7.漢字の扱い
【文字数】
10000字ほど
【作者コメント】
今回は付録が二つ付いてます。
この話だけでも完結していますが、付録も参照するとよりこの話題について詳しく知ることができるものと思われます。良ければどうぞ。
【目次】
0.承前
1.問題提起:ネット小説における漢字の濫用について
2.漢字使用の基準となる法令
3.ポリシーとユーザビリティ
0.
改めておくが、古典部の活動内容は「読書」である。
読書によって知層を深め、より良い作品を見つける目を養う。その過程と、その結果によってより良い人生を送るための礎とする――とまあ、なんか、そんな感じの活動目標なのだとか。
実は、これは読書に限った話ではなくて、先輩の話によると、別に活動内容は音楽でもテレビ鑑賞でもなんでも構わないのだそうだ。緩い話である。
ただ、聞くところによると、その件でちょっとした失敗があったのだとか。
ロック系がお好きだったらしい部長(幽霊)があれやこれやと用意してきて聞かせたんだけど、まあ、お隣は図書室だからね。司書さんからキツくお叱りがあったのだとか。部活が死に体になった原因の一つらしい。
これはちょっと他人事じゃあないなあ。先輩に合唱曲を紹介するときはイヤホン持参にしよう。悲鳴や叫び声が入ってくる曲とかあるしね。(※1)
ところで、やたらめったら先輩とああだこうだと話しているわたしではあるけれど、先輩は部外者向けに――つまりはお客さん向けに――サービスで、あれこれ話してくれている節がある。
読書だけなら気詰まりだろうし、気分転換も兼ねての談笑、みたいな。
確かに、まあ、わたしも前に思ったけどね。雁首そろえて本読んでるだけなら部活の意味がないって。でも、毎回話してるような内容って、普通、女の子は飽き飽きしそうな内容なんだよなあ。文学少女ですら「いいから本を読ませろ」ってなりそう。良い接待には思えない。
その意味で、人の話を聞くのが嫌いじゃないわたしは先輩向きだし、意地の悪いわたしのツッコミに嫌な顔をしない先輩はわたし向きである。バランス取れてるよね。
さて、先日は頭から終わりまでだらだら話していたのだけど、今日は二人して小説を楽しんでいる。
わたしも先輩も、本を読んでいるときは周りが消えてるタイプだ。ああ、もうホント、それで何度電車を降りそこねたことか。ああいうときって、どうして扉が閉まる直前に気づくんだろうね、目的の駅だってことに。もうちょっと早く気づけよ。演奏会の日は余裕を持って家を出ることにしてるけど、たまにギリギリになるんだよ。その原因が読書なのだ。しかし、やめられないんだよなあ。
余談が過ぎた。
読書中は人を寄せ付けないわたしであるが、気になったことがあれば、すぐにでも人と話したいわたしでもある。
で、気になったことがあったわたしは、耳無し芳一ばりに人払いの経文だらけの先輩に話しかけるわけだ。隣の席まで移ってきてるわたしをガン無視する先輩は、なんというか、さすがである。
「先輩先輩」
「…………」
「先輩ー」
「……なんだ」
むすっとした顔で応じる先輩。ごめんなさい、いや、気持ちはわかるんですけどね。
「この漢字ってなんて読むんですか?」
「……IMEで手書きでもして、君、自分で調べればいい」
「うわ、つめた。先輩、後輩に対してその態度はないんじゃないですか?」
「同じ本読みなら、読書の邪魔がどんな意味を持つかくらいわかるだろ?」
ぶつくさ言いながら、それでも答えてくれる先輩。いや、どうもすいません。
へえ、なるほど、漢字にするとこうなるんですね。いや、どうもありがとうございます。
「まあまあ、先輩。そんなに気を立てないで」
「気は立ってない。読みを入れなかった編集を呪ってるだけだ」
それ、なんか、もっと嫌なんですけど……。
肩をすくめた先輩は、立ち上がった。
「お茶入れなおすよ。いるか?」
「お願いします」
わたしも先輩も集中が切れちゃったみたいで、お茶で一服することに。
いつもどおりズズズと飲んでいると、先輩もいつもどおり雑談を始めた。
「しかし、君でも読めない漢字があるんだな」
「わたしは漢検一級でもマスターしてるんですか。いやいや、そりゃありますって」
「しかし、初めて訊かれた気がするけどな。漢字の読みなんて」
あれ、そうだったっけ?
