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短編・恋愛

転校していった幼馴染は、可愛かったはずなのに

 



 高校三年の夏休みが終わり、来なければいいと何回願ったかわからない始業式。長ったらしい校長の話なんて、右から左へ受け流して。生徒指導の耳の痛い話も故意に聞かないようにした。


 だが、案外早くその無駄な儀式は終えて生徒はさっさと教室に戻された。帰る順番は高学年から。こういう時だけ、三年生で良かったと思う。


 校舎の二階にある教室は、窓を開けると校舎を囲むように育つ木の葉を触ることが出来る。俺は、四十三人クラスで一人あぶれた窓側の一番後ろの席に腰をおろした。そこは、自分だけが教室全てを見渡すことが出来る俺の特等席。


「あれ、なんでここに机があんの?」


 何故か、俺の隣にある筈のない机が存在していて。下級生が掃除をするときに間違えたんだろう位にしか思っていなかった俺と違い美香は興味津々のようだ。そのとりとめのない疑問にわざわざ答えるのが面倒で口を閉ざしていたのか、窓の外から聞こえる声が俺の意識を捕まえてならないから答える余裕もないのか。


 どちらなのか分からない。

 まあ、どちらでもいいんだけど。


 八月の中盤、今年はめっきり聞かなかった蝉の鳴き声を始業式の日に聴くことになろうとは。その喧しいジージーとした高音を聴くといつもあの事を思い出した。





 遠い夏の日。二年三組の教室で交わした幼馴染との約束。

 俺には、昔、そう小学校の二年生まで幼馴染と言える少女が存在していた。彼女は家が隣通しだから幼稚園に入る前からいつも二人で遊んでいた仲の良い友達で、そして、初恋の人だ。


 彼女は活発な少女だった。幼稚園までは髪の毛がベリーショートで、所謂クソガキであった俺に呆れず共にいてくれた大切な友人だったのだが、小学生になり、彼女が髪を伸ばし始めた頃から俺は彼女が女の子として意識するようになる。相変わらず、俺の無茶な遊びには喜んで付き合ってくれるものの、男っぽい名前をからかわれたのがきっかけで、どんどん女の子らしくなっていくのだから。


 それに、暴れん坊の俺と人見知りな彼女は友達が出来ずに、益々二人だけの時間は増えていった。いつしか俺の隣の空けておいた指定席は完全に彼女の居場所となって、共にいて当たり前な存在に。だけど、彼女の顔を見る度に胸がドキドキ高鳴るピュアな初恋を経験していた。


 最初は戸惑ったものだが、彼女の可愛い顔を見ないなんて選択肢を俺は持っていなかったから次第に慣れていった。




 そして、運命の日。彼女が引っ越すことを知った一学期の終業式。蝉が騒がしく鳴いていたその場所に。

 彼女はそれを俺になかなか伝えられなかったらしく、その事実を知ったのは俺と彼女の会える最後の日で。恥ずかしながら、その衝撃的な事実を認められず、暴れだしたきかんぼうな俺を見ながら、彼女はポロポロと瞳から涙をこぼした。


「ずっと一緒にいたかった。ヒロくんと離れたくない」


 その言葉を聞いてやっと俺は暴れるのを止めた。彼女が自分と同じ想いでいたのが嬉しかったからなのか、彼女の想いが目に鱗だったのかは忘れた。そしてその後、どうしてそんな展開になったのかはうろ覚えではあるが取り敢えずその時、気付いたら告白していた。


「俺はたっちゃんが好きだ」


 ぽろっと漏らしたこの想いは更に彼女を泣かせてしまう。


「私も、私もヒロくんが好きだよ。だから、離れたくない。一緒にいたいんだよ!!」

「だったらさ、ーーーーーー」








「ちょっと、宏樹(ひろき)聞いてる?今日、早く帰れるしさ、皆でカラオケ行こうよって話になったんだけど」


 美香は、当然のように俺の隣の空いた席に座り熱心にこちらを見ていた。幼い頃の神聖な思い出に水をさされて不愉快な俺は、美香を見てああ、成長するとこうも心が汚れていくんだな、としみじみ思う。別に、美香のことが嫌いなわけじゃない。付き合う位には好きだし、美香の見た目はクラスで一番。学年で三番目には入るくらいには美人ではあるのだけど、やっぱり違う。


