4.誤字・脱字
【文字数】
13000字ほど
【作者コメント】
今回も、承前は省略可です。
付録については次の話に投稿してありますので、参照ください。
【目次】
0.承前
1.問題提起:誤字は付き物だが、許されるものではない
2.誤字への対症療法
3.付録の誤字リストについて
0.
別に断りを入れるような話ではないかもしれないが、わたしと先輩はメールでもやりとりをしている。ええ、今時メールなんですけどもね。
古典部は部員一人に部外者一人で活動している部活なのだ。どちらかが都合がつかなければ開店休業状態で、必然的に連絡必須となっている。まあ、本を読む分にはわたし一人でも問題ないが、部外者のわたしが一人で部活動を行うというのも奇妙な話、そういう日はさっさと帰るに限る。
現代社会を生きる以上、こうした連絡のやりとりはきっちりせねばならない。その点、先輩はマメなタチであるから、今日は何時に帰るだとか、今度の金曜は休部にするだとか、今日はちょっと遅れるだとか、そうした事前連絡はしっかりしている。時間厳守も徹底されていて、相手する分にはやりやすい相手である。
この点がおろそかだったなら、おそらくわたしも参加する気など起こらなかっただろう。ぐーたらな輩のために割ける時間などない。
組織において連絡というやつはかなりの重要度を占めている、などと思う学生のわたしなのだった。ホウレンソウについては苦い思いもあるのだ。ほうれん草だけに、というわけではない、念のため。(※1)
とまあ、そんな連絡の話はさておき、先輩とのメールでは他愛のないやりとりも交わしている。
そういうとき、やっぱりその手のSNS系アプリでも取り入れた方がいいものかと思わないでもないのだけど、電池を食うものは導入したくないし(わたしのスマホはフル充電+画面オフでもたまに三時間くらいで電池が切れる)、何よりわたしも先輩も典型的な長文書きである。つまり「ツイッター? 百四十字で何が語れるって言うの?」といった具合の人間なのだ。
他愛のないやりとりが、気づけば全角千字くらいの応酬になっていることもしばしば。最初は面食らったが(知り合って間もない相手に、絵文字・顔文字・デコメ抜きで千字送るか普通)、慣れればやりやすい相手だ。言いたいことはだいたいメールに書いてあるから、勘違いの余地もない。
まあ、時折、何をしているんだろう、と冷静になることもあるんだけどね。あの芸人のツッコミに一瞬ためらいが見られるのはアドリブがひどかったためだろう、などと返されて、録画を巻き戻ししてチェックしていたときなんかね。
母親に「ねえ、将来芸人になりたいなんて言い出さないわよね」なんてため息混じりに言われて、いやいやわたしは別にツッコミの勉強をしているわけでなくてね、なんて弁解していると、頭も冷えるものである。
なんか、一緒に観てるのに巻き戻しなんてしててごめんなさい。そんなテレビつまんないよね。ごめんなさい。
今日も、そんな他愛のないメールのやりとりをしているのだけど、件(くだん)の先輩から返信があった。
ちなみに、どうでもいい話であるが、先輩の着信音には敬愛する作曲家・千原英喜先生のラプソディー、それも二の段を当てている。
二の段は大層楽しい曲で、力強くメロディックな音楽は中盤から五線譜が消失、祭り騒ぎが始まり、太鼓は鳴るわ合いの手は入るわ、大いに騒いだあげく終盤には近松門左衛門の断末魔が響きわたる、なかなかアバンギャルドな曲である。先輩にはお似合いだと思う。
そんな素敵な「ラプソディー・イン・チカマツ(近松門左衛門狂騒)」を当てたことを伝え、曲のことを説明すると、先輩は「そ、そうか」と引いていた。失礼な。コンクールでも人気の(あった)名曲なんだぞ。
CDを貸してみると「思ったよりマトモだった」とさらに失礼な感想が返ってきた。わたしはキレた。
……という、そんなわたしのキレる十代的な話は、まあ、いいだろう。そう、その先輩からメールがあったのだ。この着メロを聞くたびに、このいきさつが思い出されるのはどうにかならんのか。向かっ腹が立つ。
『誤字ってたぞ』
送られてきたメールも地味に嫌メールだった。ちゃんと、大なり的な記号(これってなんて名前なんだろう。また先輩に聞いておこう)で誤字部分まで引用する丁寧さ。先輩もスマホならわかるだろうに、この誤字地獄を。
誤字を訂正して送り直してから(同じメールをそのまま送ったのは、単なる嫌がらせである)、携帯を放棄した。腹が立ったら腹が減った。ちょうど晩飯前だ、なにかツマむものがないか探りにいこう。
……そんな次第で、その後に来ていたメールに気づいたのは、ちょいと後のことになった。
『そうだな、明日はこの話を主題にしようか』
1.
