90 天敵、其の九
「人を、探している。これくらいの背丈の子供。おそらく性別は男性だ。トネリカ人ではないはず。それ以外は何も覚えていない。何せ、特別製とは言ってもこの体は何処までいっても人間と同じ。記憶の容量だってそうだ」
「……そんな無茶な契約」
「無効だと?それでも別にぼくは構わない。また、一人で探すだけだ。……はぁ、きみが死んでいてくれたら、もっと、ずっと、探しやすくなっていただろうに。本音を言うと、ぼくの評価はきみよりもきみの神の力の方が有能だと結論付けている。でも、きみが生きているせいでぼくはこの力を十全に扱うことが出来ていないのが現状だ」
本当に、心底残念そうに一番はディールスのことを軽蔑していた。彼女からすれば、何処までも邪魔で、邪魔で、仕方がない存在なのだろう。
「……あぁ、そうだ。話題が逸れた。もし、きみが契約を完遂出来なかった場合のことを伝えていなかった。その時は素直にぼくに殺されてくれ」
サラリと、あり得ない契約の付け足しを後出しで提示した。多くの人なら、自身の命惜しさに身を引く場面であろう。それが、仲間を裏切りろうと。
しかし、
「――いえ、その契約、お受けします」
彼は、仲間を選んだ。
天国も、地獄も、輪廻も無いことを生まれた瞬間に理解してもなお、死への恐怖が芽生えたことは一度たりともなかった。神として死にかけでも。それは彼がこの旅で自分の命を勘定に入れたことがなかったことにも繋がる。
生きる時に生き、死ぬ時に死ぬ。神として生まれながら、そのような人生観を持っていた。
「いやはや良かった。他の国の手立ても無いのに、危うく皆殺しコースだった。どうせ皆殺しならもっと準備したかったから、ちょうど良い」
一番は胸ポケットとは別の、タキシードの内側のポケットから試験管を取り出した。水銀とは明らかに色が違う。薄い琥珀色の液体が、試験管の半分程を埋めている。
「トネリカ人の遺伝子的に十分脅威となりうる病原菌の培養液だ。偶然、宝石を仕入れている時に立ち寄った、空気が腐りかけた鉱山の中で死んだ蝙蝠の腹と排泄物から発見して、あとは野生のネズミを使って適当に増やしたものだ。気まぐれで培養した所、これは如何やら接触感染、空気感染しやすく、免疫が弱いトネリカ人だけには恐ろしく効力を発揮するウイルスだった。運良くこんな兵器を生み出せた後は、井戸か何かに混ぜるだけ。トネリカ人が死ぬか、運悪く寝込めば、皆家に籠って、後は鉄のマスクを付けたぼくがこの国を見て周ろうって予定だったんだ。ぼくが探しているのはトネリカ人じゃないはずだから、この国で探しがしやすくなる。合理的だろう?」
嘘ではない。彼女は、本気で大量虐殺をするつもりだった。合理的に、非倫理的に。
そのまま試験管を仕舞うと、ベールの下の鉄仮面が初めて笑っていた。口角をほんの微かに上げ、上品に。これから聞く大量の悲鳴と積み重なった死体の山を待ちきれないという風に。
「きみには、ぼくが考案した方法以上の合理的な方法を期待している」
彼女は確信しているのだろう。彼が自分よりも合理的に探し人を見つけ出し、それでかつ、そのせいで流れる血が自分の方法よりも多いことを。残虐に、無残に、残酷に、多くの人が死ぬことを。
だって、彼は生まれた瞬間の人間を殺す程、無慈悲な判断を下せるのだから。
「……待ってください。何と、お呼びすれば良いですか?」
「……律儀過ぎないか、呆れた。ずっと一番で良い。名前で呼ぶな。ぼくにとって、名前は、大事なものだった、気がする、から」
ここで、初めて彼女の口調が崩れた。頭痛に苦しむように額を抑え、それでも堪えながら、弱弱しく、途切れ途切れに言葉を紡いだ。覇気のない彼女の言葉は、何だか普通の人間のようだった。
それでも、弱みを見せまいと、すぐにいつもの鉄仮面に戻ると何事もないかのように振る舞った。
「では、これまで通りミズと」
「ぼくはもう行く。あぁ、契約の期限は十日だ。それ以上は待たない。明日の朝、ここ集合で」
彼女はそう吐き捨てると、トランクと、トランクに潰されるように置かれていた銀の細身の長剣を持ち、腰に掛けた。足早に歩くと、そのまま、すぐに雨に紛れるように消えていった。
その場に残されたのは、精神を病んだ人形と、幻覚で意識が戻らない少年、宝石を二つ持った青年だけだった。