 彼女と美香では、違うのだ。

 何が違うのか。


 多分、世界が違う。心が違う。重さが違う。

 どう考えても、あの幼馴染の彼女の方が綺麗で、儚くて、純愛で。付き合う女の子が変わる度に、いつも彼女と比べて落胆してしまう。


 まだ、俺の中の彼女に勝てる女の子には会ったことがない。





 彼女と離れてから、十年。きっと俺は彼女に気付いて貰えない程に変わった。あの暴れん坊で嫌われていたクソガキは、顔だけは一丁前な軟派な男に変わってしまった。変わったきっかけは、中学生の時。

 当時、サッカー部だった俺はグラウンドの外でキャーキャーと黄色い声をあげている女子を見て、やっと自分は顔が整っていたことに気付いた。その黄色い声が気持ちよかった俺は今までの横柄な態度を治して、仲良くしてこなかった女子とも話すようになる。


 そして、気付いたらコレだ。

 告ってきた女の子と片っ端から付き合い、女子の甘い態度に気をよくした俺は一気にイケメンのヤリチン男に変わっていた。仲の良かった男友達とも疎遠になったが、まあいいか、と思える。女の子に、ちょっと優しくしてあげれば大抵好きになって貰えるしボッチになることはないから。


 今の自分のことは嫌いではない。だけど、今の俺を見て彼女がどう思うかは凄く気になった。


 かっこよくなったことに頬を染めて喜んでくれるのか。それとも、幻滅して軽蔑されるのか。



 多分、後者じゃないかと思っている。だから、時々自分が嫌になるときもある。きっと彼女は昔の俺を愛していた。





「ねえ、宏樹。この間会ったなつみがさ宏樹のこと好きになっちゃったんだって。ウケる。マジ馬鹿だよね。宏樹は私と付き合ってんのに」

「……そうだね」


 やっぱり彼女との思い出と今の現状を比べると、気落ちしざるをえない。確かに、あれはおままごとの一種であり、恥ずかしい思い出ではあるが純粋な好意のかたまりだった。優越感とか、性欲とか、巧妙な駆け引きとか、そんな(よこしま)なモノなんてなく、今の現状を擦れた恋愛と呼ぶのならあの思い出は、純粋な愛。好きだから、ただ単純にお互いが好きで好きで、ただそれだけだった。


 それが、今になってとても美しく思える。



「それにしても、山崎遅くね?」

「ああ、確かに」


 山崎とは、このクラスの担任の名前である。真面目な数学教師で、時間厳守を唱っているくせに今日はやけにクラスに来るのが遅い。ホームルームは十時十五分からの予定。そして、時計は十時二十五分を指している。


「自分で言っておきながらそれを守らないなんて最低だな」

「だね」


 結局、山崎がやって来たのは、それから五分後のこと。何か一言あるか、と思いきや山崎は少し緊張した面持ちで話始めた。


「えー、お前たち三年生は受験や、就職活動で忙しかったと思うが二学期も気を引き締めて精進するように。あとは、まあ朝配ったプリントに色々書いてあるからそれを見てくれ。そして、本題だ」


 珍しく話を早くきった山崎は、廊下をチラリと見て一言。クラス中を驚かせる一言を放った。


「実は、今日からこのクラスに転校生が来る」


 普通なら情報がもれて少し位噂になってそうなその転校生は、クラスメイト全員において寝耳に水で。この変な時期にやって来る転校生の事情なんて思い付きもせずに囃し立てた。