わたしとしては、別に初めてって感覚じゃなかったんだけどなあ。
「まあ、それだけ先輩とわたしが気安い関係になったってことで、ここはひとつ」
「なんだその返し。おっさんか」
「ちょっと。おっさんはないでしょ」
いまをときめく乙女に対して、なんたる言いぐさか。
確かに、片手挙げて言ったとき、古くさい表現使ってるなーとは自分でも思ったけどさ。口にするなよ。
「まあ、それはいい」
「良くないんですけど」
「おっさんは訂正する。本題じゃないんだから、流してくれ」
まあ、訂正するならいいけども。で、なんです?
「漢字については、ちょっと話そうと思ってたことがあってな」
「ほうほう」
「君がいま読んでいるような商業作品は別にして、だが」
お茶をすすり飲んで、ノドを整える先輩。
あ、これ、本腰入れるパターンだ。だからお茶入れたんだな、先輩。
「ネット小説では多くの場合、不要な漢字が多すぎる。ちょっとそのことについて話すつもりだったんだ」
1.
先輩は立ち上がり、ペンを手に取った。
「君も確か、自分でネット小説を漁っていたな?」
「はい、そうですよ」
「なら、こういう誤字を見たことはないかな」
先輩はキュキュッと「所で」と書く。
「なんですか、それ」
「By the way だよ」
「んん? ああ、なるほど、『ところで』ですか」
むむ、見たことあったっけかな。あったような、なかったような。
芳しくないわたしの反応を見て、先輩はさらにもう一つ加えた。「最も」。
「これはあるんじゃないかな。もっとも」
「誤字なんですよね、えっと……ああ。あの、ごもっとも、みたいな」
「いちいち例えがおっさん臭いな、君は」
カバン投げるぞ。
わたしの射殺すような視線に、先輩は片手で「めんごめんご」と謝り(いつの時代の人間だ、あんたは)、先輩は漢字で書き直す。「尤も」。ああ、そういや、なんかその犬みたいなやつなんだよね、「もっとも」って。先輩なら「創竜伝」に引っかけて、蚩尤(しゆう)あたりを挙げそうなところだけど。(※2)
「再三指摘しているが、変換ミスによる誤字というものがある。この二つなんかはよく見かけるものだろう」
「変換ミス……なんですかね、このへん」
「鋭いじゃないか。これは、まあ前にも指摘した点だが、本人が勘違いして覚えている類と見てもいいだろう」
そうそう。確か、ふいんきの話をしたときだ。(※3)
いくらパソコンの変換機能が進化しようと、作家当人が勘違いして覚えていたらどうしようもないのである。まあ、これは別に作家に限ったことではないし、わたしも気をつけなきゃな話だけどね。
「ただ、ここで一つ気をつけたいのは、現代のワープロ文化がその誤りを助長している点だ」
「ワープロですか?」
「おう。パソコンというか、ワープロなんだよ。文章打ちの話。パソコンや携帯におけるワープロ的機能って言うかな。昨今は、なんでもかんでもタイプしてるだろ?」
「はあ」
「タイプして、で、変換一覧から選択して決定。どんな難読の漢字でも、一発だからな。なんでもかんでも使えてしまう。それだけに、手書きの頃と比べれば、比較にならないくらい漢字のミスは増えてると思うよ」
うーむ。手書きじゃ書けない漢字も、パソコンならいけちゃうもんな。助長ってのはわかる。
「『所で』なんて、変換じゃなきゃ出てこないミスだろう。現代病理の一種だな、これは」
「現代病理て。でっかく出ましたね」
「漢字の濫用は、もう病気の域に思えるよ」
それはちょっと言い過ぎじゃないかな、と思うんだけど。
先輩的には、結構深刻らしい。
「なんでも変換すりゃいいってもんじゃない。実際、商業作品を読んでいればわかるけど、むやみに漢字を使ってるわけじゃない。むしろ、簡単な漢字ですらひらがなを使っていたりする」
「ふむふむ」
「結局、文章ってのは読んでわかるものじゃなきゃならない。いたずらに漢字を用いても、いいことはないよ」
うーん。言いたいことはわかる。わかるけどなあ。
そのへんって、個人の自由なんじゃないかなあ。
「納得いってないって顔だな」
「どんな顔してるんですか、わたし」
「眉根にシワ寄ってるぞ」