明けて翌日、放課後の話である。
先輩より早くに部室で待機していたわたしは、先輩の顔を見るなり開口一番に先日の嫌メールをなじって(ケチを付けるみたいに誤字指摘だけとはなんだ、相手のメールにちゃんと返信しろ、とかそんな感じ)、ついでにあの大なり的記号の名前を訊いた。
先輩は謝りながら「引用符でいいんじゃないか」と答えてくれた。返答はありがとうございます。
「誤字報告は、ネット小説で癖になっててな。誤字のままだと気になって仕方ないんだ」
「読者の鑑みたいな心構えですね。いや、細かいこと気にしすぎで、むしろウザいような」
「言わないでくれ。自分でも、ちょっと神経質な気はしてる」
自覚はあったらしい。それは何よりである。
「でもな、聞くところによると、誤字報告というのはなかなかありがたいものらしい」
うろんな顔をするわたし。
「どこ情報ですか、それ」
「おじさんが言うには、だ」
ああ、いつものおじさん。
「どーでもいいですけど、先輩のおじさん、絶対小説書いてますよね。もしくは書いてたか」
「書いてたみたいなんだが、見せてくれとせがんでも拒否されるんだ」
「そこは拒否するんだ」
「エタったらしい」
エタったってなんだ、と訊いてみると、先輩が言うには「エターナルをもじって、もう更新されなくなった、中断された連載を言う語だ」らしい。
ああ、完結できなかったんだ。それは確かに紹介しづらい。しかも、これってつまり前に先輩が言ってた「完結できない男性作家」(※2)じゃないか。典型例が身近にいたんだな。
「話を戻すが、とにかく誤字脱字はネット小説の恒(つね)で、どれだけチェックしてもなくならない。空気のように存在していて、ゴキブリのように根絶が難しい」
「うわ……」
実に嫌な例えである。まるで、空気のようにゴキブリが偏在しているかのようだ。
「む。例えが悪かったか? ゴキブリのように逃げ回るんだがな、実際」
「いや、別に逃げませんけどね、誤字」
「でも、実際、尽きないから報告してるんだよ。報告しなかったら小説の片隅にずっと居座るわけだし。まんまその通りなんだよ」
いや、まったくもってその通りではないけども。
しかし、言いたいことはわかる。わたしもまあ、冷静になってみれば、昨日のメール、誤字に気づかなかった自分が悪かったのはわかっている。しかし、メールを送る前に見直してはいるのだ、一応ね。それで気づけないとなると、ちょっと対処の仕様がないと思う。
そんなわたしの心中を読んだかのように、先輩もそのどうしようもなさを認めた。
「作者としては、仕方のない一面があるんだよ。誤字ゼロってのは理想論が過ぎる」
だがね、と先輩は続けた。
「その言い訳も読者には通用しない。読み物の素材は文字であり、文であり、文章だ。そこに不良品を挟んではいけない」
「理念としてはわかりますけど、そのギャップを埋める手段なんてないんじゃないですか?」
「まあね。ネット小説に校正を求めるのは、無理があるとは思う」
こうせい? ああ、校正か。
「少し話はそれるが、昨今、スマホで小説を書く人もいる」
「ああ、ケータイ小説ですか」
「それは意味が変わるからやめておこうか」
「え、違うんですか? 誰かが不治の病に掛かったりするアレじゃなくて?」
「違う違う。普通のネット小説だ。いや、まあ、ケータイ小説も普通のネット小説だが、ここでは別ジャンルとしてくれ」
「はあ」
「君に紹介している例の投稿サイトでも、携帯で小説を書いている人はいるよ。たぶんね」
「あ、そうなんですか」
へー。そんなの意識したこともなかったけど、でも意外。小説くらい長い文章って、パソコンで打つもんだと思ってた。
しかし、携帯でカシカシ、一万だの二万だのと文字を打ってると思うと、考えただけで目が痛くなってくるな。肩が凝りそうな話である。実際、長文打ちのわたしの肩は重いのだし。
「君も実感があるだろうが、スマホは特にタッチミスが多い」
「よく理解してますよ。先輩のおかげで」
「それは悪かったって」
