6.推敲
【文字数】
14000字ほど
【作者コメント】
今回は、前回(5話)から引き続く話になっています。
前回を読まなくても読めるはずですが、前話を読んだ方が読みやすいと思われます。
また、次話に投稿された付録の小説も読む必要はあまりありません。
【目次】
1.問題提起:自己判断による改訂はマズい
2.様々なレベルの推敲について
3.推敲を助けてくれる(はずの)ツールについて
4.締めくくり:先輩のバイトの話
1.
ちわー、と三河屋さん風に図書予備室に来てみると、先輩が苦虫を噛み潰していた。
一応付け加えておくと、慣用句的な意味で、である。
「どうしたんです?」
「ああ、ご苦労さん」
いつもの席に座るわたしに、先輩は一瞥だけくれてやっぱりにがり顔。答えてもくれない。うわー、不機嫌。わたし帰った方がいいのかな。
思わず腰の浮くわたしに、先輩は用意してあったらしいお茶を渡してきた。あらら、ありがとうございます。
「お茶、濃かったんですか?」
「いや、ちょっと嫌なことがあったんでな」
そう言ってスマホを見せてくれる。バーじゃないんだから、スライディングさせないでください。バーボンハウスのAAみたいに落としてガシャンしても、わたし、責任取りませんからね。(※1)
ええっと、これは……小説じゃないな。活動報告か。なになに、文章の粗かった前半を全面改訂する?
「ああ、よくある改訂」
「そう、本当によくあるから困る」
渋い顔したまま先輩は茶を一口すする。あ、わたしもいただきます。
「最初の頃、マズい文章だったってのは仕方ない。素人なんだから。そもそもプロ作家だって、シリーズの初期作と以降の作品で文体が異なることはいくらでもある。連載漫画でも初期と後半でまるで違ったタッチになってることは、よくあることだ」
「そういうの、見比べてみても楽しいですよね」
「そうだよな。味なんだよ。下手でも、それを気に入っている人がいて、だから読者も付いたわけだ。それを全面改訂しようとしても、いろいろな意味で上手くいくはずないんだがな」
「バスタードもポシャりましたしね」(※2)
「……君は本当に、妙なネタを知っているな」
作品を知っていると、不思議なくらいその作品に関する情報が耳に入ってくるものである。珍しいことじゃないだろう。っていうか、バスタード貸してくれたの、先輩なんですけど。
あんなもん、先輩もよく貸すものである。後半なんて天使の乳揉んでるだけだし。服を溶かすスライムに責められてるヨーコさんなんかはストーリーの枠内だったから読めたわけだけど、19巻からは意味不明なエロばっかりでもう「これだから男は」とののしる気力すら尽きた。
なんて話題はさておき、先輩は話を続けた。
「そういえば、アニメ『氷菓』のアテレコで、原作者の米澤穂信さんも『昔の作品の台詞を読まれるのは恥ずかしい』と言っておられたのだそうだが、昔のことなんてたいがい恥ずかしいもんだ。見返しちゃダメなんだよ」
「あ、そんなことおっしゃってたんですか」
「漫画版の後書きで触れられているよ」
ありゃ、そうだったかな。覚えてない。あ、まだ借りてない巻なんですか? また貸してくださいよ、先輩。
「はいはい。また明日にでも持ってくる」
「ありがとうございます」
「うん。まあ、それは明日としてだな……ネット上において全面改訂はざらに見かける」
「確かに。ざらですね」
「しかも、完結後ならともかく、連載中に始める人もいるから困ったものだよ」
わたしは大きくうなずいた。
正直、早く続きが読みたいのに、こういう急制動は困る。しかも、自分が面白いと思っていたネタが削られていたりすると、地味にショックだったりする。そりゃ、ギャグなんて見返したらつまんないに決まってるじゃん……だからって消さないでよ……。
「困りものだな、で済めばいいが、最悪、このリテイク作業の途中で力尽きる」
「ものすごく手間暇かかるでしょうしね。続きを書く余力なんて残らないのでしょう」
「これ、おじさんが言ってたんだけど、リテイクはたいして面白い作業じゃないらしい。当然かな。自分がミスしたところを修正していくだけで、しかも誰かが誉めてくれるわけでもない」
