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二.表と裏②

 祭りの行列は十一時頃に始まった。

 天狗みたいな格好の人物から出発し、旗や太鼓を持った集団、御神体の入った神輿、宮司を含む神職者達などがずらっと続く。そしてその最後尾にバイトの巫女達が控えているようだった。彼女らは透けるほどに薄い白の外套を纏い、頭には花飾りを、手には鈴を握っている。皆結った髪が一様に長いことから、付け毛をしているのだと推察された。

 その一団の中に真と守薙の姿はない。実は守薙父の計らいで、売店の店番と交代になったのである。建前は「臨時でお願いした方に行列は酷だから」ということになっていたが、本音は体調の悪そうな娘を参加させたくなかったのだと思われる。

 しかしこれは真にとっても幸いであった。巫女装束の緋袴は、スカートのような代物で股下にストッパーとなるものが一切ない。つまり両手が塞がった状態で歩いていると、緩々の下着は脱げ落ちてしまうのだ。

 行列の代わりに真達へ課せられた職務は、神札授与所という店で御守りなどを売ることだった。初めてのバイトだったうえ、独特な言葉遣い――例えば「いらっしゃいませ」ではなく「お参りご苦労様です」など――も必要だったので、最初はどうなることかとやきもきしたが、はっきり言って杞憂だった。

 店に立ってすぐは、着替え前に周りを囲んだ連中が寄って来てそれなりに繁盛したが、それが捌けると途端に暇になった。神輿の行列を追いかけて見物人はほとんど石階段の下へ移動してしまったのだ。

 真は隣で正座している少女へ話しかける。

「守薙。あまりお客さんもいないようだし、この時間を利用して昨日の出来事を整理してみないか? 呪をかけた犯人を割り出したい」

 そう提案すると、彼女はぱあっと表情を弾ませた。

「ぜひやりましょう!」

 瞳を爛々と輝かせて身を乗り出してくる。真はそれに圧倒されて無意識的に仰け反った。

「……なんだか楽しそうだな」

「え、だってこういうの、なんだか推理小説みたいでワクワクしませんか?」

 守薙はそう言いながら、ケーキを食べる前の子供みたいに体をそわそわと揺らせている。

 気楽なものだ……。その無邪気な瞳が曇らないよう、真はひっそりと溜息をついた。



***



 林でタイソンと別れた後、真達は傷の手当てのために保健室を目指していた。

 なだらかな坂道を上って校門を抜けると、正面に東西へ並んだ白い校舎が姿を現す。西側から、特別教室が集合した西校舎、教務員室や図書室のある中央校舎、そして各学年の教室が並ぶ北校舎と南校舎となっている。建物を上空から見下ろせば、ちょうど先端が二股に分かれた銛のような形をしていることになる。

 上履きに履き替えるため、中央校舎と南校舎の中間にある下駄箱へと向かう。登校時間にはまだ早いこともあって周囲に生徒の姿は見当たらない。今学校にいるのは朝練をしている部活の関係者くらいだろう。

 二人が下駄箱へ辿り着いたところで、ちょうど一人の小さな少女に出くわした。「棗」と真が声をかける。

「えっ」

 棗はこちらを向くと、驚いたように固まった。

「おはようございます、棗さん」

 守薙の挨拶で彼女はすっといつもの調子に戻る。

「あ、おはよー。なんか珍しい組み合わせが来たから、びっくりしちゃった」

 そう言って苦笑いしながら栗色の髪を撫でた。真は靴を履き替えながら言い返す。

「希少度で言えば、君も同レベルだ」

 棗は眼鏡をかけていた。初めて見る出で立ちである。フレームはオレンジで、スタイリッシュな洒落たデザインをしている。なかなかいいセンスだと思う。

「あー、今日急いでたから、コンタクトつけてる暇がなくってさー」

 彼女は慌てて眼鏡を外してケースにしまった。

「でも、よく似合っていますよ」

「えー、そんなことないよ~」

「いいえ、とっても可愛いです。十七里さんもそう思いますよね?」

 その問いに「そうだな」と淡白な相槌を返すと、二人から褒められたせいか、棗ははにかむように頬を染めた。

「え、そうかな? ありがと。守薙さんも髪、相変わらず綺麗だねー」

「いえ、そんな、棗さんこそ――」

 女子特有の会話に突入したので、しばらく真は黙ることにする。というか喋ることがない。いつも思うのだが、この儀礼じみた褒め合いみたいなやり取りは果たして必要なのだろうか。

