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11.段落の組み方

【文字数】

 16000字ほど


【作者コメント】

 段落の組み方とはつまり、改行をどう扱うか、ということです。

 今回は文章だけだとわかりづらいと思いますし、参考に挙げた作品などを見てみることをお勧めします。面白い作品ばかりですし。

 ちなみに本作はマルニを採用してます。


【目次】

 0.承前

 1.段落について考慮すべき理由

 2.段落の組み方について

 3.締めくくり:歯切れの悪い先輩の話


0.


 わたしが古典部の図書準備室を訪れるのは、久々のことである。

 だいたい二週間ぶりだ。

 と言っても、先日の合唱ざんまいのことでショック受けてへこんでたとか、そういう話じゃない。テスト期間だったのだ。


 期末前ということで、先日の合唱ざんまいの夜には休部が伝えられて、それからテスト期間を経て期末を迎えて……と、ガムシャラに勉強に励んでいたら、なんかショック受けたことも忘れてしまった。失恋して仕事に打ち込むキャリアウーマンかわたしは。

 でも、なんか、妙に寂しくなったりして、先輩につい「勉強してます?」とか意味不明なメールしちゃったりしたんだ。してたらメールなんて見ねえよ。なんだよその「いない人はいませんか? いたら手を挙げてください」みたいな意味不明なの。点呼ぐらいしろよって、そんな話だよね。

 にしても、迷惑かけちゃったなあ。先輩、普通にメール返してくれるし、ついつい送っちゃうんだ。あんまり送ると「いい加減勉強に集中しなさい」って叱られちゃうんだけど。でも、それもね。悪くないんだよなあ。

 すっかり甘えちゃって、顔合わせづらいよ。テストも明日までだから、今日はちょっと覗こうかなと思うんだけど。


「……ごめんください」


 緊張から細い声になってしまった私は、衝撃の光景が目の当たりにする! 先輩、勉強してないじゃん!


「ちょっと、ちょっと先輩」

「なんだ。『ざ・たっち』がどうかしたか」(※1)

「ちょっとちょっとじゃないですよ。先輩、なに文庫本読んでるんですか」

「出版業界というやつはえげつなくてな、絶え間なく新刊を出す。学生に配慮してくれないんだ。仕方ない」


 仕方ないじゃねえよ。勉強の合間につい読書、ってなら同情の余地もあるけど(テスト期間中は掃除したくなっちゃうよ理論である)、腰据えて読書はありえねえよ。なんだよその平積みは。


「いや、実はな。バイト先にバレたんだ」

「バレた?」

「テスト期間がバレた」


 わたしは目をぱちくりしながら、椅子に座った。定位置である。


「えっと、どういうことですか?」

「バイト込みで勉強時間を計算してたら、休みにされたもんだから。時間が空いたんだ」

「……勉強すればいいじゃないですか。その分」

「嫌だよ」


 学生にあるまじき言葉である。嫌だときましたか。


「非効率だろ。根詰めてやったら成績が上がるなんて、単なる根性論だ。大事なのは、必要な分だけ勉強すること。後は不要だ」

「なんという理屈」


 さすがのわたしも戦慄を隠せない。この人は何を言っているんだ。


「歴史とか、覚えなきゃいけないものはどうなんですか。繰り返し見た方が覚えるってのは間違いないでしょう」

「繰り返しもう見てるよ。テスト前にばたばたまとめるなんて、それこそ非効率だ」


 先輩が鞄から取り出したのは十枚ほどのルーズリーフ。きちっとまとめられた世界史がそこにはあった。

 何がスゴいって、板書と教科書をまとめ直したらしいノートに、さらに一問一答形式のテスト対策ノートまで作ってるところ。この人、すげぇよ。そこまでするか。


「下準備はもう終わってて、復習も済んでるってわけですか」

「復習なんて、毎日してるだろ?」


 なにそれこわい。


「その日の授業を見直すなんて、当然やってるだろう」

「……え、マジですか? そんなに勉強してて、いつ遊ぶんですか」

「だから部活で遊んでるだろ」


 なにその逆構造。プライベートは勉強してて、部活で遊んでるの? わたし、頭こんがらがってきたんだけど。

 混乱したわたしに、先輩は肩をすくめて言ってきた。


「そういう君は、明日の勉強があるのだろう? こんな遊びに付き合っているよりは、帰って勉強した方がいい」

「あー、いや、その」


 実は、明日、国語系科目が入ってて、わりと余裕があるんだよね。

 先輩の顔見て(先輩はテスト期間中も図書予備室で完全下校時間まで居座ってるって聞いてたしね)、適当に冷やかして帰るつもりだったんだけど。


「正直、明日までですし。完全下校時間までは遊んでても大丈夫ですよ」

「そうか。その言葉、信じていいんだな?」

「わたし、ウソつきませんよ?」


 インディアンじゃないけどウソつきません。約束も守る方です。盟約が破られたからって自殺するほどじゃないですけどね。(※2)

 

「なら、ちょうど良かった。長らく話してなかったからな。退屈してたんだ」

「あ、じゃあ、部活ですか?」

「そうだな。遊ぼうか」


 遊びへのお誘いに、もちろんわたしは乗ったのだった。




1.