 女の子ですか、男の子ですか、という質問に軽く女子だと答えてから山崎は手を三回ならしてその騒ぎを静める。


「はしゃぐな。転校生が入って来にくくなるだろう。今、廊下にいるから入っていてもらう。城田、入ってきてくれ」



 山崎のその声と共に入ってきた彼女は、しっかりとした足取りで、でも少し緊張しながら教卓の前にあがった。


 女子だったね、しかも微妙な感じ。と前の席の女子達がコソコソ話していると彼女は自己紹介を始めた。


城田達美(しろたたつみ)です。小学二年生まではここに住んでいたので、もし顔見知りの人がいたら声をかけてください。そうでない方もどうぞよろしくお願いします」








 彼女は、彼女だった。

 印象は大分違うものの、小学二年生での引っ越しや、男の子っぽい達美という名前は確かにあの幼馴染の彼女のはず。


 俺はショックを受けていた。俺の中の彼女は誰よりも美しくて、可愛い子だったのにそこにいる彼女は、ブスではないが全く綺麗ではない。厚い眼鏡に長い三つ編み、そして顔を隠すように俯く彼女は可愛くない。




 小さい頃は、巨大で難攻不落の建築物だったジャングルジムが、成長してからはただの立法センチメートルの集まりにしか見えないような。落胆の、更に上をいく落胆。

 子供の頃に大事にしまっておいた宝箱の中身を、期待しながら開けてみたらオカダンゴムシの死骸だったような裏切り。


 彼女は彼女であって、俺の中の彼女ではなかった。あの可愛らしい女の子は、底カーストの地味女になってしまった。


 俺はこの時点で彼女が嫌いになりそうだった。少なくとも好きにはなれないと。誰一人侵してこなかった俺と彼女の聖域を、彼女自身が壊したのだ。美しい思い出が壊された。ちょっぴり甘痒い青春が恥ずかしいただの思い違いのようになった気がする。


 彼女を直視するのが嫌でなんとなく外を向いていたら、彼女の席は俺の隣だったらしく。彼女は、こちらに向かって歩いてくる。俺は、咄嗟に窓の外に目を向けた。


 彼女が隣の席にそっと座る。

 俺は彼女をチラリと見てから、前を向いて山崎のつまらない話を聞いた。









「じゃあ、校舎案内するね。まず、なんか質問ある?」

「ありがとう。えっと、あの……」


 ホームルーム直後に級長の田辺が彼女に話しかける。田辺は山崎に彼女の案内係に任命されていたのだ。でも、田辺はそういう仕事が好きならしいから結構。隣だからお前が面倒を見てやれ、なんて厄介なことを言われないですんで少しほっとしたが、いつ彼女に自分のことがバレるか分からない。今日はさっさと退散しようと席をたったその時、彼女は言った。


「あの羽賀宏樹って名前の人知らない?」


 彼女は俺のことを探すようで、隣でギクリと体を硬直させた俺に困惑しつつも案の定、田辺は律儀にその質問に答えた。


「えっ、羽賀なら隣にいるじゃん」

「!!」



「君がヒロくん!?」

「え、ああ。まあ、久しぶり」


 彼女は、幽霊でも見たかのように驚いた顔をしていて。でも、俺は複雑な気分だった。彼女の様子を見ると驚いてはいるものの、このチャラさ加減は引かれていないようで、頬を染めることもなくでも軽蔑することもない、予想外の反応をしてきたし、こんな可愛くない彼女に会いたくなんてなかったから。


「あの、ヒロくん」

「ごめん、ちょっとこれから用事があって急ぐから」


 一息ついてから嬉しそうにした彼女を見て俺はうんざりした。運命の再会とでも思っているのか。昔の馴染みで付き合ってやって勘違いされるのが嫌だったから、たいして急いでもいないが間髪入れられないようすぐに教室を出ていく。


「あ、宏樹。ちょっと待ってよぉ」


 美香が慌てて追って来るが、彼女はそこに呆然と立っていて。顔を見ることはなかったけど、きっと傷付いた顔をしているんだと思ったらまた、余計にうんざりした気分になった。