「――でも私、棗さんの髪、フワフワしてそうで憧れます」

「いや~、髪柔らかいのも困りものだよ?」

「寝癖が付きやすいしな」

 ようやく付け入る隙ができたので声を発すると、棗が勢いよく同意した。

「そーなんだよー! 今朝も直すの、ちょー大変だったし」

 両目を瞑って口を尖らせる彼女へ、真は尋ねる。

「で、どうしてこんな早く来てるんだ?」

 毎朝ぎりぎりの時間に教室へ駆け込んでくるのが、棗のお決まりのパターンだった。

「それが宿題忘れて帰っちゃってさー。だから早めに来てやろうと思って」

 そう言ってから、彼女が思い付いたように言葉を続ける。

「――あ、今日って宿題、数学のプリントだけだよね?」

「はい。あと提出物は、アンケートだけですね」

 アンケート? ああ……、あのいじめの。そういえば、そんなものがあったな。と真も思い出す。確か用紙は鞄に入れっぱなしのはずだ。あとで記入することにしよう。

「やばっ。私、家に忘れて来たかも」

 棗が急いで鞄を開く。中は教科書の他に化粧品やコンタクトレンズのケース、さらにはお菓子や縫い包みまで入っていて、まるで泥棒に荒らされた家のような有様だった。

「やっぱり、ないし!」

「よく忘れる奴だな」

「やばい~、まんぷくに睨まれるよー」彼女は頭を抱える。

 まんぷくとは、真達の担任教師である福満の渾名である。名付けたのは寺浦で、今や同学年の生徒は皆このニックネームを隠れて使っている。

「誰かにコピーさせてもらうのは、どうでしょう?」

「それだ! 守薙さん、頭いい! というわけで貸して下さい!」

 両手を差し出す棗に、守薙が頭を下げる。

「すみません。私、もう記入してしまいました……」

「げ」

「俺はまだ書いてないが」

 真が欠伸を噛み殺して呟くと、棗は歓喜の声を上げた。

「おー、流石となりん!」

「何がどう流石なんだ?」

「貸して!」

「別に構わないが」

「やったー! じゃ、これ報酬ね!」

 彼女は万歳した後、棒付きのキャンディを差し出した。受け取ろうと手を伸ばしたところで、質問が飛んでくる。

「あれ、どうしたの? その手」

 棗がハンカチを握った左手へ目をやった。

「名誉の負傷だ」

「ふーん、じゃ二階級特進だね!」

「それは戦死した時じゃないか?」

 そもそも高校生の二階級特進とは何か。三年に飛び級できるのだろうか。

「……あ、もしかして保健委員の出番?」

 そう言って小柄な少女は目をぱちくりさせる。その表情は何処となく嬉しそうだった。棗は色々なバイトをこなす働き者のため、勤労に喜びを見出しているのかもしれない。

 しかし守薙が、「それなら私が」と名乗りを上げると彼女はあっさり引き下がった。

 真は鞄を開けてアンケート用紙を探しながら訊く。

「ところで、この時間て保健室は開いているのか?」

「うーん、どうだろ。先生が来てれば開いてると思うけど……」

 棗が生徒昇降口の外に小さく見える保健室の様子を窺う。

「こっから見ても分かんないねー。カーテンはしまってるけど」

 確かにしまってはいるが、保健室の窓は南向きだ。今の時間なら室内に差し込む朝日が相当眩しいだろう。故にカーテンからでは養護教諭の在室は判断できない。

「もし鍵が掛かってても、職員室で借りられるよ。私、前に借りたことあるし。でもまあ、開いてるかもしれないし、とりあえず行ってみたら?」

 真は「そうだな」と首肯し、アンケートを差し出した。

「お、サンキュ、サンキュ。これって提出いつだっけ?」

 守薙がその問いに答える。