「今回は、『段落の組み方』を取り扱ってみようと思う」

「『段落の組み方』?」


 わたしがオウム返しで問うと、先輩は大きく頷いた。


「ネット小説は普通、横書きだ」

「そうですね」

「この横書きというやつが厄介で、当たり前だが、商業作品とは違う」

「縦書きですもんね」


 わたしがそううなずくと、先輩は立ち上がって、「商業作品=縦書き」「ネット小説=横書き」とさらさらと書いた。本当にさらさら書くなあ。字もキレイだし、うらやましい。


「例外もあるが、基本的にはこの方程式で構うまい。つまり、市販されている小説とネット上の小説は、そもそもフォーマットが違う」

「同じ方法論では語れない、ってことですか」

「そうそう。同じような書き方をしても、同じようには見えない。だから段落の組み方を考える必要がある。が、まあその前に、どう見えるのかを少し検討してみようか」


 相変わらずカンペもなく、すらすら進める先輩。板書にマルイチで「読者はどちらを基本としているか」。


「まず、君みたいな本読みは単行本なり文庫本なり、商業作品を読んでいる。ネット小説はそのプラスアルファみたいなもんだな」

「プラスアルファですか。まあ、確かに」

「こうした人の場合、縦書きへの慣れがある。上から下へ、また上へいって、上から下へ。こうした目の動きに慣れてるんだ。だから負担をあまり感じないで読める」

「先輩もそうですよね?」

「そうだな。君よりはネット小説に親しんでいるが、それでも読書のベースは商業作品だ。横書きより縦書きに慣れている」


 先輩はそううなずくと、ちょっと首をかしげた。


「だから、実際、ネット小説以外は小説を読まない、という人がいたとして、そういう人とは感覚が違うかもしれない。どういう感覚なんだろうな」

「国語の授業もありますし、縦書きに慣れがないってことはないと思いますけど……」


 ホントのところはどうなのかわからない。まあ、それも仕方ないだろう。

 そもそも、他人の感覚を味わうなんてSFじみた技術はないんだし。同じ本読みである先輩とわたしとでさえ感覚は違うはずなんだ。なら、それ以上に隔たりがある人の感覚なんて、わかるはずがない。


「そういう人は一つ想定から外して、ここでは本読み的な視点で話を進めるよ」


 先輩はそう言って、マルイチの隣に「縦書き」と書いて丸をした。

 わたしも異存はない。この部活的に言っても、基本を本読みに置くのは間違いじゃないだろうしね。


「縦書きで慣れている人間からすると、横書きは読みやすい方式じゃない。だからって、縦書きにすればいいかというと、それも違うんだけどな。このへんはまた後できちんと触れるとして、そもそも二つは違った方式で書くべきものだということでひとまず結論づけておこうか」


 さらに「横書きは読みづらい?」と書き足す先輩。

 今日は板書が活躍しそうな予感である。「段落の組み方」だもんなあ。非常に実践的な話で、書かなきゃ説明できないものも少なくないだろう。


「ここまでは大丈夫だよな?」

「はい」

「じゃあ、次だ。次は『実際にどう見えるか?』だ」


 マルニを板書しながら、先輩は話を進める。気が急(せ)いてるって言うか、うん、先輩、久々だから気合い入ってるなあ。


「たとえば、文庫本はハンディだ。見開きにしても、それほどのサイズじゃない」

「人を殺せそうなサイズのものもありますけどね」

「それは厚さの問題だろう。別に京極堂だって見開きのサイズは変わらないじゃないか」(※3)


 それは確かに。茶化しちゃってごめんなさい。


「まあ、それはいい。文庫本ではそうだし、単行本では十分に行間を取って、マチもだいぶ多めに取っている作品が近年は多い印象がある。字の大きさもそうだが、読みやすさを優先しているんだろうな」

「昔の本を読むと、本当に文字が小さいですよね。しかも詰まってるし。目がチカチカしちゃいます」

「新聞も文字を大きくしたりしているが、いまどき本を読むのは中高年がメインなのだろう。老眼対策なのかもしれんな。まあ、それはいい」


 今日はいいことが多い先輩である。


「縦書きの上下運動は、わりと慣れてる。しかも、サイズはそこまでじゃない。これに対して、ネット小説は横に長い。これはかなりの負担になる」

「パソコンの画面だと、だいぶ横長ですもんね」

「そうなんだよ。単行本の見開き二ページをそのまま横につないで、それで文を書いてるようなサイズになる。これはいかにも長い。眼球運動を左右限界まで行う必要がある」


 眼球運動ですか。いや、まあ、言いたいことはわかりますけど、すごい表現するなあ。


「文庫本は、視界に入ってる分プラスアルファでだいたい縦を読み切れる。あまり動きは必要ない。ほとんど視点を縦にずらしていくだけで読める。手で本を動かすこともできる。この差は大きいな」

