付録 ブログ記事・漢字変換は適当に
【作者コメント】
前話で紹介された、おじさんが書いたブログ記事その二です。
この記事は完全に独断と偏見に基づくものなので、あくまで個人の意見であることを念頭において読むことを強くお勧めします。定石や常識の類ではありません。
◎ 承前
スペースキーを押すだけで、あるいは予測変換を選ぶだけで漢字が使える時代です。
そのせいか、ネット小説ではちょっとどうなのよと思うくらい、漢字が使われている印象があります。
あくまで小説はひらがな、カタカナ、漢字のバランスが大事で、あんまり漢字ばかりあっても読みづらいだけだと思うんですよね。
それに、漢字に変換するとむしろ分かりづらかったり、読み進めるときに読みづらくなったりする場合もあります。
そうした変換は無用であるどころか有害であり、作品を損なう原因となります。
時代小説など、時代がかった表現が有効なときにはこの限りではありませんが、たとえばラブコメ学園物なんかに漢字濫用はダメだと思うんですよ。
そこでここでは、私の独断と偏見に基づき、漢字変換が不要なもの、変換の必要性が低いものの二つをリストアップしてみました。
一つ一つ解説はしませんが、参考までに見てみてください。
ちなみに、いままでに見たことがあるもののみを載せてあります。気付き次第追加しますので、これからも予告なく増えるかもしれません。
(ちなみにちなみに、自作に用いていたものも多数含まれています。派手な自爆ですね)
◎ リスト
○ 不要と思しき変換
ありがとう/有り難う (語義だが変換は不要だろう。頻出)
いう/云う (難読。言う、でいいだろうに)
いかに/如何に (難読。どう、などとの読みの混同)
いきなり/行き成り (語義だが変換は不要だろう)
いずれ/何れ (難読)
いつ/何時 (なんじ、との読みの混同。ところで、いつなんどき、はどう変換する気だろうか)
いまだ/未だ (まだ、との読みの混同)
おおよそ/大凡 (難読)
おまえ/御前 (ごぜん、との読みの混同)
かつて/嘗て (難読)
かなり/可也
こだわり/拘り (難読)
これ/此れ
しかし/然し (難読。然らばのような順接との意味の取り違いもあるかも)
すぐ/直ぐ (難読)
せい/所為
それ/其れ
そこ/其処
ただの/只の、唯の
ちなみに/因みに (難読)
ちょっと/一寸 (難読)
つまらない/詰まらない
つまり/詰まり
つもり/心算 (難読。しんさん、との読みの混同。頻出)
どう/如何 (難読。いかが、との読みの混同)
とうに/疾うに
とにかく/兎に角 (当て字の類。夏目漱石に私淑しているのでもないかぎり、不要だろう)
なお/尚、猶
ひたすら/只管 (難読)
びっくり/吃驚 (出てくるとWirklichしちゃう)
ふざける/巫山戯る (当て字の類。やはりこれも不要だろう)
ほとんど/殆ど (難読)
ほのかな/仄かな (難読)
まだ/未だ (いまだ、との読みの混同)
まで/迄
もしくは/若しくは (難読。でも、お役所的には「若しくは」の方が正しい)
もちろん/勿論 (難読。頻出だが、あまり変換の利はない)
もったい/勿体 (勿体無い、勿体ぶったなど、いかにももったいぶった変換で嫌みがある)
もっとも/尤も (難読。最も、と誤字であるよりかはいくぶんマシだが……)
~ら/~等 (難読。など、との読みの混同)
○ 必要度が低いと思われる変換
ああ/嗚呼 (難読。基本的には不要だろうが、作品の傾向にもよる)
あくまで/飽くまで
ある/有る・在る (存在動詞であり、本来は漢字を用いない)
おれ/俺 (不要とまでは言い切らないが、個人的には漢字である必要性も感じない)
ございます/御座います
~すること/~する事 (形式名詞であり、本来は漢字を用いない)
~するとき/~する時 (形式名詞)
~ため/~為 (作品の傾向による)
どこ/何処 (難読。いずこ、との読みの混同。変換の必要性は薄い)
など/等 (本来は漢字を用いない。ら、との読みの混同)
のんき・呑気/暢気 (作品の傾向にもよるが、呑気で構うまい)
ばか(馬鹿)/莫迦 (基本的には不要だろうが、作品の傾向にもよる)
はず/筈 (形式名詞)
~ように/~様に (本来は漢字を用いない。さまに、との読みの混同)
◎ リストアップする際の根拠について
前述したように個別に見ることはしませんが(煩雑に過ぎますし)、不要としている理由は説明しておきます。
この記事はあくまで私見ですが、根拠がないというわけでもないのです。
○ 難読
あえて難しい漢字を使っても、読めない人はナンダコレとなりますし、読める人も気取った感じ(嫌み)を感じるだけです。
実のところ、わざと漢字を使うことに直接的な利点はないんですよね。
○ 読みの混同
漢字に変換することで、どっちで読むのかわからない、といった単語は少なからずあります。
この中には挙げてませんが、「何故」もその一つですね。なぜ、なにゆえ。意味は変わりませんが、文のリズムが微妙に変わります。後者は若干、時代がかった表現ですしね。
こうした混同は、読み進めているときにちょっと戸惑ったりして、ペースが落ちます。
その分読み疲れもしやすくなり、ユーザビリティは低くなります。読者に優しくね。
○ 語義による変換
本来はそんな漢字だけど、その変換って必要あるかな、という類の変換ですね。私は基本的に不要だと思っています。
ありがとうはその典型例でしょうか。
会話文でアリガト、と軽く言う際に「有り難」などと書かれても読めません。意味不明です。なんだよ有り難兎って。今日ワンなのかよ。
こうした軽い、口語的な文章(会話の他に一人称の地の文もそうですね)に、過剰な漢字変換は不要ではないでしょうか。読みづらいですしね。
○ 作品の傾向
ライトな作風で漢字を濫用すること自体、作品のカラーにあわなかったり、予想される読者層の読解力と合致しなかったりして、そもそも問題があります。
極端な話、たとえば普通のラブコメ物でヒロインと主人公が喧嘩したとして「彼の者、慫慂(しょうよう)としてその秀麗な面立ちに陰を落とし、立ち去り行く様はいと哀れであった」と記述されても困るでしょう。そういう話です。
時代小説や戦争物などでは色づけにも良いでしょうが、それでもやり過ぎは読者をうんざりさせかねません。
厚化粧はほどほどにしましょうね、という話。
◎ 終わりに代えて
なんとなくカッコいいから漢字を使ってる、という方が、十代そこそこの方には多いんじゃないかな、と勝手に思っています。
もしそうなら、実はそれダサいんですよ、と言いたいのが本記事でした。
たとえて言うなら、なんとなくカッコいいから黒ずくめの服装、みたいな。なんとなくカッコいいから不良ぶってみる、みたいな。