「飽きちゃいますよね。それじゃあ」
「だよな。まだしもリメイクなら反応もあるだろうけどね。区々たる修正なんて、完結してからで構わないのに」
そもそも本当に完結するかどうかも問題な気がするけど、そこは触れない方がいいのだろうか。いいんだろうな。
「そもそもだな」
と指一本を示す先輩。あ、触れちゃうんだ。
「リテイクなんて、世に出してからすることじゃない。この作業こそ推敲じゃないか」
あ、違った。
最近、先輩とのシンクロ率は第三使徒当時くらいにはあったので、被ってるかなーと思ったのに。いきなり、空飛ぶ使徒から光線浴びた後のアスカくらいになっちゃったね。(当社比)
「おや、反応が薄い。解説が要るか?」
「あ、すいません。しょーもないこと考えてました」
「今日も、プールでもあったのか?」
「いえ。今日はダンスでしたね」
「ああ、あれもあれで大変だよな。誰も彼もがリズム感を持っているわけじゃないんだが」
あ、先輩も苦労した組らしい。
踊るのはいいんだけど、わたしもね、振り付けなんかはちょっと……。よくわからんのです。
それに、合唱曲を選曲するのは若干勇気が要るしね。そこも悩みどころである。「日曜日」なんて選曲したらグループドン引きだろうし、万が一通ったりしたら体育館が愁嘆場になりかねん。(※3)
「……話がそれたな。リテイクは推敲作業に他ならない。この論理は通じてるか?」
「表現を見直したり、不要な描写を削ったり、誤字を直したりするんですよね、どちらも」
「そうそう」
わたしはうなずいた。じゃあどう考えても、同じものである。
先輩は片肘突いて、少し眉をしかめた。
「一度ネットに出したものを修正するのは、一度テーブルに出した料理を厨房に戻して味付けを整えるようなものだ。体裁がよろしくない」
あー、確かに。そう言われればね。
「なるほど。とすると、客からの要望ならアリで、勝手にシェフの判断でってのはナシですね」
「君は飲み込みが早いな。そう、誤字や設定の齟齬を指摘されて修正、というのは当然の判断だろうが、自分で勝手に見返して改訂、というのは読者を無視している」
「じゃあ、ストーリーの欠陥を指摘された場合はどうすればいいんですか? 『リテイク』どころか、『リメイク』するしかないと思うんですけど」
「……難しいことを訊くな、君は」
腕組みして、先輩は一時停止。思案してから言った。
「どうしようもない」
「そんな、身も蓋もない」
「本当に、仕様がない。ストーリー軸に則してキャラも配置してるわけだし、伏線も敷いてる。物語はストーリーありきで設定を整えてあるんだ。土台のストーリーに欠陥があっても、途中からは変更が効かんよ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「欠陥込みで、それでも面白い作品を作るしかない。そもそも、何一つ矛盾のない作品なんて、そうそうないしな」
それこそ身も蓋もない考えである。
それに、と先輩は付け加えた。
「たとえば、空気系と呼ばれるジャンルの作品がある」
「ああ、日常を描いただけの、事件も何もない」
「そう。NHKでも『けいおん!』を例に採って解説していた由緒正しい現代語だが(※4)、こうした作品が『ストーリーに劇的な要素が欠けている』と指摘を受けても、仕方ないだろう」
「それは、まあ」
「ブラックジョークに不謹慎と言っても仕方ないし、古典部を作ったのに千反田さんが入ってこないと嘆いても仕方ない」
「……はあ?」
「こうした、物語が元々持ち合わせていた性質に対して突っ込みが入る場合もあるが、それをどうにかすることは出来ないんだ。ダークヒーロー物を読者の指摘で勧善懲悪物に変えることは出来まい」
「結論の前の例えは要らなかったんじゃないですか」
「気にするな」
本当に「氷菓」好きな先輩である。
そんなに良い作品かなあ。いや、良い作品だけどさ、わたしは「小市民」シリーズの方が好きなんだよね。
「ストーリーの欠陥についてはこれぐらいにして、話を戻そうか」
「そもそも、元の話ってなんでしたっけ」
わたしがそう問うと。
先輩は指一本を立てて答えた。
「推敲の話だよ」
2.