「パソコンで文章を読むのがしんどいって方もいますけど、たぶん、バックライトだけじゃなくてこの問題もありそうですよね」

「そうだな。目の疲れは肩にくる。現代病みたいなもんだ。おっと、これも広げる話じゃなかった」


 どこか楽しげに、そうやって話をしながらマルニの隣に「横書きは横に長い」と書き足す先輩。


「でも、これ、スマホなら変わるんじゃないですか? パソコンを持ってなくて、携帯で小説読んでるって人もいると思いますけど」

「そうだな。君の指摘は正しい。スマホやタブレットなら文字の大きさも調整できるし、横幅もない」

「なら、問題解決ですか?」

「いや、そうでもない。今度は『段落が長くなる』問題が出てくる」


 マルニの隣に、さらに「スマホ→段落が長くなる」。

 本当に板書だらけである。まだまだ話し始めなんだけど。今日は本当にホワイトボードがめいっぱい使われちゃいそうだ。


「スマホはスマホで、今度はかなり画面が小さくなる。文庫本と同様の文字の大きさにすると、相当段落が長くなるよ。実際はもう少し小さくするわけだが、それにしても、たった一文で何度も折り返してしまうことは間々あることだ」

「ああ、それはわかります。文字が詰まっちゃいますよね」

「良いところを突くな。そう、段落が長くなって、小さな画面いっぱいに文字が詰まるんだ。これは息苦しい。読むのがしんどくなってしまう」


 なるほどね。わたしはあんまりスマホで小説を読まない人間なんだけど(部活でくらい。電池は有限なのだ)、言ってることはわかる。

 そもそもパソコンでも、文字が詰まって見えるネット小説というのは、結構ある。


「でも、そのへんはどうにかできそうじゃないですか? 文字の大きさを変えられるわけですし」

「読者にそんな手間をかけさせるのが良い小説だと思うか?」

「いえ。全然思いません」


 市販の小説で「文字の大きさは自分好みに調整してね!」なんてあったら、「てめぇんとこでちゃんと処理しとけ」って思うだろうしね。

 わたし、ラーメンにコショウを入れない派なんだ。出てきた状態で完成品であってほしいんだよね。


「実際、例の投稿サイトでは文字の大きさや行間を調整する機能があるらしい。作者もイジれるんだ。そうした部分でこだわってみるのも個性の一環かもしれんな。お勧めしかねるが」

「あれ? 否定的なんですね」

「個人サイトなんかでは結構、文字の形式――明朝体やゴシック体なんていうアレだが、そうした部分や、背景色と文字色、文字の大きさなんかを変えているところが多いよ。だが、あんまりね、成功しているとは思えないものが多い」

「ちょっとイメージが湧かないんですけど……」

「そうだな、明朝体はわかるか? わからなければ斜体でも構わんが、それで全文が書かれた小説を考えてみてくれ」

「……違和感ありますね」


 なんだろう。読めなくはない。文体として悪くはないはずだ。ただ、それが全編にわたってと考えたとき、ものすごく据わりの悪いものを感じた。


「もちろん、成功すれば効果は大きい。余所様を参考にしつつ、そうしたこだわりを持つってのも悪いことじゃない。今回の主題とはズレるが、それ自体を否定しているわけじゃない」

「じゃあ、先輩は何を否定してるんですか?」

「いつもと同じだ。いたずらにイジるものじゃない」

「ああ、なるほど」


 不用意にイジるといまいちな結果になる、ということか。いろいろなネット小説に触れて、自分の中である程度のパターンがあって、その上でやってみるなら悪くない、ってことかな。


「だいぶ話がズレたが、今回はこのフォーマットのイジり方についてが主題じゃない。縦・横のフォーマットの違いを確認した上で、それを解決するために『どう段落を組むか』が主題だ」

「それで『段落の組み方』ですか」


 ふむふむ。そもそも問題があって、それを解決する手段として『段落を組む』わけか。

 最初に聞いたときはいまいちイメージが湧かなかったけど、なんとなく見えてきた気がする。


「どんな風に段落を組むか。このことにスタンダードはない。まあ、少なくとも支配的な考えはないだろう」

「各々、自由に組んでるわけですね」

「そうだな。縦書きでは考えづらいような組み方も多いし、それを不作法と見ることもできるが、縦書きのフォーマットをそのまま持ってこれるわけじゃない。創意工夫を勧めるよ」

「先輩にしては珍しいですね。作法に従え、じゃないだなんて」

「作法自体がないんだから、仕方ない」


 それもそうか。ネット小説なんて、せいぜいここ十年か二十年くらいの、それもアマチュアの文化だもんなあ。リードするようなプロがいない限り、なかなか決定的な手法ってのは出てこないものだろう。


「まあ、それでも、定番の組み方ってものはある。それを一つずつ見ていって、適切な組み方を探ろうか」

「わかりました」


 さあ、どんとこい「段落の組み方」である。




2.


