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エピソード04 踏み外したその先で

 無事に巨人を突破した三人が駆け込んだ建造物は、ろうそくと篝火だけが揺れる、薄暗い空間だった。


 背後を警戒する三人だったが、外にいるはずの怪物たちは中に入ってくる様子もなく、建物の中にも誰かがいる気配はない。



「ひとまず安全……ってことかな?」


「みたいだな。ふぅ、ヒヤヒヤしたぜ」


「ほ、本当に……あんな無茶するなんて……」


 どうにか安全地帯にたどり着き、三人はほっと息をついた。


 今のところ敵がなだれ込んでくる気配はないが、外に怪物がうようよいることを考えれば、長居は無用だという思いは三人とも同じだった。


 顔を見合わせて頷くと、自然と視線は下の階層へと続く階段へ向かう。



「さて、第二層……噂では第一層よりもずっと過酷だって聞くけど、さっきみたいにいきなり大群が押し寄せてくるなんてことは、さすがにないよな」


「だとしたら、誰も第二層を生きて越えられないよ」


「こ、怖いです……」


「まあ、悩んでても仕方ない。行くぞ」


 先ほどの奇策は、もう通用しない。一度きりの賭けだったのだ。


 もし、あの巨人のような存在が複数現れでもすれば……なすすべなく全滅するだろう。


 不安を抱きながらも、三人は階段を一歩ずつ降りていく。



「ん……なんだ、この音……」


「う、後ろ……階段が――」


 ぱらぱらと、砂が崩れるような音が静けさの中に響いた。


 ロイが足を止め、アリアが後ろを振り向く。彼女は震える指で、降りてきたばかりの階段を指さす。



「……なるほど。引き返せないってことか」


「も、もし第二層で生き残れなかったら――」


「逃げ場もなく、追い詰められて死ぬしかない、ってわけね」


 三人が見たのは、まるで砂のように崩れ落ちる階段だった。


 一歩進めば、一段崩れる。戻ることのできない、一方通行の道だった。



「おっ、外だ――」


「っ、これは……」


「最初に第一層に降りた時も見たけど……やっぱり怖い……」


 光が差し込む出口を抜けると、そこには第一層と同様に地獄のような光景が広がっている。


 そして、それは第一層よりもさらに広大な土地のように思えた。


 第一層は乾ききった空気と、腐敗と炎の臭いが立ち込める灼熱の地獄だったが、今、彼らの眼下に広がるのは──湿気に満ちた、肌にねっとりとまとわりつくような空気と、獣の強烈な臭気が支配する、別種の地獄だった。