あれ、そんな話だったっけと首を傾げるわたし。
「推敲をきちんと行っていれば、誤字やキャラクターの描き方の矛盾にも気づけるだろうし、章単位でも整合性が取れる。少なくとも、全面改訂を要するほどの欠陥には気づけるだろう」
「その可能性は高いでしょうね」
あいづちを打ちながら、気づいた。なるほど、先輩はこの話がしたかったんだな。改訂の話はあくまで前座か。
「先日の話ともダブるが、推敲は作品をより良いものにするためには絶対に欠かせない作業だ。ネット小説では、この点が意識されていないことが間々ある」
「先日の話とダブるというか、先日話しきれなかった分を今日話すってことですよね」
「無粋なツッコミをするなあ。そうだよ」
肩をすくめる先輩を見ながら、何が無粋か不思議に思った。
が、すぐ合点がいった。
わたしの疲労を慮(おもんぱか)って、先輩、話を切り上げたんだっけか。そのことにあえて触れないで話を始めたのに、そこにわたしが触れちゃったわけか。そりゃ無粋だな。
わたしがごめんなさいすると、先輩は「気にするな」と手を振った。
「よし、ならいっそ、前回のおさらいもしようか」
「推敲をしていれば『重複表現を減らせる』し、『曖昧な表現』を削れるんでしたよね。そのセンスを磨くためにも、『外出をやめよ、書を読もう』を先輩は推奨していると、そういう話でしたよね」
「…………」
腰を上げかけた先輩は呆気にとられた様子でこっちを眺めて、一時停止。それからおもむろに腰を下ろした。
「君の記憶力には、感服するよ」
「時間短縮になるかと思ったんですけど……なんか、楽しみを邪魔したみたいで、ごめんなさい」
「いや、手っ取り早くて助かる」
でも、ちょっと残念そうな先輩。「これも二人で会話する利点か……」なんて言ってるけど、自分を納得させてるような独り言である。
空気読めてなくてごめんなさい。
「おさらいは必要ないようだな。推敲にはそうした機能がある。他にも様々な機能が期待できるが、そうやって体裁を整える機能があるとわかってくれればそれでいい」
「はい」
「とはいえ、これは低いレベルでの推敲の話だ」
「はあ、レベル制なんですね」
「いや、この場合は水位とかそっちの意味でのレベル」
ああ、前回はスキルがどうこうと言っていたから、素で勘違いした。ちょっと恥ずかしいじゃないか。これは先輩のせいなのに。
「まず、もっとも基本的な見直しのレベルでは誤字脱字のチェックを行うことになる。漢字の変換ミスはないか。てにをはの誤りはないか。カッコ抜けや対応に誤りはないか」
「カッコの対応ってなんですか?」
「たとえばカギカッコで始めて、終わりが普通のカッコだったり、まあそういう類のミスだよ。これは最初からカッコを両方書くようにしておけば避けられるミスだな。会話文を書く際は先にカギカッコを閉じカッコまで書いて、その後にカーソルを間に置けばいい」
立ち上がった先輩は、ホワイトボードに『「」』と書き、その間に縦線を入れた。ああ、カーソルですか、それ。
「君のジャンルに寄せて説明すれば、これは楽譜を見たとき、歌の入りはどこか、ブレス記号の位置はどこか、そういうレベルの話だ。メロディやハーモニーを云々するよりももっと前のレベルだ」
「なるほど」
わかりやすいじゃないか。
歌の入りなんて簡単だろ、と思う向きもあるだろうが、曲によっては超エグいしね。要チェックポイントである。(※5)
ちなみにわたしには、ブレス記号(vみたいなやつ)を大きく表記し直してわかりやすくしておく癖がある。呼吸を合わせることは、パートの音を束ねるために必須の作業なのだ。作曲者からの指示の一環だし、結構大事だったりする。余談だけどね。
「次のレベルは、設定上の不備をチェックする。と言っても、これも低レベルの話だ。キャラの名前を間違って記述してないか、必殺技の読み方がバラバラになってないか、中世の世界観を採用しているのに女性の下着が進化しすぎてないか、とかな」
「いや、そういう下ネタいいんで。っていうか、さすがにキャラの名前は間違えないでしょう」
「そうでもないよ」