 と、意気込んだのはいいんだけど。


「出鼻をくじくようで悪いが、先に一つ話しておくことがある」

「本当に出鼻くじかれたんですけど……」

「すまん。言い忘れてた」


 言い忘れなら仕方ない。寛大に許そうじゃないか。


「さっきから『段落の組み方』と連呼しているが、これは結局、どう改行するか、空行をどう扱うか、ということに尽きる」

「ちょっとピンときてないんで、詳しくお願いします」

「もちろん。改行は大丈夫だよな?」

「はい、大丈夫ですよ」


 わたしのうなずきを見てから、先輩は話を進めた。先輩ったら、今日はずいぶん丁寧だなあ。

 最近はなんか話を急いでる感じの方が多かったけど、今日は細かく訊いてくれるし、話が飲み込みやすくてこっちのやり方の方が好きだな。後でそう言っておこう。


「商業作品では普通、複数の文で一つの段落を作る。これは、さっきも言ったように、三行四行と続く段落でも読む負担が小さいんだ。でも、ネット小説ではそうじゃない」

「そうですね」

「だから、ネット小説では多くの場合、一文二文の単位で改行している」

「……ああ! はいはい、そうですねそうですね」


 ピンときた。そうだよ、確か、先輩の薦めでネット小説を読み始めたとき、最初に思ったのがそのことだったんだよ。

 ライトノベルを貸してもらうようになってから「同じ特徴があるなあ、関係あるのかな?」と思ったんだけど、そういう理由があったんだ。なるほど、合点がいったよ。


「まあ、ネット小説はオタク向きなところがある。ライトノベルでも、同じように一文ぐらいで改行する作品は少なくないから、そちらから影響を受けていることもあるだろう」


 あ、じゃあ、わたしの実感は間違いじゃなかったんだ。


「ライトノベル由来でもあるんですね」

「そうだな。ここでネット小説の歴史を語っても仕方ないが、もし取り上げるのならたとえばエヴァの二次創作は外せない。一時、雨後の筍のように二次小説が書かれていたそうだ。まあ、このへんはおじさん情報だけど、そう考えれば、オタク系コンテンツとの関連性も容易に察することができる」

「あれ、そうなんですか?」


 まったく知らない。わたし、一つも読んだことないんだけど。

 え? 大長編を一作紹介してくれるんですか? あ、じゃあ、完結してるのならお願いします。


「二次創作は、ネット小説では定番も定番のジャンルだよ。出版社から書籍化されるような作品を書いてるネット小説家にも、二次創作を書いていた人は少なからずいる。ネット小説を考えるときには、外せない話だ」

「わたし、あんまり触れたことないんで、ちょっとイメージ湧かないですけど」

「まあ、これまた余談だから、いずれ話すとしようか。とりあえずは、段落の組み方がライトノベルに影響されたところもあるだろう、という結論で終えておくよ」


 了解です、とわたしは頷いた。


「縦書きと横書きの違いはさっき言ったとおりだが、その論理で空行も説明できる。横書きの書法そのままに小説を書くと、文字が詰まって見える。そこで空行を使って見やすくする、というわけだな」

「先輩先輩。くうぎょうってなんですか?」

「一行空けるってことだな」


 ホワイトボードの隙間に「空行」と書き加える先輩。なるほど、一行空けか。


「実際は一行でも二行でも構わないが、商業作品でも章の変わり目でページを変えたりするだろ? あの改ページに相当する方法として、行を空けるのは一般的な作法だろう。これは別にネット小説特有ではなくて、普通のことだ」

「ああ、授業でノート取るときも、行を空けたりしますもんね」

「前日分と分けたり、章で分けてみたりな。これは別に珍しい例じゃないが、もう一つ、空行には『段落』と言っていい機能がある」

「……どういうことですか?」


 こちらはさっぱりである。空行が、段落?


「一文一文で細かく改行している以上、ネット小説における改行は段落を意味してないんだ。多くの場合、行をまたがないからね。そこで、その代わりに段落の変わり目として一行空けるという作法が生まれてきた」

「生まれてきたんですか? どこから?」

「さあ。ネット小説の歴史に詳しいってわけでもないからな、起源までは知らないな。ただ、そうした使い方があるのは確かだ」


 先輩でも知らないことがあるんだ、と逆にわたしは感心してしまった。

 ……いや、そりゃそうか。ネットの大海をすべて確認し尽くすのは人間業じゃないし。仮に初期から採用していた作品を見つけたとして、それがパイオニアだって説明できるわけでもないしね。


「改行を頻繁に行い、空行で段落単位を示す。さて、ここまで踏まえたところで、実際の『段落の組み方』を見ていこうか」

「おお、ようやくですか」


 ぱちぱちぱちと手を打つと、先輩はちょっと戸惑ってからなぜか謝ってきた。


「すまん。少し前座が長すぎたか」

「いや、いいですよ。悪いことは何もないです」


 いつも通り先輩と、いつも通りこの部屋で話す。先輩が説明して、わたしが理解する。

 そんな久々の部活のおかげで、テスト疲れでうだった頭がいい感じにほぐされている気がするよ。覚えて、覚えて、計算して……ってばっかで、「理解」することがあんまりないんだよね、テスト勉強って。頭使いすぎて疲れることはあっても、あんまり充実感がないんだよなあ。