「今日中ならいつでもいい、と先生は仰ってましたね」

「オッケー。じゃあ、速攻でコピってくるね」

 棗は手の代わりに紙をひらひらと振ると、中央校舎の方へ駆けて行った。複写室はその二階――、保健室のほぼ真上である。

 真達も後を追うように歩き出す。中央校舎に入ってすぐの東階段を横切り、二部屋目が保健室である。一分ほどで部屋の前まで辿り着いたが、引き戸は開かなかった。残念ながら、施錠されているようだ。

 鍵を借りるため廊下を引き返して二階に上がり、階段横の教務員室まで来る。開けっ放しになったドアをくぐると、中には数人の教師がいるだけだった。おそらく部活の担当教員が朝練に出ているので、こんなに少ないのだろう。まったく早朝から御苦労なことだ。

 室内の教員は皆デスクに張りついて何かの作業に打ち込んでいる。誰も二人の来訪に気付いた様子はない。

 真は扉横の鍵かけを探し、目当ての鍵を留め金から抜き取る。保健室と書かれたシンプルなキーホルダーに二本の鍵がぶら下がっていた。普通の教室と同じく、保健室にはドアが二ヶ所あるので各々に対応したものであろう。

 そのまま退室しようかとも思ったが、一応誰かに断りを入れておくべきかと考え直して話しかけやすそうな教師を探す。すると、見慣れた天然パーマが目に留まった。

「福満先生」

 背後から声をかけると回転椅子がくるりと回って、トドのような肥満体が姿を現した。彼は食べかけのドーナツ片手にこちらへ「やあ」と挨拶してくる。

「おはようございます、福満先生」守薙が丁寧なお辞儀を返した。

「変わったコンビだねえ。喩えるなら、美女と野郎、みたいな」

「それ、喩えになってませんよ」

 真は冷然とつっこむ。しかしそのあと今の台詞は、自分が守薙を美人だと思っていると表明したようなものだ、と気付いて咄嗟に顔を伏せた。

「私そんな、美女だなんて――」

 守薙が恥ずかしそうに手を振って謙遜すると、福満はそれを「またまたあ」と(はや)しながらドーナツの残りを口へ放り込んだ。

「んで、何か用?」

 尋ねる彼に、真はハンカチを握った左手と鍵を示す。

「保健室の鍵を借りていきます。手を斬ってしまったので」

「あ、そう。じゃ終わったら、鍵は閉めて返しといてね」

 そう言ってから福満がデスクの上の大きな紙箱を取って蓋を開ける。そこには目を疑うような光景が広がっていた。気でも違えたようにチョコとクリームが塗りたくられた、大量のドーナツ。見るからに甘ったるくて、食べてもいないのに胸焼けを起こしそうな代物だ。それが両手で抱えるほどの箱にみっしりと敷き詰められていた。

「先生。もしかしてそれ、全部食べるんですか?」

 福満が声を高くして答える。

「当たり前じゃないか。朝ご飯はしっかり食べないと体に悪いからね」

「いや、これは間違いなく逆に体に悪いですよ」

「何言ってんの、そんな事ないよぉ。僕みたいに頭をよく使う人は、これくらいたっぷり糖分を取らなきゃダメなのっ」

 新しいドーナツを手にした彼が子供のようにむくれた。真は呆れかえる。

「もしそうなら、そんなに肥るわけがないでしょ」

 そもそも頭だっていつ使っているんだか……。

 福満の担当科目は英語だが、授業内容は非常にいい加減なものである。毎回行う英作文の小テストは、いつも問題文が「食べ物の恨みほど恐ろしいものはない」とか「この世で最も苦しいのは飢えだ」などの本人が言いたいだけの文言で、ちっとも生徒の語彙力を養おうとする気概が伺えない。それに時折「お腹が空いちゃったから、あと自習ね」と言い残して、姿を消す時がある。とても計算された授業進行とは思えない。