ええー、いや、名前を間違えるって。そんな、浮気中の彼氏じゃないんだから。
自分で生み出したキャラなら子供も同然でしょうに。それを間違えるのは考えづらいけどなあ。
「有名な例を言うなら、そうだな、『ゼロの使い魔』にシエスタという昼寝娘がいただろ」
「昼寝はしませんけどね。それで、彼女がどうしたんです?」
「かなりの確率で、シェスタって書かれるんだよ。二次創作では」
「シェスタて。語呂悪いですね」
しかし、驚きである。本当にあるんだ。
「まあ、どこぞの御大も『タオパイパイ……?』と言っておいでだから。作者だからって忘れない、間違えないってことはないさ」
「ああ、鳥山さん。あの人くらいキャラを描いていれば、初期のキャラを忘れていても仕方ないでしょ……」
「いや、そうは言うがな。そもそも、考えてみてもらいたいんだが、主人公がいたら親と祖父母だけで関係者が最低でも六人いる。それに兄弟姉妹と親戚と、友達だなんだと関係者を芋づる式に作っていけば、どんな作品でもキャラが何十人も出てくる」
「そうですね」
「中には、ちょっと微妙なキャラもいるだろう。タオパイパイみたいに」
「わたし、よくは知らないんですけど、タオパイパイってドラゴンボールの中でも結構有名なキャラなんじゃないんですか?」
「作者にとっての重要度と、世間的な知名度は別だよ」
それもそうか。思い入れってあるしね。わたしだって、世間的にはあんまり評価されてないけど好きな曲ってあるしなあ。
「ついでに必殺技についても触れてみようか。『ファイヤー』か『ファイアー』か、みたいな問題は当然出てくる」
先輩、いやニュアンスでわかるんで、わざわざホワイトボードに二つ書かなくて大丈夫ですよ……。あ、追記して「マノワス」と「サレール」も書いてる。確かどっちも艦長なんですよね。(※6)
「こういうディテールは、設定する以上はこだわっておきたいところだな。持ち味なのだから」
「間違えもアレですけど、途中でいきなり無詠唱になったりしても魅力半減ですもんね。冥界の賢者がうんたら、なんて詠唱がカッコいいのに」
「『バスタード』の話はもういいから」
「えー」
ネタに使いやすいんだけど。がっつりシモい漫画だし、先輩的には微妙なんだろうか。じゃあなんで貸したんだよ。
席に戻って、先輩は再び人差し指を立てた。
「次のレベルは、一話ごとのレベルだ。視点は統一されているか。統一していないにしても、整理されているか」
「視点の統一ですか?」
「おう。一つのシーンで、やれ主人公の視点だ、やれヒロインの視点だと入れ替えを繰り返すと読者は混乱する。少なくとも一話単位では一人の視点で固定して物語を進めた方が良い」
「『ブギーポップ』のように、多視点での物語ってありますけど」
「あれは一つずつ、話が進んでから視点が変更されているだろ」
「ああ、なるほど」
つまり、視点をあっちこっち行かせるなと、そういう話か。
ネット小説の一話って結構短いことが多いしね。その中でポンポン入れ替えてたら混乱もするかな。
「他にも、一話の中で矛盾がないか、起承転結に従った展開がされているか、次への引きは十分か……まあ、挙げればキリがないが、一話分で整理する」
「なら、次のレベルは章単位ってとこですか?」
「そうそう」
先輩はうなずいてから、立ち上がった。
「まず、『誤字脱字』のチェック。次に『設定上のミス』のチェック。で、実際に書いた『一話分』のチェック。ここまでは一回一回の更新についての見直しだ。前回話した際の推敲は、このレベルだな」
その三つを板書して、四角で囲って1と付け足す。
先輩はその隣に2と書いて続けた。
「次のレベルである『章ごと』のチェックは、もう一段階上のレベルでのチェックになる。区々たる誤りではなくて、ストーリー構成や伏線の敷き方など、話全体に関するチェックだな」
「プロットレベルでのチェックなんですね」
「そうそう。章レベルでの展開を見直すわけだ。ある話の中で触れておかないといけない噂話があったり、登場すべきキャラがいたり、大事な主人公の決断があったりする。オリエンテーリングみたいなものだな。チェックポイントをクリアしているか見直さなくてはならない」