マジですか。おおっと、しまった。
「言いたいことがあるなら聞くが」
「先輩の言い分はわかりますけど、それって結局、個人の趣味の問題なんじゃないですかね」
手鏡を取り出して確認しながら、わたしはなかば無意識にそう返す。あらら、本当にしかめっ面だな。
手鏡越しに見える先輩は、わたしの反問にあっさり頷いた。
「そりゃね。どれだけ難読の漢字を扱おうと、漢字をほとんど使わなかろうと、本質的には自由だ」
「おや。先輩もそこは認めるんですか」
「認めるというか、そう言ってしまうと身も蓋もない話だよ。言うなれば、連載を途中でお休みするのも個人の自由だし、感想欄で読者に喧嘩腰で反論するのも個人の自由ってわけだ」
だが、と先輩は続ける。
「それが良い作品の条件かと言えば、それは違うだろう」
「ああ、古典部が話の種にするような作品ではないわけですね」
「そうそう。より良い作品を作ろうというのなら、特に理由もなく漢字を多用するのはどうかと思うよ」
なるほど、そういう話なら理解できる。手鏡をカバンに直しながら、わたしは頷いた。
古典部の理念についてはちょっと前に先輩から聞いているけれど、古典とされるべき名作を読み、楽しんで、語り合うものである。こうして話している内容は、あくまで「より良い作品」とすべき指標なのだ。
先輩にはその指標があって、その基準に従って話をしているのだから、それを「個人の自由だ」と言ってしまっては元も子もない。身も蓋もないよね、確かに。
「何も、難読漢字は一切合切やめちまえ、と言ってるわけじゃない。ここに挙げてある例を見てくれ」
「はい」
「『ところで』に『もっとも』。キツい言い方になるが、この程度の単語を使いこなせない身で個人の自由を云々するのはあまりに早い」
「本当にキツい言い方ですね」
「仕方ない。スタイルがどうのと言う以前に、実力不足だよ。ドリブルもまともにできないで足にボールぶつけてるような一年坊主が全国制覇を云々してるようなもんだ」
「ちょっと、それってもしかして赤木さんの話じゃないですよね」(※4)
わたし、木暮さんほどじゃないけど、あの人も好きなんですけど。良いじゃないか、夢見させるようなこと言ったってさ。
先輩は目を瞬かせて、一言「例えが悪かったか。悪い」と謝ってから話を続けた。
「いや、赤木ほどに」
「さん付けしましょうか」
「……赤木さんほどに努力家なら構うまい。中学三年間、バスケットを頑張ってきて、それで高校では『目標は全国制覇』ってわけだ。それ自体が悪いって言ってるんじゃない」
「はい」
「ただね、それでもやっぱり実力不足は笑いの種になる。まだまだ青いって思われる。現実が見えていないと思われても仕方ない」
「それで?」
「……それを努力で見返して、まあ実際は全国大会三回戦敗退だけど、覇者・山王を倒すという大仕事をやり遂げたのはすごいことだ」
「それならオッケーです」
わかってるなら構うまい。
先輩は「誰が貸したと思ってるんだ」とぶつくさ言ってるけど、変な例えに使う先輩の方が悪いのである。
「で、この努力ってものの一環に、作家なら『漢字をどう扱うか』という点も入ってるはずだ」
「そうなんですか?」
「おじさん曰く、大沢在昌という作家が小説講座で『作家としてどの漢字を使うかその尺度を持つべきだ』と言っているのだとか。プロを目指す相手に言っていることだが、アマチュアでも良い作品を作りたいのなら、明確な尺度はあってしかるべきだろう」(※5)
「なるほど」
「『もっとも』を間違っているってのは、それ以前のレベルだ。きちんと基礎固めをした上で、どれくらい漢字を採用するのか明確な尺度を持つ。そういう順序だな。逆に言えば、明確な尺度を持っているのなら、いたずらに漢字変換を行うこともないはずだし」
論理の持っていきたい方向がようやくわかった。なるほどね、本当はそっちに持っていきたかったんだな。
わたしが頷くと、先輩はホワイトボードを消しつつまとめた。
「繰り返し言うが、濫用がダメだと言ってるんだ。なんでもかんでも変換すりゃいいってわけじゃない。ここが押さえられてるなら、そこからは個人の自由だ」
2.
