第四話
『羽生の巫女。そこにいるよね?』
校内放送が鳴る。この声は完全に狛梨のものだ。
「こ、こまちゃん!?」
先に反応したのはイヅナだった。耳と尻尾が驚いたように逆立つ。
『え、イヅナちゃん!? なんでそこにいるの!?』
狛梨の焦ったような声に、なるほどと鈴乃は顎に指を置いた。
どうやらイヅナの存在は、彼女にとっては想定外だったらしい。
「イヅナはうちのアホ神が神性を与えて妖怪にしてしまったのよ」
淡々と事実だけ述べると、校内放送の向こう側で狛梨が慌てている気配がする。
ハウリングが校内中に響き渡ったため、眉をひそめながら耳をふさいだ。
『とにかく、巫女は赦さないから』
ぶつりと、それっきり放送は切れてしまった。
「これ、どういうことなんでしょう!? な、なんでこまちゃんが!? どうして、こんな世界に!? こまちゃんを助けないと!? で、でもでも──」
混乱しているイヅナに、鈴乃はチョップをする。
「はう!? な、何するんですか……!」
赤く腫れ上がった額を抑えて、イズナはうずくまった。耳と尻尾は不満そうにたれていた。
「落ち着きなさい」
呼吸を整えて、鈴乃はお札を一枚取り出した。
「落ち着けって言われても……」
それはそうだ。彼女にとっては分からないことだらけだ。しかし、説明している暇はない。
「『陽月』『守護せよ』」
鈴乃が唱えると、お札が淡い光を放つ。そのままうずくまっていたイヅナの額に張り付けた。
お札は吸い込まれるように、消えていく。
「な、なんですかこれ?」
「何があるかわからないから……念のための結界よ」
素っ気なく言いながらも、鈴乃の頬は少し赤い。それを誤魔化すように、教室のドアから顔を出した。
奥に続く廊下はどこまでも続きそうだ。奥の方は薄暗くよく見えない。空気が冷えて感じるのは、気のせいではないだろう。
「そ、それでどうするんですか?」
「狛梨を探すわ。彼女が原因なのは明らかだから」
「……こ、こまちゃんを殺しちゃうんですか?」
こんな状況でも相手の心配するあたり、イヅナらしいなと思う。その優しさが、不思議と心中を柔らかくしてくれる。
「状況によりけりね。殺す必要がないならそれに越したことはないんだけど」
風が通る。髪が乱れる。
慌ててイヅナを抱えて、教室の中に避難した。
窓ガラスが一斉に壊れる。机や椅子が、まるで紙くずのように宙を舞った。
「きゃーー!」
イヅナの悲鳴を聞きながら、鈴乃はお札を一枚鎖鎌に変える。
「ふーん、ずいぶんらしいじゃない」
教室には、大きな白い犬がこちらを見下ろしていた。獰猛な白い牙に血走ったような目。低く唸るその姿は、犬というより狼にしか見えない。
犬の口元から涎が垂れる。床につくと、一部分が焦げて穴があいた。
『羽生の巫女……!』
「一々名前を呼ばなくても分かってるわよ。それで、なんで私を狙うわけ? 私の力を知らないってわけではないでしょ?」
『黙れ! お前が大狼様を穢したんだろう!』
彼女が吠えると、圧が風のように襲いかかってくる。隣のイヅナがしゃがみ込んでまたしても大きく叫んでいた。
……なるほどねと、すべて合点がいく。
昨夜からおかしいと思ったのだ。なぜ、大狼の名前が底辺妖怪から出てくるのか。
この町は天照系譜の神が見守りし土地。羽生の巫女がそのモノの代わりに使命を真っ当せし土地。
ただの人間一人でさえ、神性が他の町よりも多く宿っているのだ。
弱り、穢れた大狼は──この地の神性を求めている。しかし、羽生の巫女の存在を知っているから自分では手を出さない。
「堕ちたな」
その一言はいつもよりも冷え、感情が乗ってなかった。
『羽生の巫女! 死んで詫びろ!』
狛梨とは思えない歪んだ声が襲う。右前足を振り上げて、こちらに目線を定める。
「別にあんたが悪いとは思わないよ。ただ、お前は一つ致命的なミスをした」
鎖鎌を回し、分銅を投げる。左前足に引っ掛けて引っ張った。
大犬になった狛梨は体勢を崩して、頭を床に擦りつけた。
「イヅナを巻き込んだのは間違いだった」
狛梨の瞳と視線が合う。彼女の血走った目は、少し動揺したように揺れていた。
『ちが……私だってそんなつもりないは……!』
鈴乃の眉が、ほんの僅かに動いた。
「言い訳無用!」
鎖鎌を振り下ろし、白い毛が散った。
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「ど、どうなったのですか?」
イヅナが恐る恐る顔を上げてくる。耳は寝てしまい、尻尾も垂れている。震える肩は、怖かったのだと物語っている。
こちらと視線が合うと、イヅナは鈴乃の肩を掴んでくる。
「こ、こまちゃんはどうなったんですか!?」
怖い思いをした自分より、友達の心配をまずするところが彼女らしいと苦笑する。
「安心していいわ」
指を差した。そこには、ジャージ一枚姿の狛梨が正座している。変身が解除された狛梨は裸だったため、鈴乃が貸した。
彼女は完全に戦意喪失している。生えてる犬の尻尾と耳は、心情を表すように垂れている。
「しばらくはアホ神の神性で妖怪化できないようになってるわ」
そう言うと、イヅナは胸を撫で下ろした。
「こ、こまちゃんよかった……生きてたんだ」
「よかったと言うにはまだ早いけどね」
「……どういうことです?」
イヅナの問いに鈴乃は顎に指を当てた。
「“元凶が変身を解除したのに、この空間から抜け出せていないからよ”」
その一言を示すように、空気の重さが増したような気がした。