「ああ、ああ。なるほど。推敲でこのレベルまでチェックするのなら、書き溜めは必須ですね」
「話が早くて助かるよ。そう、最低でも章単位での書き溜めが必要になってくる。書き溜めを推奨する理由の一つだな」
席に戻った先輩は、片肘を突いた。話に集中している証拠だろう。こちらを覗き込みながら、例を挙げる。
「コース料理を出してる途中で『あ、さっきのスープはコンソメの方が良かった』なんて変更は効かないから、最初からメニューは決めておく必要がある。それがプロットだ。で、実際に作りながらメニュー通り進められているかチェックするのがこのレベルでの推敲だな」
わたしのうなずきを確認して、先輩は話を進めた。
「そして最後に、完成した物語を推敲する」
「ふむふむ」
「作品の雰囲気にあった描き方や文体を選んでいるか。軽い作品に難しい漢字ばかり使っていてはダメだし、重い作品で下品な下ネタを連発していては雰囲気が出ないだろ?」
「それは確かに」
「もっと根源的に、面白いかどうかも問うべきだろうが、自作が面白いかどうかなんてわかるはずがない。作者は、あまりに物語に近すぎるから。これは、読者の反応に期待するしかないな」
「そんなもんなんですか?」
「テストの後の『あの問題、どうした?』って言い合いがあるだろ? あれ、他人に『いや、あれってこうじゃないの?』と言われて、その瞬間に気づくことがあるはずだ。そういうものだよ、たぶん」
「なるほど」
それはわかりやすい。
わたしは深くうなずいて、理解を示した。
「もちろんここで提示した順に見直しする必要はないが、こうした推敲のレベルがあることは認識した上で見直しすべきだろうな」
「やることいっぱいありますね」
「手間暇かかるが、良いものを作ろうとするのなら惜しんじゃいけない。一度の見直しで済ませるのではなく、様々なレベルで推敲を行うべきだと思うよ」
「ホント、本格的にやろうとすると手間かかりますよね」
「そうだよな。読者はエンドユーザーだから、こうした手間暇を甘く見る傾向があるが、それはよろしくない。その苦労に対して、最低限の礼儀を払うべきだろう」
そうだよね。
作曲家でも仕事が遅い人がいるけど、ベストを尽くそうとしての結果なら、考えなしに非難しちゃダメだよね。
でも、一方で、コンクール本番前日に楽譜ファックスとか、個展演奏会の一週間前にようやく完成譜が届くとか、そういうのはやっぱりプロ意識に欠けてるとも思う。(※7)
「サザエさん」のいささか先生もそうだけど、ちゃんと仕事しないと。してくれているからこその敬意だろうにね。そこは、作者の側にも自覚が必要なところだろう。
3.
おお、今日はこれで終わりかな? 先輩、カバン整理しだしたよ。
携帯をチラ見してみると、若干早い。最近は話してばっかだし、久々に本に集中できるかな。
とまあ、そう思っていたんだけど。
「ところで、これを見てくれ。こいつをどう思う?」
「すっごく……って何を言わせるんですか」
まったく、薔薇族なんて知りませんよ。わたし。(※8)
「で、なんですか? またこんなこともあろうかと、って何か用意してたんですか?」
「前に、校正用のツールがあると言っただろ? その辺を少し調べてみたんだ。まあ、とりあえずこの紙を見てくれ」
「……あれ? 小説ですか?」
「渋るおじさんをなだめすかして、完結してる作品を送ってもらった。これを例文にするよ」
で、読めと。そこそこ枚数があるじゃないか。
とりあえず、目を通すだけでいいか。
「見ればわかるが、超厚化粧だ」
「……ああ」
わたしは「厚化粧?」と一瞬疑問に思ったが、文面を見て納得である。
確かに。一人称が此方(こなた)とかなってるもんなあ……。
おじさんの小説とやらは手記形式というやや珍しい形式で書かれた作品で、どうも二人の手記を抜粋して一つの事件を語っている作品らしい。
それぞれの意思が交わらず、そのまま決別するのだけど、そこに嫌な読後感はなくてむしろ清々しいものを感じる。神話を描くような、曖昧模糊とした描き方がむしろ雰囲気を醸し出しているように思えた。