話は終わったようなので、雑談ついでに訊いてみる。
「わたし、あんまり印象にないんですけど、ネット小説ってそんなに漢字使われてます?」
「いい例が『事』『訳』あたりかな」
再び立ち上がって、ホワイトボードに例を書く先輩。いや、単なる雑談のつもりだったんですけど。わざわざ書かなくても。
「この手のものを形式名詞と言う。連体形ってわかるよな?」
「そりゃあ、わかりますよ」
かろ・かっ・く・い・い・けれ・○、で言えば「い」である。ダメだ、どっちの「い」かわからないじゃん。バカかわたしは。ものとかこととかが下にくっつく、四番目の「い」のことである。
「動詞の連体形で受ける言葉で、たとえば『そんなのするわけないじゃん』と言うときの『わけ』が形式名詞だ。ああ、いま、ちょうど『とき』と言ったが、これも形式名詞だよ」
「話の流れからしますと、ひょっとして」
「そう、この形式名詞も基本的にひらがなで書くものだ。漢字濫用の原因の一つだな」
先輩は例として、先の分(「事」と「訳」)に加えて「物」「筈」「所」「他」「通り」と書き連ねる。思ったより多いなあ。
「このへんはどれも、特に意味もなく漢字にしているように見受けられることが多いな。これと、存在動詞が好例だろう」
さらに先輩は「有る」「在る」「居る」「無い」「成る」「出来る」を加える。お、多いですね。
「よく空でそれだけ出ますね」
「空じゃない。元ネタがある。こんなこともあろうかと、というわけだ」
こんなこともあろうかと、第二弾である。
先輩は席に戻って、カバンの中から一枚の紙を取り出す。クリアファイルじゃなくてクリアブックってところに、なんか先輩の用意の良さを感じるなあ。たぶん、いろいろ入ってるんだろう。
……あれ? でも、その資料がカバンにしまってあったってことは、結局空でホワイトボードに書いてたのは変わらないような。空で、という単語の意味を問うべきではなかろうか。
そんなわたしのぼんやりした疑問はさておき、先輩は何枚かの紙(ホッチキスで留めてあるあたりがまた丁寧である)を手渡した。
なんじゃらほい。
「んん? 内閣訓令第一号?」(※6)
「官公庁での書式を統一するための訓令だな」
「官公庁の? これって小説にも適用されるんですか?」
「小説というより、日本社会一般における目安になるものだそうだ。国語における大きな指針には違いない。大きな意味では小説も含まれるだろうね」
ふむふむ。日本語についての、日本政府による公式見解、というわけか。
その訓令を読み込もうとするわたしに、先輩はさらにもう一枚の紙を手渡した。
「で、こっちが、その訓令を元にして、うちのおじさんが書いたブログ用記事」
「……前も思ったんですけど、先輩のおじさん、ブログ用記事って、どうしてブログにしないんでしょうね」
「面倒なんじゃないか? あの人、飽き性だし。そのくせ完璧主義だし。やるならちゃんとやりたいし、準備だけはするけど、実際やったら途中で飽きて放置するだろうからやらない、みたいな感じと見た」
「そのわりに熱心に書いてますよね、記事」
「凝り性だからな」
よくわからない趣味である。まさにチラシの裏に書いてろ、を実践している。どういうことなの。
まあ、他人に迷惑かけてないし、いまはこうして部活動の役に立ってるんだから、いっか。わたしの身内でもないしね。関係ない人だし、自由にしてくれればいい。
とりあえず、このおじさんのブログ記事の方から読んでみるか。
「……ふむふむ。結構難しい漢字も使うように指示が出てるんですね」
「『若しくは』なんて、ネット小説でもなかなか見ないよな。さすがはお堅い官公庁」
「でも、結構ひらがなの指示も出てますね」
先輩が言っていた分の他にも、補助動詞という品詞もひらがなで書くものらしい。補助動詞というのは「~てください」「~てくる」「~ていく」などの、動詞の連用形にひっついてくる連中のことだ。