「別に許してないわけじゃないですよ」
ただ、言葉の上でもてあそんでいるだけである。一晩明けて、会ってから一通り文句も付けたってのに、それでもまだキレてるほどわたしは狭量じゃない。
「ああ、うん? まあ、とにかくタッチミスからくる環境的な問題はあるな。誤字脱字、特に脱字が起きやすい。パソコンだからミスをしないというわけではないが、画面の大きさにせよ、ボタンを押している指の感覚にせよ、多少は気づける要素がある。スマホを使っている物書きはその点、環境面で劣悪だと言える。注意が必要だな」
「でも、自分用のパソコンがなかったり、そもそも家にパソコンがなかったりする人もいるでしょうから。だからスマホで書いてるんだって、そういう人は仕方ないんじゃないですか」
「もちろんね。是が非でもパソコンでやれ、pomeraでやれと言ってるわけじゃない。ただ、エンドユーザーである読者は完成品だけを見るわけだから。携帯だと誤字脱字に気づきづらい、なんて言い訳は通用しないよ」
うーん。なんか納得できんな。
先輩は先日「素人にプロ基準を求めるな」と言っていたけど、これってまんまそうなんじゃないかな。
「桜木花道だって、陵南に負けたとき『バスケットシューズがなかったから上手くいかなかったんだよ』なんて言い訳、してないだろ」(※3)
あ、それはちょっとわかりやすい。
なんか違う気もするが、言いたいことはわかる。
「環境を言い訳にするな、ということですか」
「そう。人それぞれ事情はあるけど、たとえば前に『プロ並みに洗練された文章を素人に求めるな』と言っただろ?」
「あ、はい」
ちょうど思い浮かべたところである。
ここで「おんなじこと考えてた? きゃっ、これって運命?」とでも考えたなら少女マンガ(対象年齢:低年齢)になるけど、んなこたぁない。会話していた内容である。考えがダブることもあるだろう。
「実力の上ではそうだよ。でもね、ミスは別だ。たとえて言えば、高校野球にプロ並みのクォリティは求めないかもしれない。でも、エラーばっかりのゲームを許容するわけじゃない」
「ああ、それは確かに」
「むしろ、高校球児たちはプロなんかとは比べものにならないくらいの情熱を、一回一回、一球一球に込める。その緊張を観るものだろう。手に汗握るのは、エラーだらけの締まりのない試合なんかじゃあない」
わたしがうなずくと、先輩は手を上げようとして止めた。いつも通り一本指を示そうとしたのだろう。鞄が邪魔だったようだけど。
「プロは締め切りの範囲で作品を生み出さなきゃならない。見直しに掛けられる時間も少ない。それに比べれば、アマチュア作家はいくらだって見直しの時間がある。極端な話、一文一語に一月悩んだって、誰も文句を言ったりはしないんだ」
「……そうですね。うん、ようやくわかりました。アマチュアの方がむしろ誤字はダメなんですね」
もちろん、プロ作家には編集者という強い味方がいるが、それとは別に「作品に掛けられる時間」においてはアマチュア作家の方が明らかに有利なのだ。
そう考えると、十分に見直しができるアマチュア作家の方がむしろ、誤字チェックをすべきだと考えることもできる。
「作品の巧拙と、ミスは分けて考えるべきだな。アマチュアだからってその点では言い訳はできないと思うよ……ところで」
「はい?」
「そろそろ座っても構わないかな」
……あ。
部屋に入ってきた矢先にわたしが文句を付けて、そのままだった。扉を閉めてすらいない先輩の姿に、わたしはいまさら気がついた。ちなみにわたしは座っている。
「あ、ごめんなさい。座ってください。別にわたしの許可なんて取らなくても」
「いや、誤字指摘の罰かと思って」
「どんな鬼ですか、わたしは」
話に聞き入って気づかなかっただけである。そりゃあ、ちょっとは「なんであんなところ突っ立ってるんだろ」とは思ったけどさ。話に入っててあんまり気にしてなかった。
こう言ってはナンだが、むしろそれだけ熱心に聞き入っていたことを誉めてもらいたいくらいである。
2.