一読し終えて、わたしは少しうなずきを繰り返した。
「嫌いじゃないですよ、この作品」
「ところで、その作品、中学三年向けの『ふつう』のテキストらしい」
「……はあ!?」
嘘こけ。「身罷る」とか「薨去」とか平然と出てきてるぞ。小難しい漢字バンバン使ってて……あ、いや、まあ、厨二病と言われればそうだけどさ、中学生向けじゃあないって。
うろんなわたしの目に、先輩はなんとも言えない顔でうなずいた。
「『日本語テキストの難易度を測る』というサイトがあるんだが、そこでは教科書を基準に、テキストの難易度を測ってくれる」(※9)
「それで、これが中三向けと?」
「おう。そうらしい。自分のテキストがどの程度の難易度か把握するのは、推敲の上でも大事だと思ったんだが……」
先輩は少しあごをなでて、目線をはずした。ちょっと気まずそうだ。
「このサイトは、学術論文のような専門性の高いものを特に難しいと判断する傾向があるらしい」
「いや、まあ、確かに難しいですけどね。論文」
「まあな。ただ、小説についてはちょっとな。おじさんにも確認してもらって、自分でもいくつか読んでる小説でチェックしてみたけど、作品の質や文章の難易度にかかわらず、だいたい中学生の範囲だった」
「小説なんぞ、ちょっと語彙が難しくても中学生なら読めるだろ、と」
「そこまで開発者は思ってないだろうが……あまり、効果は期待できない気がする」
調べてみた結果がそうだからなのか、やっぱり気まずそうな先輩。
じゃあ披露しなきゃいいのに、と思うところだけど、先輩曰く「中学生の範囲から出ている場合は注意が必要かもしれない」なのだとか。取って付けたような意見だなあ。
「小説の難易度と文章としての難易度は別というわけだな。さて、次だ」
「流しましたね……」
肩をすくめて、先輩は話を続けた。
「次は、前に話したように、文章校正用のツールだ。これは二つある」
「あれ、前は一つだけでしたよね?」
「ちょっと調べてみたら見つかったから。両方確認してみたよ」
先輩は立ち上がって、ホワイトボードの余白にサイト名を書いた。「日本語文章校正ツール」と「Enno」か。(※10)
「日本語文章構成ツールは、前に話していたときは否定的に言っていたサイトですよね」
「否定的には言ってないけどな。ただ、今回試してみて、やっぱり推敲には使いづらいと感じたかな」
先輩は「日本語文章校正ツール」の上に三角マークを書いた。
「さっき見せた小説なんだけど、あれ、漢字が難しいよな」
「はい。間違いなく」
「このツールだと、まずその手の漢字は指摘される。難読なんだと。途中にある『合いの子』という差別表現もはじかれてる」
あ、そういやあったな、そんな表現。
差別表現としてはすでに化石化していて、ちょっとわたしくらいの年代だと差別語という認識もないんだけど。校正としてははじいて当然か。
「ただ、あらかじめいくつか誤字を入れて試してみたんだが、物の見事にそれらは全部スルーされた」
「あらら。ちなみにどんなものを?」
「助詞を間違えてみたり、あるいは増やしてみたり、漢字に変えてみたりした」
つまり「わたしは」を「わたしを」に変えてみたり、「わたしはは」とか「わたし歯」にしてみたわけか。
これをスルーされたとなると、確かに誤字脱字のチェックには使いづらいかもしれない。
「これは後者の『Enno』でも同様だ。ただ、気づいたかな、この作品内では『にも関わらず』と誤字が残っている」
先輩はホワイトボードに「にも関わらず」と書いた。あったっけ。さすがに一読じゃ気づかなかったなあ。
「確か、正しくは『犯人を拘束する』のコウを使うんですよね」
「よく知ってるな。そうだけど、基本的にはひらがなで書くものだ。おじさんに訊いたら、正真正銘誤字だったらしい。この誤字は『Enno』がはじいていた」
「おお」
誤字チェックとしてはこっちの方が使えるじゃないか。
……そう思ったら、このサイト、副題が「日本語のタイポ/変換ミス/誤字脱字エラーをチェック」らしい。それじゃあ、校正用のツールより使えて当然か。
いや、待てよ?