 ジージー……

 蝉の鳴き声が聞こえる。あの初夏の日。


「私も、私もヒロくんが好きだよ。だから、離れたくない。一緒にいたいんだよ!!」

「だったらさ、ーーー結婚しようよ」

「結婚?」

「うん。俺たち大人になったら結婚すんの。そしたらずっと一緒にいられるだろ!!」

「う、うん!!結婚する。私、ヒロくんと結婚する。今は離ればなれになるけど、大人になったら絶対に結婚しよう!約束だよ。約束だからね」

「おう。約束。絶対だからな!破んなよ!!」



 戻ってきた彼女は、また俺の隣の席に座った。でも、昔は彼女の指定席で居場所であったそこは今では、入れ替わり立ち替わり激しい自由席。本当の意味で彼女がまた俺の隣の席に座ることはきっとあり得ない。サプライズで特等席だったそこは、もう彼女のものではない。



「だって俺と彼女じゃつりあわない」


 その日のカラオケはあまり楽しくなかった。









 三年生に残された学校生活は残り少ない。三学期は自由登校だから実質あと四ヶ月。


 最初の一ヶ月は、特に変わりなく過ごしていたが、十月始めの文化祭の前日にやっと俺と彼女の思い過ごしは正された。

 俺のクラスは劇をすることになって、少女漫画の「桜よりだんご」のヒーロー役に抜擢されたのは無論、俺だ。劇と言った時点で予測していたし、受験組と違って俺の進路も決まっていて時間は余っていたから嫌ではない。だが、その劇のヒロインが暗黙の了解で美香に決まっていて。その頃には美香の喧しさが煩わしく思え、別れようとしていた俺にはいい迷惑だ。因みに、彼女は音響係でこの役割は正確に俺たちの立ち位置を表しているようだと、密かに嗤った。


「羽賀、一人だけ演技の上手さがずば抜けてる」

「めっちゃ上手いじゃん、宏樹!!ヤバ!!」


 俺の演技は手放しに褒められる。でも、それも当然のことだ。


「俺、芸能事務所にスカウトされてさ俳優にならないかって勧められたんだよね。まあ、悪い気もしないし演技学校の練習費も半分負担してくれるって言うしちょっと通ってんだわ」


 この言葉にはクラス中が沸きだった。


「えー、凄い!じゃあ、宏樹芸能人になんの?ヤバ!!」


 美香は大袈裟に喜びヤバいヤバいと連発。お前はヤバいしか誉め言葉がないのかと呆れていれば、少し誇らしげに「宏樹と結婚すれば私俳優の妻かぁ」と意味不明なことを呟かれ、慌てて掴まれた腕を離した。

 思い上がるにも程がある。誰がお前みたいな女と結婚するもんか。


 いい気分が急降下し、イライラしていた所で見てみれば、一人彼女だけは俺の現状に驚き敬いもせず、淡々と作業を行っていて。もっとイライラした。一番身の程を思いしるべきなのはお前だ、と。再会してから一ヶ月性懲りもなくちょこちょこと話しかけてきやがって。もう、お前に望みはねぇんだよ。俺は、芸能人になるんだ。彼女には手の届かない人間になるんだ。だから、もっと驚け。憧れろ。もう、俺の隣の席にお前は座れないんだよ。


 俺はイライラすると髪をくしゃくしゃといじる癖がある。この十年の間についた癖だ。クラスのメンバーは二年の時から同じクラスで、俺のこの癖のことも知っていたから慌てて「完璧だしもう今日は練習いらなくない?今日は解散。明日は頑張ろうな」と教室から去っていった。


 何を白々しい。ただ俺の怒りのとばっちりが怖いだけだろう。さっきあんな発言をしたくらいだから美香は残るかと思ったが、美香も耐えられないらしく今日は友人と帰る約束をしていた、と教室から逃げ出していった。