そのほかにも、細々とひらがなで指示されているもの、漢字で指示されているもの、様々である。
本家本元の訓令も斜め読みしてみたが、これはなかなか大変だ。細かく指示は出ているが、個別に指示されているからいちいち覚えなきゃなんない。この方が厳密で間違えようはないだろうが、もっと大雑把に品詞か何かで説明できなかったのだろうか。
「うーん。細かいですね。ここまで細かくそれぞれの単語を見ていく必要ってありますかね」
「ないんじゃないかな」
「ないんかい」
あ、また思考より先にツッコミが。ただ、うん、改めて心の中でも突っ込んでおこう。ないんかい。
「ただ、正式に出ている訓令があって、何が正しいかは一応明瞭になっている。そのことは踏まえておくべきだろう」
「うーん?」
首を傾げるわたしに、先輩は詳しく説明してくれた。
「自分のポリシーとしてどの漢字を使うか選ぶ。これは構わない。知った上での判断なら、それはスタイルだ。ただ、なんの考えもなしに漢字を濫用しているというのなら、それは単なる不作法だよ」
「……つまり、どうするにせよ、正しくはどうなのか知っておけと」
「そうそう。ちなみにいま君が言った『知っておく』の『おく』もひらがなにすべきものだな」
口で言ったものまでカバーしなくていいです。そうですね、確かに「~ておく」も補助動詞ですもんね。
「もう一つ、資料を付け加えておこうか」
「今日は盛りだくさんですね」
「おじさんにメールで送ってもらうだけだからな」
おじさん大活躍である。まさか、母校でもなんでもない学校の部活動に活かされる日がくるとは、思ってもみなかったことだろう。
あれ、母校じゃないのか? いや、そこはどうでもいいか。
「これはおじさんが独断と偏見でまとめた、不適切な漢字リストだな」
「おおう。多いですね。先輩も同意見なんですか、これ」
「すべてがすべてじゃないが、言いたいことはわかる」
それって実質、賛同してないって言ってる気がするんですけど。
3.
わたしは先輩んとこのおじさんの「漢字変換は適当に」と題されたブログ用記事を真面目に読んでみた。
まあ、と言っても、結局はリストに過ぎないし、たいして手間のかかるものでもないのだけど。
「うーん。結局、作品傾向によるってことなんですかね」
だいたい話していたような内容が書かれたリストなんだけど、一つ、目についたものがある。恋愛小説を例えにとって、「学園ラブコメ物で難解な表現をしても作品のカラーに合ってない」と指摘しているところだ。
先輩も濫用を戒めているだけで、難しい漢字の使用を否定してるわけではないし、作風によるってことなんだろう。
「この記事の言ってることはわかるんですよ。たいして意味もなく変換するのはダサいよ、やめとけよ、ってことですよね」
「そうだな」
「なら、ちゃんとした理由があって、いろいろと難しい漢字を使う分には問題ないと」
「そうでもない」
一瞬、聞き逃しかけた。
ええ、ウソでしょ、問題あるんですか? いままでの話の流れと違うんじゃないですか、それは。
「おじさんもちょっと触れてるけど、ユーザビリティの問題は外せない」
「ユーザーって言うと、読者ですか」
「そう。ちゃんとした理由があっても、読者が読みづらいんじゃダメだろ」
ああ、そういうことか。
先ほどまでがあくまで「作者の視点」による話なら、これは「読者の視点」というわけか。どうも先輩はこの論の進め方が好きらしい。
「チラシの裏に書いてるんじゃないんだから、土台、ネット小説ってのは読者に向けたものだ。この前提はまず、いいよな?」
「そりゃあ、まあ」
そもそも人に見せるつもりがないなら、ハードディスクの肥やしにすればいいわけである。わざわざ小説投稿サイトに投稿している以上、その前提は引き受ける必要がある。
でも、もしかするとそこまで考えてないかもしれないけど、と但し書きを付け足すわたし。
「とすると、文章は他人が見て読みやすいものでなければならないわけだ」
うなずきながら、しかし再び眉根を寄せるわたし。