「あれ? でも、『Enno』でも入れておいた誤字はスルーされたんですよね?」
「そうだな」
「うーん。これってどう判断すべきなんでしょうか?」
「これは思うに、小説を目的にしたチェックツールじゃないってことじゃないかな」
なるほど。
そう考えれば、納得はできる。いや、そう考えないと納得がいかないと言うべきかなあ。
そんなわたしの微妙な納得顔を見ながら、先輩は『Enno』の板書の上に三角マークを書いた。
「『Enno』ははっきりと『フォーマルな文章を中心に』と言っているからな。小説のような自由度の高い文章を念頭に作っているツールじゃない。その点も加味して評価すべきだな。ツールとしてはどちらも使いやすいよ。コピペで一発だし、誤字抽出された結果の画面も見やすい」
「ただ、小説には使いづらいと」
「効果的とは、少なくとも現段階では言えないんじゃないかな」
どうもこれが結論だったらしく、先輩は板書をすべて綺麗に消した。
いや、言ってくれたらそれくらいの後始末、するのに。あ、そうだ、お茶いれようか。
「あくまでフリーツールについての話だから、探せば有料のツールでいろいろ見つかるかもしれない。あるいはいっそ、誰かに推敲や校正を依頼するというのも手だろう」
「ブルジョワの発想ですね」
「ネット小説なんてプロレタリアート的創作物には不向きな話だよな」
わたしは二番煎じを茶碗に注ぎながら、うなずいた。
趣味なのだし、どれだけお金をかけても誰も文句は言わないだろうけど、ネット小説ってそういうのとは違う気がするんだよなあ。
もちろん、同人誌を販売することもあるだろうし、昨今は電子書籍も盛んに販売されているのだから、そうした商売に向けてしっかり校正しようってのは間違いじゃないけどさ。
たとえて言えば、プライベート版のCDでミキシングやノイズ除去にどこまでこだわるか、みたいな問題だろう。それも、合唱団の団内向けなんて限られたCD-Rの場合なんて、プロに依頼してまでする意味はあんまりないよね。
実際は、年に一度の定期演奏会で業者に記念ビデオ的なものを依頼する合唱団なんてたくさんあるけどね。どこまで金かけるかで言えば、合唱趣味はわりとブルジョワ趣味である。
「結局、現段階ではまだまだ人力が有効だ。見直すしかない」
「結局そこに行き着きますか」
「あと、極論すれば、変換ミスをなくしたいのなら手書きすればいい」
「ネット小説になんないでしょ、それ」
4.
「君もだいぶお茶の入れ方に慣れてきたな」
ありがとうと受け取った先輩は、のんびりお茶を飲んでいた。
……あれ?
「あれ? 先輩、ぼちぼち帰る時間なんじゃないですか?」
「下校時間までだいぶあるが」
「いや、でも、先週はこれくらいに帰ってたような」
何かそういう、曜日固定の用事でもあるのかと思ってたんだけど。塾とか。
先輩は軽く手を振った。
「ああ、あれは予約が入ってたからな」
「……ライトノベルの?」
「予約してまで買わない買わない」
苦笑してパタパタと手を振る先輩。
「お店に予約が入ってたから、下拵えで早く入ってたんだよ」
「はあ……はあ?」
えっと、言ってる意味がいまいち受け取れないんだけども。
お店? 下拵え?
「うん? 言ったことなかったかな。バイトだよ、バイト」
「……ああ! なるほど、下拵えってことは、飲食系ですか」
わたし自身はバイトしてないもんだから、ちっともピンとこなかった。なるほど、バイトでしたか。
しかし、その口振りだと。
「もしかして、居酒屋系のバイトなんですか?」
「いや、居酒屋ではないな。よくは知らないが、そもそも有名どころの居酒屋チェーンなんかは高校生不可なんじゃないか?」
「はあ、そうかもしれませんね。わたしもよくは知りませんが」
高校生のバイトというと、定番はハンバーガーチェーンだろう。時間調整がかなり利くそうだし。あとは、コンビニあたりか。
ズズズとお茶を飲みながら、先輩は説明を続けた。
「おじさんの知り合いの店で、ちょろちょろ働かせてもらってるんだ」
「へえ、飲食系なんですよね?」
「バーだな」
「バーですか……バーなんですか!?」
いやいやいや。居酒屋チェーンよりよっぽどダメでしょ。
っていうか、営業時間的にアウトなんじゃないの?
