87 天敵、其の六
「嘘、嘘嘘嘘——⁉」
まとまらなかったはずの思考が、私の意志とは正反対に鮮明に、答えを導き出してしまった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
嗚咽が止まらない。絶叫が止まない。全身の毛が逆立つ。全身が拒絶反応で腐ってしまいそうだ。今まで積み上げてきたものが、全て崩れ去っていく気がした。
認めたくない。真実とは、こんなにも残酷なのか。
「いや。やめて、やめてよ……。うぅ、……ぁ、……おぇっ………。お、お願い、ディールス。嘘、だって言って。分かってた、口調や決意を変えても私の本質は何も変わらないんだって。でも!こんなこと信じたくないの……!どんな罰でも受け入れる、受け入れるから!その事実だけは受け入れられないの!お願い、あなたの優しさに付け入らせて。私、これ以上は……」
壊れてしまう、そう言いかけてやめた。
彼女に会ってから、ずっと体の奥で不可解な音がしていた。
空を切って、風を置き去りにする程速く、何かが急速に落下しているような音。その音がやっと今、止まった。——地面に激突して粉々に粉砕したガラスの音を最後に。
もう、手遅れだ。
壊れてしまった。折れてしまった。粉々に|、割れてしまった。
「リディア、落ち着いてください!彼女の言ったことに根拠は無い!」
ダメ、涙が止まらない。息、が。
「リディア!リディア……!」
ごめん、なさい、ディールス。誰、よりも、優しい、あな、た――。
「……もう、話し合いは終了しましょう。いえ、話し合いにすらなりませんでしたね」
「そうだな。まさかこんなことで終わりだとは思っていなかった。意外と呆気ないな。こんな警戒する必要もなかった」
「――そこまでして、ただで帰れるとお思いで?」
「まぁ、そんな訳ないだろうな。さて如何しようか。策があり、相手がいかに出涸らしとはいえ、正面から戦えば今の君にもぼくは負ける」
「…………神の力に固執する訳ではありませんが、そろそろ返していただきたい!」
リディアをそっと寝かせ、ディールスが走っていく。
リディアは依然、目を開けたままでいる。涙だって流れているし、声にもならない嗚咽や乾いた笑いだって時々漏らす。それでも、体はあっても彼女本人の精神が希薄の状態、いわゆる重度の鬱に近しい。
彼女を元に戻す手段は明白ではない。
彼女が自身の罪悪感に負ければ、彼女はそのまま。体だけは不死の人形が一つ出来上がるだけだ。だがもしも、彼女がそれを乗り越えたとしても、深く付いた傷は決して塞がらないだろう。
リディアが勝つための手助けとして、一番をどうにかしても、仲間を取り戻しても、エドワーズと再会できても、——アイシェルが蘇っても、彼女の意識が元通りになる確証は無い。
それでも、彼女をこうした元凶に怒りは湧くのだ。
今、ディールスを突き動かすのは、己を焼き尽くす程の憤怒。彼女らを傷付けられたからか?無論、それも大きい。
ただ、彼は許せなかった。リディアの深い、人の身で抱えきれない程の罪悪感、自己嫌悪、後悔。それに少なからず同情し、情状酌量の余地があると判断していた。全てを理解することは出来ずとも、その一端は理解したつもりでいた。
それを、こんな風に弄んだ相手がどうしても憎かった。憶測で物を語り、彼女の痛みの微かすらも理解をしようともせず、容易にためらいもなく、刃を胸に突き刺した一番の所業を許容出来なかった。
故に、残された彼は、本気で相手をねじ伏しに行っている。
仇討ち?復讐?報復?そう言われるものに近いのだろう。リディアの踏みにじった気持ち分、仕返しをしてやりたかったのだから。
相対する一番も拙いながらも構えの姿勢を取り、迎え撃とうとしている。
二人が衝突する、その刹那、——
彼の放った拳は、突如横から割り込んできた紅色の槍に巻き取られ勢いをなくし、彼女に寸前の所で届かなかった。
「よぉ、ヤバそうだったから、善意で助けに来た優しい神様だ」
リディアはその声をよく知っていた。忘れられない、忘れもしない、あの夜の鶴の一声も彼だった。周囲を一喝するまでもなく黙らせる、良く通った若い声。
暗めの赤毛、太陽を背負ったような圧倒的な存在感、レッドジャスパーのような今にも燃えだしそうな緋瞳を宿した突然現れた男性。
——彼女から生を受けた四番目の神、秩序のオルドル。




