第二話
神開町の山奥に、ひっそりと神社が建っている。山の神を祀っているという小さくも古き良きものだ。
鈴乃はそこの巫女として、若くして当主を任されていた。
父はいない。幼い頃、妖怪に殺された。
母は彼女が十二の時から五年ものあいだ帰ってきていない。たまに手紙を送ってくるから、どこか遠くの地で妖怪退治でもしているのだろう。
そういうわけで、山の神の加護は、鈴乃が一身に背負うこととなった。
面倒くさいと思ったことはない。生まれたときから決められた道だから。妖怪退治自体は飽きているが、それが自分の職務だと理解してる。
欠伸をしながら社務所を出ると、巫女服に身を包んだイヅナが境内で箒を掃いていた。
「あ、鈴乃さんおはようございます!」
起きたばかりの鈴乃を見ると、彼女は耳と尻尾を忙しなく揺らす。眩しい笑顔を向けて、こちらに手を振ってきた。
鈴乃は軽く手を上げて応える。
「今日も早いわね……。ちゃんと寝てる?」
「はい、もうぐっすりです!」
「人間にも馴染んできたわね。……あの子にはもう話しかけたんでしょ?」
「ふぇ!? す、少しだけなら」
恥ずかしさを隠すように大きく揺れている尻尾を見て、飼い犬みたいだと心の奥で呟く。そんな自分で少しだけ苦笑した。
「それなら良いんだけど」
ふわっと再び欠伸をして、朝ごはんを作ろうと踵を返す。そんな鈴乃の背中に、イヅナは声をかけてくる。
「今日から鈴乃さんも高校に行くんですよね?」
ピタリと動きを止めた。振り返って、イヅナと顔を合わせる。
純粋そうな光を宿してる瞳が、やけに刺さる。
「少し前から約束してましたよね?」
「……さぁて。今日のご飯は焼き鮭かな?」
「鈴乃さん!」
イヅナの声を聞かなかったふりをして、社務所へと戻った。
※※※※※※※※※※
「……巫女服でも良いじゃない?」
紺色セーラー服のスカートの裾を引っ張り、鈴乃は眉根を寄せる。
現在、イヅナに押し切られて、学校に通うことになった。
神社の仕事で行けていなかったが、イヅナが手伝ってくれることで暇な時間が増えた。昼間に寝てばかりなのはどうかと思う、とイヅナに言われた。
当然最初は断った。今さら学生生活なんて、鈴乃は性に合わない。しかし、熱量に押されて、承諾してしまったのだ。
ヒラヒラと揺れるスカートはとても頼りない。いつも長い袴を履いているせいで、余計にそう思う。
「ダメです〜! コスプレ女が来たと思われますよ」
通学路、同じ制服を着ているイヅナが歩く。耳と尻尾は最初のころと比べて、うまく隠せるようになった。
「事実なんだけど、普段狐巫女服の人に言われると……ちょっと腹立つ……」
「ひどいです!」
彼女はショックを受けながらも、満面の笑顔だった。よっぽど一緒に学校へ行けるのが嬉しいのだろう。
もし尻尾が見えていたら、大きく振っていただろう。
「おっはよう〜、イヅナちゃーん!」
そんな二人の間に、元気な声が割り込んだ。
振り返ると、イヅナよりも小柄な女の子が手を上げて走ってくる。
茶色のポニーテールに、日に焼けた健康的な肌。目は人懐っこそうに大きく茶色い。可愛い妹のような雰囲気の子だった。
「おはようこまちゃん!」
二人してキャーキャー叫びながら手を取り合う。その場でジャンプしあって喜ぶ姿は、年ごろの女の子らしさがよく出ていた。
鈴乃はカバンを肩に掛け直しながら、見なかったことにして足を速めた。
「で、イヅナちゃん。その人はだぁ〜れ?」
「この人は巫女さん!」
そのあまりの直球ぶりに、鈴乃は思わず吹き出した。
「巫女? あー、あのボロ神社の!」
「ボロくないっつってんでしょ!」
振り返り、イヅナの友達に全力で突っ込む。
イヅナのほうを睨むと、顔をそらされた。わざとらしく口笛を吹いている。
「あっはは、巫女さん面白いね! じゃ、私は先に行くから!」
それだけいうと、全速力で先に消えていった。
たった数分なのに、朝から魂ごと削られた気がする。額の間に指を置いて、小さく息をついた。
「彼女は友達?」
呼吸を整えると、イヅナに尋ねる。
「そうだよ。クラスメイトの犬山狛梨ちゃん」
「犬山……ね」
その名前を聞いて、少し考える。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
彼女は人間ではない。人間に混じって暮らしている妖怪だ。
といっても、あの様子からかなり人間の世界に馴染んでいるということがわかる。
人間に紛れて暮らしている妖怪なんて、珍しくない。長く生きるコツとして、共に歩むことを決めた者たち。
そういう人たちは、妖怪仲間にさえバレないほどの偽装能力を持っている。この町で気づけるのは、鈴乃くらいだ。
鈴乃が引っかかっているのは、狛梨が妖怪だからではない。彼女の妖怪としての種族だ。
薄っすらと感じた犬系の家系。名前の法則性からしても、間違いないだろう。
引っかかるのは、昨夜の妖怪が言っていた『大狼』のこと。犬系妖怪の守り神として、よく名前が出てくるのだ。
「ま、考えすぎかな」
「……どうしたんですか?」
首を傾げるイヅナを置いて、先を歩く。
狛梨のあの様子から、この町には長いこと住んでいることは間違いないだろう。そんなものが、この町で悪事を働くとは思えなかった。
ただ、胸のざわめきがどこか引っかかりとして残る。




