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読後

作者: 義倉 茶房

 茹だるような暑さだった。外には燦々と日が差し、太陽が地面を焼いている。僅かに雲が浮かぶ青い空と、窓に映るくらいに伸びた向日葵が、我が物顔で此方を見ている。開け放たれた古い木枠の窓から、ミンミンという蝉の声と近所の人々の声が聞こえる。鬱陶しい程に、賑やかだ。子供の声が多いから、今は夏休みなのだろうか。向日葵の向こう、暗い色の木の塀の奥では、白い運動靴を履いた子供達が、虫取り網でも持って走り回っていることだろう。

 そんな明るい外とは違い、この部屋は嫌に暗い。古い古い木造建築の、その中の一部屋だ。暗い色の壁と開け放たれた窓、一見解放的に見えるが、どこか隔絶されて見えるのは、私の気の所為だろうか。床の畳は、使い古されているのか、既に藺草の匂いはなく、黄色く日に焼けている。所々にぼそぼそと、ちくちくとしたはぐれもの達が、鋭く天を仰いでいる。そこを踏まぬようにしながら、私は一歩、部屋へと歩みいる。足の裏には、畳の跡がつくだろう。じっとり…、べったりと、足の裏の皮膚にしがみついて、皮が伸びる感触がある。その後はべりべりと薄皮を剥ぐように、恨みがましく離れていって、その奥でギィギィと木の板が悲鳴をあげている。酷く不快だった。

 音を立てたくないのに…。目線を、部屋の奥にやると、其処には座卓がある。座布団が置かれた、ニスが剥がれかけた机に向かい、一人の男が背を丸めている。浴衣か着物か、黒い角帯で、胡座をかいて、ずっと机に向かっている。寝ているのではない。ずっと手が動いているからだ。これだけ音を立てているのに、此方に意識を向けることなく、ずっと机だけを見ている。

 私の手には、丸い木のお盆があり、麦茶が二つ乗っている。あぁ、これを持ってきたのだった。そう思い出した。透明なグラスの中で、茶色い液体と中で白濁した四角いものが泳ぎ、時にグラスにぶつかってカラカラと音を立てた。煩いと、私は声に出さずに叱咤する。これは、どこに置くべきか。既に、グラスも私も汗をかいている。私はじんわりと、グラスははっきりと、もう瞬きもせぬ間に氷は溶けて、お盆の上には輪の形した水溜りができることだろう。そんなものを、机の上に置くわけにはいかない。仕方なく、私はその場に座り、畳の上にお盆を置いた。飲みませんか?とは、声をかけなかった。

 湿度が高く、気温も高い。まるで肩に伸し掛かるように、空気は確かな質量を持って、この部屋に留まっている。それなのに、どこか肌寒いのだ。背骨の奥を、ゾクゾクと、何かが這い上がるのだ。肌はボツボツと、寒さでイボができている。不思議な部屋だ。

 男だけが平然と、この暑さも寒さも知らず、筆を走らせている。あぁ、筆と言ったが、男が本当に筆を持っているかはわからない。万年筆かもしれないし、鉛筆かもしれない。だが、何かをずっと書いているから、私は筆と称した。此処には紙の匂いしかないから、男が何を使っているかわからないのだ。

 狭い部屋の真ん中で、私は両膝を立てて座る。氷が麦茶と交わるのを尻目に、天井のシミを数えた。木造の天井には、大小様々なシミがある。一つくらい、人の顔に見えるものもあるだろうか。夜、一人で此処に寝るのは、少し嫌だなと思った。

 目を閉じる。真っ暗な世界で、時折色とりどりの筋が散る。ブツブツと、声がする。何を言っているのか、私にはわからない。だが、この声は、この部屋に入ったときからずっと、聞こえていた。男だ。あの男がずっと、私に背を向け喋っている。誰に聞かせるでもなく、誰に伝えるでもなく、それでもずっと、男は一人で喋っている。窓を開け、外とを繋げていながらも、男はこの部屋で一人だ。こうして内へ踏み入ったとて、男は気が付くこともなく、ただ背を向け、何かを一人で喋っている。この言葉が、或いは男の文章なのだろうか。残念ながら、私がそれを知ることはないだろう。何故なら、男はもういないのだから。


 気が付けば、私は私の部屋にいた。ずっと、ぼんやりとしていた。ローテーブルの片隅に一冊の本が置かれている。読了には、程遠い。




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