「そうですけど。うーん。ポリシーとユーザビリティが真っ向からぶつかってますね」
「そのへん、どこに重心を置いているかが大事になってくるな。あくまでエンタメ小説であるのなら、自分を曲げることも必要だろう。その一方で、わかる人間だけがわかればいい、くらいに割り切りができているのなら、自分を貫くのも手だな」
「わかる人間だけが、ですか」
そこまで自分を貫くのなら、いっそ投稿サイトではなくて、自分のサイトを持てばいいようにも思える。自サイトなら投稿規定もないし、自由な創作が楽しめるだろう。
わたしがむうっと考え込んでいると、先輩は苦笑して続けた。
「ただ、基本的に小説ってのは自己承認欲求の具現化だろう。自分の書いた小説を認めてもらいたい、とまあ、そういうもののはずだ。そうでないのなら、少なくともおおやけの場に出してくるはずがない」
「うーん。そのへんはちょっとわかりかねますが……」
「言い換えてみようか。みんなの前で、そうだな、ディベートか何かの授業で自分の意見を述べるとしよう。そのとき、その意見を認めてもらいたいと普通は思ってるんじゃないかな。みんなに無視してもらいたいとか、総スカンを食らいたいとか、そんなことを思ってる人はいないだろう」
「ああ。確かに」
「自分が面白いと思って書いた小説をけなされたり、あげつらわれたりしたいはずがない。なら、ユーザビリティについて、考えておいて損はないはずだ」
なるほど。先輩は、原則論として両論を挙げただけで、基本的にはユーザビリティを配慮すべきだと思っているのか。
納得した。なんか気持ち悪かったんだよな。据わりが悪いって言うか。
「自分の作風を加味して、どんな味付けをするのか。その塩梅(あんばい)はそれぞれだけど、『とりあえず塩ぶち込んどけ』じゃあ良い味付けはできないさ。漢字の扱いも、よくよく考えるべき事柄だな」
そう言って、先輩は話を締めた。
最初から言ってる内容は変わらないんだけど、だいぶ納得した。なるほどねえ。漢字の扱いなんて考えたこともなかったよ。
「あれ、そういえば昨日、おじさんの書いてた小説読みましたけど、あれもかなり凝った漢字使ってましたよね」
「ああ。だから真っ先に『読者を意識して書くべきだ』と感想をもらったらしい」
「ああ……おじさんの実体験も込みのブログ用記事でしたか……」
さらに納得したわたしなのであった。
わたしによるネタ・元ネタ解説。
※1
絶叫の上がる合唱曲はいろいろあるが、一番に思いつくのは松下耕・作曲の組曲「よしなしうた」の三曲目「ともだちのとびおり」。
題の通りの曲であるが、夜にぼんやり聞いてて突然の悲鳴に腰を抜かしたもんである。
いや、夜に聴いてたわたしが悪いんだけどね。
※2
田中芳樹・著の「創竜伝」に出てくる敵役である。
元ネタは中国古代神話なのだけど、いまとなってはわりとポピュラーなモチーフである。
※3
この件については、「誤字・脱字」の回を参照してほしい。
いや、確認するほどの話ではないのだけど。
※4
おなじみ、「SLAM DUNK」の話である。
しかし、たぶん中学に上がる前からバスケやってただろうに、あの赤木さんの下手さ加減は……。
いや、よそうか。先輩に文句を垂れておいて、わたしが言うことじゃない。
※5
先輩もうろ覚えで、後でおじさんに確認してくれたんだけど(わざわざすいません)、「小説講座 売れる作家の全技術」という本が元ネタらしい。
先輩も読んだことはないそうだが、先輩のおじさんがお勧めしている本らしい。
いや、先輩もわたしも作家になる予定はないわけですが。あれ……ないんですよね?
※6
この内閣訓令第一号はネットで確認できる。
PDFファイルでダウンロードできるアドレスは http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/sanko/koyobun/pdf/kunrei.pdf