「先輩はいつも通り話してください。わたし、それ聞きに来ましたから」

「……そうか。わかった、まあ、とにかく本論に入ろうか」


 先輩はどこか嬉しそうにうなずいて、板書を始める。

 いままで書いていた左半分から、右に大きくズレてマルイチ。「商業作品と同じ組み方」。


「まずは、商業作品とまるっきり同じ、改行も空行もナシで、数行で一つの段落を作る方式。これはここまで話してきた内容と相反する方式だが、別にこの方式が禁じ手というわけじゃない」

「でも、字が詰まって見えるんですよね?」

「そうだな。ここで改めて指摘しておくが、ネット小説にはページがない。まあ、携帯用のサイトでは分割表示されることもあるみたいだが、一般的には一回の更新分が一ページだ。だから、字が詰まった五千字が一ページとして表示されるわけだ。文庫本は一ページあたり五百から七百くらいの文字が入ると聞いたんだが、単純換算で文庫本十ページ分の文字が詰まった一ページ、というわけだな」

「うわあ」


 それは、かなりしんどいんじゃないか?

 一回の更新が何文字かはさておき(先輩はお勧めの五千字を例えに出したわけだけど)、まとまった文字数なのは間違いない。それを一ページにまとめてるのかと思うと、キツいなあ。

 いまさらながら、先輩が「段落の組み方」を説いている理由がわかってきた。これはちょっと考えるべき問題だろう。


「個人的には、本当にお勧めしかねる。細かく章を分けて読みやすくすれば少しは違うだろうが、ユーザビリティの高い方式とは言いづらいな」

「細かく章を分ける代わりに一回あたりの更新量を減らされると、今度は次のページに移動するクリックが面倒になりますね」

「そうだな。痛し痒し、ってところか」


 文章作法として考えると、一番正しい方式だろうに、散々な物言いである。

 ただ、わかるな。純文学のような、そもそも段落が長めの作品をネット小説で書いたとして、それをスマホで見たならどうなるか。画面すべてが一つの段落ってこともあるはずだ。それはさすがにしんどいよ。


「空行なしは行き過ぎだろうな。そこで、こんなやり方がある」


 そう言って先輩が板書したのは「会話文の前後に空行を置く組み方」。マルニである。


「会話文の前と後に空行を置く。AさんBさんで会話が続いた場合は空行を置かないで、地の文に移る前に空行を空ける、という寸法だな」

「んー、なんとなくわかります」


 結構見る方式だ。先輩から紹介された作品にはこの方式が多かった気がする。


「……なんでしたっけ、前に先輩に教えてもらって、書籍化したネット小説でこの方式があったような……」

「ああ、『勇者、或いは化物と呼ばれた少女』じゃないか? この方式で有名作品がないか前に調べたんだが、これはそうだったはずだ」(※4)

「あ、それです」


 そうそう。この作品は、先輩が言うような改行を行ってないんだけど(商業作品のように数行で段落が組んである)、確か会話文の前後に空行は置いていたはず。

 そのへんをどう思うか先輩に聞いてみると、


「作品の雰囲気によるな。この作品ぐらいシリアスな作品の場合、一文一文で切ってしまうと逆にリズムが悪くなる。一つの段落を読み込ませることで作品へと引き込む方式なのだろうな」


 新しい指摘をくれた。あれ?


「シリアスとコメディで変わるんですか?」

「変わるよ。というか、シーンレベルでセンテンスをどう切るかは変わる。緊迫したシーンでだらだら長文を書くとスピード感が失われるし、逆に濃い描写をしているときにぶつぶつ文章を切ってしまうと、そのつど『呼吸』をさせられて読者は過呼吸になってしまうよ」

「はあ、過呼吸ですか」


 ブレス記号が多すぎるってことかな? フレーズを一息に歌いきる必要があるときにブツブツ切って歌うと良くない、って感じ。

 そう訊いてみると、先輩は頷いてくれた。


「歌には詳しくないが、そういうことだろうな。その中でどうして会話文だけ別個にすべきかというと、現代のエンタメ小説はキャラクター小説に他ならないからだ」

「キャラクター小説?」

「ライトノベルという言葉が出てくる前に、こういう表現を使っている向きもいたようだ。よりキャラに重点を置いていて、キャラの魅力が小説を決定づけるような作品を言う」

「それってどんな作品でもそうじゃないですか?」

「そうかな。私小説や本格推理小説における登場キャラの重要性は、どう考えてもハーレム小説のヒロインの重要性と同等とは思えないが」

「ああ。そう考えるとそうですね」


 人間的な苦悩であったり、事件のトリックであったり、歴史であったりとキャラの魅力よりも大事な主題がある作品というのは少なからずあるはずだ。そうだよね。エンタメ以外にも小説はあるんだし。


「で、だ。キャラクター小説における会話文は、最重要な要素だ。たとえて言えば、孔子の言行録みたいなものだ。子曰く――『巧言令色、徳鮮(すくな)し』ってわけだ」

「ふむふむ。とすると、地の文は解説で、あくまでその支えであると」

「極端な話ではあるが、そういう一面もあるだろう。会話の掛け合いが大きな位置を占めていることは間違いない」


 極端な話か。まあ、確かにそうだよね。ストーリーの進行も重要なんだから、地の文が単なる会話の支えってのは言い過ぎって感じするし。

 でも、しっとりとした会話がメインのシーンで、ちょっとした仕草や雰囲気を地の文で匂わせて会話文を読ませるってことはあるんじゃないかな。この手の描写で、会話は最重要だろう。先輩の言うようなことはそう理解できた。