 ちなみに本人は、ケンブリッジ大を首席で卒業したとか、大学に残るよう学長から懇願されたとか、真偽が限りなく疑わしい自慢話をよく吹聴している。しかし真は彼の英語の発音がいいと思ったことは一度もない。

「もおー、しょうがないなあ。そんなに言うなら分けてあげるよ」

 福満が憮然とした態度でドーナツのボックスを差し出した。どうやらこちらが食べ物欲しさに難癖をつけていると考えたらしい。徹頭徹尾、思考が食欲に基づいているようだ。

「すみません。私、今はお腹がいっぱいなので……」

 守薙が心苦しそうに手を前へかざした。真もそれに続く。

「俺も結構です。口の中の水分が全部持っていかれそうなので」

「え~? そんなことないよお。それにちゃんと飲み物もあるし」

 福満は紙箱を大事そうに抱き寄せると、机の下からポットと見紛う特大な水筒を拾い上げた。そのまま蓋を開いてコップへと注ぎだす。

 しかし、注ぎ口から出てきたのは液体ではなかった。なにやらドロドロとした気持ちが悪い黄色の粘性体。それがねっとりと糸を引いている。真は全身に鳥肌が立った。

「な、なんですか!? それ」

 何でもなさそうに相手は答える。

「ん? ハチミツだけど」

「飲み物じゃねえ!」

 反射的に声を荒げてしまった。

「ああもう、相変わらず口うるさいなあ、十七里は。細かい事を気にし過ぎだよ」

 福満がうんざりした表情で首をぶんぶんと左右へ振った。

 いや、それは細かくないだろう。あんな八割がたが糖分の物を飲んだら、どう考えても余計に喉が渇くはずだ。などと考えていたら、

「確かに細かい事を気にし過ぎるのは、十七里さんの悪い癖……、ですね」

 と守薙まで敵に加勢してきた。しかも、何故だかよく分からないが妙に顔が嬉しそうだ。

 ニ対一では分が悪い。真は反撃を諦めてさっさと引き揚げることにする。

「じゃあ、保健室の鍵は借りていきます」

 強引に話を打ち切り、回れ右をする。しかし何歩か進んでから、あることを思いついて背後を振り返る。

「先生、あとで物理準備室の鍵も借ります。返却はいつも通り、帰る時でいいですよね?」

 そう尋ねると、口いっぱいにドーナツを詰め込んだ福満は、喋る代わりに苦い顔をして無言の返答を返した。




 教務員室を出たところで、守薙が不思議そうに尋ねてきた。

「物理準備室に何か用があるんですか?」

「ちょっと仮眠を取るだけだよ」

 その答えに彼女は首を捻る。

「どうして物理準備室で? それに、鍵は返さなくていいんですか?」

 意外と突っ込んで訊いてくる。どうやら林での非日常的な体験が、未だに彼女から普段の慎ましさを奪い去っているらしい。

 この先待ち受けているであろう結末を予期すると、あまりその問いに答えたくはなかった。しかし誤魔化す正当性もないので真は有りのままを話すことにする。

「物理準備室は、実質俺の私室だからな」

 守薙が訝しがるように眉をひそめた。

「断っておくが、ちゃんと許可は貰っている。まんぷくからね。君らの言う、細かい事にたまたま気付いたおかげで好きに使っていいことになったんだ」

「細かい事?」

「それは……」答えようとする真を彼女は慌てて制止する。

「待って下さい。私も当てたいです。――クイズにしましょう!」

 つぶらな瞳がまるで宝物を見つけた子犬のように煌めいた。

 予想外の展開だ。だが、面白い趣向である。「いいだろう」と受けて立つ。

「では、ヒントを頂けますか」

「それならもう出てる。ここからは質疑応答の時間にしよう。ただし質問は、回答が選択形式となるものに限る。回数は……、三回くらいでどうだ?」