「法律的に大丈夫なんですか……?」
「よくは知らないけど、労働基準法違反に当たる時間までは働いてないよ」
「いや、アルコール的な問題は?」
先輩はキリッと答えた。
「飲んでないし」
「そういう問題なんでしょうか」
わたしのごく真っ当なツッコミに、先輩はちょっと真面目な顔をして答えてくれた。
「まあ、真面目な話、接客業じゃなくて飲食業だしな。しかもキッチン業務担当だよ。法律には抵触しないはずだ。うちは、バーというか、飲食で売ってる店だしな」
どうも、先輩、改めて調べたことがあるらしい。丁寧なことである。
先輩はなぜか「そもそもあの店はバーになるのか?」と改めて疑問を持ったようだけど、いや、そこは知らないから。
名前も教えてもらったけど、うん、知らないや。ビルに入ってるようなお店はわかんないよ。予約入ってるならそれなりに人気あるんだろうけど、学生の身ですからね、知らなくてもしょうがないよね。
「じゃあ、今日はバイトが入ってないんですか」
「いや、入ってるよ。ただ今日は予約がないから遅いだけで」
「遅いんですか?」
「いや、法律的にはセーフな範囲でね」
むむ、実に怪しい言動である。
捜査員としては、ここを足がかりに攻めていきたい。
というわけで、今日も今日とて古典部は無駄話に花咲かせたのだった。
最近、部で本読んでない気がするんだけど。良いんだろうか?
わたしによるネタ・元ネタ解説。
※1
有名な某巨大掲示板ネタである。
※2
連載が終了してもいないのに、完全版を出した例の話である。
最初はまあまあ力を入れて書き直して、次はかなり力を入れて、その次からはだいぶサボって……と、結局大判になっただけじゃないか、という批判を耳にした。
そもそも完結した作品の再販でも節操ないところだろうに、連載作品でってどうよ、とわたしなんかは思うのだけど。
※3
南安雄・作曲の「日曜日 ~ひとりぼっちの祈り」は交通事故をテーマに取った壮絶な鬱ソングである。
知らない方は、さだまさしの「償い」をもっとハードにしたものだと思ってくれれば、だいたいあってる。両親が事故を起こし亡くなった、その息子の独白を歌った歌である。
中盤の「人殺しの子ーー」と噂する人々を描いた「街で」なんて、初めて聴いたときは「ひッ……」と本気で悲鳴を上げた。
「手紙」は本当にヤバい。事故で半身不随になった被害者側の子供に、事故を起こしてしまった両親のことを許してくれと手紙を送る曲だが、何度聴いても涙が滲む。
あれを子供に歌わせようという南さんの気持ちが本当に分かんないよ。
※4
先輩によると、NHK-FMの「ラジオ朝一番」の中で紹介されていたとか。
現代語を紹介するコンテンツで、いまはもうやってないとかなんとか。
※5
人気作曲家・木下牧子さんの処女作「方舟」の終曲などは、入りの難しい曲として有名である。
全編五拍子で展開されるリズミックな音楽は、気づくと拍子感を失っている。
有名なテノールの入り、あれ、何度も楽譜を確認したけどいまだに入れる気がしない。わたしがテノールを歌う機会はないけど、あれは不憫だな。
※6
森岡浩之さんの「星界」シリーズに出てくる呼称である。
確か、作者さんが後書きで触れていたけど、サレールが広域的な指令、マノワスが小型艦の艦長だったかな。
※7
作曲家・鈴木輝昭さん、木下牧子さんの逸話である。
木下牧子さんについては、公式サイトに記述がある。潔いと見るべきか、言い訳っぽいと見るべきか。
口を極めて合唱団を誉めているので、反省はしてるらしい。いや、実際の演奏も実に素晴らしい出来映えだけどね。
※8
ネットスラングでは古典と言っていい「くそみそテクニック」というホモ漫画の台詞……らしいよ?
テキストサイト界全盛期に、その代表的なサイトの一つである「じーらぼ!」のオーナーが復刊に関わりレポした記事が、今は懐かしい。
と、先輩のおじさんが言っていたのだとか。言ってなかったのだとか。
※9
「日本語テキストの難易度を測る」のアドレスは http://kotoba.nuee.nagoya-u.ac.jp/sc/readability/
アドレスからもわかるとおり、名古屋大学の研究室によるサイトみたい。
※10
「日本語文章校正ツール」は http://www.japaneseproofreader.com/
「Enno - 日本語のタイポ/変換ミス/誤字脱字エラーをチェック」は http://enno.jp/
言うまでもないかもだけど、どちらもフリーツールである。