「まいったな……過酷とは聞いていたけど、なんか変な病気にでもなりそうな場所だ」


「じめじめしてて、蒸し暑い……最悪ね」


「うぅ……何がいるんだろう……」


 階段を下りながら、三人は第二層の風景に不安を募らせる。


 足を進めるごとに、湿度が確かに高まっているように感じられた。


 そうしてたどり着いた第二層の大地は、第一層の“燃え盛る廃墟”とは異なり、自然に呑み込まれた“朽ちた遺跡”のように見えた。


 遠くから、獣のような──しかし誰も知らない異形の咆哮が響き、絶え間なく争いの音が鳴り続けている。



「とりあえず、ここで戦ってる人を探そう。第一層と同じなら、中心に行くほど敵が増える……つまり、生き残ることが目的の人たちは、きっと外周にいるはずだ」


「わ、わかった!」


 三人は武器をぎゅっと握りしめると、一斉に駆け出す。


 だが、瓦礫や廃墟が点在していた第一層とは違い、第二層には舗装された道など存在しない。


 茂み、蔦、崖……三人の進路を阻むものばかりだった。


 そのとき、ガサガサと草木をかき分ける音が聞こえた。


 敵か? と、三人は緊張を走らせる。


 だが、その音はのろまなゾンビもどきが発するものではなく──何か、素早く動くものだった。



「お、もしかしてこっちに気づいた人間か? おーい、誰――」


 ……油断。いや、慢心だったかもしれない。()()()()()()()()()()という。


 順調だった旅の終わりは、あまりにも唐突だった。


 草木をかき分ける音が、ぴたりと止まる。


 次の瞬間、茂みから何か細長い影が飛び出し、呑気に手を振って近寄っていったロイの喉元を──食い千切った。



「ひっ――」


「っ、逃げるよ!」


 鮮血が噴き出し、草の緑を真っ赤に染め上げる。


 振り向きざま、助けを求めるような瞳で倒れたロイの目からは──もう、光が失われていた。


 言葉にならない悲鳴を漏らすアリア。その肩を掴み、メラは即座に判断を下す。


 ロイはもう助からない。第一層の敵とは異なる、本物の“死”がそこにはあった。


 ほんの一瞬の判断の遅れが、自分たちの命を奪うことを、メラは直感で悟ったのだ。



ーーーーーーーーーー



 少女たちは逃げる。


 茂みをかき分け、木枝で身体に切り傷を作りながら、一心不乱に走った。


 背後からは、ロイの水音混じりの嗚咽のようなものが聞こえてきた。だが、それもほんの一瞬のこと。


 すぐにその声は途切れ、代わりに聞こえてきたのは──獣のうなり声のような異音と、こちらを追ってくる足音だった。



「っ、ここに!」


「う、うんっ」


 逃走の途中、開けた場所に出る。周囲を素早く見渡したメラは、小さな洞穴のような空間を見つけると、アリアを引っ張ってそこへ駆け込んだ。


 しかし、それは洞穴と呼ぶにはあまりに狭い。ただの岩陰。身を縮めれば外からは見えないだろう……という程度の物陰だった。



「っ、ロイ……ロイが死ぬなんて……っ」


「こ、これから……どうしたら――」


「わかんないわよっ! こんな見通しの悪い場所で、あんな獣に矢なんて当たるわけ……!」


 髪を掻きむしるメラ。


 これまでロイが真っ先に飛び出し、敵の注意を引きつけてくれたからこそ、彼女は冷静に狙いを定められていたのだ。


 その現実を、今になって痛感する。


 そして、相手が“獣”であることを改めて意識したとき──


 メラは、がたがたと身体を震わせながら、顔を青ざめさせていった。



「獣……獣なら、臭いで私たちを見つけて――っ!!」


「っ、メラさんっ!?」


 半ば錯乱状態だったメラは、こんな場所に隠れていても無意味だと感じたのだろう。


 突如として立ち上がり、岩陰から飛び出す。


 だが、冷静さを欠いた者が導き出した選択が、悪手になるのは──決して珍しいことではない。



「ひっ……なんで、増えて……っ!? や、やだ……来ないで――っ!」


 唸り声が三つ。


 上ずったメラの叫びが耳に届いた次の瞬間、それは苦痛に染まった絶叫へと変わっていく。


 アリアは耳を塞ぎ、身体を極限まで縮こませながら、ただただ震え続けていた。


 仲間を助けることも、その場から逃げ出すことも、何か行動を選ぶことすらできず、

 ただ怯え、神に祈るしかなかった。


 ──幸運だったのは、メラの予想に反して獣の嗅覚が鈍かったことだろう。


 メラの血肉を貪り尽くしたあと、それらはやがて、何事もなかったかのようにその場から姿を消していた。


 


 そして――



ーーーーーーーーーーー



「私は……そこから動かずに一週間過ごして、転刻の時節を迎えたの。それからは第二層から離れたい一心で、ひたすら中央に向かって走って、走って、走って……第一層の天国に降りたところで、また転刻の時節がやってきたの。……ルナちゃんに助けられたのは、その時」


「――そう、だったんだ」


 なぜ第一層の外周で、一人怪物から逃げ回っていたのか。その答えを、ルナは知る。


 トラウマ同然の過去は、決してこの短い時間で癒えるはずもなく、アリアは怯えたように小さく身体を震わせていた。



「アリアは、ここに居たい?」


「え……?」


「この世界に、居たい?」


 アリアの手をぎゅっと握り、ルナが無垢な瞳で見つめる。その問いの意味を、アリアはすぐには理解できなかった。



「い、居たくないよ……お家に帰りたい……!」


「じゃあ、ここに――第一層に居れば、お家に帰ることができるの?」


「それ、は……い、いつか誰か助けに……救助隊とか――」


 目を泳がせながら、ありもしない希望を口にする。


 明らかに異常なこの場所に救助隊など来るはずがない――それは、アリア自身も理解していた。


 このまま第一層に引きこもって、生き延びることだけを考えていれば、たしかに生き残ることはできるかもしれない。


 だが、それが何週間、何ヶ月、何年続くのか……誰にもわかりはしない。



「私は、自分が誰だか知りたい。何も知らない、何も覚えてない……でも、他のみんなは自分が誰かを知っていて、ここじゃないどこかで生きてた記憶を持ってる」


「……うん」


「なら、ここに居るのはきっとおかしい。帰る方法があるなら帰るべき。少なくとも今の私には、それがない」


「そ、そんなことっ! ルナちゃんにもきっと――」


 どこか憂いを含んだ笑みを浮かべ、物悲しげに語るルナ。


 記憶がない自分には、帰るべき場所がない――その言葉を否定しようとアリアが顔を上げるが、続く言葉をせき止めるように、ルナの小さな指がそっと唇に触れた。



「なら、それを見つけるためにも……たとえ見つからなくても、私以外のみんなが帰る方法を見つけに行きたい」


「なん、で……そんな、子供のルナちゃんがそんなことする必要なんて――」


 無私の願い。知り合ったばかりどころか、まだ出会ってもいないこの世界の誰かのためにとルナは語る。


 その日を生き抜くのに必死だったアリアには、見知らぬ誰かのために歩みを進めるルナの姿が、理解できなかった。



「きっとそれが、私という人間だから」


 幼いながらに、無垢な善性をたたえた微笑みを向け、ルナは覚悟を決めたように天国の中央を見据える。


 彼女は先へ進む。どれほどの困難が、どれほど過酷な地獄が待ち受けていようと。


 それが、自分のしたいことなのだと、強い意思をもって歩き出すのだろう。


 ――だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()というのは、人間性と呼べるものなのだろうか。

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