雪のように白い肌も、血のように赤い唇も、黒檀の黒い髪もいらない
婚約を破棄することになった。
婚約者だった王子が、山ひとつ越えた隣国から姫を連れ帰って来たからだ。
そもそもは、外遊に出ていた王子から、早馬で報せが届いたのが始まりだった。とても美しい姫の遺体を連れて帰ると。
アマーリエの家族だけではなく、国王たちも驚いていた。なぜなら伝令の使者は、「王子はその遺体を妻にするつもりです」と言ったからだ。
だから、王子が帰国してすぐに結婚式が挙げられるように準備をして欲しい、と。
そんなことは前代未聞だ。王位を継ぐべく生まれ育った王子が、死者と結婚するなどと。
不吉だ、縁起が悪いと、城では大騒ぎになった。当然だ。
けれどアマーリエだけは、特に驚かなかった。そういうこともあるだろうと、静観の構えだ。
そして王子は、それはそれは美しい女性を連れて帰国した。
なんと姫は、城に入る前に蘇ったのだ。彼女の遺体はガラスの棺に納められていたが、運んでいた従者が躓いた時、喉に詰まっていたリンゴが飛び出したのだという。それで息を吹き返した。
(そんな馬鹿な)
そう思ったのはアマーリエだけではないはずだが、王子に連れられてやってきた姫は、確かに生きて、歩いている。
死者の復活はむしろ吉兆ではないかと、姫は当初よりも明るい空気で迎え入れられた。
屋敷で王子の帰りを待っていたアマーリエも、王城で一行を出迎えた。
そこで見たのは、雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀の窓枠のように黒い艶やかな髪をした、作り物のように美しい女性だった。
一目見た瞬間に、自分ではこの美しさに敵わないなと思った。
だからアマーリエは、淡々と婚約破棄に同意した。
王子は姫の美貌に夢中で、長年婚約していたアマーリエのことなど気にも留めない。
(別に、いいけれど)
アマーリエの方も、別に王子に特別な感情があった訳ではない。
二人の結婚式は、大々的に執り行われた。アマーリエも招待されたので出席したが、こんな結婚式は初めてだった。
披露宴の席で兵士に引きずられてきたのは、隣国の王妃。姫の継母だという。彼女は焼けた鉄の靴を履かされていて、参列者の前で死ぬまで踊り続けていた。
王子はそれを満足そうに、姫はにこにこと微笑みながら見ていた。
(……こんな結婚式、わたしは嫌ね)
漂う肉の焦げる匂いから逃げるように、式場の壁際に身体を寄せる。参列者のほとんどが、アマーリエと同じように動いていた。
「……アマーリエ」
「クラウス」
そっと声をかけてきたのは、第二王子のクラウスだった。兄の結婚式だというのに、げっそりとやつれた顔をしている。
アマーリエは王妃となるべく育てられた。二人の王子とも幼い頃からの付き合いだが、同い年であるクラウスとの方が親しいかもしれない。
「庭へ出ないか。気分転換に」
「ええ。テラスは皆さんが集まっていらっしゃるものね」
クラウスに誘われるまま、アマーリエは大広間を抜け出して庭へ向かうことにした。
「兄上は昔から変わっていたが、この結婚式はその程度じゃ済まないな」
クラウスは庭を歩きながらため息をついた。アマーリエもそれに頷く。
「殿下は女性の趣味もちょっと……。わたしに、お茶会の時は身体も表情も動かさず座っていろとか、わたしのよく冷える手が好きだから手袋をするなとか、おかしな事ばかり言ってらしたもの」
庭にはアマーリエたちだけでなく、式場から逃げ出してきた人たちがたくさんいる。けれどこちらの姿を見ると、声が聞こえない程度の距離を置いてくれた。
お陰で、なんの気兼ねなくクラウスと話すことができる。
「弟の俺が言うのもなんだが、姫は兄上のどこがいいんだ? 確かに優秀だが、人としては、その……」
「あの姫も、どこかおかしいわ。一度お茶会をしたけれど、あのお継母さまに三度殺されたのですって。ずうっと笑顔のまま、そんな話をされるの」
姫はいつもにこにこと微笑んでいる。まるで人形のように、絹糸一本ほどの揺らぎもない笑顔だ。
不幸な生い立ちを話す時も、王子と並んで散歩している時も、継母が踊り死ぬのを眺めている間も、その美しい顔にはまったく変化がない。
なるほど、確かにあの王子が好みそうな女性だと思った。
「一度なら奇跡だ。でも、三度の蘇りはどうなんだ?」
「殿下が姫のご遺体を見つけてから、このお城に来るまでにもかなり日が経っているわ。その間、ガラスの棺で変わらず美しいままだったというのも……」
