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漢恵故事 ~半熟皇帝と幽霊少女~  作者: でこでこ
第2章:真夜中の出会い
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帳の向こう

 ほのかな灯火に照らされた、皇帝の寝室。

 劉盈はいつものように酔いつぶれたまま、寝台の上に倒れ込んだ。

 ほとんど毎日、ひとり長夜の飲をなしていた劉盈も、さすがに限界が来たのか、今日は眠気のほうが勝っている。

 眠気に酔いが混じって、不思議と心地よく感じる。酒に酔ってそのまま眠りにつくことは珍しくなかったが、こんな感じになったのは始めてだ。


 そばの机には、竹簡(竹の板)が置かれている。先日呂太后に贈った書簡が送り返されてきたのだ。

 叔孫通が、天子はこのようなことを言うべきではない、と言って受け付けなかったらしい。

 そういえばもう十何日も、朝議に顔を出していない。冠をつける回数も、めっきり少なくなった。

 叔孫通はまだ自分を見放していないのだろうか。

 後宮にも足を踏み入れていない。あそこに行くことは二度と無いだろう。

 もはや社稷がどうとか、そんなことはもうどうでも良く思える。そもそも自分にはまだ大勢の兄弟がいる。代王の劉恒などは、幼いながら聡明だと巷で評判らしい。そのあたりに後を継がせれば、漢王朝の将来も安泰だろう。


 俺は一刻も早くこの城から解放されたいんだ。

 今を最後の夜として、このまま明日がやってこないなら、どんなに嬉しいことか。そう劉盈は思った。


 そうだ。

 この状況なら……。

 もしかしたら、行けるかもしれない。

 この心地よい気分の中で、一気にやってしまおう。

 その機会は、たぶん今しかない。


 劉盈は決心すると、すぐに机の上にある小刀を手に取った。

 布団の上に正座して、喉仏の前にかざす。

 そして、どこかから引っ張り出してきたような呪文を唱えた。


「悪を見て黙するのは、義ではない。母を謗るのは、孝ではない」


 ……。


 ……。


 ……。


 どれくらい立っただろうか。


 何も起こらない。

 

「ばかばかしい、やめたやめた!」


 劉盈は小刀を投げ捨てた。震えていた右手が、ようやく楽になる。

 そんな無理をせずとも、人間はいつか死ぬのだ。

 どうせ死ぬなら、酒の海に溺れて死んでやろう。

 そうだ、それがいい。それがいいよ。


 母さんは、俺が死んだら、悲しむのかな。

 一瞬、そんな事を考えた。

 そして劉盈は横になり布団をかぶると、再び眠りの世界に身を委ねるべく、深々と目を閉じた。


 ……。


 眠れない。

 さっきまであんなに眠かったのが、嘘のように目が冴えている。

 きっと余計なことをしたせいだろう。

 本当に余計だった。

 ふと布団から顔を出すと、とばりの向こうには、まだ細々と燃えている油灯の火が見える。

「あれがいけないんだな」

 劉盈はそう思い、立ち上がって帳を開こうとした。

 その瞬間。


 帳の向こうに、うっすらと人影が見えた。


 劉盈は、咄嗟に布団の中に引き返して顔をうずめた。

 人影は少しずつ近づいてくる。しかし何故か足音がない。

 やがて、帳の前で立ち止まった。

 

「あ、あの……」

 

 人影は小さな声を発した。

 声の主はわからない。

 宦官たちには近づくなと命じたはずだ。


「ごめん、驚かせて」


 よくよく耳を澄ませてみると、それは若い女性の声だった。いや女性というよりは、少女の声と言ったほうが正しいのかもしれない。どこか幼さを残したような声である。宦官も高い声で話すが、今聞こえる声とは明らかに違う。


 劉盈は何か言おうとしたが、なんとなく怖かったので、帳の隙間からその姿を覗いてみることにした。ほんのさっきまで明日が来なければいい、などと思っていた劉盈であったが、やっぱり怖いものは怖い。こんな時間に、寝室に突然女が現れるなんて、聞いたこともない話である。それでも、あの事件の前の劉盈であれば喜んで帳を開いたかもしれないが、今はもうそんな心持ちはどこにもなかった。


 震える手で帳を少し開くと、そのすぐ向こうに、若い女性と思しき姿が油灯の薄明かりに照らされていた。色こそ分からないものの、深衣を纏っていて、宮女のように見えた。

 顔立ちまで確認する間もなく、劉盈は帳から下がって、訊いた。


「後宮から来たのか?」


 劉盈は、呂太后があの事件以来すっかり引きこもりになってしまった自分を慰めるために、後宮の女を送り込んだのだと推測した。だが、そんなはからいは、劉盈にとってはあの辛い記憶を蘇らせるだけである。


「すまないが出て行ってくれ。今はそんな気分じゃないんだ」


 返答を待たずに、劉盈は言った。

 すると、また声がした。


「もう違うわよ」


 ……?

 劉盈にはその意味がよくわからない。

 もう違うって、何だ? もう宮女じゃないてことか? 自分で訊いておいてなんだが、宮女でない女がここに入ってこれるだろうか。そんなわけないのだ。


「とにかく出て行ってくれ!」


 彼女の正体も言うことも訳が分からないが、とにかく返す答えは一つしかない。劉盈はただ眠りにつきたかった。睡眠は自分にとって唯一の安息の時間なのだ。それを邪魔しないでくれ、と思った。眠れないけど眠りたいんだ。


「とにかく開けなさいよ!」

 少女の声はいきなり積極的になった。

「出て行けと言ってるだろ!」

 劉盈も負けじと応戦する。

「開けなさいってば!」

「出て行けって!」

 そうした問答が続き、ついに……。


「あーっ、もうめんどくさい!」

 ばさっ。

 ついに帳が開かれた。

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