No,3 ある午後、保健室? でのお話
「いてて……」
文字通り顔が痛い。ボールをもろにくらったからだ。
バスケットボールが顔面直撃。我ながらねらってできることじゃない。あいつら手加減ってものをしらんのか。あとで絶対とっちめてやる。
「痛っ!」
にしても本気で痛い。
「気がついたようですよ」
「え、ほんと?」
男と女の声。先生か?
「もしもーし、起きてます?」
この際だからもう少し寝たふりしとこ。
「ねえ、起きてるんでしょ?」
ゆさゆさ。
女が体をゆさぶるもあえて目をつぶったままにしておく。
「起きてってば」
ゆさゆさ。
しつこい先生だな。いつもサボってるわけじゃないんだから、たまには見逃してくれたっていーじゃん。
たぬき寝入りをきめこんでいると足音が遠ざかっていった。よかった、あきらめてくれたみたいだ。
そう思ったのがまずかった。
「忠告したからね」
そう言うやいなや、毛布をおもいっきしひっぺがす。んでもってオレは勢いあまって床へまっさかさま。
「いってぇーーっ!」
床は固く、ピカピカに磨かれていて。要約すると、痛かった。
「なんだ。やっぱり起きてるじゃない」
「いきなり床に突き落とすことはないだろ!」
「それはたまたま。ちゃんと忠告したって言ったでしょ?」
人を突き落としておいてこの言いぐさ。なんて女だ。
「アンタそれでも先生――」
抗議の声をあげようと口を開きかけて。
「?」
止まる。なぜなら先生の容姿が普通のそれと異なっていたから。金髪に明るい茶色の目。染めてるにしては綺麗すぎだし目は先生にしては好奇心があふれだしすぎている。
髪の色とよく似たクリーム色のワンピース。似合わないってわけじゃない。むしろ似合ってるし可愛い部類に入るんだろう。それでも一般の高校を出歩くには目立ちすぎる。
「どーかしたの?」
女、というよりも同世代の女子といったほうがいいんだろう――が心配そうな顔をする。
「あのー。それ、ヅラ?」
念のためにと聞いてみると怪訝な顔をされた。続いて『この年でカツラをかぶるような女の子がいる?』としごくまっとうな返答がかえってきた。ってことは留学生か何かなんだろーか。そんな話聞いた覚えはないけど。
「あなた庭で倒れてたのよ。感謝してよね。もし見つけたのがアタシじゃなかったら今頃大騒ぎよ」
「……ありがとうございます」
状況がつかめぬまま、促されるままに礼を言う。
「顔もちゃんと冷やしてあげたから。腫れたままじゃカッコ悪いものね」
「それはどーも」
足元にはぬれたタオルがあった。さっきたたき起こされた時に落としたんだろう。
「なーんてね。本当はアタシの連れがたまたま見つけたんだ」
そう言って舌をペロリ。
なら威張るなよ。
そう言いたいところをかろうじてこらえる。今はそれどころじゃない。何か根本的な部分が間違ってるような気がする。
一度、頭の中を整理してみよう。寝ていたのは大きなベッド。大きな窓から視界に映るのは保健室にしては広くて豪華すぎる部屋。目の前にいる女子はどう見ても日本人じゃない。そのわりにはしっかり日本語だったけど。
結論。だったら一体これはどーいうことなんでしょうか。
「大丈夫?」
よっぽど間抜けな顔をしてたのか目の前の外国人が再び心配そうにこっちを覗きこむ。
「あの」
「何?」
「ここ……どこ?」
我ながら間抜けな質問だと思う。でもこれが、ここに来て初めての彼女との会話だった。
「ここはここよ。それしか答えようがないじゃない」
わかるようなわからないような答えが返ってきた。
「そう……ですよねぇ」
でもここはあきらかに保健室じゃない。かといって学校でもないだろう。もしかして今日から通うことになった留学生? なんて都合のいいことも考えたけど……絶対違う。
本当にここは一体――
「あなた変わった格好してるわよね」
と、考える間もなく再び女子が話しかけてくる。
「特に髪と瞳。黒い髪なら見たことあるけど黒い瞳なんて初めて。あなた外国の人なんでしょう?」
明るい茶色の目がくるくると元気よく動いている。
「はぁ」
外国? 外国から来たのはそっちだろ?
……まてよ。むこうにとっておれが外国人なら、それこそここはどこなんだ?