席に着いてからわざとらしく肩を揉む先輩に(ものすごく当てつけがましい仕草である)、いつも通り、問うてみた。
「それで、先輩」
「なんだ」
「これが今日の主題ってことは、この話にも対案があるんですよね?」
促すまでもなく、話してくれることだろうけど。合いの手を入れるのもまた、部活動の一環である。
先輩は相変わらずの肘突き姿勢で答えてくれた。
「ないよ」
「ないんかい」
ないんかい。あ、考えるより先にツッコミが口から出た。
「……え、いや、本当にないんですか? いやいや、そんなわけないですよね。教室の外で立ってなさい、みたいな罰を食らって拗ねてるだけですよね?」
「前世紀の小学校じゃないんだから。いや、待て、実際罰を受けたのは事実か。ここは拗ねてもいいのか」
拗ねていいわけではないが。
うむむ、と眉を寄せてから、先輩は結論付けた。
「まあ、それはどうでもいいとして」
「あれ、いいんですか」
「やっぱり神経質だったと思うし。叱られて、ちょっと反省した」
うわ、本当に罰だと思ってるんだ。
「いやいや、さっきの、罰してはいないですよ。それは大きな勘違いです。むしろわたしの方こそ、あれくらいで目くじら立てて悪かったっていうか」
「いや、うん、君は気にしなくていい。気が立つときは誰にだってある」
訳知り顔で先輩はうなずいた。
「特に、女性にはそういう時期があるからね」
……はあ?
なんだ、えっと……ああ、ああ、そういう意味か……はあ?
おいおい、こいつ。こいつ、マジか。
「……先輩」
「おう」
「わたしには剣よりもペンよりも強い武器があります」
「お、おう」
「この箴言(しんげん)を残したリシュリュー枢機卿だって、この武器には敵いませんよ。何しろここは現代社会なのですからね」(※4)
「お、おう……」
「さて、問題です。その武器とはなんでしょう」
「あ、あー……うん、いや、わかったから。うん、本当にこっちが悪かったから」
「時間切れです。はい、正解は『セクシュアル・ハラスメント』です。女性が不快を感じた瞬間、男性の目の前で地獄への扉が開く、現代で最強の兵器です」
「……ごめんなさい」
この人は、本当に、ナチュラルに、センシティブな話題に手を突っ込んでくるな。
センシティブなのは自分だけにしろよ。マジで。
「……まあ、いいです」
「あ、はい」
「反省してますか? 反省してますよね? それなら先輩、対案を捻り出してください」
「あー、対案か……」
昨晩、誤字脱字が主題になると聞いて、どんな話をするのか、ちょっと期待していた自分もいるのだ。誤字指摘メールの件でキレてたんじゃないかって? それは別腹ですよ。
なんにせよ、まさか「対案はありません」なんて答えは想像してなかったもんだから、勢いで焚きつけてみた。さて、どんな対案が出てくるのやら。
「いや、何もノープランというわけじゃないんだよ」
「そうですよね。先輩らしくないですしね」
「その『らしさ』ってのがどんなものか気になるが……まあいい、いくつか対処法は考えてみたよ」
「うーん。それでも不完全なんですか」
「不完全と言うか、な」
ちょっと困ったように、先輩は顔をしかめた。
「誤字を言い訳できない、なんて言ったが、現実、誤字脱字は尽きない。作者の努力が十分だとしても、出てくるものなんだ」
「確かに、最初はそう言ってましたもんね」
「ああ。再三繰り返すが、誤字が出ても仕方ない、なんて諦めはよろしくないと思う。特に書き手がそんな意識ではダメだろう。意識の面ではそうだが、まあ、実際はね」
「出てくるものだと」
と。