 そう提案すると、守薙は真剣な表情で黙り込んだ。どうやら条件を呑んで検討を開始したらしい。

 彼女が思案に耽っているうちに再び保健室の前まで辿り着く。二本のキーのうち片方を鍵穴へ挿すが、硬い手応えに阻まれて回らない。どうやらもう一方のドアの物らしい。こういう時、だいたい初めは外れを選んでしまう気がするのだが、一体どういう原理だろうか。或いは単にそちらが記憶に残りやすいだけで、統計を取ればちゃんと半々になっているのかもしれない。試しに今日から数えてみるか、等とどうでもいい決心をして真はロックを解除した。

 流し台に向かい、ナイフの切り傷に付いた汚れを洗い流す。ちらりと横を見れば、守薙は顎に手を当てたまま静止して相変わらず考え込んでいる様子だった。

 出題がまずかっただろうか。今思えば、いささか難易度が高過ぎる気もする。ざっと考えてみると、そもそも質問三回で解答へ辿り着けるかも怪しい。こういう時つい子供っぽい負けん気の強さが出てしまうのが、自分の改善すべき点であると真は思う。

「何か思いついた?」

 彼はタオルで濡れた手を拭きながら、やや申し訳なさそうに訊いた。

「……そうですね、先ほど十七里さんは、物理準備室の私室化を福満先生から許可された、と仰られました。それは先生の独断、ということでしょうか?」

 一つ目の質問だ。真は「ああ」と肯定する。

「それは変ですね。福満先生の担当科目は英語です。物理準備室の管理者とは思えません。にもかかわらず先生は、十七里さんに部屋の使用権を移譲できた……」

 いきなりいい所を突く。これはいけるかもしれない。

 二人は対面して丸椅子に着席し、傷口の消毒に取り掛かった。守薙がピンセットでアルコール綿を摘み、真の左掌に優しくなぞらせる。するとその途中、不意に彼女が大声をあげた。

「――あっ、部活ですね!」

 大きな目を見開き、こちらへ迫ってくる。

「物理準備室は部室になっていて、福満先生は部活顧問なんです!」

 興奮しているのか、少女の頬は上気して桜色の唇からは白い歯が覗けている。まるでとっておきの玩具を自慢する幼子のような表情だ。

 真は少し椅子を引いてから首肯する。

「そう、物理準備室はオカルト研の部室になっている。あ、これは質問じゃないから、残りの質問数は二のままでいい」

 この学校は部活の数が多い。故に特別教室のほとんどは文化系部の部室も兼ねている。

「オカルト研究会、ですか? そんな部活もあるんですね。初めて聞きました」

 守薙はそう呟くと、血で汚れた脱脂綿をゴミ箱へ捨てた。

「福満先生は部活の顧問のため部室である物理準備室の裁量権を持っていた、……これは納得できました。でもそうなると、今度は新しい疑問が出てきますね」

 白い包帯が取り出され、彼女の細い手が真の左手に添えられる。その温かく柔らかな感触に彼は身を一瞬固くした。

 守薙が包帯をくるくると巻きながら尋ねる。二つ目の質問だ。

「十七里さんは、いつも何時頃に下校されているのですか?」

「十九時前後かな」

「なるほど。十七里さんは物理準備室の鍵をいつも下校時に返却する、と仰っていました。準備室には実験器具やオカルト研の備品があるわけですから、誰もいない時は施錠しているはずです。しかしそれは、オカルト研が十九時まで部室を使用できないことを意味します。これはちょっとおかしいです。今は新入生を迎えるため、どの部も活発に活動しています。オカルト研の皆さんが部室を使わないとは考え難いです」