アマーリエとクラウスは顔を見合わせた。
「陛下はご存知よね?」
「……恐らく。ただ、怪しいところがあるにせよ、姫は間違いなく隣国の王女だ。兄上の結婚相手としては申し分ない……」
「反対する理由もない、ということかしら」
復活の奇跡が真実かどうかはさておき、国民全体に王家の威光を知らしめるにはよい材料だろう。だからアマーリエという婚約者がいるにも関わらず、姫との結婚を許可した。
クラウスは案じるような目をした。
「アマーリエは、それでいいのか。兄上のことはいいとしても、『王妃になるのだ』と生まれた時から教育を受けてきたのに」
「……そうね」
クラウスだって、アマーリエが王子に興味がないことは知っている。だが、王族としての厳しい教育を、共に受けてきたのだ。あの日々が無駄になることを思って、心配してくれているのだろう。
でも。
「わたしは、大丈夫よ」
アマーリエは何も気にしていない。婚約者がいなくなったことも、国全体で奇跡の姫を迎えようとしていることも。
けれど、クラウスがこうやって気にかけてくれるのだけは、少し嬉しかった。
姫の話だと、隣国のお妃は魔法の鏡を持っていたのだという。
でも、魔法の道具があるのは、何も隣国だけではない。
アマーリエの家には、代々伝わる魔法の本がある。王家にも秘密の、この国を裏から導いてきた本だ。
本の頁に名前を書くと、その者の運命が分かる。
この家に生まれたものは、名付けの直後に魔法の本で運命を見る。アマーリエは、生まれた時に王妃になる運命だと定められた。
魔法は真実しか告げない。アマーリエは絶対に王妃となる。
だから何も、心配することなどないのだ。
屋敷の地下、執事頭でさえ入ることの許されない部屋。
アマーリエは、ガラスの箱に収められた本の、自分の名前が書かれた頁をそっと開いてみた。
かつて見たのと変わらないアマーリエの運命が、書かれていた。
姫からお茶会の招待状が届いた。見知らぬ土地で友人の一人もいないから、仲良くしたいのだという。
城に行けばクラウスにも会えるかも、と、アマーリエはその招待に応じた。
「お招き、ありがとう」
「こちらこそ、来てくださって嬉しいわ」
静かな庭の四阿。
姫は相も変わらず同じ笑顔で、アマーリエを迎え入れる。城での生活には、すっかり馴染んでいるようだ。メイドを制して、自分でお茶を淹れる仕草は手慣れている。
「お継母さまは、わたくしの美しさに嫉妬なさって、使用人と同じ暮らしをするようお命じになったの。逃げ出してからは、森で親切な方々に匿っていただいて、かわりに家事をしていたわ」
だからお茶を淹れるのは得意なの、と言う割に、自分では一切口をつけていない姫。
アマーリエはカップを持ち上げてお茶の芳醇な香りを楽しんだ後、ソーサーに戻した。
「……お城の生活はどうですか?」
「皆さん良くしてくださって、申し訳ないくらい。ああ、申し訳ないと言えば……」
姫はポン、と両の手のひらを合わせた。
「アマーリエさんは、殿下の婚約者だったとお聞きしたの。それなのに、わたくしが殿下と結婚してしまって……。知らなかったこととはいえ、本当にごめんなさい」
どうやら、誰かが余計なことを姫に吹き込んだらしい。
国中が知ることではあるけれど、わざわざ姫に伝える必要はないだろうと、婚約のことは言ってなかった。結婚式前にも彼女と何度か顔を合わせていたが、それはあくまで王家に近しい令嬢として。
アマーリエは視線を上げて、姫の顔をじっと見つめた。こんな会話をしている時とは思えない、人形のように固まった笑顔。悪意があるのかどうか、それすら読み取れない。
でも、この件で彼女を責めるつもりは、アマーリエにはなかった。
彼女がどんな考えでここにいようと、それはアマーリエには関係のないことだから。
「気になさらないで。どちらかと言えばわたしは、姫に感謝しているの」
「感謝?」
「わたしは生まれた時から、王妃になる者として育てられたわ。殿下との結婚はわたしの意思ではなく、ただ定められた運命だというだけ。殿下が王になるのなら、その妻となるのはこのわたし。それだけよ。それだけなの」
あのね、とアマーリエは、姫の手を握った。
とても冷たい、王子が好みそうな手だ。
「あなたが羨ましい。羨ましいわ。好きな人と結婚できるなんて、当たり前ではないもの。わたしには無かったものよ。だけどあなたのお陰で、わたしにも幸運が巡ってくるかも知れない」