わたしの言葉で変なスイッチが入ったのか、先輩は途端に滔々(とうとう)と語り始めた。
「出てくるんだよ。仮にも最終稿まで何度もプロの作家とプロの編集と校正の間を行き来したはずの小説に、驚くような誤字があったりするんだぞ? 赤軍と青軍に分かれる模擬戦で、青軍のキャラが『自分は赤軍なのか……』なんて意味不明なことを言い出すんだぞ?」
「いや、なんの話ですか、それ」
「星界の話」(※5)
セイカイ? とわたしが首をかしげている間もなく、先輩は話をどばーっと一挙放出した。
「プロ作家設定のヒロインが堂々と『天下の宝刀』とか言うんだぞ? 天下ってなんだよ。編集ナニやってんだよ、と言いたくもなるが、でも、これが結局現実なんだよ」(※6)
「はいはい、どうどう。先輩、落ち着いて」
「……ああ、うん。すまん、やっぱり神経質は反省の一つや二つでは治らんようだ」
「いや、そりゃそうですよ……」
記憶から可燃ガスが漏れていたらしく、先輩の怒りは爆発した。どっかーんである。
まあ、それはさておこう。流してあげるのが優しさだ。とりあえず、市販されているような作品であっても誤字は絶えないということはわかった。
「まあ、とにかく、根絶は無理ってわけですか」
「客観的に見ればね。だから、今から話すのは対案と言うほどのものではなくて、対症療法みたいなものだな」
「ああ、なるほど、それが言いたかったんですね」
これはポエムじゃなくて心象スケッチなんだ、的なことらしい。(※7)
聞いてみれば、なんだ、といった感じ。長い前振りだったなあ。
先輩は一心地付いてから、対案――じゃなかった、対症療法について話し始めた。
「まず、一番の基本は見直すこと」
おなじみの一本指。ただ、当たり前すぎて、おきまりのポーズをする意味があったか謎である。
「それはさすがに、当たり前すぎませんかね。みんなしてると思いますけど」
「そうだけど、見直しと言っても、ざっと見直す程度だとあんまり効果がないんだよ。君はこういう経験がないかな? 再読した小説で、読んだ覚えのない文があったりすること」
「ああ、ありますあります」
「本読みにはよくあることだよな。初読の小説でも、読み飛ばしてしまうことがある。ましてや自分で書いた小説だ、だいたい書いてる内容は知ってるから、つい読み飛ばしてしまうこともあるだろう」
「ふむふむ」
「それでは、てにをはの脱字や濁音・半濁音の付け忘れ、変換ミス、句点の付け忘れ……そんな単純なミスを見つけだすことなんて、とてもじゃないが無理だよ」
「なるほど、見直しは丁寧に行えと」
「そうだ。逐一チェックしていかないと効果はない」
先輩は深くうなずいた。
「この場合、音読するのも手だな。確実にチェックできる効果的な手段だよ。だが、手間が掛かるし、一人で自分の小説を音読するのはなかなかアレなプレーだ」
「プレーて」
「だがね、君、考えてもみてくれ。家族がいるのなら、家族に聞こえないようにこそこそと自分の小説を音読する姿を。あるいは家族に聞こえるのも厭(いと)わずに自分の小説をぼそぼそ音読する姿を。独り身なら、誰もいない自室で、一人孤独に自分の小説を音読しているはかなげな後ろ姿を」
「うわ……やめましょうよ、それ。該当する人が聞いたら泣きますよ」
「君しか聞いてないから、構うまい」
いや、そりゃそうですけど。
「音読はちょっとアレだとするなら、読み上げソフトを使うのも手だろう。フリーソフトも多い。効果は同程度に期待できるし、自分は疲れない。使えない手ではないんじゃないかな」
「ああ。でも、それも時間を食いそうですね」