 包帯を巻く手がぴたりと止まった。

「……部室の明け渡しは、福満先生の独断です。そんな不条理な判断がまかり通るということは、部室はもともと使われていないのではないでしょうか」

 そう自問自答して少女は目を閉じる。握りしめられたままの左手と彼女の赤らんだ顔が、なんだか別の意味に見えて真の鼓動は早まった。「素敵な名前だね」というタイソンの台詞が頭の中で蘇る。

 少女はそのままスイッチが切れたみたいに微動だにしなかったかと思うと、にわかに瞼をかっと開いた。

「十七里さん、最後の質問です。三つのうちから答えて下さい。一、オカルト研は現在活動している。二、オカルト研は現在、一時的に活動していない。三、オカルト研は持続的に活動していない。どれですか?」

 どうやら結論に辿り着いたようだ。これはやられたかもしれない。真は観念したように「三だ」と答えた。

「なるほど。……では、私の回答を言いますね」

 守薙が軽く微笑んで姿勢を正す。彼女の小さな手に包まれた掌が熱かった。

「十七里さんは細かい事に気付きました。でもそれは、福満先生にとって知られたくない事でした。だから先生はそれを黙っていてもらう代わりに、十七里さんへ物理準備室を提供しました。では、その細かい事とは何でしょう? それはオカルト研に活動実態がないことに関係しています。おそらくそれは――」

 少女が小さく息を整える。

「――部費、ではないでしょうか?」

 その言葉に真は口元を綻ばせた。

「部活には毎年部費が支給されます。福満先生は活動実態のないオカルト研を利用して、不正にそれを受給していた。十七里さんはそれに気付いて、沈黙の見返りに物理準備室を自由に使う権利を得た。……どうでしょう?」

 守薙は緊張した面持ちでそう言った後、急に何かに気付いて自信を失ったように首を傾げた。

「あ、あれ? でもこれでは、十七里さんと先生が極悪人になってしまいますね。……ど、どうしましょう?」

 極悪人て。しかも本人に訊いてどうする。

 真は苦笑を漏らしてから言う。

「とりあえず、早く包帯を巻いてくれないか?」

「あっ、す、すみません!」

 守薙が慌てて処置を再開した。真は小さく咳払いしてから切り出す。

「今のはかなりおしい。大勢は合ってる。部費の下りが違うだけだな。俺も部費は真っ先に浮かんだ。でも、少し考えてそれはないと思った」

 包帯に鋏が入れられ、先端が綺麗に結び合わされる。

「どうしてですか?」

「だって、オカルト研だぞ? いかにも部費が要らなそうじゃないか。高校で部活に支給される額なんて高が知れている。だったら、もっと金のかかりそうな部でやるはずだ」

 真は左手を握ったり開いたりして、特に違和感がないことを確かめる。

「確かに。それはそうかもしれません。……あ、きつくありませんか?」

 彼は頷いて礼を述べた。守薙が用具を片付けてからがっくりと肩を落とす。

「私の負けですね……。細かい事って、一体何だったんですか?」

「正解は、部活指導逃れのためだ」

「部活指導?」

「そうだ。この学校には結構な数の部がある。故に教員のほとんどは、何らかの部の顧問とならざるを得ない。だが部活指導は、朝練や休日出勤もあり負担が大きい。できればやりたくない。そこで、存在しても活動しない部活――、ペーパー部活の出番というわけだ。ペーパー部活の顧問なら何もしなくていい。しかも、新たに部活指導を任される可能性も激減する。部員は、帰宅部の生徒へこっそり声をかけて数を揃える。何もしなくていいし、内申もあがりやすくなるとか、上手いこと言って(たぶら)かしたんだろう。あとは活動記録をでっち上げて提出するだけだ。オカルト研ならやり易いだろう。何をやるのかよく分からないし、教師陣も精査する気になるまい」