 先輩は一本指を示して、さらに付け加える。


「それに、エンタメ小説には会話文そのものが多い。だから会話の前後に空行を置くと、必然的に文章に適度な空きが生まれる。このリズムは、ネット小説において有効なものだな」

「そこで一息つけると」

「そうそう。この方式はお勧めだよ。会話文だけ大量に書くってことは……まあ、普通はあんまりないから、バランスが取れる」

「普通はあんまりない?」

「確か、栗本薫さんの作品に、見開き二ページほとんど一人が喋ってたんだったか、思案してるんだったか、そんなシーンが結構頻繁にあったような覚えがあってな」

「ああ、なるほど。実例があるんですか」


 それはなかなか……一つのカッコで見開きぶち抜きとか、さすが本職の作家はやることが派手である。


「なんにせよ、基本はこの方式を採用した上で、改行をどうするか、作品の性格を考慮して決めるといいんじゃないかと思うよ」

「あれ? それが結論ですか? ってことはもう話は終了ですか?」

「いやいや。個人的なお勧めはこれだ、という話だ。他にも見ていくよ」


 テスト期間限定で、早めに切り上げるのかと思っちゃったよ。久々でわたしも乗ってきたところだし、それはちょっともったいない気がするんだよね。一安心である。


「さて、次は『会話文の間にも空行を置く方式』だ。言うまでもないだろうが、マルニの方式を引き継いだ上での話だ」

「はい。次のマルヨンもそのまま引き継いでいくんですね」

「そうそう。そのとおりだ」


 先輩はマルサンを板書しながら、出来のいい生徒を誉めるようにうなずいた。


「この方式は、会話がそれほど多くない場合に有効だろう。会話文が四つ五つと続くと間延びしてしまう。それならマルニの方式を採用した方がいいと思う」

「一人一人の発言が空行で強調されますし、会話文が少なければ印象的になるでしょうね」

「そうだな。作品傾向によってマルニかマルサンかは選べばいいだろう。オーソドックスなものはマルニだと思うが」


 再びマルニを推す先輩なのだった。


「で、マルヨンは『地の文にも適宜、空行を加える方式』だな。会話文については、マルニでもマルサンでもどちらでもいいが、それ以外に地の文にも空行を挟むんだ」

「適宜って言いますと、そのつどそのつど加えると」

「そうだな。ある程度のまとまりで区切って空行を置く。これなんてまさに『段落』だよ」

「うーん? ……ああ、そっか。三行か四行か、そんな単位でまとめてるんですね」

「そうそう」


 なるほどね、そりゃまんまだ。一行一行で改行して、段落ごとに空行を入れてるわけか。


「この方式は好みに分かれるんじゃないかな。個人的には、一見読みやすいように見えて読みにくく感じる」

「読みにくいんですか?」

「おう。空行の数が多くなる。そうなると、文章がスカスカになるんだよ。縦にどんどん進んでいくから、目で追うのが大変になる。一方で文末から次の文頭に目を移すときに間違えづらくなるから、これはこれで利点もある」

「……そんなもんなんですかね?」


 ちょっとピンとこない。この方式の小説は読んでたかな? 方式だけ説明されても、いまいち実際の小説と結びつかないんだよな。


「先輩先輩、実例ってないんですか?」

「すまん。テスト前にちょっと調べただけだから、実例はあんまり用意してきてないんだ」


 ありゃあ、それは残念。今日は先輩も話す準備をしてなかったし仕方ないかな。でも、実例の小説の一話くらい読んでみれば、ぱぱぱって理解できそうなんだけどなあ。

 わたしがそう言うと、先輩は携帯を取り上げた。


「ちょっと待ってくれ」

「あ、いや、わざわざ調べてくれなくても」

「こっちの落ち度だからな。ぱっと調べるさ。あったぞ」


 ちょっと待って。なにその急展開。


「『武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行』がそうだな。より伝えたいところで空行を利用している。このへんはネット小説特有の表現法だろう」(※5)

「えっと、どんな作品でしたっけ」

「見るといい」


 先輩は携帯を机の上でスライディングさせる。なんとかキャッチした。いや、だから、そのやり方危ないからやめてくださいって。わたし、運動神経悪い方なんですから。

 ……ふむふむ。なるほど。本当に適宜だな。全体的に長めに段落が組んであるんだけど、ちょくちょく空行が挟まってる。


「あれ? 特に読みづらさは感じないんですけど」

「そのへんは作者さんの腕前だろ」


 そんな身も蓋もない。上手く調理できれば、どんな食材でも美味しくできるだなんて……まあ、わりとよくある話か。(※6)