「まあな。難しい言葉や特殊な単語も読めないだろうしな。それに、淡々と『きゅうきょくはかいまほう、エクストリームブレイクアタック。彼はそうさけんで、からだじゅうをとりまいていたまりょくをときはなった』とか読み上げられたら、ついうっかり厨二病も治癒してしまうかもしれない」
「ああ、確かに、結構ダメージありそうですよね……。精神的に」
そこで「ナニ書いてるんだろう、ワタシ」と冷静になってしまったら、心が折れそうである。
「あと、これは調べてる途中なんだが、校正用のツールもある。フリーでな」(※9)
「あれ、そんなのあるんですか?」
それがあれば一発解決ではなかろうか。
そこんとこツッコんでみたが、どうも先輩はちょっとばかし否定的なご様子。
「使えるとは思う。ただ、固有名詞の誤りを指摘してくれるとは思えないし、校正と誤字脱字の訂正は厳密には違うから、そこまで期待しすぎるのもどうかとは思う」
「一つの手段として考えろと」
「まあ、そんなところだ。もちろん、校正用には使えると思うよ」
先輩も試してみたことがあるようで、難しい漢字を平易にするよう指摘したり、二重否定を指摘したりと、本当に「校正用」らしい。それは確かに違う。
「黙読にせよ、音読にせよ、読み上げソフトにせよ、とにかく文を一つ一つチェックすること。誤字脱字を徹底して無くそうとするなら、必要不可欠な作業だ」
「うへえ。うんざりしますね」
「おう。うんざりするともさ。しかも自分の文章だ。小説を書くような人は、プロの文章に日常的に触れている読書家の場合が多かろう。己の文章のアラもよく見えるだろう。そのことに傷つきながら、それでも誤字脱字チェック。あの表現を直したいな、と思っても無視して誤字脱字チェック」
「そこは直した方がいいと思うんですけど」
「いや、推敲まで始めたらキリがないから、誤字脱字を洗うときはそれだけに専念した方がいい。気になる文を書き直してまた誤字脱字を生んだら、本末転倒も甚だしいじゃないか」
「なるほど」
それは納得。
「それでも、最初に言ったように、読み飛ばしが出てしまう可能性は低くないし、時間的なコストも馬鹿にならない。それで、二つ目」
「あ」
あ。上げた一つ指が二つ指になった。バリエーションがあったのか。
わたしの声に先輩は怪訝な顔をするが、すぐに話を続けた。
「これは単純だ、自分で気づけないなら他人に頼めばいい」
「他人って、ネット上にはそういうボランティアに励む人がいたりするんですか? 先輩みたいな」
「いや、友達に頼めってこと」
「あー。え? でも、それってぼっちの人にはどうしようもないんじゃ」
「ともちゃんにでも頼め」(※9)
非道である。いやに冷徹な先輩であった。
「ただ、まあ、友達がいるにせよ、『小説書いたから読んで』と言える友達はなかなかいないかもしれん。身内に見せるよりかは幾分マシだが、それにしても自作のポエムや小説を見せるってのは恥ずかしいものがあるからな」
「あー、ハーレム小説なんて、特に煩悩がダイレクトに出てますもんね……。ああいうのって、男性同士なら気にせず見せられたりするんですか? 僕のリビドーのほとばしりを見ておくれ、的な感じで」
「いや、それはないと思うが、っていうかその言い方だと春に出るゼンラーマン系変質者っぽいからやめろ」(※10)
「ゼンラーマンはすでに変質者なので、系を付ける意味が分かりません」
「いや、あれは一応ギャグだから」
などともごもご言う先輩に、話を戻して再度訊いてみる。ああした小説って他人に見せられる感じなのか、わりと興味がある。馬鹿にするつもりはないが、ちょっと本能というか、下半身に正直すぎる内容だしねえ。