「思い出すなぁ。一年前。まるで――」
「それくらいにしておきなさい。困っているでしょう?」
ふとまとまりかけたある考えが、その人物の声によって中断される。
「もう大丈夫みたいですね。顔の腫れもひいてきたみたいですし」
そーいえば、はじめに聞いたのは男と女の声だった。
こっちは金髪碧眼のちゃんとした大人の男。人のよさそうな顔だちをしている。色白かつ長身からして典型的な外国人だ。そのわりには日本語うまいな。さっきの女子もだけど。
「あなたは?」
「あなたの第一発見者ですね。この方をお探ししているときに偶然見つけたんです。庭に転がっていたものですから危うく踏みつけるところでした」
この方、女子の方を指差して言う。
「ははは……」
踏みつけられなくてよかった。
話し口調からして彼女の保護者かなんかかな。なんとなく物腰も柔らかそうだし。
「行き倒れなんて今時珍しいですね。しかも人様の庭に。……失礼ですが、あなたのご出身は?」
と思ったのが間違いだった。
「は?」
質問の意味がわからず首をかしげると笑顔で続けられる。
「どこから来たのかと訊ねているんです。あなたが泥棒という可能性もありますから」
本気で失礼だな。それに、なんかえらい言われよううだし。
「ここまで運んでもらったのは感謝しますけど、そう唐突にいわれて答える義理なんて――」
「ご出身は?」
「…………」
人好きのしそうな笑みで同じことを言う。
ヤロー。
「榊町東区3丁目22-5」
「質問を変えます。あなたの祖国は?」
正直に答えると今度は別の質問をされた。
「日本です」
「ニホン?」
女子がおうむがえしに聞く。
「珍しい名前ね。知ってる? ア――ふがっ!」
「ニホン――日本ですか?」
女の口を手でふさぎながら、男が驚いたような声を上げる。
「それは地球にある島国の名前ですか?」
「う、うん」
勢いに圧倒され、こくこくとうなずく。にしても地球の島国って大げさな。
「日本……」
「あのー?」
ただ事ではなさそうな表情に顔をしかめるも男からの返事はない。
「ううーー」
腕の中で女がなにやらうめいているも、それは完全に無視されている。
「ということは――」
「あのー。こっちからも質問ですけど、ここってどこなんですか?」
沈黙を破ろうとオレから質問してもやっぱり無視。
「うううううーーーー」
「あのー」
「…………」
話を聞けよ。
「あのっっ!!」
「はい?」
「手、放してあげたほうがいいんじゃ」
さすがに抵抗する力もなくなったのか男の腕の中で女子がぐったりしていた。
「これは失礼」
手を放すと女がばったりと倒れる。あれだけ息を止められてたんだ、しばらくはしゃべれないだろーな。
「何するのよ! 息が止まるところだったじゃない!」
――でもないか。でも男はそれを無視して話を続ける。
「わかりました。お教えしますからあちらを向いてください」
驚いた表情を元に戻し、親切そうな笑みを浮かべながらさっきと似たようなことを言ってくる。
「なんで」
そんなことをしなきゃならないんですか。
「向いてください」
そう問いただす前に笑顔の応酬。だんだんこの笑顔がうさんくさいものに思えてきた。
わかったよ。向けばいいんだろ!?
「そうそう。できれば目もつぶってください」
「なんで」
「つぶってください」
しかも要求が増えている。
「これでいいんでしょ?」
やっぱりあれはエセ笑顔だったんだと確信をもって目をつぶる。ここまでくると半ばやけくそだ。
「もう少しで元の居場所に戻れますから。少し痛いかもしれませんが我慢してください」
痛い?
「それってどういう……」
「ちょっと、何するの!?」
オレの声と女のこえがハモる。なぜか『せーの』というかけ声まで耳にとどく。
「へ?」
悲鳴じみた声に身の危険を感じて思わず振り向いたその時、視界に入ったのは男の笑みと巨大な物体。
ゴンッ!
当然よけれるはずもなく何かが後頭部を直撃。当然、オレは意識を失った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
《シーナという人にあったら伝えてください。『時を紡ぐ旅人が現れた。水のかけらをかの者に渡してください』と》
何が『時を紡ぐ』だよ。わけわかんねーよ。
顔面の次は後頭部か? これじゃそのうち頭がつぶれるぞ。
「おーい大丈夫かー?」
「大丈夫なわけねーだろ!」
ガバッ。
「いててて……」
「ほら言わんこっちゃない。もう少し寝てろ」
「坂井?」
「だから悪かったって。そうむきになるなよ」
目の前にいるのは確かに坂井だった。金髪の女子でも人のよさそうな顔をして人を殴った外国人の男でもなく坂井。
「どうした? さっきからぼーっとしてっぞ」
「寝ぼけてんだよ。……ところで坂井」
「ん?」
「なんでここにいるんだ? 昼休みとっくにすぎてるだろ」
「昇くんが心配でこうして付き添ってやってたんだよ。うーん、オレってなんて優しい」
やっぱり最後の付き添い発言はお前だったか。
「……ついでにもうひとつ聞くけど、お前オレがここで寝てる間何かした? 頭殴ったとか」
「なんでそんなことしなきゃなんねーんだよ」
そりゃそーだ。ってことは、やっぱあれはオレの思い過ごしか。
「まあ、しいて言うなら」
「言うなら?」
坂井は細めの目をさらに細めてこう言った。
「耳元で子守唄歌ってやった。よく眠れたろ?」
「悪夢にうなされたわっ!!!!」
反動で再び起き上がる。
「怒るな怒るな。ちょっとしたお茶目なんだから」
そのお茶目にうなされる身にもなってみろ! ったく。
「でもおまえ、よっぽど打ち所悪かったんだな。後頭部コブできてるぞ。殴ったってそのこと言ってたのか?」
確かにコブがある。夢――じゃなかった!?
「痛っ!」
どうやら無意識のうちに手をやっていたらしい。苦笑しながら坂井が声をかける。
「さわるなよ。どうせすぐに治るだろーし。
もう帰ろうぜ。帰りまでお姉さまと一緒なわけじゃないだろ?」
「……わかった」
やっぱあれって夢だったのかなー。
それは、ある平和な午後の出来事だった。
「これが全ての始まりでした」後に弟子は涙ながらにこう語ったといいます。