 それはさておき、と先輩は話を改めた。


「さっきも言ったが、空行を入れてシーンを変えるのは、商業作品でも一般的に行われている手法だ。一つの章をいくつかの番号で区切るような方法だな。読者はその延長線上に、この方式を見てしまう」

「本読みはそうでしょうね」

「だから、頻繁に空行を用いられると、どうも忙(せわ)しなく感じてしまう。文章を流れで読めない嫌いがあるな」

「空けなかったら詰まり過ぎと文句を言われ、空けてみたら忙しないと叱られ、作家というのは大変なものですね」

「……ちょっと、神経質かなとは自分でも思ってる」


 あ、思ってるんですか。先輩、誤字をそのままにしておけないくらい生真面目だもんなあ。細かいことが気になって仕方ないんだろう。


「まあ、だから、この方式は個人的にお勧めではないが、マルニと並べていいくらいに悪くない手法だとも思うよ。個人的にはお勧めできないが」

「ネット小説特有の表現、というのも、磨いてみると武器になりそうですしね」

「なるほど、良い見方をするな。そうだな、そういう考え方もあるだろう」


 おお? これは珍しい、先輩が意見を引き入れてくれた。これは勝利というやつではなかろうか?

 いや、戦っちゃいないですけどね。わたし、ツッコんでるだけであって、自己主張してるわけじゃないし。非難してるわけでもないし。


「最後のマルゴは『すべてに空行を加える方式』。ブログなんかで見たことないかな? 一文書いては何行も空行を入れ、たいした文章でもないのに縦スクロールを強要する類のものを」

「言い方に悪意を感じますが、まあ、よくありますよね」

「悪意はないぞ。ただ、読みづらいから嫌いなだけだ」


 嫌悪って言葉を思い返してもらいたいものである。


「これと同類で、小説にもひたすら空行を放り込む方式がある。地の文で一文書くたびに空行、もちろん会話文の合間にも空行。ひたすら空行が続く」

「これこそ、イメージがないんですけど。実例ってあるんですか?」

「たぶん、手持ちにないな。嫌いだから」


 ああ、そりゃ手持ちにはないわけですよね。


「この方式が嫌いな理由を言っておくよ。水増しにしか見えないからだ」

「水増しですか?」

「文章のな。実際には二、三千字程度の更新でも、この方式だと実質五千字だの一万字だの、それくらいの分量が生まれる。縦にスクロールさせる数、という意味でな」

「なるほど、そういう水増しですか」


 スクロールバーがだいぶ細いわりに、実際の内容はそれほどじゃない。そのがっかり感が嫌いなのかな?


「……うーん。やっぱり、実例がないといまいちイメージ湧かないかな、と」

「そうか。そうだな、たとえば何か有名な作品で冒頭を覚えているものはないか?」

「般若心経なら空で言えますが」

「それは雰囲気が違うだろ……。小説で、まあ、何文かで構わない」

「そりゃ、メロスが怒っちゃったり、吾輩に名前がなかったりするくらいはいけますけど」


 本当に、冒頭の何文かくらいだけど。

 先輩はうなずいた。


「なら、その小説を空行を入れて想像してみてくれ」

「ふむふむ」


 一文ずつ改行して、空行まで入れればいいのか。うーん、どんな感じかな。



  吾輩は猫である。


  名はまだ無い。


  どこで生れたかはとんと見当がつかぬ。


  何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー鳴いていた事だけは…………



 ……飽きた。

 ええい、なんだこれは。どんだけもったいぶる気だ。


「……これは、なんか、すっごくもったいぶった書き方されてる気がしますね」

「そうだな。合コンで『わたしの名前当ててみて』ぐらいにもったいぶられてる気がするな」

「あれ? 合コンなんて行くんですか、先輩」


 意外すぎる。キャラブレしすぎだろ、先輩。

 先輩はぱたぱたと手を振った。


「いやいや。もてなす側だよ」

「もてなす……? あ、バイトの話ですか」

「そうそう。まあ、実際に合コンかどうかなんて聞かないが、それなりにそれらしいお客さんは来るよ。料理の良い店で、隠れ家っぽくて、お酒も充実してるからな」


 うわ、そう考えると、確かにうってつけな気がする。あれで個室まであれば完璧じゃないかな。


「まあ、話がそれたが、とにかく物語の進行が遅い。イライラする。それに、さっき言ったように会話文だけに空行を置くと、そこで一息つける。リズムが生まれるんだ。この方式はただひたすら空行が置かれているから、空行のそうした機能が死んでいる」

「字は詰まってませんけど、逆に遠すぎる気がしますね」

「そう、遠すぎるんだ。文章が有機的につながっていかない。一文一文が濃厚ならこの方式でも読ませることは可能だろうけど、普通、文章は文がいくつも連なって一つの意味を成す。だから段落が必要なわけだ。それなのに、この方式では、そのまとまりがない」

「なるほど、先輩がこの方式を嫌う理由がわかりましたよ。読みづらいんですね」

「まさに、そのとおり」


 力強く先輩は頷いた。

 段落の組み方は、結局そこに尽きるのだろう。読みやすいか、読みにくいか。中でもマルゴの方式は読みにくい。わたしも実際読んでみたら、たぶん、読みづらく思うんじゃないかな。