先輩の返答は、珍しく曖昧だった。
「わからん。身近な人に見せるには勇気がいると思うんだが、ネット上では老若男女問わず堂々と見せているわけだからな。案外、友達にもバンバン見せてるかもしれない。あるいは、オタク趣味のように隠しているのかもしれない」
物書き趣味自体が一種のオタク趣味ではある。隠していることは十分に有り得そうだ。ただ、先輩も物書きではないからか、いまいち手探りである。先輩にわからないことがあるってのは珍しくって、ちょっと新鮮ではあるな。
それはさておき、と先輩は話を軌道に戻した。
「この場合はいっそ、ネット上で作家仲間を作って、互いに誤字脱字をなじりあえば効率的かもしれんな」
「殺伐とした仲ですね……」
「なじりあいは冗談にしても、実際、ネット上で探した方が同好の士も見つかりやすいだろう。検討する価値のある対処方法だ」
「リアルでともちゃんしか友達いない人が、ネットだからってそんなに簡単に友達ができるもんなんですかね」
「そこを指摘するか。君は残酷だな」
「先輩に言われたくありません」
失礼な話である。自分も大概ではないか。そもそもともちゃんネタはそっち発信だろうに。
「まあ、それはいい。誤字脱字への対症療法としてはこの二つだろう。結局、自分で読んで確認するか、誰かに託すか」
「読んで確認ですか。地道な作業ですね」
「執筆作業自体が全般的に地道な作業だけどな」
それは確かに。
3.
話をまとめた先輩は、鞄をガサゴソと漁った。
「今までの話は、単なるミスの場合を話してたわけだけど、誤字には勘違いという側面もある」
「勘違いと言いますと」
「漢字を覚え間違ってたりとか」
「ああ、ありますね、そういうの」
本当によくあるものである。わたしは長らく女のカン的なものを「感」だと勘違いしていた。カンだけに勘違い、ではないのであしからず。なんだ、昨日から思考にダジャレが多いな。
なんにせよ、一度間違えて覚えると、なかなか気づけないってことはあるものである。
「勘違いは指摘されるまでわからない。自衛手段としては、あやしいと思った言葉は、とにかく辞書を引くしかないな」
「わたし、ずっとふいんきだと思ってました。雰囲気のこと」
「ここいらの方言かな、口で言うときはふいんきって言っちゃうんだよな」
「あ、先輩もでしたか」
ふんいき、ってなんとなく言いづらいんだよね。
「それと、誤字が起こる原因として、変換ミスしやすいものというのもある」
「変換ミスって言いますと、具体的には?」
「君も見たことがあるだろう? 以上という単語の異常なまでの変換ミス」
「ああ、ああ。わかります。もうその単語が出てくるたびにドキドキしちゃうくらいわかります」
勘違いの余地がないから、単なる変換ミスだけど、本当によく見かける誤りなのだ。わたしもメールで打つ際は気をつけてるぐらいである。
「こうした誤字が起こりやすい単語を先に把握しておくことも大事だな。そうすれば打つ際に気をつけるようになるし、チェックする際も気づきやすくなる」
「そうは言っても、どんな単語が間違えやすいかなんて、いちいち覚えてられないですよ」
鞄を漁っていた先輩がクリアファイルを取り出し、珍しく真向かった。先輩、いっつも横から頬杖突いて眺める感じで、あんまりこっちに身体を向けないんだよね。
で、そんな先輩が珍しく真向かって、ドヤ顔。
「そんなこともあろうかと思って、用意しておいた」
コピーを手渡してくる。
ドヤ顔へのツッコミはひとまずおこう。で、なになに?