「アマーリエさん……」
「人の運命は、そう簡単には変わらない。だけど、欲するものすべてを諦める必要なんてないと、あなた方が教えてくれたの」
だって、そうだろう。
幼い頃からの婚約者を廃して強行した結婚に比べれば、アマーリエの願いなんて可愛らしいものだ。
驚いているのかどうか、それすら分からない笑顔の姫から手を離し、アマーリエは立ち上がった。
「姫、今日はお誘いありがとう。わたし、今から行くところがあるので、ここで失礼するわ」
「ええ……。ええと、頑張って?」
ひらひらと手を振る姫に背を向けて、アマーリエは四阿を後にした。
「クラウス!」
「アマーリエ? 来ていたのか」
長い付き合いだから、クラウスのいる場所なんてすぐに分かる。
彼は与えられている別棟の庭で、剣の稽古をしていた。
アマーリエは美しく見える限界の早さで歩いていたが、彼の姿を見るなりたまらなくなって駆け出した。
ぎょっとしたクラウスが、慌てたようにアマーリエの傍まで飛んでくる。こちらが走り寄るよりも、ずっと速かった。
「アマーリエ! 転んだらどうするんだ、危ないだろう」
「いいの! クラウス、どうしても言いたいことがあって」
「聞くよ。だから落ち着いて」
いつもと違うアマーリエの様子に、何か感じるものがあったのだろうか。クラウスは真剣な顔をした。
一度息を吐いて、大きく吸って。
「クラウス、わたしと結婚しましょう!」
「……は?」
「ずっとね、思っていたの。わたしは王妃になるため、殿下と婚約していたけれど。もし結婚相手を選べるのなら、本当はクラウスの方が良かったな、って」
クラウスは目を見開いている。きっと、思いもよらなかったのだろう。
でもこれは、紛れもないアマーリエの本心だ。
本来のアマーリエは好みではないからと妙な注文をつけてくる王子より、本音で語り合えるクラウスの方が良かった。
アマーリエが勉強でミスをして落ち込んでいる時、簡単な問題だからもっと勉強した方がいいと言うだけの王子より、隣で励ましてくれるクラウスの方が良かった。
絶対にアマーリエを見てくれない王子より、笑いかけてくれるクラウスの方が良かった。
でも、アマーリエは、王妃になる運命だから。
「誰と結婚するのか、わたしには選べないと思っていた。でも、気づいたの」
アマーリエが王妃になることが決まっているのなら、誰と結婚しようとも、良いのでは。
王子ではなく、クラウスが王になれば、それで良いのでは。
「ねえ、今のわたしなら、殿下じゃなくてクラウスを選んでも、きっと許してもらえるわ。だって、殿下のわがままで婚約がなくなったのだもの。そうでしょう?」
「それは……、そうかもしれないが」
クラウスの瞳が揺れている。でも、拒絶の色は見えない。
どうか、頷いて欲しい。
期待を込めて見上げると、クラウスは天を仰いでから、綺麗な顔で苦笑した。
「参ったな」
「クラウス?」
「君と結婚するのなら、俺からプロポーズしたかったのに」
今度はアマーリエが目を見開く番だった。
「まあ……。うふふ、それは、ごめんなさい」
――後日、二人の結婚は、国王によって正式に承認されることになる。
王子と姫の結婚式から、季節がひとつ終わる頃。
木々の色が濃くなる初夏に、その事件は起こった。
発見者はメイド。場所は王子たちの寝室で。
姫が、王子の首に食らいつき、その生き血を啜っていたと。
王子は既に事切れており、温度を感じさせない真っ白な肌に、吐き出した血で染まった赤い唇をしていたという。
王になるはずだった王子は死に、空いた座には、同じくらい優秀だと評判だった弟王子が座ることとなった。
アマーリエは屋敷の地下室で、魔法の本を開いていた。
この本に書かれた運命は、すべて正しい。
アマーリエは『王妃になる』。たった今確認したクラウスは、『王になる』。
そして、王子は。
『化け物に食い殺される』と書かれた文字を撫で、アマーリエは微笑んだ。
本を元の通りにガラスの箱に戻して。
インク壺の蓋を、そっと閉じた。
たくさん読んでいただき、ありがとうございます!
よろしければ他の作品もご覧くだされば嬉しいです。
投稿途中の「生贄侍女ミシェルと9の黒薔薇」に関しましては、執筆を進めております。
まだ完結してはおりませんが、近々再開したいなぁ……、とは思っておりますので、応援よろしくお願いします!
追記
コメント欄で希望の多かった続編、「チキチキ☆姫討伐大作戦」も投稿しておりますので、よろしければお楽しみください!