「一作だけ読んでるなら多少しんどくても読みますけど、更新が何作も来てたらちょっとキツいですね」

「そうだよな。読者は複数の作品を読んでるものだと思って、少しでも読みやすい方式を選んだ方がいいだろうと思うよ」


 うんうん。そう、読みやすいってすごく大切なことだ。

 どれだけ面白い作品でも、読みづらいってだけで読んでもらえないこともあるだろうしね。


「『段落の組み方』の肝はそこにある。自分の作品をどうすれば読みやすくなるか。その工夫の一環が『段落の組み方』なわけだな」


 そう先輩は締めくくった。

 お、結論がきちんと当たってるな。わたしの理解の仕方は間違ってなかったらしい。大満足である。




3.


 テスト期間中で繰り上げになった完全下校時間が告げられて、さささと掃除を済ませたわたしと先輩は二人して校門を出た。待ってろよ、図書準備室。これで済んだと思うなよ。


「明日は思いっきり掃除しましょうね!」

「……いや、まあ、手伝ってくれるなら結構なことだ」

「手伝うなんてケチくさいことは言いませんよ。わたし主導でやっても構いませんよ!」


 一人でこつこつやるのも嫌いじゃないが、やっぱり誰かと一緒にやる方がわたしは好きだ。わいわいがやがや、あれを運べ、これをこっちに寄せろとかしましい状況は、それ自体が楽しい。やる気ないやつはどうするかって? ぶっ飛ばす。


「明日でテストも終わりですし、思いっきり部活ですよ、部活」

「部活より先に掃除が話題に出る理由を知りたいが……まあいいか」


 いや、ずっと腰据えて話したり読んだりですから、掃除で身体使うの楽しいんですよね……って、先輩は「まあいい」って言ってるんで、これって口にするまでもない思考なんだけど。

 道すがら、先輩と他愛もない会話を続ける。

 テストの話だとか、昨日テレビ観てて母親に叱られた話だとか。もう本当に、他愛のない話だ。

 思い返すと、最初からわたしは先輩と一緒にいることに違和感を覚えなかった。でも、やっぱり、言い過ぎたなってハッとなるときはあったんだよ。それがいまはない。言い過ぎなときでも、先輩は受け止めてくれるって思えるから気兼ねなく話せる。

 前より、心理的な距離が近い感じがするなあ。たぶん、いま一番仲のいい友達……友達? まあ、そう言っていいかな。そういう相手なんだろうと思う。

 そんな先輩だからか、気づけた。


「君」

「なんです?」

「……ああ、いや、今日は食事を取らなくても大丈夫か?」

「また前みたいに、前日にお題出されてテーマトークしなきゃいけないときでもないですからね。朝からちゃんと食べてます。大丈夫ですよ」

「前の件は悪かったって」


 そんな軽口を叩きながら、先輩が何かを言いよどんでいることに気づけた。

 話しづらいコトってわけなのかな? でも、いまさら先輩がわたしに気兼ねするなんて考えづらいんだよね。下ネタだって、いまでもたまにぶん投げてくるくらいだし。

 また「まあいいか」な話題なんだろうか。そういうの逆に気になるよ。ううむ、なんだろうなあ。


 本当に今日は、いいことが多い先輩なのだった。


 わたしによるネタ、元ネタ解説


※1

 そういう芸人さんの、そういうネタがあるんです。


※2

 古代中国春秋時代、晋という国にいた士燮って人の話。

 晋楚の盟約(平和条約的なもの)が破られ戦となったことに絶望した彼は、自らを呪わせながら死ぬという壮絶な死に方をしたらしい。

 出典は先輩が貸してくれた宮城谷昌光さんの「子産」。

 ちなみにわたしは、この時代の話だと先輩から最初に借りた「夏姫春秋」の方が好きだ。エグい話だけど、ハッピーエンドだしね。


※3

 京極夏彦さんの京極堂シリーズ。中でも屈指のページ数、1300ページを数える「鉄鼠の檻」。

 こやつを寝っ転がって読んでいた母親が、顔に落として悲鳴を上げたことがある。

 それも「キャッ」なんて若ぶったものではなくて、「グエッ」とグロい感じの悲鳴を上げていた。踏みつぶされた蛙の断末魔みたいだった。


※4

 「勇者、或いは化け物と呼ばれた少女」は七沢またり・著のネット小説である。

 書籍としても、エンターブレインから2014年8月に発売されている。

 どうでもいい余談だけど、先輩はリメイク前からファンだったとか。あれ、リメイクされた作品だったんだ。


※5

 「武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行」は赤石赫々・著のネット小説である。

 この作品もまた2014年8月に、富士見ファンタジア文庫から発売されている。先輩からまた借りないと。


※6

 関西在住の伯父さんが見せてくれたバラエティ番組の中で、「一流料理人が作る匠めし」なる企画があった。

 一流料理人のみなさんが、コンビニ食材をワンコインで買ってきて料理するという企画で、腕前というのがどれだけ大事なのかショッキングなレベルで思い知らされた。

 プロすごい。マジすごい。


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