 あっという間に、残るは、あと一人。彼女だけは、俺のこの癖を知らないから平然と仕事を続けている。一人になりたかった俺の苛立ちは最高潮にわたり、がっと椅子を蹴った。



「……ねえ、ヒロくん」


 彼女は今、俺に話しかけることが俺の逆鱗に触れることも知らず、ポツポツと話しかけてきた。



「ヒロくんは変わったね。あの頃は、暴れん坊で友達も私だけだったのに。今ではクラスの人気者。十年間の時の重みを感じたよ」


「ヒロくんに彼女がいるのは分かってる。美香さんだよね?直接聞いたことはなかったけど雰囲気できっとそうなんだって思ってた」


「私は離れていた十年、ずっとヒロくんのことを忘れなかったよ。それで、私はヒロくんも、きっと私のこと忘れてないって馬鹿みたいに信じてた」



 ああ、本当に彼女は愚かな女だ。



「ねえ、あの約束を覚えてる?私達が最後に会った日に交わした約束」


「大人になったらけ」

「大人になったら結婚しよう、だなんて本当に馬鹿げてる。マジ、あり得ねぇ。まさか城田はずっとそんなの信じていたなんて言わないよなぁ?あれはさ、おままごとみたいなもんだろ。自分に酔ってるっていうかさ。ホント、消し去りたい過去だよ」



 俺は彼女が一番傷付くだろう言葉を選んで話した。過去の彼女との距離を離した。


 昔は長所だった可愛らしいロマンチストは今では痛い女の妄想に過ぎない。もしかしたら、彼女は十年前の約束を持ち出してくるかもしれないと思っていたから侮蔑の言葉はするすると口から滑る。何も言えずに俯く彼女を見てやっと気が晴れていった。


「……そっか。ヒロくんはそう思ってたんだね」

「反対にそれ以外あり得ないでしょ。だいたい俺とお前じゃ釣り合わない」


「……うん。うん、そうだね。だってヒロくんは」

「あと、ヒロくんって言うの止めてくんない?馴れ馴れしくて嫌なんだけど」



 感触があった。俺の言葉のナイフで彼女の心をズタズタに引き裂いている感触が。

 彼女のジリジリと萎む心と声が俺には愉快で。言い過ぎてる自覚はあったけど、頭に血がのぼっていた俺はナイフを振りかざすのを止められない。


「ごめんなさい。私はまだ友達でいると思ってて」

「十年も前にね」

「私はヒロ、じゃなくて羽賀君と仲良くしたくて」

「俺は違うけど」


「……再会したら、またあの関係に戻れるかと思ってた」

「勘違いも甚だしい。俺はあの頃のような関係にはなりたくない」



 ズブズブと傷口は抉れ、赤い液体が流れていく。ここまでされたら、流石に彼女も怒るだろう。冷めた頭でその怒り顔を想像すると全てが支配出来たようで良い気分にれた。



「そっか。……うん。わかった。わかってた」



 それなのに、彼女は怒る気配を見せず少しほっとした表情さえ見せる。頭の中のシナリオと大きく違うそれに俺はいきり立つ。


「ここまで言われてなんで怒らないの?もしかして、自分の価値をちゃんと分かって身の程をわきまえてるから?はは、お利口な頭なんだね」

「……うん。そうだね。私と羽賀君は随分変わった。そりゃぁ、少し悲しいよ。でも、それよりも安堵の方が大きい。やっと私のなかで決着をつけられた。ありがとう。本当にありがとう。これで迷いなく前に進める」


「意味わかんない」




 これが俺と彼女の決別だった。彼女が最後に言った言葉の意味もよく分からなかったが別にいいと思った。どうでもいい。もう、俺と彼女はただのクラスメイトで。文化祭が終われば席替えも行われる。


 それで、彼女の存在は完全に俺の隣からいなくなった。








 卒業式。長いと思っていた三年間は呆気なく終焉を迎えて、その時には美香とは別れていた。


 どうでも良かった。卒業したら芸能活動を本格的に開始して輝く未来を夢見ていたから、つまらない今現在なんて興味がなかった。


 ただ、俺の矜持にかけて袴は完璧に着あげて入った教室には一人知らない女の子がいる。

 彼女だ。彼女だった。


 記憶の中の可愛らしい彼女は、女子に囲まれ困りながらも笑って対応している。

 彼女は彼女じゃなかったはずで、でもそこにいるのは紛れもない彼女で。彼女がいる。


「城田さん、凄い化けたね。超可愛いんだけど」

「ありがとう。実は今までが地味になるように頑張ってたんだけどね」

「えー意味わかんない!どうして!?」

「卒業式が終わったら教えるよ」


 もう、彼女は俺の隣の席にはいないから、わざと彼女に近い女子に話しかけ、彼女の会話を盗み聞く。話し方は変わらない。ただ、見た目が変わっただけだが、記憶の中の彼女が実際に笑っている。それだけで、何故か感動して彼女に冷たい態度を取ったことを後悔した。最初からそうしていたら。


