反抗するともっと恐ろしい目に合うような気もした。


 そこまで落ち着きを取り戻したので、今一度先ほどの言葉について、おそるおそる聞き直してみる。

「恨みはないって言ったけど」

「そうだけど」

「じゃあ何でここに来たんだ」

 すると戚姫は、思い出したかのように訊いた。

「私の劉如意は、どこに居るか知らない?」


 劉如意……劉盈ははっとした。

 そうか、戚姫は劉如意が死んだことを知らないんだ。あの日、戚夫人の死と時を同じくして、如意が呂太后の手で殺されたことを……。

 そう思うと同時に、如意との楽しかった日々が脳裏に蘇る。鞠や双六で遊んだこと、毎朝の散歩、お勉強、楽しい夕食……。自然と、涙が流れた。

「劉如意は、もうこの世に居ないんだ。俺が、守ってやれなかったばっかりに……。許してくれ……!」

 自分が目を離したばっかりに、みすみす如意が殺されたのは本当のことで、とても弁解する気になれない。今度こそ俺は殺される……と劉盈は覚悟した。


「そう、やっぱりね……」

 戚姫は大きくため息をついて、そう言った。


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