「誤字リスト? うわ、先輩、こんなのまとめてたんですか?」
「エデュケイティッド・バイ・おじさん、だな」
「ああ」
「前におじさんが、そんなのまとめてるって言ってたからな。昨日頼んでメールしてもらったんだ」
「本当に用意してきたんですね……」
リストアップして、丁寧に解説までしてるよ。うわ、なぜですます調。え? ああ、ブログの記事にするつもりだったらしいと。そうですか。丁寧なブログなんですね。
プリントアウト一枚、簡素なもので量そのものは多くない。でも、「感心」と「関心」に「自体」と「事態」か。うーん。確かに見かけるな。察するに、頻出だけまとめてるのかな。あ、実際に見かけた例だけ載せてるらしい? なるほどなるほど。
よくよく考えれば、誤字脱字ってテーマでトークしようと決めてたのだから、資料用意したくらいで「こんなこともあろうかと」も何もあったものじゃないけど、意外に楽しめる資料だったのでツッコまないでおこうと思う。
「これがあれば、昨年以上に異常気象があってももう大丈夫ですね」
「これがなければ、どれだけ検討を重ねなきゃならないか見当も付かないな」
というわけで、資料を見てからは主題もそっちのけで、適当に紛らわしい単語を使って作文を楽しんだわたしと先輩なのだった。地味に楽しかった。今日はダジャレの日に違いない。
だいたい話も終わっていたらしいし、よしとしよう。うん。
わたしによるネタ・元ネタ解説。
※1
ここで言うホウレンソウとは「報告、連絡、相談」のこと。
有名なビジネス用語であるが、一応注釈しておく。それこそ念のため。
わたしがほうれん草を苦手としていることは関係ない。でも、すっごく苦くないですかね、アレ。たまにジャリってしてるし。
※2
この話題については「文章量と更新速度」の1を参照してほしい。
※3
井上雄彦による漫画「スラムダンク」の話である。
最初の練習試合での話だが、その後のバスケットシューズ強奪には時代を感じる。いや、まあ、一応売買の契約は成立してるけど、三十円て。
所詮マンガなんだから、が通用しない現代にふと想いを馳せた。
※4
ペンは剣よりも強し、というのは正確にはリシュリュー枢機卿をテーマに取った戯曲が元らしい。
しかも「偉大なる私のような権力者の元では、ペンの力が剣に勝る」的な台詞らしくて、エグい。確かに絶対王政の時代にガンガン弾圧していた彼の権力は、そんじょそこらの鋭利な刃物では勝てなかっただろうけど。
※5
改めて聞いたところによると、森岡浩之・著「星界の戦記3」にそんな誤字があるのだとか。
あったっけ、そんなの。借りたはずなんだけど、気づかなかった。ちょっとくやしい。ソバーシュさん好きなのに。
※6
本田透・著「ライトノベルの楽しい書き方2」の115ページに見られる誤字、なのだとか。借りてない本なので、わたしもよくは知らない。
もちろん、正しくは「伝家の宝刀」。
※7
宮沢賢治が「春と修羅」について語った言葉である。
これは詩なんてものじゃなくて、スケッチに過ぎない、といったことを手紙で書いている。
※8
日本語文章構成ツールというもので、アドレスは http://www.japaneseproofreader.com/
先輩の歯切れが悪かったのは、この情報も先輩のおじさんかららしいが、そのおじさん、小説を書いてるときには存在に気づかなかったらしい。
微妙に使えない人である。
※9
はがないこと「僕は友達が少ない」に出てくる、ヒロイン三日月夜空のイマジナリーフレンドのこと。エア友達である。
イマジナリーというか、単に妄想上の友達と言った方が正しいだろう。いまいち会話してないし。あれ、ほとんど独り言なんじゃ……。
※10
ゼンラーマンとは、林トモアキ・著の「ミスマルカ興国物語」に出てくる怪人である。
ぶっちゃけ主人公が全裸的なスタイルになる、一種の出オチ系ギャグである。実に下品なネタだが、そんなネタで笑ったわたしの負けだろう。