 自分の容姿を褒め囃す数々の声なんて聞こえないで、ただ彼女だけを見た。







「えー、今年の冬は寒さが一段と厳しかったからか、本日の別れの日の春の日ざしが、優しく感じられます。卒業生の皆さん。本日はご卒業おめでとうございます」


 おそらく、本にでも書いてあったような明媚な文句を並べるまだ大人にならない青年は表情が硬い。勿論、大勢の前で緊張しているのもあるが、おおよそ在校生の後ろにある立派なカメラのせいではないか。


 俺たちが練習通り体育館の在校生徒の間をぬっていくと、予定になかったテレビ局のカメラが鎮座していた。厳かな式の最中だから声には出さなかったが皆不審げにそれを見る。去年も一昨年もこんなカメラなかったはず。


 だが、結局誰もそのカメラに触れることもなく卒業式は終わろうとしていた。最後に、校歌を歌いながらまた、彼女をコソコソと見る。感動で泣き出している女子もちらほらいたが、彼女には感動するほどの思い出はこの学校にないらしく平然と覚えたての校歌を歌っている。


 その日、彼女とは一度も目があっておらず自分だけが彼女を意識しているのだと思うと馬鹿らしく思えてまた、すぐに目をそらした。













「三年二組の皆。一年間ありがとうな。君たちにも学ぶことは多かっただろうが私自身君たちから多くのことを学ばせてもらったーーー」


 卒業式終わりの最後のホームルーム。普段より熱の入った山崎の話に俺の隣の席の女子がまたしくしくと泣き出す。俺は、いかにもおあつらえな言葉に、白けていて半分聞き流していたから山崎の言葉に反応するのが遅れた。



「ーーーこの中には就職する者や、大学へ進学する者、浪人する者、そして城田みたいに海外へ留学する者もいる。君たちに待ち受けるのは決してーーー」



 初めて彼女が海外へ留学することを知った。









「城田さんって留学するの!?」

「うん。パリに」

「えっ、凄い。なんでなんで?」

「実は、私ヴァイオリンやってて。プロ目指してるからやっぱり世界屈指の実力者がいるところで学ばなきゃって」

「へぇ。じゃあ、上手いんだ?」

「うん。上手い方だと思う。地味目な格好をしてたのも雑誌とかテレビとかに取材とかされたことがあって、騒がれたら嫌だったんだ。まあ、クラシック業界の事情を知る人なんていないと思ったんだけど。一応ね。でも、自意識過剰だったかも」

「そんなことないよ!!あのテレビカメラ、城田さんの取材で来てるんでしょう」





 恒例の全体写真を撮ってから各々に散らばる人の中で、多くの人に囲まれたのは俺と彼女だ。俺は、騒がしく話すクラスメイトに軽い相槌を打ちながら慌てて「ヴァイオリン 城田達美」と検索をかける。そしてやっと彼女の本当を知った。




 鬼才ヴァイオリニスト城田達美




 業界で彼女を知らない者はいない。日本だけでなく世界レベルで彼女は有名人だったのだ。検索して出てきた記事は全て、彼女の才能をもてはやますもの。ティキペディアに出てきた彼女の紹介文から彼女が俺と別れてからすぐにヴァイオリンを始め、逸脱した才能であっという間に頭角を現した、と知る。そう言えば。彼女が放課後遊びに行っていたことはなく私生活が謎だらけなのもヴァイオリンをしているのを隠していたからか。体育で休みが多かったのも頷けた。彼女の持つ最大の魅力を、綺麗に奏でる為に必要な繊細な指を守るためだろう。

 あの無駄に厳しい体育教師が彼女の見学に甘かったのは、そういうことか。これから国の宝になる彼女のためだから。俺が嫌嫌受けていたバスケの授業もそれだから彼女は、見学で特別扱いだったのか。