「……なるほど、そういうことだったんですね」

 守薙は頻りに頷いている。これで小悪党くらいには格上げされただろうか。

「まんぷくは四月の頭から二週間ほど、物理準備室の鍵を紛失していた。ズボンのポケットに入れっぱなしのまま帰宅してしまったらしい。次にそのズボンを穿いてきた日に、鍵が出てきたというわけだ。で、まんぷくはそれを発見した際、『ばれる前に見つかって良かった』と口走り、そのあと俺がいたことに気付いて明らかに取り乱した。英語教師が物理準備室の鍵を持っているのも変だし、反応からして何かあるなと思って少々調べたんだ。それでさっきの内容を思い付いて、鎌をかけるとどんぴしゃりだった。あとは君の推察通りだ」

 真は机に置かれた備品の利用台帳に手を伸ばす。栞代わりに挟まれていた鉛筆で負傷者と治療の内容を記していると、背後から質問が飛んできた。

「気になっていたんですが、物理準備室は授業やその準備で使わないんですか?」

「使ってないね。今はコマ数が厳しいから、実験なんてやる余裕がないんだろう」

「では、掃除や戸締りの確認の際、どうして鍵が無いことに気付かなかったんでしょう?」

 この学校では六時限目の後に生徒全員で清掃を行う。その際は自分たちの教室だけでなく、特別教室も分担となっていた。

「特別教室の中でも、各準備室だけは生徒が掃除しないんだ。実験器具やら薬品の瓶を破壊されると厄介だからな。あと、見回りは多分マスターキーだと思う。でなきゃ大量の鍵を持ち歩く羽目になる」

 そう答えてから退室しようとすると、守薙がおずおずと口を開いた。

「クイズに関してはよく分かったんですが、……あの、私……」

「別に秘密にする必要はない。でなきゃ、俺もわざわざ喋らないさ」

 廊下へ出て引き戸に鍵をかける。今度は一回目で軽快な施錠音が大きく鳴った。少々気分がいい。これで勝率は五割だ。母数はたったの二だが。




 鍵の返却へ向かう最中、守薙が思い付いたようにまた疑問を口にした。

「十七里さん。物理準備室の鍵ですが、二週間も鍵かけが空になっていたのに、どうして誰も気付かなかったんでしょうか?」

「ああ、それは――」と答えようとした時、背後から出し抜けに「おーい」と声がかけられた。

 階段を上る脚を止めて振り返ると、体操服姿の寺浦が左手に持ったバドミントンラケットを振りながら颯爽と駆けて来るのが見えた。彼は追いつくなり、こちらを茶化してくる。

「何事だよ。真がユズ以外の女子と一緒なんて、すげーレアじゃね?」

「そのコメントは聞き飽きた」

「おはようございます、寺浦さん。どうされたんですか?」

 守薙が頭を下げると、寺浦は右手でリストバンドの位置を調節しながら返す。

「ちょっと職員室へ先生を呼びにね」

「ならラケットは置いてこいよ」

「急いでたら、持って来ちゃったんだよ。それよりどうしたんだ、その手」

 寺浦が包帯を巻いた左手を指差した。

「これは守薙に優しく介抱してもらった」

「なんだよ、その羨ましい状況は。つーか、呼び捨てになってるし!」

 彼がラケットで横腹をつついてきた。予想通りの反応だ。が、少しくすぐったい。

 三人は二階へ上がり、教務員のドアをくぐる。先程より教員の数はいささか増えていた。

「じゃ、また後でな」

 寺浦が背中を向けて奥へと進む。しかし急に思い付いたように振り返ると、こちらへ不敵な笑みを向けた。

「そういやさっき、すげーいいネタ仕入れたから。昼休みをお楽しみに」

「楽しいのは君だけだ」

 そんな真の台詞を無視し、彼はすたすたと教師の下へと歩いて行ってしまった。そのすぐ隣の席には、ぺしゃんこに畳まれた紙箱と満足気な表情の福満が座っているのが見えた。

 真は保健室の鍵を返して、今度は物理準備室の物を取る。教室がある南校舎へ移動する守薙と別れ、少しでも眠ろうと西校舎へ向かった。



 ***

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