 なんだ。


 なんだ。身の程知らずなのは、



「城田……」

「ああ、羽賀君。短い間だったけどありがとね」



 彼女はテレビ局のインタビューに答えるため、教室を出ていく。凛とした後ろ姿が俺の見た彼女の最後の姿だった。


















「ちっ」


 あれから七年経った。俺は今だ劇団員のモブをやっている。収入はほぼないから、アルバイト三昧。疲れた。


 大きな希望を持って入った芸能界は厳しい所だった。一般人では騒がれる程イケメンだった俺も芸能界に入れば、中の下レベル。演技だって心がこもっていない、なんて馬鹿みたいな理由のせいで評価されない。

 何もかも上手くいかない。


 今日のレストランのアルバイトだって、この見た目のおかげですぐに採用されたが注意散漫という理由でクビにされた。


「暇だ」


 だから、久し振りに暇が出来てしまった。時間が出来たからといって何かしたいこともないし、趣味もない。その上、お金もないもんだから、どうにか無料で娯楽を手に入れられないかと入った先は書店。

 そこで手に取った週刊誌をパラパラめくっていると、城田達美の文字を見る。



『Overachieverのボーカル、アーサーと城田達美が結婚』



 普通に生活していれば必ず聞いたことがあるだろう世界的超有名ミュージシャンOverachieverのボーカルと、これまた超一流のヴァイオリストになった彼女が結婚したことを大々的に祝う記事だった。



 まただ。また思い知らされた。

 こんな最悪な状態で、最悪な気分で、彼女との差を。身の程を思い知らされた。


 だが、七年前よりショックではない。

 あの時、既に俺は認めていた。




 彼女と俺。

 身の程知らずなのは、俺だったのだと。



 これ以上屈辱的な気分を味わいたくはなかった俺は、さっさと書店を去る。やってられない。

 しょうがない。こんな日はやけ酒ならぬやけ寝だ。貧乏人はそれに限る。








 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 この度はご結婚おめでとうございます。今回は、達美さんに様々な質問をしていきたいと思います。


 はい。お手柔らかにお願いしますね(笑)



 ……

 Q17 初恋はいつでしたか?


 初恋は幼馴染です。その彼と大人になったら結婚しようねって約束までしたんですよ!!凄いおませさんですよね。と言っても、小学二年生の時に転校してしまったから会えなくなってしまって。……私はロマンチストだから日本を離れる決断をした時にまだそれが心残りだったんです。だから、私、会いに行ったんですよ、彼のところまで。そしたら、彼凄くかっこよくなってて、彼女も出来てて別人みたいになってました。それで、ああ、あの約束はなかったことにしているんだなってすぐ分かったんですけど、どうしても踏ん切りがつかなくて。しょうがないから彼にすっぱりとフって貰いました。



 それは、予想外にドラマチックな話ですね。でも、フラれたときはやっぱり悲しかったですか?



 いえ、私はただあの約束が気掛かりだっただけで、再会して変わっていた彼を好きにはならなかったので。悲しいというより、やっと日本を出る決心がついたぞ、みたいな。そんな感じで寧ろ、ほっとした位でしたよ。それに、彼のその言葉のおかげで海外に出る決心がついて、その海外の地でアーサーと出会ったんです。彼には感謝しないと。



 達美さんとアーサーさんが運命の出会いを果たす切っ掛けにその幼馴染さんがいたんですね。ふむ、きっとその幼馴染さんは、こんな大物をふってしまって後悔してるんじゃないですか?



 さあ。どうですかね。でも、多分彼のことだから後悔なんてせずに、美しい彼女でも持って人気者の生活を送ってるんじゃないかと思いますよ。







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― 新着の感想 ―
[一言] そういうの含めてIFが気になるなーって感じですね! 一瞬だけ上手くいくのか、余計拗れるのか、意外と上手くいくのか、全く変わらない結末なのか。 多分幼馴染の最後のコメント的に主人公に対する…
[一言] 自業自得だし、同情の余地は無いけど。地味子ぶった変装が無かったらどうなってたかはちょっと気になる。
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